図書の家。
そこの外観は、5階建てほどの石造りの洋館、といったところだろうか。
館の中央を貫いてそびえる、天を衝くような大きく太い樹がひときわ目を引くが、変わった特徴といえばそれだけだ。
あらゆる世界、あらゆる時代の、ありとあらゆる書物がすべて収蔵されているという噂を聞きここを目指して森を抜けてきて、目の前に現れたのがこのなんの変哲もないただの洋館だということに、初めての来訪者たちは必ず戸惑う。
わたしも初めてのときは、本当に自分は道を間違えたりしなかったかと、思わず地図を確認しなおしたりしたものだ。
観音開きの扉をあけて、中に入る。
するといつもどおり、入口すぐのカウンターの向こうで、お茶を飲んでいたやる気のない司書が、こちらに気づいた。
「おや、あなたですか」
「うん、久しぶり。時間ができたから、また読みにきたんだ」
「時間ができた?作った、の間違いでしょう?」
「そうとも言う」
澄まして答えると、司書はくすっと小さく笑った。鉄面皮の司書のめずらしい表情に、偶然目撃したほかの来館者たちが目を丸くしているが、わたしと話すときはこんなものだ。
「お噂は伺ってますよ。今はお忙しい時期なのでしょう?ほどほどになさらないと、あなたのまわりの方は胃に穴をあけてしまうのではありませんか」
「…息抜きくらいさせてよ」
思わず拗ねたような声を出すと、司書はしょうがないですね、と目元をさらに緩ませるだけで済ませてくれた。よし、勝った!
「息抜きしすぎて、お帰りになるのを忘れてしまわれませんように」
「うん!」
いつもの定番の台詞を背に聞きながら、上の階に行くために階段に足をかける。今日はなんの本を読もうかな。
「ん、決めた。今日は《セ》の界の未完図書!」
読みたい本を思い浮かべると、反応した「階段」によって、一瞬で、わたしの身体は目的の本が収納されたフロアに転送される。あいかわらず便利なシステムだ。
運ばれたフロアは143268階。外観からは想像もできない階数は、この図書の家の内部の空間が「ひねって」あるためだ。大昔の知恵の神が創ったとか、伝説のアイテムによって亜空間に接続されているのだとか、仕組みについては諸説あるが、正確なところは知らない。知らなくても使えるから支障はないし。
それよりも、わたしにとってはこのフロアの、向こう側の壁さえ見えないほど広い空間いっぱいに並んだ天井まで届くような本棚に、ぎっしりと詰まったたくさんの本たちのほうが魅力的なのだ。
さあ、なにから読もうか。
目の前のたくさんの本にワクワクしながら、わたしはフロアに踏み込んだ。
「そろそろ頃合いでは?お見えになってから、館内時間で4時間が経ちましたよ」
懐中時計を示しながら司書にそう声をかけられたのは、《セ》の界で一昨年亡くなった作家が「もし、生きていたら」書くはずだった、未完の小説の続きを読んでいたときだ。
あれ、もうそんなに時間が経ったんだっけ。
思ったままそう言うと、司書は懐中時計をしまいながら、ええ、経ったんです、と答えた。
「そろそろ本気で、捜索隊が来てしまうのではありませんか?」
「ん~…」
今ちょうどイイところなんだけどな…。
しかし、このまま読みつづけて、捜索隊に踏み込まれるのはありがたくない。
「続きは気になるけど、しょうがないか」
ぱたん、と本を閉じて、元あったところに戻す。
立ち上がって、帰る、と念じると、来たときと同じように、システムが反応して、わたしは最初のカウンターの前に転送された。
外はすっかり暗くなって、来館者の数はまばらになっている。
「またのお越しを」
さっきはわたしと同じ143268階にいたくせに、いつのまにかやっぱりカウンターの向こうに座っている司書は、お茶を飲みながらひらひらと手をふって、扉から出ていくわたしを見送った。