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働き者は死神と出会う

 ミニス嬢は何も言わずに、走り続ける。

 まるでどれだけ距離を離そうとも、安全になることはないというように。

「待つんだミニス嬢、このままだとさっきの店に逆戻りになる。 追手と鉢合わせになる可能性が高い」

「仮にそうだとしても、このままあの場所にいて彼と戯れるより安全ですわ」

 彼だと?

 ミニス嬢は、今の得体のしれない『ナニカ』を知っているというのだろうか。その彼女の表情は、先ほどまでどこか自信があるかのような笑みだった。だが、しかし今ではその余裕の欠片もない。

 僕には彼女が何かを隠しているように思えた。

「説明をしてくれ、今のはいったいなんだ?」

「聞かないほうがいいですわ」

「あれが今までこの街を騒がせていた、猟奇事件の犯人なのか?」

「……おそらくは。 ヴァンさま、アレは知ってはならぬ、見てはならぬモノなのです。 関われば、災厄に巻き込まれます」

 ミニス嬢は鈍く光る青の首飾りを握りしめた。

 ずいぶん不吉で幻想的なセリフだ。

 まるでおとぎ話に出てくるスリーピー・ホロウのような話である、見た者に死を告げる死神、首のない騎士。 

「僕は霊だとか魂だとかを信じてはいないんだけどね」

「敬遠な方だと思っていましたが」

「死を救いに考えるほど悲惨な目に合えば、祈る気なんて失せるさ」

 故郷はみんな敬遠な人々ばかりではあった。

 故人の命日以外にも秋には必ず墓参りをするし、年末年始には多くの人が寺院へ祈りに行く。賭博に熱中し不養生する人間ですら、時に神に祈るのだから笑ってしまう。

「祈るよりも、懸命に今の状況を把握したい。 知っていることがあるなら、教えてくれ」

「後悔するかもしれませんよ?」

「後悔すら出来ない結末を迎えるより、幾分かマシだ」

「……文献で読んだことがあるのです、とある人物は彼を『終末の住人』と呼びました」

「『終末の住人』? そんなモンスターは聞いたことがない」

「それはそうですわ、『アレ』はこの世のモノではありませんもの」

「まさか幽霊とでも言うつもりかい?」

「元が人間ならば、まだ理解できる範疇ですわ」

「なら、まさか悪魔とでも言うんじゃないだろうね」

 竜は災害に数えられるだけでなく、時に悪魔にたとえられる。

 一方、母国では神の御使いとして数えられることもあった。特に辺境では、竜を神そのものとして崇め、文化として強くその考えが根付いている場所も少なくはない。

 人智ではどうにも出来ない存在を、古来より神や悪魔として人間は恐れた。しかし、現実に災害や竜は決して神でもなければ悪魔でもない。

「悪魔ならば、悪意を持って人を傷つけるだけでしょう。 そこには知性とわたくしたちにも理解できる論理があります」

「やつは違うと?」

「ええ、わたしたちは根本的に彼らを理解は出来ません。 また、しようとしてはいけません」

「それってどういう意味?」

「なるべく見ないようにしてください、あらゆる意味で認識しないようにしてください。 特にその顔を見れば、命の保証は出来ません」

 そんな訳のわからない存在があり得るのか?

 それこそ本当に神話に出てくる怪物のたぐいじゃないか。

「全くもって意味が……」

 理解できない、そう言おうとしたその時、道の奥から二人の男が現れた。野戦用にカモフラージュされた戦闘用のコートを着込んでいる。

 一瞬、逃げたはずの獲物が自分たちの元に走り寄る姿に戸惑いを見せるも、僕らに停止や降伏を勧告すらことなく銃を構えようとした。先ほど銃を撃ってから引き渡し要求しただけあって、殺意があることは明白である。

 今回も僕を撃ち殺してから、話しかけてくる気なのでないだろうか。  

 僕の手を握るミニス嬢を、押し倒す形で伏せさせる。同時に触媒つえを取り出す。

 無駄なあがきにしか過ぎないが、辺りに物影もなくましてや引き返すことも出来ないのだ。

 正面から戦うことも出来ない、僕の扱える銃では彼らの装甲を撃ちぬけはしないだろう。僕に扱える魔術もこの距離では銃に敵わない。

 僕は顔を伏せて、ミニス嬢の盾となるべく覆いかぶさった。

 ……しかし、待てども弾丸は来ない。

「ヴァンさま、顔をあげてはいけません」

 ミニス嬢のその言葉は遅かった。

 僕が視線を向けた先には、巨大な背中があった。

 その手足は針金のように細く、体長は2メイトル……いや3メイトルはあるだろうか。その人型は太陽の下にいるのにも関わらず、漆黒の闇の中にいるように黒い。真っ白な紙にインクを垂らしたかのようだ。その人型インク染みの周囲景色は歪んで見え、歪み方の変化は激しくソレはまるでくねくねと踊っているかのように見える。

 ソイツが伸ばす針金のようなそれぞれの手先に刺さる二人の男。串刺しのまま、足をばたつかせて抵抗するも次第に動きが弱くなり痙攣を始めた。

 それは、故郷の小鳥の習性である早贄に似ていた。自分が捕えた獲物を生きたまま突き刺すのだ。

 さっきから耳鳴りがひどい、その光景を見ているだけでノイズ音が響く。

 空間が多様に変化しながら歪み、刺された男達も『ソイツ』もくねくねと視界の中で踊って見えた。

 ゆっくりと『ソイツ』が振り向く。僕はそれを本能的に察知して、ミニス嬢とともに立ちあがり走り出した。あるいは、それは単なる思い込みだったのかもしれない。ただ逃げ出したいという恐怖心が僕を駆り立てたのかもしれない。

 しかし、どう考えてもそのままその場に留まることで助かるとは思えなかった。

 走り出してもなお聞こえる、ノイズ音。この耳鳴りのせいで僕は他の一切の音が聞こえなくなっていた。

 とっさに口元を抑えると、大量の鼻血が流れていたことに気づく。

 血もノイズ音も止まる様子がない。

 地面を走っている感覚がどんどん薄れていく。空中を浮遊しているかのようだ。

 そのまま太陽の光すらも目に届かなくなり、僕の意識はどんどん混濁していった。

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