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ひとの歴史書 ―銀の亡霊―  作者: 辰野さとる
死せる英雄と、生ける亡霊
20/32

2-8

 在りし日の大垣駅前商店街は、毎年五月上旬になるときらびやかな電飾で飾られていた。

 夏至のある五月は一年で一番日の長い時期だから、イルミネーションには最悪の時期だ。けれどそこを逆手に取って、天井を覆うアーケードで年がら年中薄暗いことを生かして、この時期にイルミネーションをやっていたというわけ。

 商店会長だった電器屋さんの倉庫を調べてみると、すぐにイルミネーションのための機材を見つけることができた。ちょっと疲れた色合いののぼりも一緒。まあ、こっちはなくてもいいだろう。

 段ボール箱を外に出して、続いて倉庫から脚立を持ち出す。シャッターの時はやむを得ず『はね』の力を借りたけれど、今度はそこそこの重量を感じている。日常生活で『はね』に頼りすぎるのは、なんだか人間としてよくないような気がしていた。ひーちゃんじゃないけど、ひととしての矜持の問題。

 『はね』があれば、およそ生きるうえで困ることはなにもない。

 言ってみれば、呼吸をするように生きるようなものだ。なにもせずに一年くらい寝転がっていてもいいし、眠らずに走り続けたって疲れないんだ。生きることはそこにいること。明日を迎えるためにやらなきゃいけないことはないし、自分の未来に思い悩むこともない。

 だけど、それが人間の生き方かと言われれば怪しいところ。使命を持たない分、ヒューマノイドよりも性質が悪いんじゃないだろうか。

 そうやって無為に生きてしまうことが怖くて、あたしは『はね』に頼らないようにしていた。わずかばかり残った人間らしさを捨てないために。

――それから、あたしは記憶を頼りに電飾を配していった。

 よく歩いていた道だったから、簡単に再現できるだろうと思っていたけれど、どうにもうまくいかない。

 一度しか見ないものよりも、何度も見るものの記憶が薄れてしまう、っていうのは珍しくない。いつも見るからと知っている気になって、注意を払わなくなるんだ。そうするうちにイメージはどんどん曖昧に崩れていく。

 途中からはもう投げやりになって、置きたいように電飾を配置していった。全体の調和を考えつつ、けれど単調にもならないように、適度な乱れを意識的に混ぜていく。色合いもバラバラにはならないように、アクセントとなる色を混ぜつつ組み合わせて。

 配置を終えてからは、間隔の微調整をしたり、配線を手直ししたり。最後にホームセンターまで出向いてガソリン発電機を調達し、近所のスタンドでガソリンとエンジンオイルを頂戴してきた。

 そんなこんなで、準備が全て整うころには日が傾き、イルミネーションにうってつけの時間になっていた。仕上げを終えてドームの真ん中まで戻ってくると、ひーちゃんが噴水の淵に腰掛けて足をぶらぶらさせていた。

 「……よくも飽きないものですね」

 「ひーちゃんだって、さっき古本屋から出てきたところだよね?」

 「私のことはいいんですっ」

 そうして、ひーちゃんは機嫌を損ねてそっぽを向いてしまう。仲良くなる努力はしているつもりなんだけどな。

 「それで、なにが嬉しくて電飾なんてやっているんですか。ホームシックにでもなりました?」

 「ま、それも間違っちゃいないかなあ。ただ、帰ってくるほのかさんを驚かせたくてさ。それに、ひーちゃんだって気に入ると思うよ」

 噴水の脇に置いた発電機に寄りかかって、あたしはもう一度ぐるりと商店街を見回した。

 見栄えが悪かったから、シャッターは全部上げておいた。おかげで、商店街は薄暗いながらも往時の姿に近づいている。誰も歩いちゃいないけれど、あのころとの誤差はせいぜい数人だ。

 人口は何百年も前から目減りを続けてきていた。何世紀も前の推計どおりに減り続けていたら、今頃この国は無人になっているはずだけれど、そこまで劇的な減り方ではなく。ただ、減ったことには違いなくて、特に大垣のような地方都市の人口は大きく削られていったんだ。駅前もすっかり閑散としてしまって、山間部にはもはや住むひともなくて。

――けれど、イルミネーションの時期だけは、ほんの少しだけ街が賑やかになった。

 スイッチを軽く押し込むと、静かな駆動音と共に発電機が始動して、目がくらむほどの光が辺りに溢れかえる。

 イルミネーションの基調となる色は青。原色のけばけばしい色ではなく、やわらかく透き通るような光。それが、店のひさしや街灯を伝って商店街中に張り巡らせてある。見上げれば、ガラスドームもプラネタリウムのように電飾の星を抱えていた。あそこまで上るだけで一苦労だったけれど、その甲斐は充分にあったと思う。

 ひーちゃんは言葉を完全に失って、身じろぎもせずにその場で立ち尽くしていた。

 「あのころの世界に未練なんてものはないけどさ、それでも、この街のことは嫌いじゃなかったよ」

 いつもは死んだように静まり返っている街なのに、イルミネーションの前になるとどこからともなく商店街にひとが集まってきて。ああでもない、こうでもない、とわめき立てるのはうるさくて仕方なかったけれど、あたしはその騒ぎを見ているのが大好きだった。

 実際、イルミネーションをやったって、そこまでたくさんのひとは集まらなかった。もしかしたら、準備の方が賑やかだったくらいに。でも、ひとびとは毎年飽きもせず、イルミネーションに夢を託していた。

 いつか見た、賑わっていたころの街の夢を。

 「もう、あのひとたちはいないし、ここにひとが集まることだってないだろうけどさ、あたしはまだ、この街が嫌いになれないんだ」

 あたしはひーちゃんの手を取って、光降る商店街を歩き始めた。

 あれだけたくさん聞こえていた足音も、いまはふたつだけ。アーケードはいやに風通しがよくて、どこかで隙間風が甲高い音を立てている。そのくせ、静けさと寂しさは埃のように降り積もり、いくら風が吹いたって流されてはくれない。いつしかそれは淀みとなって、アーケードの暗がりに染み付いていく。

 そんな薄暗さを、光はわずかな間でも追いやってくれるんだ。大垣のひとたちが抱いた夢は叶わなかったけれど、夢のあとはこうしてあたしたちを照らしてくれる。

 「……この街に、なにがあるんですか」

 ひーちゃんに答えようとして、あたしは一瞬言葉に詰まった。

 いまあるものは幻だ、と言ってしまえばそれまでだ。誰もかれも、なにもかも、失われてしまったものは戻らない。現実の寂しさを一瞬だけ忘れられる、飴玉のような幻を見ているに過ぎないんだ。

 「なにもないよ。だけど、この街にはあたしの全部があったんだ」

 あのころが戻ってこないのはわかっているけれど、それでも。

 いまは、この幻に少しでも長く包まれていたかった。


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