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あくる日、朝の薄明が星を喰らい尽くしていくさまを、わたしは道路に寝転がってぼうっと見上げていました。
次第に照らし出される雲は昨日の雨に湿気ったような薄灰色で、心なしか空の色も鮮やかさを欠いているようです。
「やっぱりへんなひとですね、しるすさんは」
はじめて出会ったときのように、はねさんが空中からわたしを見下ろして呆れ気味のため息をつきます。
「地面に寝転がるのも悪くないですよ。どこで寝ているときよりも身体があたたかくなるんです」
「見たところ、地面の温度はそれほど高くありませんよ。まだ日も上がっていませんし」
「温度計じゃわからないあたたかさなんですよ」
はねさんは怪訝そうに顔をしかめて、アスファルトの上に舞い降りてきます。
「それを錯覚と言うんです」
「錯覚だって現実ですよ。わたしがそう感じていて、信じているんですから。はねさんも寝転がってみればわかりますよ」
結構です、と言いながらも、はねさんはその場にぺたりと座り込んで、片手でアスファルトを撫でました。いま、彼女はなにを感じているのでしょう。劣化したアスファルトのざらざらした感覚、地面にまで染み込んだ早朝の冷たい空気。そして、センサーではわからないあたたかさ。
「やっぱり、わかりません。きっとヒューマノイドにはわからないものなんでしょう」
彼女は投げやりに言って、ふわふわとシルヴァーゴーストの方へ飛んでいってしまいました。
――さきほど目覚めてから、はねさんは明らかに落ち込んでいる様子でした。
調整のあとも違和感が拭われていないことや、長々と時間が掛かったこともあるでしょう。しかし、のぞみさんの言によれば、クレイドルに入ったあとはいつもこんな風になるそうです。
機械らしくあろうとしているのに、いざそれを見せ付けられると落ち込むという、思春期の子供みたいな反応。わたしもひとのことを言えるような年齢ではありませんが、それにしたってはねさんは妙な反抗期に陥っているような気がします。
まるで、自分自身を頑なに拒んでいるような。
「めいちゃん、そろそろ行こうか。はねちゃんなんて待ち遠しすぎて車の上で寝ちゃってるし」
遅れて駅から出てきたのぞみさんは、両の手をひらひらと振っていて、なにか持っている様子はありません。果たして昨日の準備とはなんだったんでしょう。
「あれはふて腐れているんですよ。本当に、どうしてこんなときに旅行なんて……」
「行けばわかるって」
のぞみさんはいつものように飄々とした態度でわたしの隣を通り過ぎ、車の方へ向かっていきます。
「もう、行くんですか……っ!?」
シルヴァーゴーストのルーフでたそがれていたはねさんに手を伸ばすと、のぞみさんはその身体をふわりと持ち上げで抱きすくめてしまいました。
はねさんは顔を真っ赤にしてぱたぱたと暴れていますが、こういう肌の色の変化まで作りこんであるあたり、ほのかさんのこだわりも相当のものです。
「なな、なにをするんですか! マスター!」
「はねちゃんの席はあたしの膝の上ね。これ命令」
「あの、のぞみさん、それだと運転が……」
「大丈夫。最初から運転はめいちゃんにお願いしようと思ってたんだ」
文句を言う間もなくのぞみさんは助手席にはねさんを引きずり込んでしまい、わたしは途方に暮れつつも車に乗り込みました。
「いいんですか、修理だけじゃなくて運転までわたしがしてしまって」
「いいんだよ。そもそも、そこはあたしの席じゃなくてほのかさんの席だったから」
あまりに淀みのない言葉に、わたしの心には驚きすら浮かんできませんでした。どうして、という言葉すらも飲み込んで、わたしの視線は自然とはねさんを捉えていました。
「ほのかさんというのは? この車、もらい物だったんですか?」
はねさんは不思議そうに首を傾げていて、なにか記憶に引っかかりがあるような素振りは見せていません。おそらく、ほのかさんの名前は完全に記憶から消されているのでしょう。
のぞみさんはまあね、と息つくように応えて、はねさんを抱きしめたまま黒革張りのシートに深く身体を埋めました。
「じゃあ、道案内するから安全運転で頼むよ。うっかり事故ったところでこの車なら大丈夫だろうけどさ」
「残念ですけど、装甲車のベースらしいところは万に一つもお見せできませんよ」
わたしはひとつ深呼吸をして、イグニッションキーを回しました。唸りを上げてエンジンが始動し、ささやかな揺れが身体に伝わってきます。
この1924年式のシルヴァーゴーストにはセルモーターも搭載されていて、それほど操作に困ったりすることもありません。重たいクランク棒を回さないとエンジンが始動しないような古代の車ではないのです。
また、ほのかさんの改造によるものか、本来はめ殺しであるはずの助手席のサイドウィンドウが開くようになっていました。とは言っても、パワーウィンドウなどではなく運転席側と同じスライド窓。こういうクラシックさへのこだわりにはとても好感が持てます。
「さ、国道を西へ。琵琶湖を目指してしばらく走ろうか」
のぞみさんは窓を開いて片腕を出し、朝日から逃げ遅れた夜がわだかまる西の空を指差しました。そうして、シルヴァーゴーストは光を背に走り出します。
――進みゆく時間に逆らい、過ぎ去った時をさがして。




