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第八話 風間家の病人(二)

風間家当主、清光、それに清継の弟、祭りから戻ってきた

彼らは経子の回復ぶりに驚く

 日が少し傾きだしたころ、風間家の門前が騒がしくなった。当主の清継、嫡男の清光、それに清継の弟、国興の三人の騎乗の武者が、供を従えて祭りから戻ってきたのである。


 三人が屋敷に入ると静子が待っていた。静子は笑顔で座って三人を出迎え、留守の間の出来事を告げた。

「御射山社のお勤めお疲れ様でした。良きお話があります。噂に高かった佐閑の里の巫女様にお出でいただき、経子の病を祓っていただきました。霊験あらたかです」


 清継と清光は顔を見合わせた。経子の病の回復のために、風間家は諏訪大神への祈願はもちろん、比叡山に加持祈祷を依頼し、京の有名な薬師を招聘した。あらゆる手を尽くしてきたが、回復に向かわせることができなかった。


 祭りの少し前に佐閑の里に龍神の巫女が現れたという噂は聞いた。しかし、回復を切実に願うものの、京の高僧や薬師にもできなかったことが、山奥の巫女にできるとは到底思えなかった。国興は静子の報告を、冷笑を浮かべ聞いていた。


 静子は三人を奥に案内した。経子は、真貴とムメに付き添われ、帳を上げて茵に座り、煎じ薬を飲んでいた。血色がよくなり、表情に力が戻りつつあった。三人が入っていくと、小さく声を出して挨拶した。

「おかえりなさいませ」


 当主の清継はかろうじて呟いた。

「な、なんと……信じられん」

 嫡男の清光は経子の傍らに腰を下ろし、その手を握った。

「ありがたや……」


 国興は口を結び、経子と真貴を交互に見た。起こるはずがないことが起きていることを受け入れられなかった。

 静子は以前から国興が経子を快く思っていないことに気付いていた。そして今、国興の表情を見て、国興は経子の回復をまったく喜んでいないことを了解した。


 静子は真貴とムメを三人に紹介した。

「お館様、経子に付き添っていただいているのが、佐閑の里の巫女、マキ様とそのお弟子のムメ殿です。昨日の昼からお出でいただき、昨晩は夜を徹して病をお祓いいただきました。そして御覧の通りです」


 真貴は清継ら三人に小さく礼をした。静子は話を続けた。

「お館様、お願いがございます。経子の回復が確かなものになるまで、巫女殿にこの屋敷にお留まりいただけるようお引止めください。巫女殿は、今日にも里に戻られると仰せです。私どもは、まだ何のお礼もしておりません」


 清継はその場に座り、真貴に向かって深く言った。

「当主、風間清継にございます。そちらが嫡男で経子の夫、清光。こちらが弟の国興にございます」

 立ち尽くしていた国興は、渋々という風情で清継の背後に座を占めた。


 清継が続けた。

「巫女様、経子の病をお祓いいただき、まことにありがとうございます。わずか一夜でここまでの回復は、とても思い描くことができませなんだ。ご霊験、恐れいりました」


 清継は一度、清光と経子、さらに静子を見やり、小さくうなずいてから真貴に向き直った。

「巫女様、どうか――あと七日、せめて五日でも、我が屋敷にて経子の病をお祓いください。灯りかけた希望の火を、確かなものにしていただきたい」


 清継は深く頭を下げた。清光と経子も頭を下げた。ただ一人、国興は形だけ頭を下げ、上目づかいに真貴を睨んでいた。


 真貴はしばし考え、静かに答えた。

「私は御射山社の祭りに参じる弟とともに諏訪に参りました。まもなく弟もこちらに参るとうかがっております。弟子のムメに加え、弟の小太郎も、ともに留まってよろしいでしょうか?」

「無論です。喜んでお迎えいたします」

「では――あと三日、経子様のご回復に努めましょう」

「ありがとうございます」


 そのとき、清継の背後から国興が声をあげた。

「巫女殿……ひとつ問いたい。巫女殿はいかなる“術”をもって、経子の病をお祓いくださったのか?」

 その場の空気が凍った。清継、静子、清光は、巫女に術を問うという無礼に顔色を変えた。


 真貴は、国興だけは自分を警戒し、敵意を抱いていることを悟った。そのうえで、説明をどう整えるか、瞬時に思いを巡らせた。栄養学も脚気も、この時代の言葉では伝わらない。しかし、まったく説明しなければ“妖しき術者”と疑われかねない。


 真貴は「きっと神々が守ってくれる、という信仰こそ人々の心の拠り所」という礼司の言葉を思い出した。


 真貴はゆっくり口を開いた。

「経子様の病は、この地の神々のお力が、御身の内に十分満ちていなかったことによるものです。人は土地を守る神々の息吹が五臓六腑に行き渡ってこそ、健やかに日を過ごすことができます」


 居並ぶ者は皆、真貴の言葉に聞き入った。

「私が薬として差し上げたのは、この諏訪の地で古くから命をつないできた、桑と柿の葉です。この二つの葉には、国常立命と諏訪大神のお恵みが詰まっております。さらに、稗、粟、蓬――いずれも諏訪の地味を宿すものをお召し上がりいただきました。私は、この地の神々の力をお借りしただけのことでございます」


 国興は、まったく納得がいかなかった。

「桑と柿の葉?稗、粟に蓬?そんなものが病を祓うと申すか?」

 静子が堪らず声をあげた。

「その通りでございます。私が巫女様のお指図どおり、すべて用意いたしました。にわかには信じ難うございましたが――経子に神々の息吹が届き始めたことは、確かにございます」


 短い沈黙の後、清光が声をあげた。

「経子が、経子が巫女様に御礼とお願いを申したいと言っております!」

 経子の細い声が聞こえるよう、皆が静まった。

「巫女様、命をお救いいただきありがとうございます。今少し……今少し、お力をお貸しください」


 小太郎は寺に戻り、事態の意外な展開に驚いた。請われるままに風間家からの使者とともに屋敷を訪れると、当主の妻という貴婦人に迎えられ部屋に通された。すぐに豪華な食事が出され戸惑っていると、姉とムメが戻ってきた。

「小太郎、お勤めご苦労様でした」

「ありがとうございます。姉上こそ、急なお話で、大変だったことと思います」

「ええ、お話をいただいた時は驚きましたが、私の力で何とかなりそうだったのでお引き受けしました。今のところ順調に病は癒えています」

「姉上が龍神様の許で学ばれた奥義の深さはまったく驚きしかありません」

「私は、龍神様から、一人でも不幸な形で命を失う人を減らすよう託されていますから」

 真貴の傍らにはムメがぴったり寄り添っていた。ムメは巫女の弟子として居場所を得た。


 翌朝、経子の服薬と食事の様子を観察した真貴は、早期回復を促す治療として食事の栄養価を一段と引き上げるために、良質の動物性たんぱく質、アミノ酸を与える段階に来たと考えた。雉か鶉を用意することを静子に相談したところ、たちまち清光の知るところとなった。


 清光はすぐに弓矢をもって馬で駆けだし、昼前には雉と鶉を一羽ずつ獲ってきた。真貴は、この獲物を三宝に載せ、風間家の神前に供え贄の形を整え、祝詞を奏上した。その後、膳部に持ち込み調理を指導した。


 すぐに欲しかったのは雉の肉骨の煮汁から取った汁である。濃くなりすぎないよう調整して、塩と生姜で味を調え、さらに山椒で香りをつけて経子に与えた。経子は嫌がることなく汁を飲んだ。アミノ酸の摂取の効果はすぐに現れた。経子の血色が一層改善され、目の光が強くなった。猟に行った清光はその姿に胸を熱くした。


 真貴は自分が去った後の治療計画を作成して静子に説明した。ひとつは煎じ薬の原料確保である。桑の葉と柿の葉を秋から冬の分を見越して集め、陰干し保存して用いるよう提案した。今一つが食事である。特別な日以外は、米は五分搗きか七分搗きとし、できるだけ雑穀を一緒に摂る。五日に一度は、魚あるいは鳥肉を摂る、難しければ汁だけでも摂ることを提案した。


 真貴は膳部を指導して、経子が食べやすい鳥肉料理を試作した。鳥肉を叩いて小さくし、ネギ、生姜を加えてつみれにする。それを、鳥の骨肉を煮込んでとった汁に浮かべ、山椒をわずかに加えて、三つ葉を入れた椀に盛るというものだった。真貴が指導したこの料理は、その日の風間家の夕餉に出された。清継も静子も、その洗練された趣と奥深い味に驚いた。


 翌日、経子の回復は一段と進んだ。自力で起き上がり、茵に介助なしに座ることができるようになっていた。食欲が一段と増し、雉の汁は二杯目を所望するまでになった。声に張りが出て、笑顔が出るようになった。清継も静子も、その様子を目を細めて眺めていた。


 その日の夕餉、真貴は試作した汁を、椀に半分だけ、小さなつみれを入れて経子に出した。経子はその味が気に入り、お代わりをした。真貴は、自分がやるべきことはほぼ終わったと思った。


経子には活力が戻り、食欲が出てきた

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