ご縁を結びつけるは腐れ縁
ちらりと頭を過ぎったのは僅かな罪悪感。
だけど大部分は別なことに占められていた。まったく俺という奴はへたれのくせに我が儘で、身勝手のかたまりだ。
『結、おっせーよ! てめ、何やってたんだ!?』
「……隆司? おまえ、帰ったんじゃ……」
思わず口にでた隆司の名前に、玄関に立ったままの結衣の肩が揺れるのが見えた。
だけどそこで逃がしてやるほど俺は優しくない。
さっきは流されたとか、現実に返ったとかそんなのは聞きたくないし、今さら聞く気もない。
箍がひとつ、外れたままな俺はこうるさいiPhoneをジーンズのポケットにねじ込み、玄関でかたまったままの結衣へとくるりと向き直った。
心もちとしては姫君に傅く騎士のようにその前に膝を折り、しかして現実ではまるで娘を浚う山賊のようにその脚を掴み、何か言う暇さえ与えぬままにブーツのファスナーを下ろしてやる。
脱がせたばかりのブーツを玄関に放り投げ、じたばたと暴れながら何かを言っている結衣を子どもみたいに抱きあげた。
ベッド……はさすがに(俺が)まずいから、床に転がっていたクッションの上に下ろし、俺はその背後にどっかりと胡座をかいた。もちろん、腕はちゃっかり結衣の腰にまわしたままだ。ついでにコートの袖をその腕から引っこ抜くことも忘れない。まるで人質のように、コートを自分の背の後ろに追いやる。
ようやく引っ張り出したiPhoneの向こう側では、なにやら喚いている隆司と宥めている恒松の声、それを揶揄ってるらしき藤生の声が入り混じっていて、何を言ってるのかさっぱりだ。
やがて通話口に出てきたのは恒松だった。
出たと思えばただ一言。『メール送ってあるから見ろ』とのこと。意味が分からん。だがすぐにしばし揉めているようなやり取りが通話口の向こうで聞こえた後、恒松から電話を奪い取ったのか、ふたたび隆司が出た。
『俺だ、結。あーあー……その、だな』
『……何だよ』
先ほどまでとは打って変わってやけに靜かな物言いがおかしい。隆司にしては珍しく歯切れが悪いのも気味が悪くて。
おまけに俺自身、先ほどまで玄関で結衣にしたアレやコレやとかが後ろめたくもあり、それでさらにむきになって、思わず返す声が尖ってしまう。
そんな俺たちの小学生じみたやりとりが聞こえるのか、身を縮ませた結衣の背中を俺は宥めるようにそっと撫でてやった。
ややもすれば隣に座る存在に意識を持っていかれがちで、おざなりな空返事ばかりをくり返す俺に焦れたのか、隆司が諦めたかのようにひとつ、大きな溜息をつく。そしてその後でゆっくりと、言葉を続けた。
まるで俺が物わかりのわるい子どもだとでも言わんばかりに、噛んで含めるように言いきかせるがごとく。
『……今日はイブっつうことでそれはサンタのおにーさん達からのスペシャル特別クリスマスプレゼントだ。心して受け取るように。そして心優しくも慈悲深い俺たちに伏して泣き咽びながら感謝するように!……ちなみにかーちゃんととーちゃんには”それ”は俺らと一緒にお前ん家にいるということにしてある。だから、泊まりは無しだかんな! いいか、日付が変わるまでにちゃんと家の、俺ン家の玄関まで送れよ!? 神と仏とお天道様に誓って、俺様隆司様と……わ! てめ藤生、なにを……』
『隆司……?』
まだ何か喚いている隆司から奪い取るように、最後に電話口に出てきたのは藤生だった。長ったらしい隆司の長広舌を焦れたように遮り、これで話は終わり、とばかりにあっさりと奴は締めくくった。
『……ということで、お邪魔虫な俺らは帰るかんな~。今日は飯、さんきう。美味かったぜ』
のんびりとした口調で、それだけ言って切られた。
なんだそりゃ。
俺は通話の途切れたiPhoneをまじまじと眺める。物言わぬそれは今やただの黒くて薄い板っきれ。
だが恒松の言っていたメールがどうの発言を思い出し、メールアイコンをタップすると恒松だけでなく隆司、藤生からもそれぞれ届いていた。
まずは恒松から。
『よう、へたれ。せっかくのチャンスだ。今夜こそ、お前もへたれ同盟脱却しろよ。俺も頑張ることにしたからさ。あとお前さ、結衣ちゃんに新しい写真撮らせて貰っとけ。さすがにセーラー服時代の写真はロリコンみたいで怪しい。見られたくないものはもっとちゃんと隠しとけよな d(・∀・) 恒松』
次は藤生。
『まるで御仏のように広い心の持ち主である俺たちに感謝しろよな。なに、礼なぞは気にするな。何も結衣ちゃんの友達との合コンをセッティングしろとは言っていない。けして言ってはいないが……俺自身、それもやぶさかではないと伝えておこう。ちなみに好みのタイプは清純派だ。 藤生』
最後に隆司。
『お前ら、両思いなのバレバレなのにお互い鈍すぎ、ノロすぎ。俺に似て美人な自慢の妹だ、とっとと持ってけドロボー。そしてこれから誠心誠意、未来の兄上である俺に仕えるように。あとかーちゃんが会いたがってるからもっとうちに来ること。 隆司』
あいつら、もしかして今日は最初っから……。
思いがけず仕組まれていたサプライズに俺は混乱しっぱなしで、そのくせ腕にはしっかり結衣を抱えたまま離さないのだから我ながら質が悪い。まるでガキみたいだ。ただ、違うのは腕にしているのが気に入りの玩具とかじゃなくて、好きな女だということ。
そして改めて気づかされた。
ようやく腕にしたこのぬくもりを俺はもう……離すことなんてできやしないんだって。
抵抗するのに疲れたのかそれとも諦めたのか、いまや結衣はおとなしく俺の腕のなかに収まっている。この腕に馴染む感触が愛しくて……背後から結衣の耳元へと唇を寄せた。
冬の寒空を歩いてきたせいだろう、それはすっかり冷えきってつめたい。
だけど、その赤く色づいた耳朶に熱い吐息を吹きかけてやれば今度は違う意味で赤く染まる。
そんな慣れてない、初心な仕草が堪らなくかわいい。……かわいい、かわいい。かわいくてたまらない。
背後から抱きしめたまま、耳元に囁きを落とす。
ずっと自分の中にもやもやと燻ったまま、かたちにできなかった想いを言葉にする。
結衣が好きだって。
誰か他の奴がいても関係ない。
結衣が好きだから、だから俺を選べって。
ずっときっかけを逃して、それを告げる勇気も出せなくて。
でも、今となればよく分かる。
何も言えないまま失うことに比べれば、そんなことはたいしたことじゃなかったんだって。
室内におちた沈黙のなか、互いの息遣いだけが耳に届く。いや、うるさいのは俺の心臓の音か。
まだ俺の腕は背後から結衣の身体を包んだまま。振り払われないのをいいことに、身じろぎもせずにその瞬間を待つ。
指先がつめたい。
いつの間にか掌にはぬるい汗が滲んで、なのに動いてしまえばふたりで分けあっている沈黙と空気が泡のように弾けて壊れてしまいそうで——動けなかった。
やがて……抱きしめたままの俺の腕に細い指がゆっくりと這わされる。そのやわらかな感触に身体はそのまま、だけどはじかれたように心臓が音高く震えた。
結衣からの返事そのものはない。背後から抱きしめているせいで、どんな表情をしているのかは分からない。
だけど長い髪の隙間からわずかにのぞく耳と頬が赤く染まっているのが見えた。
単純な俺は期待してしまう。自惚れそうになってしまう。
返事を急かしてしまいそうになる自分自身を押さえつけるように、そろりと伸ばされた手を掌で包むように握りしめた。
もう——かれこれ十年ぶりだろうか? 俺の手の中にすっぽりと包まれたそれはやわらかで、そして思いがけないほどにあたたかだった。やさしいぬくもりがじわりと伝わり、つめたくなった指先へと熱を伝える。
誘われるようにゆっくりと、その指先に唇を落とした。
やわらかな掌、なめらかな指先、ゆるく円形を描くちいさな爪のひとつ、ひとつに俺自身を刻みこむように。
腕のなかで結衣の身体が揺れた。
息苦しいのかと、すこしゆるめた腕のなかで結衣がくるりとこちらへと向き直る。さらさらと肩を滑り落ちた髪の隙間から、こぼれ落ちたほのかな香りがやさしく鼻腔をくすぐった。
ゆっくりと首に腕が回される感触に思わず背が跳ねそうになる。首筋に落とされた吐息にぞくりと全身が震えた。
寒いんじゃない。熱くなったから。一瞬で身体が燃えたから。
吐息とともに、恥じらいながらも返されたその――ことばに。
ただ一言、それだけで十分だった。
あとはそれ以上のことばはいらないとばかりにもう一度唇をかさねて、声にならない想いを伝え合う。
そうしてようやく……おれたちはわかり合えたんだ。