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第五十一話 セイと重平

セイと重平は風間の屋敷の武者長屋で息を潜めるように過ごしていた。

 セイは兄の米沢重平とともに、風間屋敷の武者長屋の一室に籠っていた。


 孝子が生きていたときには、セイは常に孝子の側に控えていたが、その場所は無くなった。重平の体の傷は徐々に癒えてはきたが、二人は、ほとんど部屋を出ることは無かった。食事は、主家の朝夕の食事時間の後、セイが人目を盗むように膳部に入り、残されたものを皿に取り、部屋に持ち帰っては、兄と分け合って食べた。


 国興のことがあって以降は、風間家の家臣も下働きの者も、兄妹には声をかけようとしなくなり、二人だけで押し黙り、時が過ぎるのを、ただただ待っていた。


 夏が終わりかけたある日、二人は、清光から呼び出された。二人は、ついに風間家を追われるときが来たと覚悟した。


 呼び出された部屋で、二人が体を寄せ合い、身を縮めて待っていた。

 清光が入って来た。二人は平伏した。


「面を上げよ」

 清光の声は穏やかだった。

 二人が体を起こすと、清光が、すぐ目の前に坐していた。

「重平、体は癒えたか?」

「はい……動けるようになってまいりました」

「そうか。先日は二人には大変済まぬことをした」

 清光が小さく頭を下げた。

 二人は驚き、慌てた。重平が答えた。

「とんでもありません。我らが不甲斐なかったばかりに、姫様をお守りできず……」

「二人の働きが足らなかったとは、私もお館様も考えてはおらん」


 二人は頭を垂れた。少し言葉が途絶えた。


 清光が声の調子を変えた。

「今日、呼び出したのはな、二人にやってもらいたいことがあるからじゃ。佐閑の里を存じておるか?」

「はい……行ったことはございませんが、名前は知っております」

「じつは佐閑の里の巫女様から、里を助けてくれる者をしばらくお貸しくださいと頼まれた」


 佐閑の里、龍神の巫女、望月秀柾……セイは驚き、兄の袖を掴んだ。


「そなたらもよく存じている通り、佐閑の里の龍神の巫女様は、当家にとって恩人である。その弟の秀柾殿は、お館様が烏帽子親であり、私にとっては弟同然の者だ。是非、役に立つ者を遣わしたいと考えておる」

 重平は、突然、身の内が熱を帯びた。まだ自分を武者として役立ててもらえる。涙が滲んできた。


 清光の言葉が続いた。

「ただ、佐閑の里には武者は秀柾殿しかおられず郎党もいない。行けば、畑仕事もあれば、馬の世話もあろう。野盗が来るようなことがあれば、二人で里を守らねばならぬ。セイも、巫女殿の手伝いだけでなく、田畑の仕事もあろう。辛い仕事になるやもしれんが、行ってくれるか?」


 重平は身をかがめ、清光を見上げるように言った。

「かような大役、私どもでいいのでしょうか?」

「むろんだ。先ほども申したように、そなたら兄妹の働き足らないと思ったことは一度も無い。体の不安さえなければ、任せたい」


 重平は手を突き頭を下げた。セイも兄に倣った。

「どうか、そのお役目、お任せください。われら兄妹、力を尽くします」


 清光がうなずいて言った。

「では、行ってもらおう。巫女様は御射山社祭みさやまさまに来られるそうだ。その折に詳しい話があろう。二人には、その後、行ってもらうことになろうぞ」


 清光が部屋を出た後、重平はセイに言った。

「ありがたいことじゃ。まだ、働ける……」

「兄様、ようございました……」


 ただ、セイは希望で胸に膨らむのと同時に、あの龍神の巫女と望月秀柾の期待に応えることができるか、不安も膨らんでいた。


 御射山社祭の日が来た。真貴と秀柾は、前日に諏訪に入り神宮寺に泊まった。ユイは犬や田の世話のために残してきた。


 祭の日、秀柾は朝から大社に出向いた。


 真貴は、朝のうちに市に向かった。今回の探し物は魚を捕るための竹籠だった。


 諏訪では諏訪湖で川魚の漁が行われており、その道具として「でごうし」とか「えびかぶと」などと呼ばれる竹製の仕掛け網が使われていた。真貴は佐閑の前に広がる湖でも漁ができると考えていた。


 薬草類と交換で竹籠を手に入れ、真貴は、一旦、神宮寺に戻った後、風間の屋敷を訪ねた。


 静子と清光が真貴を出迎えた。静子は心なしか疲れが顔に出ていたが、笑顔で真貴を迎えた。


 真貴は経子を診た。

 経子は妊娠後期に入っていた。妊婦に特有の、腹部の圧迫感や頻尿の所見は見られたが、顔や手のむくみや、頭痛、耳鳴りといった危険な症状は見られず、まずは、順調と判断できた。

 真貴は、塩分を控え、雑穀類、鳥肉・鳥肝や鰙や手長蝦、さらには牛蒡、里芋などを摂るように勧めた。


 真貴は経子の初出産の不安を和らげる工夫もしてきていた。ユイが冬の間に漉いた小さな丸い紙の縁に添うように龍を描き、中央に「安産御守」と記したお守りを用意していた。

 経子はお守りを両手で押し頂き、懐に収めた。


 セイは兄の米沢重平とともに、屋敷の客をもてなす部屋に呼ばれた。

 部屋に入ると、清光と巫女姿の真貴が対座していた。


 兄妹は入り口近くに座り、平伏した。

「米沢重平、セイ。お呼びにより参りました」


 清光の声が聞こえた。

「二人とも、面を上げよ。佐閑の里の龍神の巫女殿である」


 兄妹はおそるおそる顔を上げた。真貴が二人に向き直った。


「米沢重平殿、セイ殿。佐閑の里の巫女、真貴です」

 二人の目に優しく微笑む真貴が映った。


「二人とも、辛い目に遭いましたね。もう、体は癒えましたか?」

 二人の胸に、温かいものが灯った。


 真貴が続けた。

「清光様にお願いしましたが、この秋、佐閑の里の仕事を手伝ってください。里に武者は弟の秀柾しかいません。佐閑では年貢を諸まで運ばねばなりません。野盗にも備えなくてはなりません。重平殿、どうか警護に力を貸してください」

 重平は胸の奥が強く打つのを覚えた。


「セイ殿、里では秋には女子おなごの仕事が沢山あります。私だけでは、手に余ります。どうか重平殿と一緒に来て手伝ってください」

 セイは真貴の言葉を聞いているうちに、涙が滲んできた。


 真貴がさらに続ける。

「佐閑は貧しい里なので、食べ物や住むところは村人と同じものになります。普段の仕事は田畑のことになります。華やかなものは何もありません。それでもよかったら来てください」


 清光が重平とセイに尋ねた。

「どうだ、重平、セイ。佐閑に行ってくれるか?」


 重平はすぐには言葉が出なかった。一度セイを見た。セイがうなずいた。

「参ります。喜んで参ります。巫女様、どうか重平、セイとお呼びください」


 真貴が小さくうなずいた。

「わかりました。重平、セイ、里に来てくれる日を楽しみにしています」


 清光が真貴に言った。

「では、巫女様、この二人をお願いします。支度もありますので、四、五日のうちに向かわせようと思いますが、いかがでしょうか?」

「承知しました」


 重平とセイは長屋に戻った。

「兄様、巫女様はほんとうにお優しそうなお方でしたね」

「まこと、気高くお優しいお方だ。我ら、何としても勤めを果たそうぞ」

「はい、すぐに支度にかかりましょう」


 兄には言えなかったが、セイの心の中に、秀柾の面影が浮かんでいた。



佐閑の里へ……セイと重平とに転機が訪れる

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