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個展「龍馬」

作者: 意知郎

 これは以前、友人に依頼されて書いた台本です。金もなく、仲間も少なかった為に、初めから大きな制約付きで書いたものでした。ですので、お読み頂く前にその制約だけを理解して頂きたいと思います。


1、出演者は男二人のみ。

2、よって女性キャラは一切出さない。

3、一人は龍馬のみ。もう一人は残りの全ての役を演じる。

4、上演時間は約1時間。

5、小道具はほぼ用意出来ない。


 以上が依頼主からの条件でした。

 最終的には、完成した台本をまともに上演すると1時間40分程に達する為、確か4分の1程度のカットを行い、上演しました。

 非常にローカルな舞台でしたが、もしかしたら読者の中に舞台をご覧になって下さった方が居るかもしれません。その時の題名は依頼主の考えたもので、「Don’t Look  Back ~異人斬り~」と言うものでした。

 完全版とか言いましたが、別に大した作品ではありません。暇つぶしにどうぞ。

       一


    男1、椅子に腰掛けて絵を描いている。暫くして描くのをやめ、

   微かに微笑む。

    暗転。



       二


    男1、登場。客席に背中を向け、少し上(絵)を見ている。暫く後、

   俯くなどして何事かを考えている様子。

    男2、登場。


男2:(宙を見回しつつ)……龍馬の個展……ですか?

男1:そうです。

男2:この絵は誰ですか?

男1:(宙を指差し)これは、河田小龍です。ご存知ですか? 対面して

   いるのが龍馬です。

男2:ああ、成る程、坂本龍馬の事ですね。

男1:そうです、そうです。

男2:そうすると、これは幕末の絵ですか?

男1:と言うよりも、龍馬の絵です。あちらは龍馬と武市瑞山、向こうは

   松平春嶽、そしてあちらは勝海舟との龍馬です。

男2:ほほう。全て貴方が描かれたのですね。

男1:そうです。それぞれの時間を切り取って、龍馬がどんな思いであ

   ったのかを感じて貰えればと言う思いで描いたものです。

男2:幕末には私も多少の興味がありますが、いかんせん人並みで、

   あまり詳しくないものですから……そうそう、新撰組も確か幕末で

   したね?

男1:ええ、そうです。まあ、私の絵は歴史を愉しむものではなく、飽くま

   で坂本龍馬一人を愉しむものですから、彼らの絵はありませんが

   ……もしお時間がよろしければ、是非ゆっくりご覧になって行って

   下さい。そして一つ一つの絵を感じて頂ければ、私としても嬉しい

   限りです。

男2:絵を感じる、ですか。成る程。

男1:そうです。絵の中に、入って行くのです。


    暗転。



       三


    坂本龍馬、登場。(全体的に無作法な、しかし愛嬌のあるゆっく

   りとした喋り方をする事)


龍馬:御免! 小龍先生はおいでかのう!(待つ) 小龍先生! おれ

   は坂本龍馬ちゅうもんじゃが、先生のお話しを聞きとうて参った!

   ……小龍先生! おらんのか!


    河田小龍、登場。(礼儀を知る丁寧な喋り方で、堂々と話す事)


小龍:これはこれは。はて、どなたじゃな?

龍馬:貴方が小龍先生かの?

小龍:(座って)如何にも、わしが小龍じゃが。おぬしは?

龍馬:坂本龍馬ちゅうモンじゃ。(小龍の前に胡坐で座す)先生。おれは

   話が聞きとうて参ったがじゃ(頭を下げる)。

小龍:ふむ。それで? 誰の紹介じゃね?

龍馬:(照れる風ではないが、笑って)いやあ、すまんのう。誰の紹介で

   ものうて、一人で来たぜよ。まあ、誰もおらんかったら散歩でもして

   帰ろうち思うちょったが、幸いにも先生はおったきに、どうか話を聞

   かせちゃってくれんかのう。


    小龍、暫し無言で龍馬をじっと見つめて、


小龍:ははははは!


    と、大笑いをする。


小龍:いや、参った! まさかおぬしの様な無作法な若者がおるとはの

   う。いささか驚きじゃわい。ははははは!

龍馬:しつけがなっちょらんがは己で解っちょるが、まあ大した事でもな

   いがじゃろう。それより先生、話を聞かせちゃってくれ。

小龍:さてさて、このわしから何を聞きたいちゅうがじゃろう?

龍馬:今の時勢について、先生の意見が必ずある筈じゃ。それを聞か

   せて欲しい。

小龍:時勢か……異人じゃな?

龍馬:そうじゃ、それじゃ。異人共に対しておれらはどう戦えば良いか、

   それを教えて欲しいがじゃ。

小龍:ちゅうてもわしは見ての通り隠居の身じゃ。書画をたしなみ、風

   流を愉しむだけの毎日を送っちょる。じゃと言うのに、世の中に対

   して意見のある筈もないじゃろう。

龍馬:いいや、ある筈じゃ!

小龍:おぬしはきっと何かを勘違いしちょるがじゃろう。わしはもうこの

   国から出る事もないき、ただただ余生を送るのみじゃ。異人をど

   うするかなど、おぬしら若者に……、

龍馬:(遮って)何を言うちょる! 日本の危機じゃ! 今から隠居して、

   安穏と暮らしちょる場合じゃないぜよ! 


    小龍、驚く。


龍馬:ペルリちゅう異人が来たがは知っちょるじゃろう。知らんとは言

   わさん。先生、おれはあの時江戸におったきに、黒船を間近に

   見ちょるぜよ。

小龍:ほう。おぬしは黒船を見ちょるがか? それで? おぬしはど

   う思った?

龍馬:ばかでかい船じゃ。……ばかでかい……鉄の船じゃ……あん

   なもんにどうやったら勝てるのか、おれには皆目解らん。じゃが、

   あいつらをやっつけん事にゃあ日本はどうなるがじゃ! おれ

   の家族や友達や、千葉道場のみんなが殺されてしまうかもしれ

   ん! ほうがじゃろう!

小龍:ほうかもしれんのう。じゃが、それも運命なればしょうがなかろ。

龍馬:何を言うちょる! それが運命言うがじゃったら、おれが変えち

   ゃる! おれには北辰一刀流がある!

小龍:皆伝か?

龍馬:いずれ。

小龍:(思わず吹き出し)ほうか。いずれ、か。

龍馬:ほいじゃき夷狄共が上陸して来おったら、次々と首を獲ってや

   るがじゃ!

小龍:うまくいくかの。

龍馬:解らん。ほいじゃき先生の意見が聞きとうて来たじゃあないが

   か。の、聞かせちょくれ。おれらはどうすりゃええがじゃ!

小龍:わしは時勢に身を委ねるだけじゃ。これから日本はどうなって

   いこうと……、

龍馬:死ぬちゅうがか? 先生、そんな風に逃げてもええがか?

小龍:なんじゃと?

龍馬:おれはいやじゃ! 洟垂れ洟垂れ呼ばれるぐらいは構わんが、

   剣を覚えて親も友も、好いたおなごも守れぬなど、何の為の技

   じゃ! 今こそそん時じゃろう! のう、そう思うじゃろう? 思う

   はずじゃ!

小龍:……。

龍馬:このまま幕府が開国するがを黙って見ちょってもええがか?

   日本が侵略されてもええはずがなかろう? 国の為に何が出来

   るのか、頼む、先生、教えちゃってくれ!

小龍:……確かにおぬしの言う通りじゃ。よかろう、聞かせちゃる。

龍馬:有り難う。

小龍:よいか。世間じゃ攘夷だの開国だのと騒いじょるが、そのどちら

   が良いかちゅう事には、今更言うべきにないち思うちょる。

龍馬:ふむ。

小龍:ただの、今の日本には攘夷などとても無理じゃ。それだけはは

   っきり言うちゃる。

龍馬:(躊躇う様に頷く)

小龍:考えても見ろ。幕府や諸藩の軍船などいくらかき集めた所で、

   黒船一隻にも敵うまい。おぬしもその目で見て来たちゅうがじゃ

   ったら解るじゃろう。そんなもん異人共から見れば、子供の悪戯

   みたいなもんじゃ。ましてや日本の小船で列強の大鑑に向かっ

   ていったところで虫けらが通る程の小さな穴さえも空けられまい。

   みな、沈められ、海の藻屑となるだけじゃ。

龍馬:……うむ。

小龍:国内では開鎖の論も定まらず、みなが頭を抱えちょる。このま

   まじゃ国家も民衆も疲弊してゆくばかりじゃ。そうこうしちょる間

   にも、外国の船は続々来航するじゃろう。そうなりゃ人心は益

   々混乱し、諸藩の足並みさえも揃うまいて。やがてこの国も異

   人共の為に、フィリピンの様な植民地にされてしまうじゃろう。じ

   ゃと言うのに、かくの如き意見を述べたとて藩丁は全く取り合う

   てはくれんがじゃ。

龍馬:うむ。

小龍:日本がすっかり食われてから気づいても手遅れじゃ。

龍馬:そん通りぜよ。

小龍:実に危急の時じゃ。

龍馬:先生。おれらはどうすりゃええがじゃ。策はないがか?

小龍:ある。

龍馬:おお! どうすりゃええ!

小龍:まず、商業を興すのじゃ。

龍馬:商業……? なぜじゃ?

小龍:金を稼ぐ必要がある。商業を興し、金を貯め、その金で蒸気船

   を買うちゃるがじゃ。

龍馬:異国の船を?

小龍:そうじゃ。

龍馬:……成る程……。

小龍:次に同志を集めにゃならん。そしてそいつらを船に乗せ、東か

   ら西へ、西から東へと人を運ぶんじゃ。無論、蒸気船なんちゅう

   ものを買うがじゃったら、大量の積荷も運搬出来る。そうやって

   商売をしながら船を走らせりゃ、船中の同志らの人費を賄った

   上で航海術に熟達させる事も出来、まさに一石二鳥じゃろう。

龍馬:ほうじゃのう。ほいで、攘夷はどうするがじゃ?

小龍:よいか。まずはなにより、敵の持つ大鑑をわしらの国にも揃え、

   それを操縦出来る人材を一刻も早う育て上げる事じゃ。わしは

   薩摩に視察に赴き、そこで反射炉を見たがじゃ。あの国は西洋

   の技術をいち早く取り入れあの様なものを建造し、強力な大砲

   なんかを造っちょる。ああいうものを全国で造らんといかん。列

   強に立ち向かうには、如何に彼らの技術を取り入れるかが大切

   なんじゃ。これによって初めて夷狄に対抗出来るがじゃ。無闇に

   攘夷攘夷と言うても意味などない。対抗出来る国力。これが必

   要なんじゃ。

龍馬:(手を叩いて喜び)成る程、参った! 流石じゃ! なるほど、お

   れらが黒船を持てば、異国とも戦える。全く先生の申す通りじゃ。

   先生。おれは剣では誰にも引けを取らんぐらいに腕を磨いてきた

   が、所詮は一人じゃ。本音を言えば、ちっぽけに生きるじゃなく、

   何か大業を成したいと思うちょる。まさに今がその時じゃ。先生、

   よくぞ教えてくれた。先生の志を遂げるべく、おれは尽力するぞ。


    龍馬、立ち上がる。


龍馬:有り難う! ほいじゃの!


    龍馬、足早に退場。


小龍:わしの話をここまで真面目に聞く奴も珍しいわい。愉快な若者じ

   ゃのう。


    龍馬、再び登場。


龍馬:船は幾らで買えるがじゃ?

小龍:うむ……ほうじゃのう……十万両ぐらいかのう。

龍馬:十万? そりゃまっこと高うつくもんじゃのう! 黒船ちゅうがは

   そんなにするがかよ。ほいじゃ、先生。同志はどこを探せばええ

   がじゃ?

小龍:なんじゃ? おぬしには仲間もおらんのか?

龍馬:わからん。じゃが先生の周りには沢山居そうじゃ。

小龍:(呆れて)よいか……名はなんと言うたかの?

龍馬:龍馬じゃ。坂本龍馬じゃ。

小龍:龍馬。俸禄を貰っちょる様な奴には碌なのはおりゃせん。己の

   事ばかりで、志など はなから持っちょりゃせんのじゃ。それより

   も、名もなき庶民の中にこそ志の高い秀才たる人材が埋もれち

   ょるがじゃ。

龍馬:そういうもんかが?

小龍:そういうものじゃ。ただ、彼らにゃ己の力を揮い、夢を成し遂げ

   る資力がないが為に慷慨しちょる者も決して少のうないがじゃ。

   龍馬よ。本気で国を救おうち思うがじゃったら、そういう若者をお

   ぬしの同志にせい。

龍馬:ほうか。ほいじゃ人を作るがはあなたに任せよう。おれはこれか

   ら船を得る為に尽力しよう。

小龍:わかった……。

龍馬:最早かくの如く約束したならば、これ以上対面する必要もなかろ

   うち思う。ほいじゃ先生。頼んだぜよ。


    龍馬、退場。


小龍:まっこと、変わった奴じゃな。ふふふ……。


    小龍、退場。

    龍馬、再び登場。


龍馬:十万両じゃと? そんな金がどこにあるちゅうがじゃ。どうもあの

   先生は解っちょらんのう。おれは攘夷論を聞きとうてわざわざ行

   ったちゅうがに……船の話なんぞどうでもええぜよ。やれやれ、ま

   っこと無駄足じゃった……。


    龍馬、退場。

    暗転。



       四


    男1と男2。


男1:攘夷と言えば、異人を斬る……青年龍馬もそうでした。他の連中

   と大差なかったのですね。だから小龍先生の話を突き詰めて理解

   も出来なかったでしょうし、これ以上会う必要もなしと思ったのでし

   ょう。しかしながら相手は藩の重要人物。無礼に訪ねる様な事をし

   たとしても、面と向かってその思想を批判しようとまではしなかった

   のだと思います。

男2:龍馬が考えている事が、私には理解しづらい様にも思えます。

男1:そうかもしれません。異人は斬れ! と、そういう考えしか持ってい

   なかった訳ですから、今の私達には解りかねるのは当然だと思い

   ます。ともすると、この出会いは無意味なようにも思えるでしょうけど、

   でも、本当は大切な時間だったと思うんです。事実、後の龍馬は小

   龍の言う所を実践しておりますし、また彼の門弟である近藤長次郎、

   新宮馬之助などが龍馬の同志となっております。この絵は一見、若

   く浅はかな龍馬を描いてはいますが、それ以上に、彼が時代を駆け

   抜ける最初の一歩を描いたつもりです。

男2:そうでしたか。龍馬と言えば勝海舟との出会いが彼を変えたものだ

   とばかり思っていましたが。

男1:いや、確かにおっしゃる通りです。今お話した様に、この出会いでは

   龍馬は変わらなかった訳ですからね。

男2:いや、そうでした。龍馬の一歩目でしたね。

男1:そうです、そうです。それに変わらなかったと言っても、小龍の言葉

   はやはり龍馬の心に留め置かれていた筈です。だからこそ、勝海舟

   の思想にすんなり従う事が出来たのだと私は思うのです。

男2:まさに、小龍に訪問したればこそ、と言う訳ですね。

男1:それでは今度はこちらの絵に移りましょう。あっちは龍馬脱藩の絵な

   のですが、その前に武市半平太の手紙を届ける為に、長州藩士久坂

   玄瑞と対面しているのです。久坂はとても熱い男で、言うなれば火の

   玉の様な人でした。もしかしたら龍馬に脱藩の決意をさせたのも、この

   対面だったのかもしれません。


    暗転。



       五


    龍馬、胡坐で座している。

    久坂玄瑞、正座で座している。


久坂:坂本どの! 幕府を討ちましょう!

龍馬:なに? 幕府を討つじゃと!

久坂:そうです! 今、我が長州藩は、すっかり開国主義が藩論となって

   しまったのです! 幕府でも一橋派であった諸侯や公卿らが老中の

   唱える公武合体に完全に巻かれ、何たる事か、あの腰抜け共めは

   夷狄の言いなりになってしまったのです! しかし薩摩では藩主島津

   久光公御自ら千人の兵を率いて上洛し、更には江戸にまで登ると言

   うのです。こうなれば坂本さん。我らも一刻も早く薩摩と合流して江戸

   に登り、攘夷を決行するのです!

龍馬:うむ。ほじゃけんど、藩に逆ろうてええがか?

久坂:何を仰います! こうなれば大名も公家も何の役に立つと言うので

   すか! 最早私は藩を見限っています! あの様な連中に頼る事な

   ど何もありはしません! 今こそ我ら草莽の志士が藩と言う枠組み

   を超えて結集し、攘夷、討幕の義挙を成し遂げるべきなのです!

龍馬:……おんしゃあ……凄い事を考えるのう……幕府を討つなどと思っ

   てもみざったぜよ。

久坂:失敬ながら、我が藩もあなたの藩も、大儀の為ならば滅亡しても良

   いではないですか。両藩が例え残った所で、恐れ多くも陛下の叡慮

   なされる攘夷を決行せねば、何の為に我々はこの日本に生きている

   と言うのでしょう? 

龍馬:(独り言の様に)……幕府を討つ……か……。

久坂:武市どのは一藩勤皇を目指していると聞きますが、その様な事が本

   当に可能なのでしょうか?

龍馬:うむ、実はおれもその辺が気になっちょってな。おれら郷士はともか

   く、あの殿様らぁがそんな事に同意などするもんかとのう。正直おれ

   は、あぎの考えは無理じゃと思うちょる。生ぬるい考えじゃ。

久坂:はい、私もそう思います……あの……あぎとは?

龍馬:武市の事じゃ。あいつはこう(自分の顎を尖らす様に撫でて)、あぎ

   が尖っちょるき、おれがそう呼んじょるんじゃ。

久坂:そうでしたか。

龍馬:(独り言の様に)攘夷の為に幕府を討つ……ほじゃけんど、幕府を

   討つ為には……。

久坂:坂本さん。私の手紙を、どうか武市どのにお渡し下さい。わが師、

   松陰の言葉も書き記してありますので、きっとあなた方の魂を揺さぶ

   る事でしょう。

龍馬:おう、そうじゃ。この手紙であぎの奴が解るとええがのう。


    龍馬、久坂から手紙を受け取り、懐に入れる。


久坂:武市どのに、是非、薩摩と共に攘夷、討幕の義挙をと。

龍馬:うむ。


    久坂、お辞儀をして退場。


龍馬:あぎが解らねば、藩を捨てちゃるわい。


    暗転。



       六


    武市瑞山(半平太)。


武市:久坂どのは間違うちょる。長州や薩摩の同志がいくら集まったところ

   で、幕府を倒すなんちゅう事は出来ん。そんなのは匹夫の勇に過ぎん

   がじゃ。よいか、龍馬よ。幕府を動かし、時勢を我らのものとする為に

   は、この土佐藩全体が動き、これと共に長州と薩摩が藩をあげて動か

   ねばならんがじゃ。久坂どのには協力出来ん。いいか、龍馬。わしは

   必ず藩論を一藩勤皇に変えてみせる。おんしも黙ってついて来い。


    照明が落ちる。

    照明が入ると、今度は龍馬が居る。


龍馬:あぎよ。一藩勤皇など到底無理じゃ。おれはおれのやり方でやっち

   ゃるぜよ。


    暗転。



       七


    男1と男2.


男1:(空を指し)彼女は乙女。龍馬の姉であり、また、彼の師匠でもありま

   した。龍馬が脱藩するのに刀を与えてくれたのもこの乙女姉さんで、

   坂本家秘蔵の肥前忠広を渡し、脱藩の手助けをしてくれたのです。

男2:美しい名前ですよね。

男1:でも体は大きく、体重なんか一一〇キロ程もあったそうですよ。

男2:大きいですね!

男1:ええ。だから坂本のお仁王様なんて渾名までつけられていました。

男2:(苦笑しつつ)お仁王様……酷いですね。で? 一人で脱藩したので

   すか?

男1:いいえ。彼は、挙兵の説得にうんと言わない武市に反発した、沢村

   惣之丞について行ったんです。そして途中、檮原村の那須信吾の家

   に一泊しました。それがこの絵です。


    暗転。



       八


    龍馬と那須信吾。


信吾:龍馬。おんしは武市先生を裏切ってどうする気じゃ? 先生はい

   ずれ一藩勤皇を成し遂げてくださるがじゃぞ。わしはとても賛成出

   来んがじゃ。

龍馬:いやあ無理じゃな。おれにゃ解る。容堂なんか説得出来るもんかよ。

信吾:おんしゃあなんちゅう罰当たりな事を! 容堂公と言わんかい!

   それにの、おんしは土佐勤皇党の幹部じゃないがか。おんしが国抜

   けなんぞすると党にも動揺が広がるがじゃ。の、今からでも遅うない。

   やめよう。

龍馬:那須よ。おれはこれから薩摩へ行こうち思うちょる。ほいであの国

   の西洋技術や海軍をこの目で見て、自分のものにしちゃろうかと思

   うちょるがじゃ。

信吾:なんじゃと? アホ抜かせ! わしゃてっきり長州人との義挙に加

   わるのかと思うちょったが、おまんはそんな悠長な事を考えちょった

   がか! ええか、龍馬! 今はあちこち巡って時間を潰しちょる場合

   じゃないぜよ! 一刻も早う武市先生と共に土佐を勤皇に変え、藩

   論を以って幕府に攘夷決行を約束させるがじゃ!

龍馬:今は吉田東洋が藩政を握っちょる。あのがちがちの佐幕派をどう

   する気じゃ?

信吾:勿論じゃ。あいつをどうにかせん事にゃ、土佐藩は変わらんきに

   のう。ほいじゃき先生は、東洋をやろうち言うちょるがじゃ。

龍馬:……暗殺するちゅうがか?

信吾:ほうじゃ。それしかないち先生は言うちょる。勿論、わしもそう思う。

龍馬:……ほうか……仕方ないのう……。

信吾:考え直せ、龍馬。今晩は泊まっていきゃあええ。ほじゃけんど明

   日の朝にゃ家に帰って、もう一度わしらと一藩勤皇を目指そう。

龍馬:……那須よ、許せ。おれの考えは変わらん……一藩勤皇は無

   理じゃ。久坂の言う通り藩など捨てて、おれらが立ち上がらにゃ

   ならんがじゃ。

信吾:自惚れすぎじゃ。武市先生の方が正しかった事が、いずれ判る

   日が来るがじゃぞ。

龍馬:そんときゃ大人しゅう武市に付いて行くぜよ。

信吾:アホ抜かせ! そん時んなってぬけぬけと付いて来られるち思

   うちょるがかよ! ほんにおんしゃあとぼけた奴じゃな。


    二人、笑い合う。


龍馬:とにかく見ちょれ。おれにはおれのやり方があるちゅうがを見せ

   ちゃるき、その為にゃあ脱藩しかないがじゃ。

信吾:どうしてもか?

龍馬:おう、どうしてもじゃ。

信吾:……変えられんな?

龍馬:変える必要はない。

信吾:……。

龍馬:黙って見ちょれ。

信吾:……解った! おんしを信じよう!


    信吾、立ち上がり退場。暫くして酒と汚い椀を二つ持ってくる。


信吾:今生の別れとなるかもしれん。今夜は付き合え!

龍馬:おう、呑み干しちゃるぜよ!


    二人、酒を呷る。


龍馬:見ちょれ、夷狄共! おれがきっと追い払っちゃる!

信吾:そうじゃ、夷狄め! わしが斬り殺しちゃるき、首根っこ洗うて待

   っちょれ!

龍馬:呑もう!

信吾:呑もう!


    二人、酒を呑み続ける。

    暗転。



       九


    男1と男2。

    男1、男2に飲み物を渡す。


男1:どうぞ。

男2:ああ、これはどうも、有り難うございます。

男1:ところで貴方は、どちらからいらしたのですか?

男2:東京です。

男1:そうですか。それはそれは、遠路遙々と。一人でご旅行ですか?

男2:ええまあ、そんな所です。列車が好きなものでして、時々こうやっ

   てぶらりと出掛

   けるんですが、お陰でこういった楽しみにもよく出くわします。

男1:有り難うございます。しかしいいですねえ。私も以前はよく独りで

   あちこち行ったりしたものですが、今はとんと出掛けなくなってし

   まいました。もっとも私の場合は、龍馬の足跡に触れたくて、自転

   車の旅でしたけどね。

男2:すると東京までも?

男1:ええ、行きました。龍馬は勿論歩いて行った訳で、そこまで真似す

   る事は出来ませんでしたが、とにかく遠かったですね。

男2:龍馬は脱藩してから薩摩に行ったのですか?

男1:いいえ。残念ながら入国を拒否されて、大阪へ行きます。しかし、

   先だって吉田東洋を暗殺した那須信吾らが脱藩した為に、脱藩者

   に対する詮議が厳しくなります。それで龍馬は京都に上がり、更に

   江戸へとやってくるのです。そこで彼は、生涯の師に出会う訳です。


    暗転。



       十


    龍馬と勝海舟(麟太郎)。


海舟:お前さん達が、春嶽侯の紹介で来た土州人だね?

龍馬:はい。おれが脱藩人の坂本龍馬言います。で、こっちのが門田為

   之助、こっちが近

   藤長次郎言います。

海舟:そうか、よろしく。それで? お前さんたちゃおれに何を教えてくれ

   るんだね?

龍馬:いやあ、おれらは勝どののお話しを聞きとうて参ったがじゃ。軍艦

   奉行並として、どの様に考えちょられるのかと思いまして。

海舟:ほう、そうかい。で、もし俺の考えが気に入らなかったらどうする?

龍馬:(笑いつつ)ほうですなあ。今この場でぶった斬っちゃってもよいち

   思いますがのう。どうです? ええがですか?

海舟:ははは! 俺の家で俺を斬るのに、俺の許可を取ろうってのかい?

   こりゃいい! おめえさん、なかなかすっとぼけた男だねえ! こり

   ゃいい、あはははは!

龍馬:はあ。

海舟:しかしねえ、おめえさんら。俺をぶった斬ったからって世の中がひ

   っくり返るとでも思ってるのかい? 何にも変わりゃしねえよ。そん

   な事で日本が救えると思ってたら、お前さんたちゃよくよく小さな人

   間だぜ。いいか。今国内じゃ、朝廷の異人嫌いのせいで猫も杓子

   も攘夷攘夷と喚き散らして幕府に迫ってきやがる。だがね、よく考

   えてみなよ。そんなのはどだい無茶な話だぜ。土佐者のお前さん

   達は黒船を見てねえだろうけど……、

龍馬:いや、おれはあの時江戸におったき、黒船をこの目で見ちょりま

   す。

海舟:ほう、そうかい。そりゃ話が早えや。そんなら解るだろ、いまの日

   本とは武力が違うって。あんなのとまともに戦ったって、勝ち目な

   んかあるもんけえ。

龍馬:そりゃ全くそん通りじゃ。ほじゃけんど、じゃからちゅうて指を咥え

   て見ちょる訳にもいかんぜよ。泣き言ゆうて夷狄に日本を乗っ取ら

   れてもええですか?

海舟:だから開国さ。

龍馬:しかし、開国なんぞしちゃれば、それこそ夷狄で溢れるじゃないが

   か。違いますか?

海舟:このまま鎖国を続けてたって、しまいにゃあこじ開けられらあ。つ

   まり戦でな。その時はもう手遅れさ。武力のない俺達にゃ手も足も

   出ずにみんな殺されちまう。鉄砲だって奴らの持ってる物の方が圧

   倒的に優れてるんだぜ。そうなりゃ海戦も陸戦も一方的じゃねえか。

   違うか?

龍馬:……ほうじゃ……。

海舟:ん?

龍馬:……その通りじゃと思います。

海舟:……お前さん……なんと言ったっけ?

龍馬:坂本龍馬言います。

海舟:ふーん……。

龍馬:勝どの! 日本はどうすりゃあええですか! 勝どのの言うちょる

   通りに開国して、ほんまに日本は救われゆうがですか!

海舟:ああ、それしかねえ。

龍馬:なぜじゃ!

海舟:海軍よ。

龍馬:……海軍……?

海舟:そうさ。日本も、アメリカやエゲレスに負けねえぐれえに海軍を強

   化させるんだ。日本の港と言う港にズラーッと黒船を浮かべるんだ

   よ。そうすりゃ異人共だって迂闊に手は出ねえよ。俺はこれから幕

   府の金で、海軍操練所を造る。だが幕府の金だけじゃあ足りねえ

   から、諸藩の大名にも出して貰うつもりだ。だがよ、たかが塾を一

   つ造るだけでこの有り様じゃあ、この先船を持つなんてなあ、夢の

   また夢じゃねえか。だから! 開国するしかねえんだよ! 開国し

   て、異人と上手く商売をし外貨を稼ぐのさ。

龍馬:その金で、異国の黒船を買おうちゅう訳ですか?

海舟:そうさ。それしか日本を救う道はねえんだよ。お前さんたちゃ天皇

   の御心だとか言って攘夷を決行しようとする。そいで俺達を夷狄と

   商売する売国奴めとか喚き散らしてるが、しかしよ、勝ち目のねえ

   戦にむやみやたらに命を懸けたって、それで結局日本が滅んじま

   っちゃあ天皇も幕府もあるもんかよ。アメリカやエゲレスを倣って

   海軍を造る! それしかねえ! いいかい、俺はな、アメリカに直

   接行って、実際にあの国をこの目で見てきたんだ。アメリカじゃあ

   な、高い地位に付いてる奴は、その身分相応に賢いんだぜ。何故

   だか解るかい?

龍馬:(食い入る様に)何故じゃ?

海舟:あっちじゃな、なんと民衆に認められりゃあ誰でも将軍になれるん

   だよ。

龍馬:なんじゃとぉ! そ、そりゃどういう事ですか!

海舟:農民だろうが商人だろうが、誰でも将軍になれるんだよ。つまり、

   身分の差ってもんがねえんだよ。おめえさんら、これがどんなに素

   晴らしい事か解るか? え? 賢い奴らが国策をするから、あんな

   に強い国になったって事だよ! 日本じゃ生まれつきの身分があっ

   て、賢くても農民だし、どんな大馬鹿野郎でも大名だ。これで国が

   どうやったら強くなるってんだよ!

龍馬:ほうじゃ! 人を虫けらの様に扱う奴が藩主ちゅうがは間違うちょ

   る! 

海舟:そうさ。しかも将軍職も一生将軍じゃなく、何年かすると職を辞す

   るんだ。解るかい? そして、改めて将軍をみんなの入れ札で決め

   るんだぜ。そんなの信じられねえだろうが、それが事実なんだ。

龍馬:(興奮を抑える様に、独り言で)……将軍が……入れ札で……な

   んちゅう国じゃ……。(海舟に)ほいじゃ勝どの……日本も変わらん

   といかんのう……。

海舟:ん?

龍馬:無能な幕府の連中を片付けて、有能な人材にせにゃ夷狄に喰わ

   れゆうがぜよ! 違いますか?

海舟:(驚き、且つ感心して)……まあな……幕臣の俺に向かってなか

   なか言える事じゃねえが……ま、俺もそう思ってるよ。

龍馬:(大いに喜んで)ほうじゃろう! ほうじゃと思った! 勝どのじゃ

   ったらきっとほうじゃ!

海舟:(つい、笑って)実を言うとな、俺が興そうとしてる海軍操練所っ

   てのは、形の上では幕府の物だが、けど俺は、こいつを武士で

   も商人でも農民でも、誰でも入れる塾にしてえと思ってるんだ。

   つまり、実態は幕府の物なんかじゃねえ、日本人全員の物にし

   てえんだ。

龍馬:……日本人全員の? ほ、ほうがじゃったら……足軽のもんで

   も、遠慮のうそこに入れるちゅうがか?

海舟:当たりめえよ。大名だの足軽だの、そんな身分なんてもんはも

   うこの国にゃあ要らねえんだよ。そんなもんがあるから日本はこ

   んなに弱くなっちまったんだ。大名に頭を下げなかったぐれえで

   手打ちなんて、そんな馬鹿な事やってる場合じゃねえんだよ!

   大切なのは、本当に有能な奴が国を動かすって事さ!

龍馬:どうすりゃええ! 先生! 教えちょくれ! 日本をどう舵とりゃ

   ええがじゃ!

海舟:大政奉還だ! それしかねえ!

龍馬……:大政奉還……?

海舟:そうだ。政権を朝廷に返し、徳川も一大名に立ち戻る。そうして

   一から強い日本作りをやり直すんだ。そうすりゃ……、

龍馬:日本中の志士が倒幕運動で無駄に死ぬ事もないわい! 無血

   革命じゃ! 先生! それしかない!

海舟:その通りだ、龍馬!

龍馬:先生! あなたは凄いお方じゃ! 頼む! おれを弟子にしちゃ

   ってくれ! あなたこそ日本を変えるお人じゃ!

海舟:……お……ああ……いいとも……。


    暗転。



       十一


    男1と男2。


男1:いかがお考えですか?

男2:勝海舟を殺すってのは……あれは……嘘ですね? 私にはどう

   もその様に感じられます。殺すつもりで聞いてるとは思えないの

   です。

男1:私もそう思います。きっと龍馬は、松平春嶽侯に勝海舟との面会頼

   んだ時、既に弟子入りを決めていたのかもしれません。自分一人の

   力に限界を知り、終生の師を探し求めていた彼は、小龍先生との出

   逢いと、その後の九州を巡る旅の中で、攘夷倒幕を掲げる人の中に

   自分の師はなく、開国派の中にこそ自分の師が居ると思う様になっ

   たのだと思います。

男2:小龍先生は少なからず影響を与えていたのですね?

男1:それと、九州を巡る旅でしょうね。異国の強さを聞き入る内に、攘夷

   思想に疑問を持ち始めていたのだと思います。しかし何より勝海舟

   との対談で龍馬の心を動かしたのは、誰も死なせないで済む無血革

   命、大政奉還案に違いないでしょうね。

男2:勝海舟と言う男は、途方もなく大きな考えを持った人間だったのです

   ね。

男1:本当に。彼が居たからこそ、坂本龍馬はとてつもない大仕事をや

   れた訳ですから、そういう意味では幕末時代で最も素晴らしかった

   人と言えるかも知れませんね。ところで……私はちょっと約束があ

   りまして、そろそろ行かねばなりません。お時間がまだ許すようで

   したら、どうぞこのままご覧になって行って下さい。ここはまだ閉め

   ませから。

男2:有り難う御座います。勿論最後の絵まで、ゆっくり鑑賞させて頂こ

   うと思います。

男1:有り難う御座います。それでは申し訳ありませんが、失礼致します。


    男1、お辞儀をして退場。

    男2、男1を見送り、今度は独りで絵を眺める。


男2:…………無血革命! ……誰にも死なれたくなかったんですね…

   …貴方は……。


    暗転。



       十二


    照明は落ちたまま。

    次第に聞こえて来る赤子の泣き声。


八平:(声のみ)……龍馬……龍馬……おまんの名前は龍馬ぜよ……こ

   の父を越える男に育つんじゃぞ……ええな、龍馬……。


    赤子の泣き声が段々と消えて行く。

    照明が入る。

    龍馬と信太歌之助。

    龍馬は信太の襟を掴み、信太は龍馬の襟を掴み、柔道の稽古をし

   ている。

    龍馬、威勢よく叫び引き回そうとするが、やがて信太に投げられる。


龍馬:(息を切らしつつ)先生! ……もう一度!

信太:(息を切らしつつ)よかろう。掛かって来い。


    再び組む。

    龍馬、再び投げられる。


龍馬:もう一度じゃ! もう一度お願いします!

信太:うむ……来るがいい。


    再び組むが、やはり龍馬が投げられる。


信太:坂本。少し休もうではないか。

龍馬:いいやまだじゃ! もう一度じゃ!


    再び組む。

    信太も次第に疲れを見せ始めるが、やはり龍馬が投げられる。

    龍馬、今度は倒れて動かなくなる。


信太:坂本……坂本……。やれやれ、気絶しおったか……どれ。


    信太、龍馬を起こし、背中に脊活を入れてやる。

    龍馬、息を吹き返す。


龍馬:有り難う御座います。

信太:どれ、ちと休むとするか。

龍馬:もう一度お願いします!

信太:……来い!


    再び組む。

    龍馬、投げられる。


龍馬:もう一度!


    再び組む。

    龍馬、投げられる。


龍馬:もう一度!


    再び組む。

    龍馬、投げられる。これを演出上の効果を考えて幾度か繰り返す。

    龍馬、再び動かなくなる。


信太:しかし……なんと元気のある男よ……いい加減にせんと俺が参って

   しまうわ。


    信太、龍馬を起こし、脊活を入れてやる。

    龍馬、息を吹き返す。


信太:休もう、坂本。

龍馬:いいや! おれはまだ大丈夫じゃ! もう一度お願いします!

信太:勘弁してくれ、坂本。俺が休みたいのだ。

龍馬:もう一度じゃ! 頼む、先生! もう一度!

信太:……分かった。この一度で、休憩をしよう。

龍馬:いいや、その後ももう一度じゃ!


    信太、躊躇いつつ両手を構え、龍馬と再び組む。

    龍馬、やはり投げられる。

    信太、龍馬を投げ飛ばすと同時に勢いよく座る。


龍馬:先生! (「もう一度!」と言おうとする)

信太:頼む! もう休憩にしてくれ!

龍馬:……分かった。ほいじゃちくと休もう。


    信太、ほっとする。

    龍馬、座る。


信太:坂本よ。お前は元気がいいなあ。

龍馬:それがおれの取り柄じゃきにのう。ほじゃけんど、もっと強くならんと

   いかんがじゃ。

信太:お前はえらい奴だ。他の連中はちょっと投げられたらすぐに休憩を

   欲しがる。しかしお前は、逆に俺に休憩を欲しがらせるんだからな、

   大した男だよ。

龍馬:いや、褒められるがはもっと強くなってからにしちゃって欲しいが

   じゃ。

信太:(笑って)お前はきっと強くなるぞ。お前は柔術を始めていくらも経

   っておらんと言うのに、既に組打ちはなかなかのものだ。今でも並

   大抵の者では適うまいぞ。

龍馬:何を言うちょられます! まだまだじゃ! (立ち上がり)先生! 

   お願いします!


    信太、仕方なく立ち上がり、龍馬と組み合う。

    再び龍馬が投げられる。


龍馬:(身を起こしつつ)先生!

信太:坂本! (頭を深々と下げて)もう一度休憩をお願いします。


    暗転。



       十四


    龍馬、胡座をかいて本を読んでいる。

    大石弥太郎、登場。


大石:おい、龍馬。何をしちょる? 門田の所へゆこうぞ。

龍馬:大石か、ちくと待っちょれ。おれは今忙しいき、すぐにゃ行かれん

   がじゃ。

大石:なんじゃ? おまん、本など読んじゅうがか。

龍馬:そうじゃ。

大石:おんしゃ、今まで本など読んだ事なんぞなかろうがよ。なして急に

   そんなもんを読んじょるがじゃ。大体おまんなんかに本なぞ読める

   もんかよ。

龍馬:読める。

大石:読めんわい!

龍馬:ええか、弥太郎。おれらは毎日国事を談じちょるがよ。

大石:おう。

龍馬:そりゃ何の為じゃ? 日本を夷狄の侵略から守る為じゃろうが。

大石:おう! そん通りぜよ! ほいじゃき早よう門田の家に行くがじゃ!

龍馬:それだけじゃ駄目じゃ! おれは今、本を読まねばならんちゅうが

   を痛感しちょる! 

   この逼迫した時勢の中で、いつまでも無学じゃおれんがじゃ!

大石:(圧倒され)……ほうか。それで? どんな本を読んじゅうがじゃ。

龍馬:これじゃ。


   龍馬、本を見せつける。


大石:……資治通鑑? ……ぷっ! ぷふふふ……わははははは! 

   お、おまんこりゃ白文じゃあないがか。こんなもんおんしに読める筈

   なかろうがよ! 笑わしよる! ほんに笑わしよるわい!

龍馬:(つられて笑いつつも)何をわろうちょる。おれぁほんまに読んじゅ

   うがじゃぞ。

大石:(笑い止まず)よう言うわい。さては、ちくとばかし乙女さんに教え

   てもろうたがじゃろう。ほじゃけんど、どうぜ? 一枚ぐらい読んだ

   がか?

龍馬:ここまで独りで読んだがじゃ。

大石:(からかって)ほうかほうか。よし。ほうがじゃったら、ちくと読んで

   みい。おまんの頭ががどんなもんか、どれぐらい読めるかおれが確

   かめちゃるわい。

龍馬:ええとも。聞いちょけ。智伯請地於韓康子,康子欲弗與。段規曰:

   「智伯好利而愎,不與,將伐我;不如與之。彼狃於得地,必請於他

   人;他人不與,必向之以兵。然則我得免於患而待事之變矣。」康子

   曰:「善。」使使者致萬家之邑於智伯,智伯悅。又求地於魏桓子,桓

   子欲弗與。任章曰:「何故弗與?」桓子曰:「無故索地,故弗與。」任

   章曰:「無故索地,諸大夫必懼;吾與之地,智伯必驕。彼驕而輕敵,


大石、龍馬が読み出して、すぐに呆気にとられる。


大石:もうええちゃ! やめえ、やめえ!

龍馬:なんぜ?

大石:おんしゃ……ちゃちゃくちゃじゃないがか! 適当に読める様に読

   んじょるだけじゃ! そんなんでおんしゃ、意味なんぞ解る訳ないじ

   ゃろうが!

龍馬:解る!

大石:解るか!

龍馬:文章なんちゅうもんは、その全体の大意が解りゃあええがじゃ!

   枝葉末節なんぞにこだわる必要などない! 筋が通っちょれば、こ

   んまいとこなぞ解らんでもええちゃ!

大石:……ほ……ほうか……。

龍馬:ほうじゃ。


    龍馬に圧倒される大石。

    暗転。



       十五


    武市正恒(半右衛門)、正座にて読書をしている。


龍馬:(声のみ)半平太! おるがか?

正恒:その声は龍馬じゃな? 息子はおらんがじゃぞ。

龍馬:(声のみ)おらんがか? まあええわい、上がるぞ!


    龍馬、登場。


龍馬:ふいー、暑いのう。

正恒:なんが用があるがか?

龍馬:おう、おんちゃん。ちくと寝さしとうせ。

正恒:それだけか?

龍馬:それだけじゃ。


    龍馬、客席に向けて足を投げ出し、大の字になって寝転がる。

    正恒、呆れたと言う笑顔で放っておく。

    龍馬、暫くして起き上がる。


正恒:どうした?

龍馬:んー……暑いのう……泳いできゆうがじゃ。

正恒:何?


    龍馬、服を脱ぎ捨てる。


正恒:(笑顔で)おい龍馬。おんしゃふんどしが汚れちょるぜよ。洗わんか

   よ。

龍馬:(笑って)ふんどしが汚れるがは当たり前ぜよ。

正恒:そりゃそうじゃ。けんど、そりゃ汚れ過ぎじゃ。もうちっと綺麗にせい。

   それも武士のたしなみじゃぞ。

龍馬:おれは半平太みたいに、なんもかんも綺麗にゃならんぜよ。ふんど

   しぐらい汚れるわい。


    龍馬、退場。


正恒:まっこと、こんまい所を気にせん奴じゃのう。あれで息子と気が合う

   ちゅんじゃから、不思議な奴じゃわい。


    正恒、再び読書をする。

    龍馬、暫くして登場。


龍馬:ほいじゃおんちゃん、おれは帰るぜよ。

正恒:うむ。


    龍馬、退場。

    正恒は読書を続ける。

    照明が落ちる。

    暫くして再び照明が入ると、やはり武市正恒が正座で読書している。


龍馬:(声のみ)武市! 武市!

正恒:なんじゃ? そんな大声なぞ出さずとも聞こえちょる! (反対側に)

   半平太! 龍馬が来ちゅうがじゃぞ!


    龍馬、登場。


龍馬:(にやにやして)ひひー。

正恒:なんじゃその顔は? ええ事でもあったがか?

龍馬:おんちゃん、ほれ見い!


    龍馬、袴をまくって見せる。


龍馬:今日はふんどしは綺麗じゃぞ!

正恒:(あっけに取られて)わはははは! なんじゃおんしゃあ、わしの言

   うた事を気にしちょったがか?

龍馬:おまんがおれのふんどしをけなしちょろうがよ。ほいじゃき綺麗にし

   て来たじゃないがか。

正恒:わははははは! おんしゃ、器がでかいのかこんまいのか、まっ

   こと分からん奴じゃのう!

龍馬:(軽く拗ねて)ちょっ。なんぜよ、そりゃあ。

正恒:はははははは! ええちゃええちゃ。おんしゃきっと、でかい男に

   なるぜよ! その愛嬌が男にゃ大切じゃ。ちっくと半平太にも持た

   せてやりたいわい。

龍馬:おう、そうじゃ。半平太はまだかや? 半平太! 半平太!


    照明が落ちる。


龍馬:(声のみ)半平太! 半平太!


    暗転。



       十六


    武市瑞山、客席に向いて座している。目は大きく見開かれ前方を

   直視し、微動だにしない。その目の前には、切腹の為の短刀が置い

   てある。


龍馬:(声のみ)……半平太……あぎよ……。

武市:わしの負けじゃ……動乱の先が読めんじゃった。まっことおまん

   の言う通りぜよ。……一藩勤王など無理じゃった……薩摩と長州

   が和解すりゃあ、こうはなら……わしの……負けじゃ……。龍馬…

   …容堂公を頼む……わしゃ……先に行って待っちょるがじゃぞ。


    武市、短刀を取り、一息に三文字切腹をし、前のめりに倒れて動

   かなくなる。

    龍馬、登場。


龍馬:武市! 武市! ……武市よう……こん……べこのかぁ……。


    龍馬、武市のそばに、両手をついて跪き、泣いてその死を嘆く。


龍馬:海軍操練所が潰されてしもうて……おれらも帰藩せい言われちょ

   ったがが、勝先生のお陰で薩摩藩に庇護されたがじゃ。なのに…

   …おんしは馬鹿正直に土佐なんぞに帰りおって……武市……お

   れはこの薩摩で、おんしの宿願を叶えちゃる! 武市よ! 必ず

   薩長連合を作って、幕府を倒しちゃるがじゃぞ! おまんの為に

   も、おれが日本を変えちゃる!


    暗転。



       十七


    西郷隆盛(吉之助)。(西郷は「龍馬」を「リュウメ」と読む事)


西郷:天下には、数多くの有志がおりもうした。おいはこれらの人物と

   多く関わりもうしたが、じゃっどん、そん度量の大きさちゅうたら、

   龍馬どのほどの人物には出会った事などありもはん。龍馬どの

   の度量の大きさは、到底推し測るのは無理でごわした。


    暗転。



       十八


    西郷と龍馬。


西郷:いやあ龍馬どん。妻が龍馬どんに請われたちゅうて、おいの古かふ

   んどしば渡しもうしたそうで、まっこて申し訳ありもはん。おいの

   躾けがなっちょりもはんで、の事は叱っておきもうした。

龍馬:いやあ、そりゃ悪い事したかのう。

西郷:いやいや、龍馬どんは、この薩摩の為に命ば捨てようと言うお方。

   そいじゃと言うに、そげん失礼な事は出来もはん。

龍馬:西郷さんは、本気で長州と和解しようちゅうがじゃな?

西郷:勿論でごわす。おいは、勝どののお話ですっかり目が覚めもうし

   た。我が藩の為には、おいは長州藩を徹底的に痛めつけ、領地ば

   削り、東国へ国替えさせねばならんち考えておりもうした。そいが我

   が藩の為じゃと。今は亡き我が主君、斉彬様の開国論を達成させる

   為には、どうしても攘夷派の長州は潰さねばならんかったのでごわ

   す。じゃっどん幕府の連中はのろまでごわして、いつまで経っても長

   州征伐にあやふやでごわした。おいは幕軍が足並み揃わすには、

   将軍御自ら出陣せねばならんち思い、その決意を聞く為に勝どの

   にお会いしたとです。

龍馬:勝先生は素晴らしい人じゃろう。

西郷:まっこて、あのお方は凄かお人でごわした。


    西郷、笑顔で見上げる。


西郷:あのお方はいきなり、幕府は駄目だと、こう申したのでごわす。お

   いは驚いてその真意を訊きもうした。


    西郷、暫し黙り込む。

    舞台上はそのままで、西郷から勝海舟へ役替え。客席に向く。


海舟:西郷さん。異国は幕府など相手にしとらんのです。幕府の役人共

   はみーんな世間知らずの時世遅ればかりでして、あいつらには手

   のつけようがありません。去年の八月十八日の政変や、今度の禁

   門の変などによって、長州や彼らに加担した過激派共は全部萎縮

   したなどと考えているのですが、西郷さんもお解かりの様にそんな

   事はないのです。しかし幕府では、泰平惚けをした連中が再び勢

   いを盛り返し、世の中の事など何一つ解らない有様なのです。ま

   た、狡猾な彼らに正論など言おうものなら忽ち裏で手を回して人

   事異動だ。そして自分達の私腹を肥やすのに都合のいい者だけ

   が、成り上がるのです。そんな風にして国を潰して行く連中が、ど

   うやって異国と対等に談判できるとお思いですか? 奴らに開国

   なんか任せたら、日本はあっと言う間にお終いですよ。だから西

   郷さん、薩摩藩を中心に、明賢諸侯四、五人により、ご会盟を作

   らねばなりません。そしてそのご会盟が日本を代表して、異国と

   談判するのです。それが、日本を異国に負けない強い国にする

   方法なのです。幕府の時間稼ぎのたぶらかし策などいつまでも

   続けていては、開国したところで世界になど到底ついて行けま

   せん。幕府に替わるご会盟が重要なのです。アメリカではこのご

   会盟を共和と言っています。


    勝海舟から西郷へ役替え。西郷、龍馬に向き直る。


西郷:……共和……確かに勝どのはそう申しておりもした。


    龍馬、大きく頷く。


西郷:おいは最初、こん幕臣をば場合によっちゃあ打ち叩くべきかと考え

   ておりもした。じゃっどん実際にお会いして見ると、いやあ、いけんし

   てこげな知恵ある人物が出来上がったとか不思議でなりもはん。そ

   れにあんお方は、英雄肌でもありもす。ああいう肌のお方は、おい

   は他に佐久間象山ちゅう人ば知っちょりもすが、学と識見は象山の

   方が上でも、現場に臨んでの処理の方法ば、到底勝どのの足元に

   も及ばんでごわす。

龍馬:ほうじゃろう! 勝先生はほんに凄かお人じゃきにのう!

西郷:そいから勝どのは、長州を叩かず、味方にせよとも言いもした。成

   る程、そうして強大な軍が作れたら幕府から主権ば奪い、こんご会

   盟が政治を行い、そいを我が薩摩藩が先頭に立てば、血を見ずに

   日本は我が藩のものになりもす。

龍馬:ん?

西郷:ん? どうかしもうしたと?

龍馬:いや……なんでもないちゃ。

西郷:では龍馬どん。長州との和解の為に、どうか長州へお願いしもうす。

龍馬:任せちょけ、西郷さん。きっとおれが、和解させちゃる。


    西郷、深々と頭を下げる。


西郷:そいでは龍馬どん。出立は十六日にしたらよいでごわそう。供に児

   玉直右衛門ちゅうもんをお付けしもうす。

龍馬:有り難う。


    暗転。



       十九


    龍馬と桂小五郎。


桂 :君の事は江戸の剣術大会で見た事がある。

龍馬:ほうか?

桂 :うん。君は確か、島田駒之助と対戦して勝っていたと記憶するが。

龍馬:おう、そういえばそんな事もあったのう。じゃが桂さん。今はそん

   な昔話なんぞどうでもええちゃ。おれは桂さんの本心を聞きたいん

   じゃ。

桂 :薩摩は長州征伐をしないのだね?

龍馬:ああ。西郷にはもうその気持ちはない。むしろ、今じゃ幕府を敵じ

   ゃと思っちょる。

桂 :そうか……。


    桂、黙って目を閉じ、上を向く。

    龍馬、黙って見つめる。


桂 :……去年の八月……我が長州は下関を列強の連合艦隊に占拠

   され、そうして初めて攘夷の不可を悟った。僕は藩の政権を握っ

   た時、皆が烈火の如く怒るであろう事を予測しながらも、長州藩

   を一転して開国主義へと変えた。だが、今度幕府に長州征伐をさ

   れれば間違いなく滅びるだろう。

龍馬:うむ。

桂 :これまで……薩長の間には互いに理解しあえぬわだかまりもあっ

   たが、しかしながら古来、真に賢き者にも敵同士思想の違いがあ

   ったものだが、ただ天下万民の為、国家の為に尽力するなら、た

   とえ思想が違ったとしても結局は同じ理想の為に努力した事だろ

   う。今、わが長州藩は滅亡に追い詰められたこの状況では、どの

   様な間違いも犯しかねないと思う。その様な事態に陥らない為に

   は、たとえ憎き薩摩と言えども協力を得るべきだろう。

龍馬:ほうか! ほいじゃ決まりじゃ! 桂さん、今おれの土佐仲間の

   中岡ちゅうもんが、西郷を迎えに薩摩に行っちょるがじゃ。向こう

   も薩長連合に同意しちょるき、この下関に来たら、桂さん、きっと

   薩摩と長州で日本の未来の為に手を繋いじゃってくれ!

桂 :勿論だ。わが藩は、決して君達の尽力を無駄にはしない。

龍馬:有り難う、桂さん! 薩長連合さえなれば、幕府など敵じゃない!

   そうなりゃ西欧列強から日本を守る真に強い連合政権が作ってい

   けるわい!

桂 :君達、土佐の方々のお陰だ。本当に有り難う。


    桂、深々と頭を下げる。


龍馬:ええちゃええちゃ。こっちこそ、ほんに有り難いち思うちょるきにの

   う。


    桂、頭を下げ続ける。


龍馬:桂さん、もうええて。頭を上げちょくれ。の、桂さん。……もうええち

   ゅうに……。


    桂、頭を上げない。

    龍馬、困った様に照れる

    暗転。



       二十


    中岡慎太郎(変名、石川清之助)、客席に背中を向け、土下座

   している。


中岡:何故じゃ、西郷さん! 下関はすぐ目の前じゃないがか! もう

   桂さんらぁが待っちょるがですよ! お願いじゃ! この中岡、西

   郷さんを連れて行かねば、腹切らねばならんがじゃ! 頼むきに…

   …桂さんに会うてくだされ……頼むー……。


    龍馬、登場。


龍馬:……中岡……西郷さんはどうした?


    中岡、正座したままゆっくりと向きを変え、正面を向く。


中岡:……すまぬー……西郷は連れて来られんかった……わしは必死

   に頭を下げて頼んだがが、京に行く予定は変えられんちゅうて、頑

   として首を縦に振ってくれんじゃった……。

龍馬:そんな……西郷はおれに、長州との仲立ちをしてくれちゅうちょっ

   たがじゃぞ……。じゃと言うに、何故じゃ……? 何故来んがじゃあ!

中岡:許しとおせ! わしが失敗したがじゃ! 西郷を説得出来んかっ

   たがは、わしの責任じゃあ!


    中岡、土下座のまま泣き叫んでいる。


龍馬:(怒りを抑え込んで)……泣くな、中岡。おんしはようやった。それ

   にまだ、失敗した訳じゃないちゃ。

中岡:いいや、失敗じゃ!

龍馬:失敗しちょらん! ……中岡……西郷を追って京に行くぜよ。

中岡:……。

龍馬:じゃがその前に、飯を喰おう。


    中岡、声を押し殺して泣いている。

    暗転。



       二十一


    龍馬、落ち着いた表情で座している。

    西郷、登場。龍馬の前に座る。


龍馬:(責める様な強い口調で)西郷さん。薩長連合は今の薩摩にも必

   要不可欠がじゃぞ。

西郷:まっこて、そん通りでごわす。

龍馬:ほうがじゃったら、なして下関に来られんかったがじゃ?

西郷:予定が変えられんかったとでごわす。

龍馬:……。

西郷:中岡さあには悪い事ばしたち思うちょりもす。じゃっどん、おいは

   龍馬どんの帰りを待っちょりもうしたとに、急に下関ば来いと言わ

   れても、行かれんかったとでごわして、まっこて申し訳ありもはん。

龍馬:確かにいきなり呼びつけたおれらも悪かったがじゃ。西郷さんの

   予定も確かめんといかんがは、当たり前じゃったきにのう。

西郷:桂どのはお怒りでごわすかのう。

龍馬:怒っちょりました。それ見たまえ。僕は最初からこんな事じゃろう

   ち思うちょったがが、果たして薩摩の為に一杯喰わされたのじゃと、

   おれも中岡もさんざんなじられたがじゃ。

西郷:そうでごわすか……まっこて……龍馬どんに恥ばかかせてしも

   うて、心からお詫びしもんす。おいは今も、長州と手を組む気持ち

   は変わっちょりもはん。

龍馬:西郷さん。ほうがじゃったらおれに謝るより、長州に謝ってくれん

   か? この上は使者を遣わして謝罪し、桂さんの要望に応えゆう

   がじゃ。要望ちゅうがはおれが聞いてきちょるきに、すぐにでも手

   配してくれんか?

西郷:なんでごわそう?

龍馬:長州が為に、薩摩名義で異国の軍船を買うて欲しいがじゃ。

西郷:……軍船をでごわすか……。

龍馬:ほうじゃ。長州は幕府から朝敵とされちょるき、異国と取り引きを

   禁じられてなんも買えんがじゃ。ほいじゃき薩摩名義で購入して、

   それをよこして欲しいと、桂さんはこう言うちょる。無論、金は払う。

西郷:成る程。

龍馬:それから、武器も欲しい。幕軍を迎え撃つにゃあどうしてもこれら

   が必要じゃ。これを詫びのしるしとして誠意を示すがじゃ。

西郷:じゃっどん、我が藩の重役がなんともうすか……まだ連合を組ん

   ではおらんのでごわすから、武器を与えるのはまずかとでごわそう。

龍馬:連合は絶対組まにゃあならんぜよ! そのつもりで動いちょるが

   じゃ! ええか! 長州が潰されたら、その次は薩摩も潰されるが

   じゃぞ! そうなっちゃあなんもかんもお終いじゃ! 長州を助け

   る事が! 日本を救う事じゃ! その為に成すがを躊躇っちょる

   場合じゃないぜよ! これらを諾してくれるまでは、おれは下関へ

   は絶対に行かん! ここから一歩も動かんがじゃぞ!

西郷:……分かりもうした。船と武器を購入しもんそ。そいで桂さあに謝

   ってくだされ。

龍馬:有り難う、西郷さん。


    暗転。



       二十二


    龍馬と桂小五郎。桂は座っている。


龍馬:ほいで? ……のう……ここまでおれらが漕ぎ着けてやったじゃ

   あないがか。武器だって……船だって……西郷は誠意を示したじ

   ゃろうが……じゃと言うに、京にまで来て……会談の場も設けて

   ……あれから何日経っちゅう……毎日贅沢な飯を喰っちょっただ

   けか? のう、何故じゃ……?

桂 :……。

龍馬:(怒鳴りつけて)何故まだ連合がなっちょらんがじゃ!


    桂は答えず、顔も上げられない。


龍馬:おれらが長州と薩摩の為に、寝食も惜しんで走り回ったがは、双

   藩を結ぶ為だけやない、日本国家の前途を危ぶみ、案ずればこそ

   じゃ! 西欧列強からこの国を守る、強い日本を作る為じゃぞ!

   ほいじゃと言うに、おんしらはわざわざ上京して双方の重

   臣が相会しちょきながら、今日まで二旬を無為に過ぐるとはどうい

   う事じゃ! まっこと心得ぬ事じゃあないがか!

桂 :…………僕は……長州の代表で来ているんだ……我が藩は朝

   敵とされ、今、滅亡の淵にある……だが薩摩は、幕府も容易に手

   出し出来ぬ存在だ……それなのに、弱者の僕の方から……僕ら

   の方から頭を下げると言う事は憐れみを乞うことだ……坂本君の

   尽力には感謝するが……たとえ……いくら落ちぶれようとも……

   ……武士としてそれだけは出来ぬのだ……。

龍馬……。

桂 :日本国は薩摩に託す……僕らはこのまま長州に帰り……幕府と

   戦って散る! 


    桂、涙の内に黙り込む。


龍馬:(怒りに震え)…………西郷め…………(桂に)帰るな! ここで

   待っちょれ!


    龍馬、足早に退場。

    桂、悔しさに震えたまま。

    暗転。



       二十三


    龍馬、胡座をかいて座っている。

    西郷、登場。対面して座る。


西郷:お待たせしもうした(頭を下げる)。

龍馬:西郷さん、桂さんから話は聞いたぞ! どういうつもりじゃ! な

   ぜ、薩摩は話を切り出さん!

西郷:龍馬どんには申し訳なかとが、じゃっどんこっちから切り出す訳

   にはいきもはん。弊藩は長州を助けもうす。そいじゃと言うに、長

   州におもねる訳にはいかんのでごわす。そいは藩の面目を潰す

   事になりもす。

龍馬:……日本国の存亡が迫っちょるちゅうがに……何事じゃ! そ

   んなつまらん藩の面目体面なぞにこだわって大事を壊してどう

   する気じゃ! 幕府が西欧列強に対抗出来ぬがは知っちょろ

   う! ほいじゃき倒幕は成さねばならんちゅうがに、

   それが薩摩一藩で成せるちゅうがか? 出来んじゃろうが!

   ……桂さんは明日にでも長州へ帰り、孤軍幕府を迎え撃ち、滅亡の

   道を選ぼうちしちょる。長州が滅びれば日本が滅びるがじゃぞ!

   日本が滅びて薩摩だけが残るとでも思うちょるがか! 

西郷:……じゃっどん……、

龍馬:なんじゃ!

西郷:……武士の面子というもんが……、

龍馬:面子、面子、面子。どいつもこいつも、いつまでそんなちっぽけなも

   んにこだわっちょる! 大局を見据える西郷さんがそんな事で日本が

   救えるか! 勝先生を見い! 幕臣でありながら幕府を倒そうち論じ

   ちょったろうが! 体面なんぞにこだわれち言うちょったがか! そん

   なくだらんもんの為に、今まで死んだ仲間の思いを、全部……全部…

   …全部無駄にする気か! ええ!

西郷:……。


    龍馬、西郷の反応を待つ。


西郷:……まっこて……おいが間違うておりもした……申し訳ありもはん。


    西郷、改めて座り直し、大きくお辞儀をする。


西郷:桂どのには、こちらから締結を申し入れいたしもんそ。

龍馬:(西郷の手を強く握り)有り難い……かたじけない。


    暗転。



       二十四


    男2、宙(絵)を眺めている。

    男1、登場。


男1:(喜んで)やあ、まだ居らして下さったのですね?

男2:(お辞儀をして)お帰りなさい。(絵に向き直り)龍馬と言う人は、本当

   に熱い心を持った男だったのですね。


    男1、隣に立ち、一緒に絵を眺める。


男1:しかし、もし現代に生きていたら、きっと熱い心は持たなかったので

   はと、私は思います。

男2:そうですか? それは、一体どういう訳です?

男1:人々の命を救い、日本を救う使命感があったから出来た事ではな

   いでしょうか? つまり、時勢が彼を熱くしたのだと思うのです。現

   代に生きていたら、さしずめ誰にも構われぬ自由な放浪の人生で

   も送っていたかもしれませんよ。

男2:成る程。もしかしたらそうかもしれませんね。しかし、実際は違い

   ますよね。

男1:ええ。歴史が人を変えるのではなく、人が歴史を作ると言う奇跡

   を龍馬は二つ起こした訳です。一つは薩長連合。もう一つはこの

   (と宙を指す)、大政奉還です。


    暗転。



       二十五


    男1。


男1:戦を避け、国内戦争もなく日本を変えてしまう。それを可能とする

   のが、大久保一翁や勝先生の唱えた、あの大政奉還です。薩長

   連合の締結から半年後の第二次長州征伐に幕府が大敗したの

   で、これをきっかけに薩長は一気に倒幕へと進みます。しかし、そ

   こに来て龍馬が、大政奉還案を提案したのです。徳川を救いたい

   山内容堂を利用しての建白ですが、これを徳川が受け入れれば、

   薩長には徳川幕府を武力倒幕する名目がなくなります。薩長が朝

   廷から倒幕の許可を貰うか、それとも先に、龍馬が徳川慶喜に大

   政奉還をさせるか。それは国内戦争をして殺し合うか、或いは悲

   願の無血革命を成し遂げるかと言う、龍馬最後の大仕事だったの

   です。しかし、二百六十年もの永きに渡り続いた徳川の天下に、慶

   喜独りの決断で終止符を打てるものか。武士としてのちっぽけな面

   子にこだわる西郷や桂はもとい、日本中の武士がそんな事を出来

   る訳がないと思うのは当然ながら、これを提案した龍馬さえもがそ

   う思っていたのです。その様な重圧の中、慶喜は人生最大の、日

   本の歴史上未曽有の答えをだしたのです。


    龍馬、登場。足を崩して座り、壁にもたれ掛かる。その姿は決して

   だらけるものではなく、緊張に包まれている。


男1:その日龍馬は、仲間の海援隊士らと共に近江屋に隠れ、土佐藩家

   老、後藤象二郎の知らせを待っていました。午後二時、将軍慶喜の

   召集に、京都の二条城へ四十藩の重臣が登城しました。大政奉還

   の可否を伝える為です。これで慶喜が否と言えば、薩長との血で血

   を洗う国内戦争は免れません。そして最後は弱った日本を、西欧列

   強、異国人たちが、他のアジア諸国同様植民地にし、きっと国民は

   中国の様な阿片浸けにされてしまうのでしょう。乞食だらけの貧国

   日本の誕生です。日本が異人の脅威を斬り裂く事が出来るかどう

   か。最後の決断は、徳川慶喜独りが下したのです。夕刻、その知ら

   せが、龍馬と仲間の下へ届けられました。それを隊士の一人が読

   み上げたのです。


    男1、懐から手紙を出し、龍馬に渡す。

    龍馬、急いで手紙を広げ、食い入る様に見詰める。


男1:ただ今下城。今日の趣取り敢えず申し上げ奉り候。大樹公政権を朝

   廷に帰すの号令を示せり。実に千歳一之遇、天下万世の為、大慶之

   に過ぎず!


     龍馬、手紙に目を落としたまま動かない。


男1:歓声がわっと沸き起こりました。

龍馬:……大樹公……政権を朝廷に……帰す……。

男1:(龍馬を見詰める)……。

龍馬:(涙を抑えつつ、顔を上げ傍らの隊士に)……将軍、慶喜の今日の

   御心中は……どんなに苦しいものであったろう……よくぞ……よくぞ

   ……ご英断くだされた……おれは……誓って、この公の為に一命を

   捨てるぞ……。


    龍馬、感涙にむせぶ。


男1:慶喜以外のどの将軍にも下せぬ決断であったと、日本中が思った

   に違いないでしょう。


    暗転。



       二十六


    照明は落ちたまま。


男1:それは、大政奉還より一カ月後の事でした。午後九時頃、突然近

   江屋にやって来た七人の男達に、龍馬と中岡は斬られました。二

   人は有効な応戦をする術もなく……。


    照明が入る。

    龍馬と中岡慎太郎が倒れている。と、龍馬が息を吹き返して起

   き上がる。

    龍馬、座り込んで刀を虚ろに眺めている。


龍馬:……残念だ……残念だ……残念だ……残念だ……。


    中岡、うつ伏せのまま身を起こす。 


中岡:……龍馬……。

龍馬:……清くん……手は利くか?

中岡:……利く……。


    龍馬、中岡を見て(中岡の方が重傷だと思い)、行燈を持って這

   う。


龍馬:……峯吉……峯吉……誰か……医者を呼べ……。


    龍馬、自分の額に流れる脳漿をさわる。中岡に振り向き、


龍馬:清くん……おれぁ脳をやられちょる……もう駄目じゃ……。


    龍馬、前のめりに倒れる。


中岡:龍馬! 龍馬!


    中岡、這いずって龍馬と反対の方へ行く(窓から出て、屋根瓦へ

   と移り、そこから助けを呼ぼうとする)。


中岡:(振り絞る様に、しかし人に聞こえる程に声は響かず)……誰か…

   …誰か、医者を……早く……。


    中岡、寒さに震え(大量の血が流れ出た為)、やがて意識を失う。

    暗転。



       二十七


    坂本権平、父の遺影に語り掛ける。


権平:父上……龍馬は……あいつは洟垂れと、そう呼ばれちょりました

   なあ……ほじゃけんど、しまいにゃ天下にその名を鳴り響かせちょ

   りましたよ。ガキの頃は臆病で……よう物も喋りよらんかった阿呆

   の龍馬が……十歳になっても夜溺は治らん。図体はでかい癖に泣

   き虫で、近所の子供らあはだあれも遊び相手にしちゃくれんかった。

   十二歳で漸く塾に入ったち思うたら、しょっちゅう苛められて泣いて

   帰っちょりましたね。ほいじゃきわしゃ、こいつは坂本家の廃れもん

   になるち思うちょりましたが……父上……龍馬は……立派に生きよ

   りましたよ……ほじゃけんどわしゃ、弟の事をなんにも知らんがです

   ……脱藩して……薩摩藩と長州藩を結んで薩長連合ちゅうもんを

   作り……遂には徳川幕府に大政奉還をさせて無くしてしもうた……

   わしゃ兄貴じゃちゅうに、そんな誰でも知っちょる弟の顔しか知らん

   がです……生意気な弟じゃったちゅう事以外……なんも知らんがで

   すよ……父上……あいつは……どんな弟じゃったがですかのう…

   …。


    権平、笑顔とも泣き顔ともつかぬ顔。

    暗転。



       二十八


    中江兆民(篤助)。


中江:なしてわしが、偉くもない奴に屈せにゃならんがじゃ。わしは藩費で

   この長崎へ留学に来ちょるがじゃぞ! おんしらあとはここの出来が

   違うんじゃ! わしに生意気な口を利くやつぁ、誰だって許しゃせん

   がじゃ! ようおぼえちょけ!


    龍馬、登場。


龍馬:おう、中江のニイさん。煙草を買うて来てオーセ。

兆民:はい、坂本さん! すぐに買うて来ますき、待っちょってくだされ!

龍馬:頼んだぜよ。


    兆民、嬉々として走って退場。やがて煙草を持って再び登場。


兆民:買うてきました!

龍馬:おう、おんしゃほんにええ奴じゃのう。また頼むぜよ。

兆民:はい! いつでも買うて来ますき、遠慮のう呼んでつかあさい!

龍馬:(笑って)遠慮なんぞ初めからしちょらんぜよ。


    龍馬、退場。

    兆民、笑顔で見送る。


兆民:(客席に向いて)……何じゃ、その目は? ようは知らんが……見

   りゃ解るじゃろう。何となく偉き人じゃと。言葉掛けられて、おんしゃ

   あ無視するちゅうがか? ……わしゃあようせんわい……あんお方

   は、絶対に……どえらい事をやるお人じゃきにのう。わしゃ、あんお

   方と出会えた事を、心から誇りに思うぜよ。


    兆民、笑顔で龍馬の去った方を見続ける。



                                        終

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