仕事が恋人?
今年の12月24日は月曜日で、土日休みが大多数の世間一般においては3連休の最終日。まさに誂え向きとも言える日だった。
そんな数年に一度のラッキーDay、TVでも街でも休日のイブを楽しむ人に溢れかえっている今日この日だが、俺は自宅にいた。
なぜかは決まっている。もちろん、ぐだぐだ寝ていたわけじゃない。つまり、簡単に言えば仕事。仕事、仕事の3連休。
それ以外、独り身の男に予定なんぞあるはずがないだろう?
3連休返上で取り組んでいた図面だったが、結局、その日も夕方という時刻になってようやく目処がついた。
銀色のMacBookを閉じ、デスクチェアをおおきく後ろに引く。両腕を首の後ろにまわして大きく伸びをすれば、ギィッという床が軋む音とともに、凝り固まった首と背中の筋肉がバキバキと音をたてるのが耳に届いた。
きっと、今の自分は酷い顔をしている。
鏡なぞ見なくともそれとわかるほど、眉間に刻まれた皺は深いだろう。仕事は片付いたはずなのに一向に気分は晴れやかにならない。寧ろ、仕事モードから現実に返ってきたせいか、思い出したように胸にのしかかる感情に押しつぶされそうになる。
「……くそっ!」
思わず口に出たことばは、自分に余裕のない証拠だ。
社会人一年目、仕事も一人の若造としても確かにいっぱいいっぱいなのは当然だ。
だけど……仕事というある意味現実逃避の手段が片付いてしまった今、頭の大部分を占めているそれは、仕事とも年齢とも関係ないまったく別のことだった。
デスクに置いたマグカップに手を伸ばせば、すでにつめたく冷めていた。口に苦いそれを一気に飲み干し、息をつく。
喉から胃の淵へとおりていく苦みを意識しながら、もう一度ゆっくりと右肩をまわす。出るのは溜息。
拭いきれない疲労感を和らげるためのてっとり早い方法として、俺は熱いシャワーを浴びるために立ち上がった。
そのイブの日が、思いがけないプレゼントを持ってくるとも知らずに。
熱いシャワーでも洗い流せない苛立ちを抱えたまま風呂から上がれば、しつこくインターフォンを鳴らし続ける輩がいる。
即座に居留守を決め込んだ俺に対し「どうせいるんだろう」とばかりに鳴り続けるそれに、俺はあっという間に音を上げた。
何かの勧誘なら追い返してやる、と勢いよく玄関扉を開ければ、目に飛び込んできたのは見慣れた顔で。
「……なんでよりにもよってこんな日に、でかくてむさ苦しい男が3人して押しかけてくるわけ?」
「喜べ、友よ。侘びしい独り身のお前への俺たちからの心ばかりのクリスマスプレゼントだ。名付けて”プレゼントはわ・た・し”」
「隆司ぃ……」
がっくり肩を落とす俺に対し、隆司はなぜかむしろ誇らしげに胸を張ってみせた。
ちなみに奴の職業はいわゆる”戦う武闘派公務員”だ。
俺の家の狭い玄関口を塞ぐ立派な肩幅と、そのくせやけに姿勢のいいその姿が奴の職業を如実に示している。
曰く、狭いくせに右を見ても男、左を見ても男と、男づくしな男の花園で息が詰まるそうで、営内が近いからと言ってはちょくちょくひとの部屋へ転がり込んではくだをまく。
当たり前だろう、と冷たく突き放せば「お前こそ男ばかりの生活を何年もやってみろ! 何が悲しくて週末までむせかえる男臭に埋もれなきゃならねぇーんだ!」と泣きまねをするのだからいい迷惑だ。
まぁ……同情はする。
だが、よりによって恋人同士が肩を寄せ合い、家族がチキンとケーキの夕食を囲むという今日。
そんな男が例の季節限定、赤い服着た爺さんとお揃いの赤と白の三角帽子を頭に載せ、腕には某鶏肉専門ファーストフード店の箱を抱えて俺の家の玄関で仁王立ちをしている。
似合わない。はっきり言ってものっすごく似合ってない。
「頼んでねーし。何より独り身なのはお前らも同じだろうが」
「まぁ、そう言うな。よりによってクリスマス・週末3連休・しかも給料日前! のコンボ攻撃! 世間の風が冷たい日には侘びしいもの同士、お互いの傷口を舐め合おうじゃないか」
そんなことを言いながら、俺の肩を宥めるように叩いているのは恒松。
俺と同じく今年の春に大学を卒業し、某大手外資系メーカーにシステムエンジニアとして就職した。新人研修プログラムは一年がかりのもので、かなりきついらしいが本人は涼しげな表情を変えることもなく、相変わらず飄々としたものだ。
銀縁眼鏡の似合うイケメンで、大学時代からそこそこ……いや、かなりモテてはいるようだが何が悪いのか、すぐ女にふられる。
俺の知る限り、最長記録で3ヶ月という可哀想な奴だ。
ここにいるってことは先月告白されたという彼女にもフラれたのか……って、イブに自宅に籠もってた俺に言われたかねぇか。わりぃ。
「あほか、お前ら。何が悲しくてでっかい図体した男どもと野郎4人で肩寄せ合ってクリスマスを過ごさなくちゃならねぇんだよ! 余計空しいわ!」
「冷たいこと言うなよ、結! 俺たち4人はうるわしの幼馴染みという切っても切れない縁で結ばれた心の友じゃねぇか。親友だろ? さぁ、聖なる今宵こそ男同士の友情が試されるとき! 熱い絆を杯の下に結び合おうぜ!」
などと言いながら缶ビールが入っているらしきでっかいコンビニ袋を俺に押しつけてくるこいつは藤生。柔道選手のようなごつい図体と野太い声の持ち主だ。
……ってか、お前ん家は寺だろ? 仮にも御仏に仕える坊主が聖なる夜云々とかほざいていいのかよ……。
俺はがっくりと肩を落としながらも、中に入るよう手で3人に促した。いつまでも玄関口で押し問答していても近所迷惑なだけだ。
むしろ俺にこのイブどころか、せっかくのクリスマス3連休の予定が仕事以外はからっぽなことをご丁寧にもご近所様一体に知らしめてどうする!?
なのにそんな俺の気も知らず、奴らはまるで勝手知ったる我が家と言わんばかりに上り込んでは好き勝手なことを言っている。
「いつ来てもいい部屋だな~。ここ、もともとは築20年の2DKを壁ぶちぬいて1DKにリノベーションしたんだってな? さっすが建築士の卵。よっ、出世頭!」
「うんうん、誘い込む彼女もいない空しい一人暮らしのくせに無駄に広いわ、綺麗だわで俺のむっさ苦しくて汗臭い男子寮の部屋とは大違いだな。結、いっそここで俺とラブい同棲生活しようぜ?」
「いやいや、いくら女がいないにしても結だって男だ。臭う、臭うぞ? この部屋には独身男ならではの不埒な煩悩の塊がそこかしこに溢れているに違いない。結、速やかにけしからん写真集もしくはDVDを出せ! 高潔かつ清廉なる拙僧がその煩悩の塊を没収の上、速やかに然るべく供養をしてくれるわ!」
「……てめぇら……」
褒めてるつもりなのかどうなのか。……いや、むしろ嫌味に聞こえてしまうのは俺の僻み根性なのだろうか。
俺のつましい城に突然踏み込んできたゴリラ共に溜息がとまらない。
そもそも、何が悲しくてイブに野郎共に家中を詮索されにゃならんのだ。
第一、この部屋は俺のこの春からの勤務先である建築事務所が手がけたマンションのひとつであって、俺が設計したわけじゃない。
大学卒業したてで入所したての、建築士の受験資格すらまだないぺいぺいの俺は、所長の好意とツテでここを借り上げ社宅扱いで住まわせて貰っているわけで――せいぜい俺にできることはなるたけ汚さないよう、丁寧に扱うだけだ。
さすがにインテリアだけは中古だったり貰いモンばかりではあるが、俺好みに仕上げてはいるけどさ。
俺は藤生に押しつけられたコンビニ袋の中身――予想通り缶ビールとワインとつまみと辛党揃いの俺たちの一体誰が飲むのやら、見るからに甘そうなピンクのスパーリングワインが1本――を黙々と冷蔵庫に入れながら、部屋の中を檻の中のゴリラよろしく歩き回る男共を橫目で見張る。
さすがに腐っても幼馴染み、そこは最低限のラインは弁えてるのか、勝手に引き出しを開けたりすることこそしないが好奇の目差しでじろじろと見られると、さすがにきまりが悪い。
……見られてまずいものは目につくところに出してはいない、はずだ。うん、たぶん。
二人用ダイニングテーブルの横にかけた掛け時計――就職祝い兼初の一人暮らし記念に貰ったサンバースト・クロック――を見上げると、時刻は夕方の17時を半ば過ぎたところ。
室内に充満しはじめたチキンの香りに刺激されたのか、思いだしたように鳴りはじめた腹の音が今さらながら俺に空きっ腹を訴えてくる。
……そういえば朝にトーストとベーコン・エッグを食べたきり、製図画面と取っ組み合うのに夢中で昼も食べていない。腹に収めたのは保温ポット満杯に作ったコーヒーだけだ。
一度は閉じた冷蔵庫を再び開き、冷蔵庫の中身を物色する。一人暮らし用のちっぽけな冷蔵庫には先ほど詰め込んだ酒類を除くと、まだ開封したばかりの牛乳、ピザ用チーズに朝に使ったブロックベーコンの残りと卵、少し萎びたレタスと連日の残業後に帰宅してもすぐかっこめるよう、作り置きをしているボウルいっぱいのラタトィユが詰め込まれていた。
これだけでも、一人暮らしの男の冷蔵庫の中身としては上等なモンだと我ながら思う。
俺は玉葱と卵、ベーコン、チーズに牛乳を冷蔵庫から取り出しながら、俺の部屋に居座るゴリラ共にとりあえず声をかけた。
「おい、おまえらスパニッシュオムレツ作ったら喰うだろ?」
「喰う、喰う!!」
「……子どもかよ」
飛びつくような隆司からの返事に笑いながら、俺は野菜籠からジャガイモと玉葱を取り出した。いつの間にか隣にきた恒松が剝くからよこせと手を差しだしてくる。料理がからっきしな隆司と藤生にはとりあえず座っておくよう言い渡せば、代わりにとばかりに披露されるそれぞれの”男の花園”の下品な裏話ネタに腹が捩れそうなほど笑わされ、包丁を持つ手が震えてしまうほどだ。
そうやって笑いながら料理をしていたおかげで、俺は仕事に逃避しながらも抱えていたさっきまでの鬱々とした気持ちをどこか奥へと追いやることができた。
イブなんぞくそ喰らえ。
恋人同士の聖夜? 俺には関係ねぇ。
だけど……変わらぬ野郎友達とのこんな時間は悪くはない、そう思った。