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ひとの歴史書 ―銀の亡霊―  作者: 辰野さとる
銀の亡霊(前)
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1-2

 大垣駅の構内はどこもかしこも花と草の海に覆われていました。

『彼ら』による世界の書き換えからまだそう長い年月が経ったわけではありませんが、植物は着実に世界の主導権を握りつつあります。ひとの都市を構成する鉄やコンクリートは無機物です。ですから、いずれ生きた植物が勝利を収めるのはわかりきったことでした。

 わたしたちは床のそこかしこに生えた草花を避けつつ、ガソリンを目指して歩いています。人類の居場所はどうも少なくていけませんね。

 「いまどき旅人なんてそうそう見ないよね。めいちゃんはなんのために旅してるの?」

 「ひとの歴史書を書いているんです」

 歴史が記されなければその時間は存在しないのと同じだ、というのはわたしの師の言葉です。歴史に記されなかった出来事や、記されなかったひとのことを知ることはできません。知ることができなければ存在しないのと大差はなく、忘れられたことはなかったことになっていきます。

 こんな時代ですから、誰にも知られないまま時間に流されていくひとは大勢います。本人たちはそれでも満足かもしれませんが、わたしは誰かの痕跡がすべて消え去ってしまうのが寂しくてならないのです。

 ですから、こうして歴史を記す旅をしています。

 「歴史って、たくさんのひとをまとめて書くじゃないですか。でも、それだとひとりひとりが取りこぼされてしまうと思うんです。ですから、ひとりひとりの歴史を残そうと思って書いているのが、ひとの歴史書です」

 「それって伝記とはどう違うの?」

 出会ったばかりなのに、わたしの弱点ベスト3のひとつを突かれてしまいました。のぞみさん、侮れません。

 「う、それを言われると弱いんですけれど……伝記って、出来事を記すものだと思うんです。そのひとの性格とか人柄はあまり重視されない気がして」

 「ふうん、ひとそのものを書き残す、って感じ? すごいね、人類のための仕事だ」

 「そんな大層なものではないです。そもそも、書き終えたときに読んでくれるひとが生き残っているかどうか怪しいですし」

 「そりゃ違いないや。このあたりに住んでるのはあたしだけだから、たまに人類最後の生き残りみたいな気分になるよ」

――『彼ら』が到来した晩、たくさんのひとが消えました。

 おそらく殺されたわけでも、連れ去られたわけでもなく、おびただしい数のひとびとが消え去ったのです。事前にはなんの兆しもありませんでしたし、『彼ら』からのアナウンスもついにありませんでした。

 どれくらい減ったのか定かではありませんが、大垣の市街地にのぞみさんたちしか住んでいないような状況を見れば、残ったひとびとは微々たる数なのでしょう。

 それでも、人類はまだ細々と息づいているのですから、わたしの仕事にも意味があるのかもしれません。


 「さ、必要なだけ持っていくといいよ。ストックにはまだ余裕があるから」

 のぞみさんが案内してくれたのは駅のホームでした。あたりを見回すとポリタンクや怪しげな機械部品でどこもかしこもあふれかえっていました。ホームとホームの間には鉄板で簡単な橋が渡してあり、線路上には飛行機のようなものが並んでいます。

 往時の駅としての機能はすっかり失われ、いまや大垣駅はのぞみさんのファクトリーと化しているようでした。

 「これは全部のぞみさんが?」

 わたしが放心しつつ聞くと、のぞみさんは一呼吸だけ間を置いて、

 「まあね」

 と軽い言葉を返しました。

 「それよりガソリンだよ。うちのガソリンにはこだわりがあってさ、そんじょそこらの古くて草っぽい再生ガソリンとはわけが違うよ」

 のぞみさんの言う、草っぽい再生ガソリンとは藻から再生した石油を使って精製するガソリンのことです。もちろん精製する業者はいなくなってしまったので、わたしはそのあたりのガソリンスタンドに残された再生ガソリンを使っているのですが、これがどうもよろしくないのです。ガソリン自体が古くなっていて頻繁にノッキングを起こすのはもちろんのこと、燃料フィルターの交換頻度だってばかになりません。

 それでも、燃料をはねで作り出すことだけは信念が許さないのです。

 「もしかして、自分でガソリンを作ってるんですか?」

 「いいや、あたしが作ってるんじゃないよ。ただ、新潟の方で石油を掘ってガソリンにしてるやつらがいてさ。新鮮な天然もののガソリンだよ? わくわくするでしょ」

 ガソリンでわくわくする十四歳わたしもどうかと思いますが、確かに天然ガソリンには抗いがたい魅力があります。にしても、こんな社会情勢で石油を掘るなんて、酔狂なひとたちもいたものです。わたしも他人のことは言えませんけど。

 「あ、もしもよかったらガソリンのお礼をさせてもらえませんか? 車の簡単な修理と歴史の話しかできませんけど……」

 「気にしなくていいよ、って言いたいとこだけど、ちょうどいいや。しばらく乗ってないシルヴァーゴーストがあるんだけど、整備を頼めないかな」

 ロールス・ロイス・シルヴァーゴースト。なかなか楽しいチョイスじゃありませんか。これもまた何百年も前も車ですけれど、チンクとは比較にならない高級車です。装甲車としても定評があり、アラビアのなんとかと呼ばれた有名な軍人さんも乗っていたと聞きます。

 「それくらいならお安い御用です。でも、のぞみさんも整備くらいはできるんじゃないですか? 知識はエコールで仕入れてくればいいわけですし」

 「んー、自動車整備のことまでは頭に入りきらなくて」

 ほんの少し歯切れの悪さを見せて、のぞみさんはそれを紛らわすように笑いました。

 そんな素振りを見なくとも、のぞみさんの言うことは不自然です。シルヴァーゴーストなんて博物館にしかないような車が、走行可能な状態で運良く転がっていたとは考えられません。博物館から持ってきたのだとすれば、エンジンやブレーキなど大規模な部品交換と修復レストアが必要になるはずですが、そこまでやれば整備のことなんて知っていて当然なのです。

 とても事情を聞かせてくれそうな雰囲気ではないので、違和感はとりあえず頭の片隅へと追いやっておくことにしました。事なかれ主義は最強です。

 「さあ、はやくチンクに乗ってきてよ。あたしはここで待ってるからさ。はねちゃん、ついていってあげて。迷うといけないし」

 「わかりました、マスター」

 はねさんは命令どおりに粛々とわたしの方へ飛んできます。ぼんやりとそのさまを眺めながら、わたしはようやく異常に気づきました。

 「あの、はねさんの背中についてるのってのぞみさんの『はね』ですよね?」

 「ん、そうだよ。いい感じに組み込めてるでしょ」

 「ええ、まあ……それはすごいと思いますけど。どうしてのぞみさんから離れていられるんです?」

 はねはひとりにひとつ、所有者の近くからは絶対に離れない、というふたつの原則があります。

 わたしたちが生きる理想郷は、それぞれにはねの恩恵が与えられてはじめて成立するものです。これはエコールで刷り込まれた話ですが、はねは所有者から離れるとその効果を発揮できないといいます。はねから放出される……なんでしたっけ。そのなにかが届かなくなるとかどうとか。

 「はねをクラックしたからだよ?」

 ああ、クラック。それなら仕方ないです。

 「そんなわけないでしょうなに言ってるんですか」

 「いやさ、機械なんだから改造できるのは当たり前でしょ? ねー、はねちゃん」

 「ごめんなさい、しるすさん。マスターはちょっと常識がないというか、控えめに言うとバカなんです」

 「控えてよ! 他にも言い方があるじゃん! 頭が弱いとかさあ!」

 はねさんにバカとまで言わしめる所以が少しだけわかった気がします。

 にしても、はねを改造してしまうなんて凡俗の発想ではありえないことです。バカと天才は紙一重というやつでしょうか。

 「でも、はねから離れるなんて……それでのぞみさんは大丈夫なんですか?」

 「ぜんぜん大丈夫じゃないよ? ケガはするし、病気だってするかもしれない」

 はねがある限りわたしたちはかすり傷ひとつ負いませんが、はねがなければ紙で手を切るくらいのことは簡単に起こります。つまり、のぞみさんは自ら望んで身を危険にさらしているのです。

 「でもさ、守られてないからこそ、生きてるって感じがするんだよね」

 スリルを楽しんでいる、という風ではありません。ただ、のぞみさんは自分が求める生き方を手に入れただけなのでしょう。

 それはそれで、のぞみさんにとっての理想郷なのかもしれません。


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