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路地を駆ければ不幸に当たる

 僕らは居酒屋『マドモド』を抜けて、裏路地を駆けた。

 ゴミや汚物を踏みしめながら、日が当たり明るく見える大通を遠く感じていた。いくらでも酔いつぶれることが出来る、平和な世界に手が届く気がしない。

 昼間から酒飲みながら、ぐうたらするのが楽しいのに。

 ふと頭の中でなにかがざわめくような感触。

 延々と脳内で警鐘をならされているような気がするが、その奇妙な違和感の正体が分からない。いったいなんだ?

「……そういえば、裏に伏兵がいないね」

 これは幸運なのか?

「確かに、そうですわ。 それはそうと追っ手がかかった場合しのげるのですか?」

「用心棒には連絡してる、あとはなんとかするしかないね。 それより人目が多い通りに行くべきだと思うけど?」

「人が下手に集まりだしても危険ですわ、人ごみから刺されることもあります」

「向こうも騒ぎになったらまずいんじゃないの?」

「彼らだけが敵とも限りませんし、わたくしを害したい人間はいくらでもいますのよ。 群集に紛れている相手が一番怖いですわ」

 彼女は飄々と言葉を連ねながら走る。

 本当に厄介なことになったものだと、改めて思った。

「ヴァンさま、そんな顔をなさらないでください。 急場をしのぐことができれば、彼らは退くはずです」

「やけに自信満々のご様子だね、ミニス嬢。 その根拠は?」

「さきほど、マイルズさまが騒ぎになっている事件に備えて、警察局が特殊部隊『ピースメイン』の出動態勢を整えたとのお話でした」

 さっきマイルズも言っていたな。

 製紙工場で残業していた社員が、皆殺しにされて皮を剥がされたんだったか。確かに近い事件が前あったのを僕も新聞で読んだ

「そうなると騒ぎを聞きつけて駆けつける可能性があるかもしれない」

「少なくとも、あの傭兵たちもそう考えると思います」

「それなら僕らがいっそ警察局に駆け込むという選択肢は?」

「あら、ヴァンさまは警察局をとても信頼しているのね」

 ミニス嬢は汗を額から掻きながらも、なんとも優雅に微笑んだ。

「きみは警察が嫌いかい?」

「この街を有様をみればわかりますわ。 財閥との繋がりを別にしても、ここの警察局は信用できません。 それでもなお盲信出来るなんて、ヴァンさまはとてもよい環境で育ったのですね」

 僕は言葉に詰まった。

 確かにここいらの警察士は質が悪い。かえって賄賂を受け取らない警察士は警戒され、命の危険が出てくるからなおさらだ。

 それほどにこの街はひどく治安が悪い。

 でも、僕はすべての警察士が悪いわけじゃないと信じている。本当は正義をなしたい人々なのだと。

「残念ですけれど、統制された環境で人間が悪事をしないのはその方が損だからですわ。 ここの方たちはそうではありませんもの」

「僕はそうは思わない」

 環境さえよくなれば、きっと変われる。僕はそう信じる。

 未だなお成長を続けるこの街は、地方からの人口流入が激しい。

 元は過去の戦争の緩衝域であり、そこに『竜の学院』がその権威をもって中立自治区の名乗りを上げた。

 もともと住んでいた部落民が住む一地方にすぎなかったこの地は、強固な外壁に覆われ、近隣一帯でも安全な有数の市場となった。

 だが、終戦をもって急激に治安が悪化。

 戦勝国の横暴や、敗戦国の経済・政治の悪化。どこにも働く場所がない故に軍隊に入った人間たちも職を失い、さまざまな理由で多くの人間がここを訪れる。この街は様々な人種の坩堝となった。

 違う価値観の人間、貧民層の増加間……治安の悪化は激しかった。街に入れない人間は、テントやゴミで作った家を外壁の周囲に建てて暮らしている。

 だからこそ竜の学院を始め、一部のブルジョワも社会改革に乗り出している。助け合う人々も僅かながらいる。

 急速な改善は望めない、それでもいまだあがき続けている誰かはいる。それだけで希望は持てる。

「そういえばヴァンさまは、探偵まがいの仕事をなさっているとのことでしたわね」

「そうだね」

「『探偵まがい』とはどういうことですの?」

「何でもするのさ、この間はマダムと庭師の浮気現場に立ち会った。 彼女、売れない画家のパトロンもしてたんだけど……あとはわかるだろ? その前は娼館で帳簿が読めるからって、金をちょろまかしているやつがいないか裏取りまで手伝わされたこともあった。 張り込みとかそういう面倒なこととか、相手をだますような嫌な気分になることまでしたよ」

 と、そこまで話してお嬢様に話す内容じゃないな、とようやく気付いた。顧客情報をばらすほど詳しく話す気はしないが、僕の仕事なんて下世話な内容ばかりだ。実際のところ、どこにでもあるような話ではあるのだけど。

 なにかフォローしようと思うが、なにも言葉が見つからない。

 ふとミニス嬢を見ると好奇心に目を輝かせていた。

「なんだか素敵」

「そう?」

「そんな能力があるのに雇ってくれる場所はありませんの?」

 さっきから皮肉のつもりだろうか。

「なんだか嫌なことを聞くね」

「ヴァンさまが言ったのですわ、どこの事務所も雇ってくれないと」

「……学院の卒業は身元保証になるのさ、まともなところはどこも雇ってくれない。 皿洗いや客引きなんかもやったんだけど要領が悪くてね、すぐクビになった」

「学院での知識は活用できませんの? 会計などのお仕事は?」

「辺境ならいくらでも道はあるだろうし、この街でも仕事を選ばなきゃ要領が悪くても重宝されるんだと思う。 ある程度の悪いことにも目を瞑って、余所者として扱われながら何年も働けば金庫番くらいにはなれるだろうな。 そうなれば、調停人としても力を発揮できるかもしれない。 それがダメなら、かじった程度の語学力でもここに流れてくる人間と比べれば天地の差があるし、通訳をしてもいいかもしれない。 現実的に考えたら餓死する覚悟も無いくせに、格好なんかつけてないでさ、自分が食えるために働くべきなんだ」

「なら、どうして?」

「なんでかなあ」

 難しいことを聞くものだ、自分の行動をすべて論理的に説明できる人間なんていないだろうに。

 それでも、どこまでも突き詰めていけば

「結局は気持ちが納得いかないんだろうね。 他人の目から間違ってようがバカバカしかろうが、自分が少しでも正しいと思うことがしたいんだ」

「自分の正義を貫きたいんですね」

「そんなかっこいいものじゃなくて、自分がしたくないことをしないように生きるなら、たくさん我慢しなきゃらないってだけさ」

 どこまでも子供な自分を捨てられないだけなんだ。

 折り合いをつけないで、どこかにありもしない希望を求めている。大半の人間は途中でのたれ死ぬか、酒を飲みながら愚痴を言うだけの人生になるってのに。

「ここを右に曲がるよ」

「……行くあてがあるのですか?」

「いくつか隠れ家を持っているんだ、僕もマイルズもね。 共有しているものもあるし、僕しか把握していないものある」

 今回は共有している場所に行くことになる、いざという時の合流場所。マイルズが機材を用意しやすい場所だ。

 この状況だと合流は厳しいかもしれないし、マイルズが敵に捕まった場合、居場所がばれる可能性もある。

 そこは信頼するしかないし、そうしなければ生き残れる自信も無い。

「隠れ家なんてワクワクしますね」

 ミニス嬢はどこか楽しそうだ。ピクニックをしているわけじゃないんだが。

 それでも泣き喚かれるより、断然いいので黙っていることにする。彼女がそんなことをする人間には思えないけれど。

 路地を抜けようとしたとき、

 道の真ん中に真っ白で、ところどころが赤茶けた何かがあった。

 「うう……」と言う、うめき声。

一瞬何かと思ったが、倒れている人間だと把握する。全身を何かで覆っているのだろうか。

 ……違う。

 思い出した、新聞じゃ一切言われていない。

 皮を剥がされた人間が、殺されてただなんて。

 それは、人間だった。

 生きたまま皮を剥がされた人間。

 目線を宙にさ迷わせ、ひたすらうなりながら涎をたらす。生きた人間の成れの果てだった。

 全身の真っ白な脂肪から血の流すその姿、もうどう見ても正気ではなかった。

 ミニス嬢は目を細めて、身を硬直させる。

 危険を感じ耳を澄ませてみれば、周辺のあちこちから声が聞こえる。

 違和感の正体がわかった。

 誰とも会わない。

 爆発音や銃声がすれば、たいていの住人は巻き込まれないように鍵をかけて家にこもる。

 それでも、だ。これだけ走って、今の今まで誰にも会わなかったなんてありえない。

 僕は今まで来た道を振り向く。

「……なんだ、これ」

 そこにはさっきまでいなかったはずのものがあった。

 少なくとも僕には見えなかった。

 気づかなかった。

 こんなに何人もの人間が、皮を剥がされたまま倒れていたなんて。

 まさか伏兵がいなかったのはこのせいか?

 と言うか、さっきから。

 視界の端にちらつく、この黒い『モノ』は何だ。

 剥がされて、皮下脂肪がむき出しとなった真っ白な人間と対照的に、黒い『ナニカ』がすぐ傍にいる。

「ヴァンさま、走って!」

 ミニス嬢は僕の手を握り締めて、走り出す。

 僕はただひたすら混乱し続けていた。

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