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赤夜識邸。

 ――面白いものを見せてやるよ。


 唐突に掛かってきた電話。

 出し抜けに、菊池啓輔はそう言った。

 ――今、家だろ? だったらそこで待っていろ。すぐに迎えに行くから。

 と、一方的に電話を切られてしまう。

 僕はコレといった用事があるわけでもなかったので、彼が到着するまで金魚鉢の中を遊弋する金魚をぼんやりと眺めることにする。

「ラムダ」

 音楽が恋しくなったので、我が家の電気女中を呼ぶことにする。僕がどんなに小さな声で呼んでも、僕が家にいる限り、彼女は必ず僕の元へとやって来る。

 ラムダが近づいて来るのが分かる。彼女が一歩あるく度に、床がミチミチとか細い悲鳴を上げるのだ。

「お呼びでしょうか。マスター」

 ラムダがずるずると電気ケーブルを引き摺って、僕の部屋に入って来る。

 彼女の細身の身体には、漆黒のワンピースに包まれている。ロングスカートに、黒のメイドカチューシャ、純白のエプロンドレス……。見てくれは細身の女の子、なのだがその体重はあと三キロで百キロに到達してしまう。この大重量は電気女中の宿命だ。中身にギッシリと精密機械が詰まっているのだから、仕方ない。

 そしてラムダの一番の特徴は、絹のように真っ白な髪の毛だろう。

 ラムダのカラーリングには、拘った方だ。彼女の白い髪が際立つように、わざわざ真っ黒なメイドカチューシャを発注したのだ。

 ラムダはワインレッドの瞳(赤外線カメラ内臓だ)で僕をジツと見つめ、僕の指示を待っている。

「一曲、頼むよ。バラードなら何でもいい」

「かしこまりました。では内臓の音楽プレイヤーより、バラードをランダム再生いたします」

 そう言うと、ラムダは聖歌隊のように胸に両手を当てて歌い始めた。

 先ほどのラムダの声とは違う、女性ヴォーカルの声と音楽が彼女の口から流れ出す。

 束の間、僕は穏やかな時を過ごした。

 二十分、という時間は「すぐ」なのかどうか判断しがたいが、電話から二十分後に菊池は車で僕の家の前までやって来た。

 ラムダが四曲目の曲を歌っている最中だった。

「もういいよ、ラムダ。ありがとう」

 ん、とラムダは音楽を止めた。

「出掛けて来るよ」と彼女に言って、外へ出た。

 僕が外に出ると、菊池は車に乗って僕を待っていた。

 彼の乗る車はいまどき珍しいガソリン車だ。それもミッション車と来た。車からタイヤが無くなろうかというご時勢に、だ。

 僕は菊池の車に乗り込むなりに、決まり文句を言う。

「いい加減、全自動車にすればどうだ?」

「あんな車に乗って、何が楽しいんだよ」

「そもそも車は移動手段であって、楽しむものではないと思うのだが」

 全自動車なら、行き先を入力するだけで行けるし、全自動車専用道路を通れば早いし事故もない。行き先の店でお酒だって呑める。僕は未成年だから、呑めないけれど。

 だが菊池は不便極まりないミッション車を愛用している。僕は彼の車へのこだわりを理解しがたい。

「やれやれ。これだから現代人は」

 そう、菊池はわけの分からない悪態をついて、車を発進させた。ローからセコンド、サードにギア変更。車がウウンと加速する。

「頼むから事故しないでくれよ。僕は生き残っても、君が死んでしまうかも知れない」

「あん? 例の凶運って奴か?」

 そう。僕――向坂彼方は生まれつき、運が悪い。

 この十九年という人生の中で、僕はありとあらゆる事故に遭遇している。

 船に乗れば、その船は沈没し。

 飛行機に乗れば、その飛行機は墜落し。

 宇宙船に乗れば、その宇宙船は爆発した。

 それでも、僕は生きていた。一緒にいた人たちは、屍になったけれど。

 故に、僕は自分のスキルを「凶運」と名付けた。

「面白いものというのは、何なんだ?」

 僕は兼ねてから気になっていたことを質問した。

「へへっ。それは行ってからお楽しみということで」

 菊池が面白い、と言うのだからそれは面白いことなのだろうけど。

「とりあえず、コレに着替えるんだ」

 菊池は運転しつつ、後部座席から折畳んだ服を引っ張りだして僕に渡す。グレーの作業服だった。見れば、菊池も同じ作業服を着ていた。

 僕はそれに袖を通しつつ、菊池に尋ねる。

「どこへ行くんだよ?」

 それぐらいは、教えてくれてもいいだろう。

 菊池はあっさりと口を割る。

「赤夜識邸」

 あかやしきてい?

「知らないな」

「そりゃそうだ」

 菊池は苦笑する。

 赤夜織邸、ね。聞くからに、そこは豪邸のようなところを僕は想像した。そこにある「面白い」ものとは一体なんなのだろう?

 菊池の運転する車は僕が住んでいる海底都市からの長いトンネルを抜け、地上へ。

 人工の光とは違う、太陽光を久しぶりに浴びて僕は目を細める。

「一体、どこまで行くんだ」

「んー。ここから大体、三十分ぐらいかな」

 三十分、ね。

 退屈を紛らわす為に、僕は菊池に適当な話題を振る。

「まだ働いているのか?」

 数世紀前ならば「まだ働いていないのか」なんて言葉があったみたいだけど、この時代に働いているものは稀だ。まともに働いている人間なんて、国に関わるような人か、テレビに映るような人ぐらいだ。スポーツ選手とか、芸能人とか。後は余程お金が欲しい人ぐらい。

 労働と呼ばれるような大抵のことはロボットがやっている。人間の大半は趣味や道楽、個人の研究に耽っている。死ぬまで大学生やっている人もいるぐらいだ。

 菊池は大層な変わり者で、お金が欲しいわけでもないし、テレビに映っているわけでもないのに自ら進んで労働に勤しんでいる。

 僕と彼が出会った高校を中退して、だ。

「ああ。水道管の修理なんてやってるよ」

「なんでまた」

「働けたら、何でも良かったのさ」

 菊池曰く、労働によって豊かになるのは懐だけではないそうだ。労働によって心も豊かになるとかならないとか。働いたことの無い僕にとっては、理解しようもないことだけども。

 僕らの乗る車が、恐竜園の隣を通り過ぎる。最近はやりの「恐竜のあるべき姿」が見られるという恐竜園だ。

 人類は恐竜の復活に成功していた。遺伝子技術やら考古学の発達で、過去に存在していた生き物を復活させる技術を使って。

 その技術は、人間にも応用されている。

 僕の隣でハンドルを握る、菊池がその例だ。

 彼はかの戦国武将、第六天魔王織田信長の息子だ。子孫、ではなく実の息子なのである。

 過去の人物の精子を復活させることなんて、今の科学力ではお茶の子さいさいなのだ。織田信長の没落云百周年かなんかで作られた大河ドラマがヒットして、その信長ブームの最中に生まれたのが、菊池だ。 今や女性は過去の英雄や偉人を手軽に産む。彼女たちはショーケースの中のケーキを選ぶような感覚で、精子を選ぶのだ。神様に冒涜的な時代になったもんだ。

 菊池の顔は教科書に載っている織田信長の肖像画とは似ても似つかない、ハンサムな造りになっている。

 僕と菊池は適当な話に移った。

 それが世間のことだったり、スポーツの話だったり、テレビ番組のタレントの話だったり、色々だ。

「ついたぜ」

 そうこうしている内に、目的地に到着したようだ。

 僕たちは車を降りて、その洋館を見上げる。赤夜識、なんて仰々しい名前がついているのだから、もっと薄暗くて不気味な建造物かと想像していたのだが。

 レンガ造りの、二階建ての瀟洒な西洋館がそこにあった。庭の芝生も綺麗に整備されていることから、人が在住しているのだろう。

「これが菊池の言う面白いもの、なのか?」

「いいや、そうじゃない。よっこい、しょっと」

 そう言いながら、菊池は車のトランクから重そうな鞄を取り出した。

「お前は黙って俺について来ればいいんだよ。面白いものは、もうすぐに見れるさ」

 そう言って、菊池は少し錆びた鉄門扉を開けて庭の中に入って行った。良くあんな重そうな物を運べるものだ、と僕は感心する。ここ最近、箸より重いものを持った試しがない。

 ぶ、ぶぶ、とハエの羽音が聞こえた。僕の耳元あたりを鬱陶しく飛び回っている気配を感じた。

しっし、あっち行け。

 僕は手をバタバタさせた。

 ハエと戯れていると、菊池に置いていかれていることに気付いて、僕は慌てて彼の背中を追う。

 悪く言えば古臭い、よく言えば趣のある呼び鈴を、菊池は躊躇いも無くビーッとならした。

「中に入るのか?」

「ああ、アポなら取ってある」

 少しの間を置いて、中からトタトタと足音が聞こえた。人の気配。

「はい。どちら様でしょう」

 玄関の扉を遠慮げに開けたのは、女中だった。

 頭にはメイド特有のカチューシャ。しなやかな黒髪は、肩に掛かるぐらいのセミロング。

 ダークグリーンのワンピースに、純白のエプロンドレス。洗い物でもしていただろうか。そのエプロンは少し湿っていた。

 若い娘だ。幼顔で、華奢な身体をしている。

 少女、といっても良いぐらいの。

 扉の隙間から不思議そうに作業服の男たち――つまりは僕たちを見ていた。

 電気女中だろうか?

 しかし見たことの無い型だ。僕は彼女の目元を盗み見る。

 人と機械を隔てる、識別コードが……ない! それに電力を供給する電気コードも!

「君はアンドロイドじゃないのか!」

 僕は声を上げると、菊池にキッと睨まれる。余計なことは喋るな、ということなのだろう。

 彼女は不思議そうに小首を傾げて、僕を見ていた。菊池はその間に割って入る。

「以前、水道修理に伺った者ですが」

「ああっ」

 彼女は合点がいったようで、両手を合わせる。そして半開きだった扉を開けて、ペコリと頭を下げた。

「菊池さん、でしたよね。ええと、そちらの方は」

 僕が自己紹介しようとするのを、菊池が遮った。彼は、あくまで自分で話を進めるつもりらしい。

「コイツは俺の後輩。新入りでね。今回、コイツの教育も兼ねて伺わせてもらいました」

「どういうことでしょう? 修理は、以前にしてもらった筈ですが」

「いやね。実は以前、修理に伺った時に連れてきたロボットに不備が見つかりましてね。大丈夫とは思いますが、念のために修理箇所の点検に来ました。マコトに申し訳ありません。ゴメイワクオカケシマス」

 アポ、というのはそういうことか。きっとロボットの不備ウンヌンは菊池の法螺なのだろう。台詞の最後のほう、棒読みになっているし。

「ああ、そういうことでしかたか。それはどうもわざわざ、ありがとうございます」

 しかし疑うことを知らないのか、彼女は再び頭を下げる。

 僕はこんな純真な女の子を、見たこと無かった。

「それでは、中へどうぞ」

 僕と菊池は中へと招かれる。玄関で彼女は僕らの分のスリッパを並べて、奥へと導かれる。応接室、という奴だろうが。豪奢なソファに、肝臓の形をしたテーブルが並んでいる。

 ああ、この部屋に金魚鉢があったら素晴らしいのにな、と僕は思う。

 彼女は僕らをそのソファに座らすと、テキパキと僕らの前にアイスコーヒーとミルクポット、シロップを手際よく並べた。

 機械のような振る舞い。

 僕は彼女が電気女中ではないか、といぶかしむ。しかし電気女中を象徴する電気コードは見当たらないし、何より識別コードが無いことを、僕は再確認する。

「ああ、そんな。別にいいのに」

 と言ったのは、菊池。僕はさっきから押し黙っている。

「お客様には誰にでもお茶をご用意するように、ご主人様に言われていますので」

 そう、彼女はパーフェクトスマイルを作って言った。

「では、ご主人様を呼んで参りますね。しばしお寛ぎくださいませ」

 そう言って、彼女はスカートをふりふりと揺り動かしながら応接室から出て行った。

 菊池は出されたアイスコーヒーをゴクゴクと飲み干して、僕に言った。

「ところで、さっきからお前はどうして両手を上げているんだ?」

「驚いているんだ。とても」

 僕は万歳した格好のまま、言った。

 未だに信じられない。

 人間の女中があんな可愛いはずがない、と。

 菊池の言っていたことはこの事だったのか。確かに驚いた。ショッキング、と言ってもいいほどに。

しかし、彼は更に唖然とするようなことを言った。

「驚くのは、まだまだこれからだぜ」


 ザ・メイド講座。

 メイドといわれるものを大別すると、おおよそ十一種類に分けられる。

 ヴィクトリア朝の華、ハウスメイド。家女中。

 俗に言うメイド長、ハウスキーパー。家政婦。

 ミステリー小説の犯人になりがちな、レディースメイド。小間使い。

 料理を専門とする、コック。料理人。

 コックの手足、キッチンメイド。台所女中。

 メイド喫茶で働いていた、パーラーメイド。客間女中。

 洗濯を専門とする、ランドリーメイド。洗濯女中。

 美人は採用されなかった、ガヴァネス。家庭教師。

 子供の躾担当、ナニー。乳母女中。

 未成年ばかりの、ナースメイド。子守女中。

 過労死続出、メイド・オブ・オールワークス。雑役女中。

 その他にもチェインバーメイド、スティルルームメイド、デイリーメイド、スカラリーメイド、ランジェリーメイド、トゥイーニー、ステップガールなどがあるけれど、さきほど挙げた十一種のメイドの亜種だったり、メイドと呼べるものではなかったりするので省略することにする。

 そして十二番目のメイドとして登場したのが、電気女中。

 俗にいう、メイドロボだ。

 電気女中の登場で「お手伝いさん」や「家政婦」は絶滅。裕福な人たちは、膨大な人件費のかかる人間の給仕よりも、ただ同然の電気代だけで稼動する電気女中を選ぶようになっていった。

 最初は一部の裕福層の豪邸でしか稼動していなかった電気女中だったが、低コスト化が進んで一般家庭でも手に入りだした。

 結果、メイド文化は絶滅した。

 メイド喫茶で生き残っていた、僅かなメイドさんたちも職を手放す結果になった。

 わざわざ外出して金を払わなくとも、自宅に専属の給仕がいるのだから。

 人類が月や火星に移住し始めて、バニーガールが流行り始めたという背景もあるのかも知れない(月と兎……単純な物だ)。

 電気女中は非常に高性能で、一般の家事を全てこなし、インターネット機能、音楽再生機能、GPS機能、動画撮影機能、写真撮影機能、ホログラム再生機能搭載という凄まじいスペックを誇り「最後の神器」と謳われている。

 しかし電気女中は非常に重い。軽いものでも九十キロ程度。これでも頑張って軽量化したもので、バッテリーなどを犠牲にしたためコンセントが抜けてしまったら連続稼動時間は五分が限界、だとか課題もいくつか残っている。でもこのまま行けばいずれ人類はその問題も解決するだろう。

「おい、顔がインドの悪神になっているぞ」

「おっと、いけない」

 菊池に注意されて、僕は我に返る。

 僕はメイドさんの事を真剣に考えると、顔が阿修羅のようになってしまうらしい。こればかりは気を付けても治らない。

 話が、それてしまった。僕は自分の顔を軽くマッサージして、話を戻す。

「だから、ニンゲンが女中をやっていることなんてアリエナイんだ。これは一体どういうことなんだ?」

 僕は歴史を覆す大発見をした、考古学者のような気分だった。

「菊池よ。彼女が人間ではない、可能性は?」

「零、だな。というか見りゃわかるだろ。彼女の目元に識別コードがない」

 そう。

 アンドロイドには識別コードの表記が義務付けられている。コード登録の無いアンドロイドは問答無用で処分されることになっている。

 人かアンドロイドか、という識別は到るところでされている。自動車ナンバー自動読取装置並みに道の到るところに配置されている。姿形を自由に変えられる、アンドロイドの悪用を防ぐためだ。

 個人研究が盛んな現在(小学生が夏休みの宿題で人工衛星を打ち上げる時代だ)、アンドロイドの違法改造は後を絶たない。当然の措置だ。

「彼女は人間だよ。間違いない。名前は赤夜夜朱」

 菊池は断言した。

「この屋敷の令嬢なのか?」

「そうだ」

「なぜこの屋敷の令嬢が、給仕なんだよ?」

 菊池はガリガリと氷を噛み砕きながら、言った。

「彼女はね、頭がオカシイんだよ」

「それは失礼じゃないか。君だって、働くなんてどうかしてると思うが」

「そういう”オカシサ”じゃない。もっと、病的なものだ」

「……精神疾患的な?」

「いや……恐らく、脳内チップ・バグだ」

「ふうん。そっちの方向か」

 脳内チップ・バグ。

 近代に入って、人間の脳みそにコンピューターチップを埋め込むことが一般的になってきた。

 用途は様々。

 演算能力を進歩させたり、記憶能力を飛躍させたり、免疫力を向上させたり……人工的に「天才」を作り出す技術。僕の頭蓋の中にもひとつ、埋まっていたりする。

 この脳内のチップがコンピューターウイルスに感染していたりすると、その人がオカシクなってしまう。

 菊池が言っていることは、そういうことだ。

「じゃあ一体、彼女の脳内チップに」

 どんな支障をきたしたのだ? と、菊池に訊こうとしていたところ、奇妙な物音が聞こえてきた。

 ……タトペッタントン、タトペッタントン……。

「おい、なんだよこの物音」

 音は、一定のリズムでこちらに近づいて来ている。

「なあに」

 菊池は噛み砕いた氷を嚥下しながら言った。

「見りゃあ分かるさ。彼女のオカシサも、音の正体もね」

 そして、扉が開いた。

 扉を開けたのは、この赤夜識邸の令嬢にして女中、赤夜 夜朱。

「赤夜織邸二十四代目当主、赤夜ロボ様の御成りでございます」

 開いた扉を押さえ、天皇陛下の玉音放送を拝聴する大日本帝国国民のように、彼女は慇懃な礼をして主人の入室を待った。

 タトペッタントン、タトペッタントン。

 そして奇妙な足音を立てながら応接室に入って来たのは「ロボット」だった。

 アンドロイド、というよりはロボットと言った方がより適切で正確な表現だろう。

 彼(?)の事をひとことで言い表すとすれば、ドラム缶にアームと足を取って付けた粗雑品、とでも言えばよかろうか。

 人型には、人型なのだが。

 彼は、三頭身だった。

 彼の顔にはチョコボールのような、楕円形の目がチョコチョコと乗っていた。口も鼻もない。耳は……両側面にくっ付いてゼンマイがそうだろうか。

 彼には、首が無かった。頭と胴体が一体化しているのだ。

 胴には高級感溢れるスーツ。しかし少しでも他の力が加わればボタンが全部吹っ飛んでしまいそうだ。ピッチピチである。恐らく夜朱が強引に着せたのだろう。彼のCの形をした手では、とてもボタンなぞ付けれそうに無い。

 そして細い棒状の脚に、スキー板のような足がついている。あの足では時速三キロメートル出すのが精々だろう。

 そして、ふた昔前に走っていたようなバスの排出音のような、気の抜けたプシューという音。原動力はガソリンだろうか?

 彼は僕らの前に立つと、人間様がそうするように「よっ」という感じに手を上げた。


 僕は腹を立てていた。

「一体どういうつもりなんだ。夜朱も君も、どうかしているぜ。それとも何だ? 二人して僕を馬鹿にしているのか?」

「違う違う。俺は夜朱ちゃんに合わせただけだよ。どうかしてるのは、この屋敷そのものさ」

 ここは、赤夜識邸の台所。先日、実際に水漏れがあったという所らしい。

 台所には僕と、菊池しかいない。

 僕は菊池と二人きりになるや、彼に文句を言った。

「何なんだ、あの腐ったドラム缶のようなロボットは。そして、あの傲慢不遜な態度。まるで人間様のように、いや、人間様以上に振舞っていたじゃないか。どういうことなんだよ。ええ?」

「あのロボットは、自分が人間だと思っているんだよ」

「そんなこと聞いたこと無いぜ。よく出来たアンドロイドならまだしも、あの出来損ないが人間だって?」

「そうだ」

 と、菊池は重々しく肯定した。

「そして赤夜夜朱は、自分が電気女中だと思い込んでいる」

「そんな馬鹿な……」

 僕の怒りは風船が萎むように、収まってしまっていた。

 主人と従者。人間と機械。

 その関係が、この屋敷では逆転してしまっている。

 これは主従関係の逆転、という奴ではないか。

「面白い、だろ?」

「面白いって? こんなことが許されていいのか? 人間が、機械に従うなんて」

 菊池はノンノン、と首を振った。

 そして唐突に、妙なことを訊いてきた。

「刷り込みって、知っているか?」

「何だよ。藪から棒に」

「いいから、質問に答えろよ」

 僕は少し考えてから、答えた。

「あれか? 孵化したカモが最初に見た動物を、親だと思って追従するってヤツ」

「そう。それと似たようなことが、この屋敷で起こっているのさ」

「どういうことだ?」

「つまりだな。主人がいなくなれば、夜朱ちゃんが最初に見た人を主人だと思い込むんだ。あくまで推測だが」

「アレは人じゃないだろうが」

「人型、だろ。人型で動いていれば、彼女は主人と思い込むんだよ」

 「そんな馬鹿な」と言おうとしたが、現にそうなっている。

「だから、よ」

 菊池はそう言った後で、恐ろしいことを言った。

「あのポンコツ。ぶっ壊してしまおうぜ」

「おいおい。じゃあ、何だ? アレの代わりに、夜朱の主人になるつもりか?」

 僕がそう訊くと、菊池は一瞬ビクリと硬直した。そして、少し焦った様子で言った。

「か、考えてもみろよ。このご時勢で、人間のメイドさんを持つことなんてないぜ」

 んん? 

 菊池の態度に、僕は少し違和感を覚える。

 小首を傾げる僕に、菊池は続けた。

「それに、あのままにしておく訳にはいかないだろう?」

 それは確かに、そうなのだが。

 何かが、引っかかる。重大な見落としをしているような……。

 考えても、答えは出ない。

 結局、次に僕の口から出た言葉は、違和感の解を導き出すものとは遠く離れた場所にあるものだった。

「どうやって、あのポンコツをぶっ壊すんだ?」

「既に準備は出来ているさ」

 菊池は意気揚々にそう言うと、持ち込んだバックのジッパーを開けた。

 中にはビニールに包まれた、白い粉が大量に入っていた。

「何だ、ソレは? クスリか?」

 流石にロボットは、毒殺できないと思うのだけど。

 僕がそう訊くと、菊池は呆れたように言った。

「塩だよ。塩水でもぶっ掛ければ、機械なんてイチコロだろ」

 なんとも、段取りがいいことで。

 僕も菊池の用意周到さに呆れてしまう。

 菊池は端から、あのロボットを破壊するつもりで此処に来たのだろう。

「さあて、塩水を作るぞ」

 こうして、僕らはあのロボットを破壊する準備にかかるのであった。僕の感じた微かな違和感を抱いたまま。



 タトペッタントン、タトペッタントン。

 僕らは、ポンコツの背後にいた。

 僕らの手には、なみなみと注がれた塩水が入ったバケツ。

 夜朱は現在、一階の庭で干した洗濯物の取り込みをやっている。そして僕らは二階の廊下にいた。邪魔されないし、彼女の目に主殺しの瞬間を見られることはない。僕らは安心して仕事が出来るということだ。

 息を殺して、チャンスを伺う。

 と、言ってもヤツは非常に隙だらけなのだが。息を殺す必要も無いほどに。

 フラフラと歩くポンコツの背中に、何の脅威も感じない。

 タトペッタントン、タトペッタントン。

 ポンコツは長い廊下を非常にノロ臭いスピードで歩いている。一体いつになったらアレは目的地に着くんだろう?

「焦れったいな」

 窓の外を見れば、既に日が傾き始めていた。赤い夕陽が差し込んで来ている。

「ああ」

「そもそも、タイミングを測る意味はあるのか?」

「そうだな。行くか」

 そう言って、菊池は駆け出した。僕も彼の後に続く。

「せーのっ!」

 と僕らはヤツの無防備な背中目掛けて、塩水をぶちまけた。

 が。

 ボシュウッ! という音と共に、一瞬で視界が真っ白になる。

 僕は何が起こったのか分からなかった。塩の香りが辺りに立ち込める。

 視界が晴れると、そこにはピーチ色をした球体があった。

 これは軍事衛星などに使われる、迎撃シールドではないか。

 僕らがぶちまけた塩水は、レーザー波によって一瞬で蒸発していたのだった。

 僕らが呆然としていると、ポンコツの首がグゥインと百八十度回転した。アーモンドの形をした目は真っ赤に光らせてこちらを見ている。

 これは……怒ってらっしゃる?

「おい菊池、これはヤバイ」

 んじゃないか?

 と僕が言う前に、ポンコツの瞳はビュインッと不吉な音と共に一層強く光った。

 その瞬間、僕は両断された。

 それはもう、文字通りに。脳天から股間まで、綺麗に一直線にレーザー光線によって切断された。見ることは叶わないが、恐らく隣いる菊池も同じ状態になっているだろう。

 もっと、よく考えるべきだったのだ。何故、このポンコツが夜朱の主人になったのかを。

 僕は最後に、分断される意識の中で思った。

 きっと、僕らの死体は夜朱によって片付けられるだろう。

 それはもう、とても機械的に。


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