サカる代わりに野郎は酒盛る
「世の中に溢れかえるリア充どもにメリークルシミマース! おら、かんぱーい!」
「「「かんぱーい!!」」」
ブラックな台詞とは裏腹に明るい隆司の音頭を合図に俺たちはビールの缶を打ちつけ合う。こういうときのノリと場の盛り上げ役ならやはり隆司がうまい。
ぐいっと一息に缶を呷った後、ぷはーっとやるおっさんくさい仕草はいただけないが。
かけっぱなしにしていたPodcastからは懐かしの洋楽が室内に流れている。昔ながらの耳に馴染んだクリスマスソングは甘く、そしてすこしもの悲しくも聞こえる。
すこしハスキーな女性歌手のバラードを聴きながら、俺たちはだらしなくフローリングにあぐらをかき、とりあえずビールを喉に流し込んだ。
社会人一年目の男の一人暮らしのこと、4人分の椅子やフロアテーブルなぞあるわけがない。
だがそこは男同士の気安さ、直接床に料理の皿や酒を並べることで解決した。洒落たクロスなんぞは勿論ないから当然フローリングに直置だ。
車座に座り、めいめいがてんでバラバラな柄の皿を手に、まずは当座の切迫した問題でもある腹を満たすという作業に勤むことにする。
俺はまずは、と味見も兼ねてスパニッシュオムレツに箸をのばした。一口噛めばバターとベーコンの風味がじゅわりと広がる。揚げ焼きにしてから卵液を絡めたジャガイモは、外側はカリッと内側はほっくり仕上がり、オムレツの塩味とあいまって我ながら美味い。
俺は天才じゃなかろうか、とうんうんひとりで頷きながら咀嚼し、ぐびりと一口ビールを呷った。
隆司が持ってきた山盛りのチキンが骨の山に変わり、皿やボウルの中身どころか俺の明日の朝用のトーストまで食べ尽くされるのにさして時間はかからなかった。
メインが料理から酒に変わり、手の中で缶ビールを弄びつつ互いの近況報告からくだらない下ネタまで、それぞれが面白おかしく転がし合う。
こういうノリは高校時代から変わらないと思う。変わったことといえば手の中で転がすものが缶ジュースから缶ビールに変わり、話題に少しばかり真面目な仕事の話が混じったことぐらいだろうか。
「ってかさー、恒松は例のナントカちゃん。あの子はどうしたんだよ? ほら、派遣社員の女の子に告白されたとか言ってたじゃねーか」
「何だと、俺は聞いてないぞ!? くっそう、いいなぁ~会社員は!! 呪われろ、リア充が!」
「うっせ、黙れエロ公務員にクソ坊主! この日にこんな集まりに参加してることから察しろや!」
……また恒松はフラれたか。
まぁ、奴の事情を薄々察してはいる俺はそれも仕方がないかと心の中で密かに頷く。
労いの言葉をかける代わりに冷蔵庫から新しいビールをふたつ出し、代わりに空になった缶を受け取れば、恒松は黙って目線で礼を返してきた。俺も黙って頷く。……まぁ、頑張れ。そう心の中でエールを送る。
しばらく俺も恒松も黙々と缶を傾けつつ、隆司が披露する賑やかなバカ話をぼんやりと、聞くとはなしに聞いていた。
隆司は口だけでなく手も休める気はないらしい。
いつの間にやら勝手にトースターでカワハギを炙っていた。「七味ふって喰うと美味いんだな〜」のんびりとそんなことを言いながら、ひとん家のトースターを魚臭くしておいて満足げに炙りたてのカワハギを囓っている。
左手に缶ビール、右手にカワハギを握りしめた隆司が語り始めたのは、最近営内に住み着いた野良猫と消えたパンツにまつわる鬼教官A氏(38)の純情恋物語。野良猫とおっさんという組み合わせだけでもおかしいのに、それになぜかパンツと若い女の子とおっさんの純情恋心だのが入り混じり、いつの間にか俺も恒松も腹を抱えて笑っていた。
隆司の話はとにかく面白い。
というよりも、面白くする才能に長けているのだろう。真面目な話題やほんのちょっとした何でもない話でも、隆司というフィルターを通せばものすごく滑稽な笑い話になってしまう。本人としてはこれっぽっちも意図することなく、だ。
隆司はいるだけでその場を盛り上げ、周囲の気分を明るくする。それも無意識に。
きっとこういうところが職場でも同僚や後輩に好かれて、重宝されている光景が聞かずとも自ずと目に浮かぶ。
そして、そんな隆司にこうしてへたれな俺も恒松も救われてるのかもしれない。……こっ恥ずかしいから本人には言わないけどさ。
そんなことを考えながら空いたビールの缶をフローリングに置く。カン、という小気味のよい音をたて、アルミでできた空洞が内側で反響しあった。
酔っているわけでもないのに、俺は少しくぼんやりとしていたらしい。
既に話題は藤生の実家である寺の話に移っており、見合い攻撃に遭って辟易としている藤生の兄貴やそのほかの家族の話に移っていた。
そのときだ。
フローリングに映る缶の影をぼうっと眺めていた俺は思わず視線を上向けた。
「そういえばお前ん家のかーちゃんがこないだうちの寺に来てたんだけどさ。結衣ちゃん、就職決まったんだってな」
「ああ、らしいな。このご時世だから大変だったみたいだけどなんとか希望してた会社で内定貰って、配属もこっちに希望したらしい」
「あのセーラー服着た小学生みたいだった結衣ちゃんが、今や大学生で来年は社会人かぁ。……時間のたつのも早いっつーか、なんつうか」
「……藤生、そのセリフおっさんくさい」
「うっせえ!」
結衣は隆司のひとつ下の妹で、大学は行きたいところがあるとかで関西の大学に行った。隆司と俺は中学校からだが、高校入学以来のつきあいである俺たち4人にとっても結衣は妹みたいなもんで……いや、俺にとってはそうだったと言うべきか。
10歳のときに父子家庭になった俺にとって、隆司の家族は遠くの親戚よりも身近な存在だった。
寡黙で無骨ながらも威厳のある隆司の父親、隆司に似て世話好きで愛嬌のある母親、厳つい見た目に似合わず陽気で人懐っこい隆司とそんな兄には似ず、年の割に小柄で中学生になっても小学生みたいに見えた妹の結衣。
育ち盛りの食べ盛りだった俺を気にして、隆司の母親はちょくちょく夕飯に誘ってくれた。当時は俺も見よう見まねでしか作れず、父親にいたっては料理はからっきし。
いわば家庭の味に飢えていた俺にとって、あたたかい食卓を囲める森園家は気兼ねしつつも居心地のよい場所で、第二の家族みたいだった。
そこに高校で知り合った恒松や藤生も加わることもあったし、俺だけでお邪魔したこともある。
だけどそんな関係もやはり、年とともに少しずつ変わっていくのが当然で。
俺たちが受験生になり、部活も引退し、やがて高校を卒業する頃には自然、以前のように通うこともなくなった。隆司は高校を卒業するとすぐに入隊が決まっていたし、俺も大学生になると講義に部活にバイトにとさらに多忙になったからだというのもある。
だから隆司が帰ってきているときにかこつけて、俺は菓子を片手に森園家へ顔を出す。そんな関係が続いているというところだろうか。
そんな——ここ数年のことなのにはるか昔とも思える過去を思いだしながら、新しい缶に手を伸ばす。プルトップに指をかければ勢いよく噴きだす音に反して、俺はゆっくりと缶を呷った。
……さっきまでは滑るように喉に落ちていた琥珀色の液体が、やけに苦くてひっかかる気がするのは気のせいだろうか。思わず眉間に皺が寄る。
そんな俺になぜかちらりと一瞥を投げた後、恒松も二人の会話に加わった。
「隆司、俺たちも兄とその友人一同としては就職祝い奮発してやらなくちゃだな。……で、今日は結衣ちゃんは? まだ大学の寮にいるのか?」
「いんや。もう4年だし卒論も出したとかで、今はほとんどこっちに帰ってきてる。さっきも実家に寄ったんだけど、なんだか台所で甘ったるい匂いさせてた」
「へー。どっかの野郎のためのクリスマスケーキ、とか?」
藤生がにやにやと笑いながら余計な詮索口をいれる。隆司は、といえば可愛い妹のそういう話は面白くないのか「知らね」と無愛想に話を逸らし、不機嫌そうにビールを呷った。そしてそんな二人の会話を聞きながら、俺は胸の奥にざわざわと、焦燥感にも似た穏やかならぬものがこみ上げてくるのを感じる。
それとともに先日、たまたま見かけた光景が脳裏に甦り、隆司たちが来る前の、鬱々とした気持ちに再び呑み込まれそうになる。
それは本当に偶然、見かけた光景だった。
金曜日の仕事帰り、ほんの思いつきで寄ったデパ地下スィーツ売り場。特に甘いものがすきだというわけではないし、男一人で好んで行くような場所でもない。
ただ、久しぶりに帰ってきてると聞いたから。
彼女は……結衣は昔から甘いものに目がなくて。
学生だった俺がたまに差し出す、たった120円のビッグ・シュークリームひとつに仔犬のように喜んでくれる、そんな女の子だった。
——あの笑顔を久しぶりに見たかったから。
社会人になった今ならばもっと他のものも買えるんじゃないか、無愛想な挨拶と「ああ」とか「うん」以外の何かが言えるんじゃないか。らしくないとは思いつつ、最寄り駅はまだ先だというのに俺の脚はいつの間にか電車を下りて、手はPASMOを握りしめていた。
賑やかなクリスマスソングをBGMにした明るい店内。結衣が憧れだと言っていた、俺でも名前ぐらいは知っている高級パティスリーのカウンター前。
そこにケーキを選ぶ一組の男女の姿があった。チャコールグレーのスーツに身を包んだ、俺と同じくらいか少し上と思われる男とその横でケース内の色とりどりのケーキに楽しそうに瞳を輝かせている若い女性のカップル。クリスマスでなくともそれは特段珍しい光景でもない。
ただ、たまたま視界に入ったその女性の横顔を見間違えるはずがない。
あれは——間違いなく結衣だった。