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ひとの歴史書 ―銀の亡霊―  作者: 辰野さとる
銀の亡霊(前)
8/32

1-7

 時間と共にあらゆるものは移り変わりますが、なによりそれを実感させるのは光です。

 太陽も月も、一瞬たりとて止まることはありません。常に光は動き続け、変わり続け、その変化と共に時間は進んでいきます。

――ですから、光が止まっている場所では時間も止まるのです。

 道路の両脇に並び立つ木々には青い光源が散りばめられていて、建物や道路に網目のような模様を映し出していました。今日は風もなく、光にはわずかな揺らぎすらありません。

 時を絡め取るくもの網が、大垣の街を包み込んでいるようでした。

 「めいちゃんはさ、英雄みたいな人っていると思う?」

 「それはいるでしょう。そういうひとがいないと歴史屋の商売上がったりです」

 歴史には必ず主人公がいるもの、というのがわたしの持論です。

 べつに、ひとりとは限りませんが、ポエニ戦争の主人公はスキピオやハンニバルでしたし、百年戦争の主人公はジャンヌ・ダルクであるわけです。また戦争に限るわけでもなく、産業革命の主人公はアークライトやスティーブンソンだったりします。

 そういう歴史の主人公たちのことを、後世のひとは英雄とか偉人と呼ぶのです。

 「でもさ、生きている英雄って見たことある?」

 「それはまあ……ありませんけど。こんな時代ですから仕方ないです。会えるものなら会ってみたいですけど」

 大垣城の外堀として作られた水門川沿いを走っていると、数千年にわたるひとびとの営みが幻となって浮かび上がるようです。古びた石造りのアーチ橋、ささやかな船着場に並ぶ、飾り気のないちいさな船。

 青い糸はそのすべてに絡みつき、流れていこうとする過去を留めています。

 「あたしの師匠はさ、そういうひとだったんだ。英雄って言葉に選ばれたようなひと」

 のぞみさんが話してくれるつもりになったのなら、もはやわたしも手札を伏せておく必要はないでしょう。

 「金崎かなさきさん、ですか」

 「なんだ、とっくに知ってたんだね」

 「シルヴァーゴーストの工具入れに入ってた車検証を見たんです。下の名前はなんて読めばいいんですか? 『ひばな』じゃないですよね」

 「ほのか、って読むんだよ。確かにパチパチ弾ける火花みたいなひとだった」

 イルミネーションの終わりまでやってきて、わたしは丁寧にハンドルを切ります。シルヴァーゴーストは猛スピードで駆け抜けるスポーツカーではありませんし、街中をちょこちょこ走り回る軽乗用車でもなく、悠々たる走りを運命付けられた高級車なのです。それに相応しい運転をしなければ、金崎さんに申し訳が立ちません。

 角をひとつ曲がると、イルミネーションはまだ続いていました。どうやら大垣市の中心部はほとんど網羅しているようです。いくら『はね』の力があったり、いろいろなモノの調達に苦労しない世の中とはいえ、これほど大規模なイルミネーションを施す労力は相当のものでしょう。

 「でも、知らなかったな……車検証なんて作ってたんだね。遺書の一通も残さなかったくせに、車にだけは不義理をしないんだから、あのひとは」

 のぞみさんの呆れ顔には、滲みだすほどの親しみと懐かしさが詰まっていました。英雄に対する尊敬というよりは、親友に対する友情のような、なにかが。

 「ほんと、曲がったところのないひとだったよ。信念を曲げる必要なんてない世の中だけどさ、それでもあのひとは自分を最後まで貫き通した。いまも、あのひとの遺志は形を持って生き続けてる。英雄って呼ぶには十分じゃないかな、これって」

 鮮烈に生き、死してなおその痕跡は強く刻み付けられている。確かに、歴史の主人公としては申し分のないひとだったようです。

 「……のぞみさんは、ほのかさんの遺志を継いだんですね」

 「いいや、違うよ。ほのかさんにはたくさんのことを教えてもらったけど、遺志を継いだかと言われればそうじゃない。だって、こうして車いじりだってやめちゃったんだからさ。なにより、英雄に二代目はいないものじゃないかな」

 「なら、どうしてほのかさんの遺志が生き続けているなんて……?」

 「そのうち、わかることだよ」

 のぞみさんはまたそんな風にわたしを煙に巻いて、最後の最後まで語ってはくれません。けれど、わたしもがつがつと聞こうとはせずに、のぞみさんの沈黙を受け入れました。言葉には言うべき瞬間、聞くべき瞬間というものがあるのです。

 わたしは面倒くさがりですし、待つことはけっこう得意なのです。無理をして急がずとも、待っていれば時間の方からやって来てくれますからね。


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