第四十九話 更待月(ふけまちづき)
秋の収穫の時期が近づいた
正季は村々を廻り、打つべき手を考えていた
諸を出た後、正季はさらに千曲川沿いを南に進み、湖岸に出た。一里ほど進むと佐閑の里の田が広がる。緑濃い稲が南風にそよぎ、すでに穂が出始めているのが分かった。上田、諸で見て来た田とは稲の勢いが違っていた。
湖岸を進んでいくと、呼子の音が聞こえてきた。秀柾が駆け付けて来るかと思っていたが現れない。正季はそのまま妙泉寺へと進んだ。秀柾と真貴が出迎えに出ていた。
秀柾が挨拶した。
「橘様、村廻り、ご苦労様です。村長もすでに呼んでおります」
「素早い手配、ご苦労である。今日は、弓矢をもって駆け付けてこなかったな」
「はい。少しやりかたを改めました。呼子の吹き方で、村に馴染みの方か、怪しいものかを知らせるようにしました」
「なるほど。私は馴染みの者か」
「もちろんでございます」
正季が寺の本堂に入ると、すでに村長と和尚が控えていた。
真貴が椀に湯を入れ、正季の前に置いた。正季が口にすると、香ばしくさっぱりとした風味で、わずかに甘味を感じる。
「巫女殿、かたじけない。ひどく喉が渇いていたところに、この湯は染み渡るぞ。これは如何なるものかな?」
「山の柿の葉を軽く煎じたものです。暑さをしのぐ滋養がありますので、この季節、村の者にも飲ませるようにしております」
「そうか……」
正季は、前回、佐閑を訪れた際に、鹿肉の入った粥を食べたことを思い出した。客人へのもてなしということもあろうが、佐閑で口にするものは、いずれも美味であった。
正季は村長に向き直った。
「では、村長殿、作柄の見通しはいかがであろう?」
村長の表情は明るかった。
「はい。このまま大風や虫、獣の害を免れれば、年貢を無事納めきれると考えています」
「なんと……春先には二割の苗を抜いたというのに」
「ためらわずに思い切った甲斐がありました。巫女殿に倣い、肥やしを入れ、水を丁寧に保ちましたところ、思いのほか、回復が進みました」
正季は真貴を見た。真貴は静かに微笑んでいた。
「巫女殿、なんという手際だ。あの苦境から、ここまで持ち直すとは」
「村の方々が力を振り絞った結果です。これからは虫の害、獣の害をいかに減らせるかが収穫を決めます。獣の害については、お譲りいただいた犬たちが役に立とうかと思います」
「そうか、私も少しは役に立つのだな」
「はい、秀柾の四匹の郎党たちが、里の田を、猪や鹿から守ってくれると思います」
正季は真貴に頼み、初夏に見た真貴が世話をしている田に足を運んだ。
夕暮れ近い夏の空の下、秋茜が飛び交っていた。田の稲は、茎は太く、葉は猛々しいほど勢いがあった。穂にはすでに実がつきはじめていた。正季がこのところ目にしていた稲とは、まるで別の植物のようだった。
「これは……同じ稲なのか?」
「はい。おなじ籾から育てました」
正季は言葉を失くし、ただただ稲に見入っていた。
その夜、正季は寺に泊まることとし、秀柾、真貴と夕餉をともにした。
真貴は、兎の肉と骨から取った汁で煮た麦と稗の粥に滑莧を入れたものを用意した。さらに、青い大豆を数本抜いてきて、枝豆を茹でた。
莢ごと出された枝豆は正季が初めて口にするものだった。
「巫女殿、これは若い大豆か?このような食べ方はまるで知らなかった。塩味が豆の甘さと合わさり、なんとも美味なるものよ」
「お口に合ってよかったです」
夕餉を終え、正季は清光から預かった話を切り出した。
「巫女殿、秀柾殿。相談したいことがある」
「私どもに相談ですか?」
「うむ。この里で、人を受け入れてもらえぬかという話だ」
秀柾と真貴は顔を見合わせた。真貴が答えた。
「まずは、お話をうかがいます」
「若い武者を一人、それと、その妹を受け入れてもらえるところを探している」
「どのような方でございましょう?」
「そなたらもよく存じておる諏訪の風間家の家中の者だ。先日、清光殿から相談された。妹というのが、先日の襲撃の際に、巫女殿が助けた花嫁のお付きだ。その兄は行列の護衛についていたのだが傷を負い、今、体を癒しているところだ」
真貴は川から引きあげた娘を思い出した。健気に、何度も「姫様は?」と繰り返していた。
秀柾は驚いていた。
「護衛にしくじったので、風間家を追われるということでしょうか?私の知る清光殿はそんな方ではないと思うのですが」
「いやいや、そうではない。清光殿は二人のことを心配し、相談に来られた。今、二人は、勤めを果たせなかった恥じ、打ちひしがれているとのことだ。清光殿は、このままでは、ずっと屋敷の隅で息を潜めるような日々を送ることになると心を痛めておられる。二人は、今は、風間の家を離れた方がいいというのが清光殿のお考えだ」
「そうですか……」
秀柾は姉の方を見た。真貴は口に手を当て、考え込んでいた。
正季が続けた。
「ここからは私の考えだが、この里を守るには、正直、武者が秀柾殿だけでは心もとない。せめて、もう一人、お二人の助けになる武者がいればと考えている。それと、私の知る限り、巫女殿の仕事は多忙を極めている。その助けになる女子がいればと思っている」
ややあって、真貴が口から手を外し、顔を起こした。
「橘様、その二人は、この話をすでに知っているのでしょうか?」
「知らぬはずだ。清光殿は軽々にことを運ぶ方ではない」
「ならばいいのですが……私が心配なのは、秀柾が言いましたように、二人が『勤めを果たせなんだゆえに追われるのでは』と誤解することです。そうなれば、二人はより辛い日々を送ることになります」
「たしかに」
正季は、真貴の言葉を待った。
「ここでの暮らしは、けっして楽なものではありません。村の者も警戒するでしょうから、容易に馴染めるとは思えません」
「……やはり、受け入れは難しいか……」
真貴が正季の目を見て言った。
「ひとつ、考えがあります」
真貴の言葉に正季も真貴の目を見た。
「是非、お聞かせ願いたい」
「私どもから清光殿に『秋の多忙で警戒を必要とする時期に、里を助けてくれる者をお貸しください』とお願いします」
「なるほど……」
正季は真貴の知恵に、今回も驚かされた。
「まずは三月ほど過ごし、二人の様子を見るのはいかがでしょうか?」
「では、受け入れは?」
真貴がうなずきながら答えた。
「ここで過ごすうちに、二人の心が少しでも軽くなればと思います」
正季が小さく頭を下げた。
「巫女殿のお心遣い、いたみいる。私にとって、この巡察の間で聞いた、唯一の良い話になった。この里に来ると心が休まる」
「村廻りの成果が思わしくありませんか……」
「ああ。野盗に遭った飯山や長野の里は荒れていた。この秋、上田や諸の収穫は厳しいものになる。巫女殿が言われていた通りだ。私が父のように国司であれば思い切った手も打てるが、少掾の身では、できることは限られている」
正季は腕を組み、頭を垂れた。
静かになった寺の境内から、夏虫の音ばかりが聞こえて来た。少し雲もあったが空には星が出ていた。更待月(月齢二十日目の月)はまだ、昇って来てはいなかった。
米沢兄妹を手伝いとして受け入れるという真貴の案に正季は安心感を覚えた




