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ひとの歴史書 ―銀の亡霊―  作者: 辰野さとる
銀の亡霊(前)
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1-1

1 銀の亡霊



 アスファルトに頬ずりすると、どこか人肌のようなあたたかさを感じました。

 車道にはクレバスのような切れ間があり、その隙間を埋めるように色とりどりの花がぎゅうぎゅう詰めに咲いていて、そんなちいさい花壇の向こうには、ツタにうっすらと絡め取られたガラス張りのビルが建っているのが見えます。車道の真ん中でころころと寝返りを打って空を見上げると、今日も相変わらずやる気のない太陽が浮かんでいました。

 「へんなひとですね」

 驚きのあまり、わたしは前転しそうな勢いで体を起こしました。こんな辺鄙な街の真ん中で、車道に寝転がっている不審なひとに話しかける人間なんてそうはいません。

 と、よくよく声の主を見てみると、なるほど人間ではありませんでした。

 お人形さん、と言うにはほっぺたの質感が柔らかすぎますし、目つきも生き生きしています。背は一メートルに届くかどうかというところですが、身体の比率が狂うこともなく、しっかりと人間らしい見た目をしていて、ついでに言えば可愛らしい女の子のようです。背丈ほどもある長い髪はふわっと膨らんでいて、ひらひらのお姫様みたいなドレスによく合っていました。

 そして、その背中ではぱたぱたとせわしなく、『はね』が羽ばたいています。

 「はねのついた小人さんにへんだと言われるなんて……」

 人間としてのアイデンティティとか誇りとかいったものが音を立てて崩れていきます。もともとそんなにしっかり積んではいませんでしたが。

 「あなたはちいさい人がへんだと思っているだけでしょう。背中にはねをつけたひとと、道路に頬ずりするひと、どちらがへんですか?」

 「う、なかなかいじわるな言い方をしますね。天使みたいにかわいい格好をしてるのに」

 「これは私の趣味じゃありません!」

 ほっぺたを膨らませる小人さんを鑑賞するのもいいのですが、そろそろお仕事のことを思い出さないといけません。

 「あ、それはともかく知らない小人さん、このあたりにガソリンスタンドってありませんか?」

 ガソリンスタンド、という言葉を聞くや否や小人さんは眉間にしわを寄せ、怪訝な視線をこちらに向けてきます。視線がいたいいたい。

 「そんなもの探してどうするんですか?」

 「いえ、愛車がそこでガス欠になってしまって」

 はあ、と小人さんはさらに小首を傾げます。動作のひとつひとつがささやかな可愛らしさに満ちていて、なんとも罪な小人さんであることです。

 「いまどきガソリン車に乗ってらっしゃるのが驚きですけど、ガソリンくらい『はね』で出せばいいじゃないですか」

 ううん、と唸りながら、わたしは頭の横を飛んでいた自分の『はね』に触れてみました。

 「これにはあまり頼りたくないんです」

――理想郷という、とても古い言葉があります。

 みなひとが幸福に暮らし、老いも、死も、争いすらないという、夢のような土地。そんなところを夢見て、ひとびとは理想郷と呼びました。

 ただ、厄介なことに理想は往々にしてすれ違うものです。誰かにとっての天国は、同時に誰かにとっての地獄になりうる、というわけで、理想郷はどうあがいても夢の中のものでしかありませんでした。

 それをうっかり現実にしてしまったのが、いまわたしの隣で所在なげに浮かんでいる『はね』と呼ばれる機械です。

 これは『彼ら』がもたらしたもののひとつで、人類の手によるものではありません。わたしたちが望むままに、わたしたち自身のあらゆる感覚を調節し、そして外界との折り合いをつける。そう言ってしまうとややこしくなりますが、簡単に言えば理想を形にしてくれる機械なのです。太陽の明るさから、アスファルトの質感まで。世界はわたしたちが望む形に変わります。

 ひとりの理想を、ひとりの世界に。それがわたしたちのたどり着いた、みなひとの理想郷(この世界)なのです。

 ですから、わたしが望みさえすれば自動車のガソリンが尽きることはありません。ただ、そういう魔法みたいな便利さはどうにも気に入らないのです。仕組みをよく知りませんから、なにが起こっているかわかりませんし。

 「なんというか、はねに頼りきるのは人間らしくないと思うんですよ。ちょっとの苦労はした方がいいんです」

 「ふふ、私の知ってるひとも同じようなことを言ってました」

 呆れた表情や怪訝な目しか見せてくれなかった小人さんが、はじめておかしそうに笑いました。

 「お探しのガソリンスタンドですが、このあたりにはありませんよ。けれど、ガソリンのあるところなら知っています。ご案内しましょうか?」

 「じゃあ、お言葉に甘えて」

 と、歩き出したのはいいのですが、肝心なことを忘れていました。

 「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。わたしは羽澄銘(はずみ しるす)と申します」

 わたしの先をふわふわ進んでいた小人さんは、信じられないような顔でこちらを振り返ります。

 「どうして私に自己紹介するんです?」

 「どうしてって、初対面のひとには自己紹介するのが普通だと思いますけど」

 「ですが、私は人間ではなくヒューマノイドですよ」

 高度な人工知能と、人間に近い身体の構造を持ったロボットはヒューマノイドと呼ばれます。

 『彼ら』の到来以前に人類が成し遂げた研究のうちでも、ヒューマノイドに関するものは集大成と言えるかもしれません。人間に限りなく近いものが作り出せてしまったのですから、人類の力というのはなかなかに侮れないものです。開発したひとびとはとうに消えていると思いますが。

 「見ればわかりますよ。でも、そういう無粋な言葉は好きじゃないんです」

 「無粋、ですか」

 「そう、無粋です」

 わたしはちょっとだけ得意になって胸を張ります。かっこいい言葉ですよね、無粋。頑固な職人さんが使いそうな言葉です。

 「いまさらひととヒューマノイドを区別する必要なんてないじゃないですか。見た目も考え方も大して違わないわけですし。さあ、そういうわけでお名前をどうぞ」

 なんだか腑に落ちない、というような素振りを見せながらも、小人さんは渋々答えてくれます。

 「……実のところ、私には名前がないんです」

 「あなたを呼ぶひとがいない、ということですか?」

 「そういうわけではないんです。ただ、本当の名前がないというだけで」

 わけがわからずに当惑するわたしを置いて、小人さんはぱたぱたと先を行き、わたしはその後を小走りに追いかけます。

 「呼ばれる名前があるのなら、それが本当の名前でいいんじゃないですか? 我が真名はプルタルコス! とわたしが言い始めたとしても、知っているひとたちはわたしを羽澄銘と呼びますし」

 「そんなことありませんよ、プルタルコスさん」

 「や、やめてください。思ったより恥ずかしいです」

 策士策に溺れる、とはこういうのを言うんですね。恥ずかしくて言葉も尻すぼみです。

 「名前って、そう簡単に決まっていいものではないと思うんです。ヒューマノイドの私がこんなことを言うのも」

 「あー! ヒューマノイド禁止です! 卑屈ですねもう!」

 わめき声をあげて、わたしは小人さんの言葉をさえぎります。この小人さん、あまり融通のきかないひとのようです。

 「そうだ、あなたを作ったひとは名前をくれなかったんですか?」

 「あの人は……自分の名前は自分で探せ、と私に命じました。ですから、名前はくれなかったんです」

 「ううん、なんだか難儀ですね……結局、あなたのことはどう呼べばいいんです?」

 「単に『はね』と呼んでください。マスターはそう呼びます」

 はねさんはふわりとドレスの裾をふくらませてこちらを振り返り、少しぎこちなく笑いました。さっきは自然に笑っていましたし、きっと意識するとうまく笑えないひとなんでしょう。

 「さて、着きましたよ、羽澄さん」

 「銘でいいです。ところで、ここって駅じゃないですか?」

 ええ、とこともなげにうなづき、はねさんは建物の中へ入っていきます。

 広いエントランスホールはもはや花園と化していて、頭上のガラス張りのドームの上にもツタがところ狭しと這っていました。ガラスが割れた場所からは、長いツタの束がはしごのように垂れ下がっています。駅というよりは温室の廃墟と言ったほうがしっくり来るでしょうか。ちらちらと零れ落ちる日差しは心地よく、今にもこの場で寝転がってしまいたくなります。

 「しるすさん……」

 「はっ、わたしとしたことが」

 そう考えたときにはもう寝転がっていました。いけませんいけません。

 「地面で寝る癖でもあるんですか」

 「ああ、そうかもしれません。気ままな旅が長くて、ちゃんとした場所であまり眠ってないんです」

 旅をするうち車中泊には飽きてしまって、最近はもっぱら芝生で眠っています。はねのおかげか寝心地はさほど悪くありませんし、虫も寄ってきません。夜風を直に感じられて、目の前には満点の星空。なかなか風流でよいものです。

 「どうして旅なんてしているんです? こんな時代に観光ですか?」

 「それがですね――」

 ぎいいいん、と背後から聞こえてきた鋭い駆動音がわたしの声をさえぎり、はねさんはため息をつきながら額を押さえます。

 状況がさっぱり飲み込めないうちに駆動音はどんどん近づいてきて、さすがのわたしも後ろを振り返りました。

――頭上を、一陣の風が駆けていきました。

 まず目に付いたものは純白の翼です。いわゆるハンググライダーに近いものだと思いますが、その両翼には小型の航空機を飛ばせそうなエンジンが載っています。

 そしてその翼を操るのは、デニムの短パンに花柄の甚平というエキセントリックな格好をした女の子でした。歳はわたしよりも少し上に見えますが、表情にはちいさな子供のような無邪気さがあります。夢見る少女なんて人種は遠い昔に絶滅したものと思っていましたけれど、彼女はその生き残りのようです。

 彼女は巧みな操縦で翼を操り、エントランスをくるりと一周してからわたしたちの前に舞い降りました。

 この距離まで近づいてようやく、翼のデザインのスタイリッシュさに驚きます。波打つ炎のような流線形を描きながらも、翼としての特徴を失わない、ある種芸術じみたものすら感じさせるデザインでした。ひとつひとつの羽に沿って姿勢制御のためのスラスターがずらりと並び、その場での浮遊までこなしています。

 女の子は翼のエンジンを切って地面に置くと、長いポニーテールを揺らして大きく伸びをしました。

 「マスター、お客様です」

 はねさんは呆れるのにも疲れたといった様子ですが、女の子はそんなことを気にも留めず、笑顔を弾けさせながらこちらへやってきます。

 「や。お客さんとは珍しいなあ、岐阜のエコールのひと?」

 エコール、というのは『彼ら』によって各地に設置された施設のことです。インフラストラクチャーのうち、はねの機能だけでは補いきれないもののすべてがこのエコールに集約されており、ひとびとはエコールの周りに寄り集まって暮らしています。ですから、所属するエコールが住んでいる場所を示すようなものなのです。

 しかし、必ずしもエコールがなければ生きていけないわけではないので、わたしのような旅人や、この女の子のようにエコールから離れて暮らすひとも少なくないわけですが。

 「いいえ、旅のものです。ほんの少しガソリンを分けていただきたくて」

 ほう、と感心したように女の子がわたしを見直します。

 「きみも身の回りのものは自足する方?」

 「まあ、できるだけ自分のものは自分で探すようにしてますけれど」

 うんうん、と繰り返しうなづく女の子は、まるで砂漠にオアシスを見つけたようにはしゃいでいます。

 「ちなみに、ガソリンはなんに使うの?」

 「古いガソリン車に乗ってまして」

 と言ったところで、女の子がさらに目を輝かせて食らいついてきました。

 「車種は!?」

 「ええと、フィアットの二代目チンクエチェントですけど……」

 そんな五世紀も前の車なんて知ってるはずないですよね、と続けようとしたのですが、喋る間もなく抱きしめられてしまいます。

 「わっ、なんなんですかいきなり」

 ひとに触れられるのなんて何ヶ月ぶりでしょう。はねが感覚を抑えてくれているはずなのに、女の子の体温が妙に温かく感じられました。

 わたしが固まっているのに気づき、彼女はようやく離れてくれました。

 「いやあ、ごめん。機械に興味のある子と会うなんて本当に久々だったから。嬉しくて」

 気持ちはわからなくもありません。わたしとしても、あの車のことを知っているひとと出会えたのは少なからず嬉しかったりしますし。

 「そういえばまだ名乗ってもなかったね。あたしは希観のぞみ。字は希望の希に、観覧車の観ね」

 「鳥の羽に、澄んだ空、それから刀の銘で羽澄銘です。よろしくお願いします、のぞみさん」

 「うん、よろしくめいちゃん」

 「……はい?」

 「刀の銘でしるすでしょ? だからめいちゃん」

 『自分の名前は自分で探せ』と硬派なことを言い放ったひとの言葉とは思えず、わたしは思わずはねさんに視線を向けました。

 「こういうひとなんです」

 半ば諦めたようにつぶやくはねさんは、のぞみさんに手を取られ、ためらう素振りを見せながらもその肩にちょこんと腰掛けました。

 「さてと、ともかくまずはガソリンだね。こっちだよ、めいちゃん」

 どうやらわたしのあだ名はめいで決まってしまったようです。呼ばれ方にこだわりがあるわけではありませんが、なんとなくこそばゆい感じがしました。


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