ご令嬢はベッドの中で微笑む
『その顔を見てはならない。
その顔を見ることは、深淵を覗くに他ならない。』
――ネアル・バーキントス
およそ200年前に突如現れた『竜の学院』
その技術は世界に革命を起こした。
法も秩序も意味はない、力こそがすべての暗黒の時代。
怪物がはこびるなかで生存競争に劣勢だった人類は、ようやく魔術という名の武器を手にした。
学園がもたらしたのは、技術だけではない。
法や医療、秩序にまつわるさまざまな概念すらも学園はもたらした。
だが、いまだに世界の大半は無秩序という名の暗黒に包まれている。
学院が暗黒を照らす、火を人類に伝えた。だが、それは禁断の果実だったのかもしれない。
その火が焼くのは、怪物かそれとも人類か。
いまだその答えは出ない。
……そんな壮大な世界の中で僕は、その学院の修学についていけず落第するような男だった。
目を覚ますと、隣に知らない女がいた。
背中しか見えないが、どうやら服は着ていないように見える。
やばい、誰だ。
全然知らない、女だ。
ショートヘアのブロンドなのはわかる、それも若い女だ。髪に艶があり、その時期特有のハリのある肌に見える。
……どうしよう、全く覚えがない。
どこぞの娼婦だろうか。どこかのマフィアの情婦だったりしないだろうか。振り返ったらグール顔だったらどうしようか。
と言うか、僕は昨日何をしていたんだろうか。
昨日、ジェシカにまた振られて、そこからヤケ酒を飲んだのは覚えている。最初は相棒のマイルズと一緒だった。
その後も店を梯子して、誰かとは飲んでいた気はするんだけど、昨日の夜はずっとマイルズと一緒だったんだろうか。
いや、そうならこの隣に寝てるのはマイルズになる。現段階で発覚した良いニュースは、僕に男色の気はまったくないということが証明されたことだな。
例え記憶をなくすほど泥酔したとしても、あんなおっさんが同じベッドで裸になっていたら、人生が終わったと言わざるを得ない。
そんなくだらないことはどうでもいい。
……結局、まったく思い出せない。
これ、ジェシカにばれたらどうしよう。
もう振られてるんだけど、まだ可能性あるかもしれないのに!
ひたすら混乱していると、シーツとこすれる音を立てながら彼女が寝返りをうった。
彼女と目があった。
キラキラしてつぶらな瞳。
彼女は愛らしい、天使のような笑みを浮かべる。
「おはようございます、ヴァンさま」
ずいぶんと幼い顔立ちだった。10代半ばだろうか。
って、もしかしたら、これは相当まずいんじゃないか。
これは警察局に捕まるぞ。
とうとう落ちぶれに落ちぶれて、警察沙汰だ。
僕の人生、終わった。
いや、待て。
まだ諦めるんじゃない!
こう見えて、実は成人している可能性もある。
泥酔して未成年を連れ込んだなんて、まずいことになるわけがない!
大体この子は僕の好みからだいぶ外れているじゃないか、冷静に見て間違いが起こるわけない。
いや、泥酔状態はそんな冷静な判断が出来るんだろうか、相手が裸で寝ているのに間違いがないなんてありえるんだろうか。僕に関して言えば下着だけははいているようだけど、彼女がブラを付けているようには見えない。
……僕はひとまず彼女に服を着てもらうことにした。
なるべく視界に入れないようにして、僕を服を着る。
……これはいったいどういうことなんだ。さあ、思い出せ。僕は昨日何をしていたんだ。
まずジェシカをデートに誘ったのは覚えている。
ジェシカはとある切っ掛けで知り合った娼婦だ。それも界隈でも上等な部類に入る。
哀れんだだけなのかもしれないが、僕がまともに働けなかった時に面倒を見てもらったことがあった。彼女がいなければ僕はとっくに路地裏にでも転がって、食べ残しのピクルスのような色で腐敗していただろう。
そんな彼女に食事くらいならとOKしてもらい、その一緒にいった夕食の合間にまた次のデートに誘ったんだ。
そしたら、「誤解される前に言うけど、私、あなたと付き合う気はまったくないわ」とはっきり言われてしまったのだ。
僕は戸惑いながらジェシカに尋ねた。
「可能性はまったくないの? これからも僕は努力していくつもりだよ」
僕がそういうと彼女は呆れたように言った。
「自分の生活を保障することも出来ない人間が、女を囲おうとするなんて身分不相応よ。 あなたが私にどんな責任を果たせるというの?」
彼女の言葉に容赦はなかった。
「女に心も体もすべて預けて欲しいと言うのなら、心も体も守れるだけの頼りがいと甲斐性を身に付けてから言いなさい。 これからの努力? そんな実績のない曖昧な言葉と態度で口説くのは貴方の勝手だけど、それでついてくる程度の女だと見てるならずいぶん相手を安く見てるとは思わない?」
きりっとした鋭い目と言葉に射抜かれて、ぐぅの音も出なかった。
すべてジェシカの言うとおりだと思った。
僕が好きな彼女は、こういった鮮烈で強い人間だった。
「優しい言葉は無責任な人間でも言える、強い人間は責任を持った言葉を言うことが出来る」
いつだか、彼女が言った言葉だ。
優しい言葉は人間いくらでも言える。だが、正しいことを言える人間はとても稀有だ。
僕は無責任な優しい言葉を言うことくらいしかできない。
「え、今、なにかおっしゃいましたか?」
僕は声のした方向へ振り向く。
目の前の少女が金色の髪を揺らしながら、首をかしげた。
すっかり着替えは終わっていたようだった。
「なにか僕は口にしていたかな」
「ええ、『強い人間』がどうとか……」
「ああ、少し考え事をしていたんだよ。 僕の大切な友人がね、『優しい言葉は無責任な人間でも言える、強い人間は責任を持った言葉を言うことが出来る』と話していたんだ」
「無責任な人間は弱いということですか?」
「まあ、その人にとってはそうなんだろうね」
どんな人間でも強くあり続けることは出来ない。と僕は思っている。それはどんな人間でも、責任感を持って常に行動することは不可能だ。
そう解釈出来るということなのだろうか。
実際、責任持って行動できなかったから泥酔して、記憶がなくてこんな困った状況にあるんだけども。
「ひとまず……」
君は誰なのか、と聞いたら問題あるかな。
それは、まったく覚えてないと自白するようなものだよな。
「ええと、お互い自己紹介は済ませてたよね?」
「いいえ、まだですよ」
はっきりと言葉が返ってきた。
即答だった。
お互いの名前も知らないまま、ベッドに連れ込んだのか僕は。
……いや、深く考えるんじゃない!
このままうやむやにするんだ!
そうだ、そうしよう。自己紹介だけして、もうこのまま軽い感じで別れちゃおう!
「あー……、僕はヴァン・ランドルグ。 探偵の真似事なんかをしているよ、まれに賞金稼ぎの付添いと人材紹介……あとは調停人なんかもしてる」
調停人は僕が唯一持っている資格だった。
学院を落第した僕の就職の助けには一切ならなかったけど。
「はい、よく存じておりますわ。 ヴァンさま」
え、知ってるの?
言われてみれば、名前を呼ばれていたような。
彼女はぱぁっと花が咲いたように微笑む。
「わたくしは、ミニス・ノウェール・ゼブレスですわ。 以後、お見知りおきを」
「は?」
なんか、とんでもなくすごい子なのでは?
ゼブレス財閥って聞いたことがあるぞ。
魔導技術関係の技術屋が親元で、貴族経営の企業群だったような。
……確か自衛のために警備部隊やら傭兵部隊がいたような。
絶縁状態だけど、実家が農園な僕とは住む世界が違う。
「なぜ、そんな子がここに……」
「それなら決まりきったことではないですか」
僕のつぶやきに律儀に答えるミニス嬢。
それがトドメだった。
「わたくし、ヴァンさまに依頼に来ましたの」
あ、僕の人生本当に終わった。
僕はどうやら記憶のない間に、依頼に来た財閥ご令嬢に手を出したらしい。
荒くれた傭兵のムキムキのお兄様方にどこかに連れて行かれて、明日には近隣の川に首だけで浮いている可能性大だ。
僕はニコニコとしている彼女の依頼内容を、また意気消沈しながら聞いたのだ。
ああ、せめて死ぬ前に酒が飲みたい。




