二話「浄化と治療」
村人に口で言っても信用されるわけもなく門前払い寸前ではあったが、必死に口説き落とすことで何とか村の中に入れてもらうことができた。
最初の仕事は畑の浄化である。
浄化。なにを浄化するのかと言えば魔物である。
世界中に拡散した魔物たちは現世とは異なる魔力を宿していた。これらを殺すと大抵消滅するのだが、中には害をばら撒いて消える者もいた。
村人曰く、戦いのさなかに村に墜落してきた。畑に落ちたせいで作物が育たなくなった。これではいずれ税金も払えなくなる。家族を食わせられない。
ということで早速村の反対側にあるという畑へと直行した。
「何かお困りのことはありませんか?」
イルは注目の的になっていた。
褐色肌の白髪だけでも目立つというのに、杖を背負った魔術師が小さな農村にやってきたのだ、目立たないはずがなかった。
村人たちは家の窓から、あるいは扉の陰からイルを窺っていた。隠すことさえしない視線の雨。人を救いにやってきたのだ、声をかけてみるも返事は無く。あるいは返事があってもお断りや意味のない音の響きに終始していた。
ラトリアは打ち合わせ通りに黙りこくって肩に止まっている。おしゃべりで皮肉屋とはいえ融通の利かない石頭ではない。
畑についた。いわゆる土を線条に盛り上げる一般的な型。一見するとどこも悪いところはなかった。
イルは屈みこんで土を触った。
目を通して紫色とも黒ともつかないオーラが土から漂っているのが見えた。
「こいつは厄介な……一晩かかるぞ」
「二日はかかるかもしれない」
横から嘴を突っ込むラトリアの頭を軽く撫でる強さで叩く。
「馬鹿野郎。俺を誰だと思っている。魔王を倒し、門を封じた男だぞ」
「かつては。今はその影響で弱体化しているから無茶はできないはずだあるじ様よ。遠巻きに見るだけで危害を加えるでもない村人に遠慮は禁物。私も手を貸そうぞ」
「俺一人で十分……」
「旅路は長い。骨を折ることは無かろうに」
イルは黙りこくって土弄りに没頭した。
かつての戦いの傷は大きかった。外傷ではない。魔術的な傷である。
全盛期と比べればイルの力は大幅に減少しており、大の付く魔術師も肩書きに近い。並の魔術師を凌駕する魔力はあるが、無茶をすれば反動がやってくるだろう。
村に永住するでもあるまいし、さっさと終わらせてしまいたい。
しかし、可及的速やかに旅を完遂する必要性もないので、ゆっくりやってもいい。
土をぎゅっと握ると肩のラトリアに頷いた。
「頼む。どこか、村人の目につかない場所でな」
「難しい注文を誠に感謝する。あっちもこっちも村人だらけ。私に隠密の能力は無いからにこうなれば村の外からやってくるしかない。ありがとう万歳久々の徒歩だあるじ様」
いちいち文句を言いながらも翼を広げ去っていく相棒であった。
作業には集中力が要する。一人でやるのは骨だった。そこで相棒に手伝ってもらおうということである。
早速畑の中央に歩いていくと、徐に杖を地面に突き刺した。墓のように。
懐から乾燥させたハーブ類を取り出すと畑の外に出て小さく盛る。ごくごく初歩的な魔術で火をつける。もくもくとハーブの香りが辺りに漂い始めた。深い意味はない。塩を振るのと似たような意味合いのお浄めである。
「……………始めるか」
杖に向かって意識を集中。
手をかざして異界の魔力を消滅させるための術を構築する。
魔術とは物語である。古代の物語、英雄たちの活躍、神の奇跡、あるいは創作、それらをごくごく短時間で再現する術のことである。より強大な術であるほど語りかけも長くなるし、術者の技量が駄目ならば時間を要する。
物語を再現する――それは光で闇が祓われる光景である。
だが魔物の淀んだ魔力は粘液だった。
イルの魔力に反応した杖の先端に光が宿り畑に降りかかるも、劇的な変化は見られない。
イルが目を開いた。
「変質か。いや、なんというべきか。これは魔力というより体液が残留したことで土壌が別の物体に置き換わっているに等しい。土でもない別の物体に種を蒔いたところで――」
“土”を指で掬うと、ぱらぱらと地面に落とす。
あたりの地面には不自然なまでに植物が生えていない。雑草の一本、その芽さえ生えていない。まるで砂漠のように。
「芽が出るはずもない。植える種も死ぬのを待つのみ……村にとって大打撃だ。厄介な。土を丸ごと別の土と入れ替えた方が……いや範囲が広すぎる」
悩みは尽きない。腕を組み考え込んだ。
足音がした。振り返ってみれば、“相棒”が駆け寄ってくるのが見えた。
そう、駆け寄ってきたのだ。カラスの身では到底人間と同じ速度を出せるはずもないのに、駆けてきたのだ。すなわちラトリアは人間の格好をしていたのである。
カラスの濡れ羽色の髪は行儀よく肩から腰にするり伸びている。前髪から、背中側の毛先まで測ったように整っていた。
ナイフで大理石に切れ込みを入れたような瞳。シルクのようになめらかな白肌に曇りは無く、黒を基調とした薄手の衣服が眩しいばかりのコントラストを描き出していた。
年齢はイルより一回り小さいティーンエイジャーくらいの容姿である。
ラトリアは息を切らして走ってくると、その場で肩をついて荒い呼吸を整えようとした。
カラス族は変化を得意とする種族である。変化できないものも多数いるが、人間にも魔術を使えない者は大勢いるので大差ない。
「はぁっ! はぁっ! はぁ………やっとついた。天にも昇る気分だよあるじ様。村人総出で“なんだこいつ?”という視線を向けてくるもんだから走らざるを得なかった。……大変疲れた」
「ご苦労様。やはりどこかその辺の草むらで変身してくればよかったんじゃないか?」
イルが指差す先には草むらがある。農具を置くための小屋もある。影を探せばいくらでもあるだろう。
ラトリアはふんと鼻を鳴らして腕を組むと畑に注視した。
「用を足しに行くのではあるまいし。万が一見られたら闇の眷属の類に勘違いされてしまう。それとも面倒事になった方がよろしい?」
「や、確かにそうだな。早速始めようか」
二人は早速術の構築に移り始めた。
イルが魔力を持って浄化の基礎を構築して、畑全体を包み込む。場所を定義した後は物語を世界に具現化させるのだ。
イルが目を瞑って両手を掲げぶつぶつと呟きを漏らす傍らで、ラトリアも同じように両手を掲げて呟きを漏らしていた。
イルから放たれた魔力が杖に集結して畑全体を包み込んでいき一種の結界を作る。
ラトリアはその結界の位置指定と制御を補助している。
極めて地味な作業だが、魔術とは本来こうした地味なものである。
小一時間はそうしていただろうか、イルがふっと目を開いた。
畑の土という土がぼんやりと光を帯びていた。それは可視化する強力なものであり村人の目にも見えていた。
イルはため息を吐くとその場に腰をおろした。
「こんなもんだろう。一晩様子を見て土壌が改善されることを祈ろう」
「改善しなかったらどう始末をつけるのだ、イル=シュタイン」
フルネームで呼びつつ、隣に腰をおろすラトリア。フルネームで呼ぶのは大抵相手の注意を引いて真面目なことを訊ねたいか、起こっているときである。
あるじ様と呼ぶこともあるが関係は協力あるいは共同戦線に近い。フルネームで呼んでも無礼には当たらない。
イルは荷物から水筒を取り出すと一口飲んでラトリアに渡した。
「そんときゃあ………尻まくって逃げる。っての後味悪いな………始末はつけるさ。何週間かかってもやってやる」
「何週間も不便な村に滞在すると……楽しいイベントだ、あるじ様。村に永住でもしようかな!」
ラトリアは、村に井戸があるのを知っているらしく、水筒に口付けて中身の半分を一気に飲んだ。
「馬鹿野郎村の人に聞こえたら怒られるぞ」
イルは声量を落として言うと、水筒を受け取り荷物に押し込んだ。
畑の様子を、あるいは二人を見張るかのように数人が隠れて窺っているのをイルは知っていた。視線があからさま過ぎて気が付かない方がおかしかった。
畑の輝きは徐々に増していき眩しいまでになっていた。あとはやることはない。数時間ほど放置すれば浄化は完了する。
その時、村人の一人がおずおずといった風に歩いてくると声をかけた。
「あのお……旅人さん。娘の具合が悪いので診ていただけませんか」
「もちろん!」
「ふむん私も同行しよう」
イルは笑顔で応じた。
治療は得意分野なのだから。
村人の後についていくとごくごく普通の民家があった。案内された先にはベッドに横たわった顔色の悪い小柄な娘が居た。見るからに青白く頬が痩せており、何か患っているということを一目で予感させた。
村人――男性、つまり父親なのだろう。彼は娘の様態を見て胸の詰まったようなか細い声を出した。
「娘は少し前から酷く咳き込みまして、どんどん痩せていきました。医者に見せるお金もありません。なんとか……なりませんか」
イルは、彼の肩を優しく叩いてみせた。
「もちろん無償で診ましょう。娘さん? ですよね、彼女の病状には見覚えがあります。畑の浄化は一日かかりそうですが彼女の治療ならすぐに済むでしょう」
「ありがとうございます!」
頭を下げて縋り付くようにしようとする彼をそれとなく離し、首を振る。
「感謝する必要はありません。このために旅をしているのですから。よろしければ治療するのを見ていてください」
「父上殿……でよろしいか? 多少服を肌蹴させるのをご了承願いたく」
「貴方は……?」
「助手……のような者である。名をラトリアと申す。ときに治療には服を脱がせなくてはならぬゆえ、よろしいかと?」
横合いから服の袖をまくったラトリアが話しかける。
ラトリアが娘の治療の補助に入るのも女性の服を脱がせる役を担うためである。見ず知らずの男が年頃の娘の服を脱がせて治療する。社会通念上許されないことである。
娘は酷く怯えた様子であったが、喋るのも辛いらしく妙な雑音の混じった呼吸をするばかりだった。
「ええ、どうかお願いします。お前もいいよな?」
娘が頷いた。
イルはラトリアに目くばせして治療しやすい格好にするように命じた。
ラトリアが娘の上半身を起こすべく背中に手を回した。娘が苦しげな顔をして背を起こす。次に服のボタンを取り、前を肌蹴させた。シンプルを極めた布の下着。
下着の下にある素肌を見るまでもない。
イルは傍らに屈むと彼女の父親に目くばせをしてから、胸元に手を当てた。
イルの手から燐光が発せられ胸元に降りかかる。砂を更に細かく砕いたような、太陽色のそれ。胸元にかかるや否や娘の呼吸から雑音が消えた。
「少し我慢を、な? ………あーなるほど。捕らえた」
娘を気遣った、その数秒間にも満たない時間でイルの表情が引き締まった。
手を、展開から閉鎖へともっていき、空中で何かを摘まむような動作をした。目を閉じてぶつぶつと呪文を呟きつつ、手を複雑に動かす。
次の瞬間には空間に漆黒のサソリのような生物が“引き抜かれて”いた。サソリは必死にもがいて娘の胸元に潜り込もうとするが、光を宿したイルの手がぎりぎりと締め付けているため逃げられない。
イルはおもむろにそれを娘の目の前に持っていくと、何の造作もなく手で握りつぶした。
ぐしゃっ。
甲殻が潰れ体液と内臓がはみ出る。だがその汁も空中に溶けて消えていった。
イルは手を払うと、仰天した顔の父親に振り返って手に残った煤を見せつけた。
「い、い……一体何が起こって……」
「原因は取り除きました。一種の精霊のようなもので………要するに娘さんの治療は終了しました。あとは栄養のある食事と睡眠適度な運動を心掛けてください。恐らく食事もとれなかったでしょうから―――牛の乳や肉を上げると好ましい。一か月もしない内にピンピンしてますから」
身に宿った悪しき精霊が生命を食らっていた。それを魔力の波動でいぶり出し握りつぶした。
やったことはこれだけだが、精霊の位置を即座に特定してピンポイントで魔力を浴びせかけるには技量と熟練あるいは才能が必要となる。
細かい説明をするより結果を話し、その後の処置について語っておく。
父親は感心し喜びを隠せず口元を柔らかくしていた。
「まるで医者のようですね」
「医者は魔術師。魔術師は医者。違いと言えば魔術を使うか使わないか……持論ですけど。さて、我々は畑の浄化を済まさねばなりません」
「失礼を、父上殿」
二人は頭を下げる父親をよそに畑へと直行した。
予想外――この場合よろしい意味で――にも畑の輝きは止んでいた。
イルはその場の土を掬うと、土本来の生命力が戻っているのを確かに感じ取った。雨が降り、季節さえ正しければ、天候さえ恵まれれば、作物が作れるようになるだろう。
仕事は終わった。
懐から羊皮紙を取り出してペン先を滑らせ、畑のカカシの頭に刺す。
カカシ君に伝令を頼んだのだ。
そして杖を畑から抜いて背中に背負うと、荷物を手に取った。
「あるじ様。村人に報告はしないのか」
「ラトリア、報告すると大抵大喜びからのおもてなしコースだ。こんな農村におもてなしさせちゃ負担が馬鹿にならない。騒ぎになる前におさらばしちまおう」
ふ、とラトリアは口の端を持ち上げた。
「ありがたいと言われ慣れぬからではないのか。あなたは恩人だーと」
「………………………馬鹿言ってないで行くぞ。もたもたしてるとあの子の父親が追っかけてくる」
イルは長い沈黙の間にローブを着込んでフードを被ると、すたすたと村の外に歩き始めた。
後からラトリアが飛ぶような軽い歩調でついていく。
きっと村人は畑が回復したことに気付くだろう。娘の病を治してくれたことに感動した父親が手土産を持ってくるかもしれない。
例えそうだとしても、後に残されたのは『畑は浄化された』の一文が記された羊皮紙だけなのだが。