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第四十八話 巡察

風間清光が国府を訪れ橘正季と襲撃事件の後処理について相談した

 襲撃事件から十四日目に、風間清光が国府を訪れた。


 目代の中原兼経と少掾の橘正季が話を聞いた。清光の用件は、襲撃に加担した流民たちが逃げ込んだと思われる伊勢神宮領の荘園に対して、襲撃に関わった可能性のある者を引き渡してほしいとの要請である。


 清光自身、この要請が不入の権を盾に断られることはわかってはいる。それが退けられると知りながらも、申し入れるのは、襲撃を受けた者としての筋を通すためである。


 中原は、形ばかり、「速やかに申し入れよう」と答えて、さっさと座を立った。


 正季と清光だけが、残された。


 清光が正季に言った。

「先日、我らのお屋敷にお出でいただいた折には、叔父、国興が失礼なことを申しました。お詫び申し上げます」

「いや、国興殿のお怒りはもっともだ。お応えすることができず申し訳ない。国興殿は落ち着かれたか?」


 清光は少し沈黙し、静かに言った。

「叔父は出家いたしました」


 正季は清光をじっと見た。清光の表情から、正季は事情を察した。

「左様か」

 清光がうなずいた。


 清光が少し表情を変えて言った。

「橘様に相談申し上げたき事がございます。国府へのお願いではありません」


「おうかがいします」


「あの輿入れ行列に加わっていた、当家の武者、米沢重平とその妹のセイを受け入れてもらえる先を探しています」

「もしかして、セイというには花嫁の付き人だった娘ですか?」


「左様です。その兄、重平は護衛についていましたが、右目を失い、多くの傷を負いました。セイも川に落ちて意識を失っていたところを助けていただいたと聞いています」


 正季は真貴の信じがたい救命術を思い出した。


「私と父は、命がけで働いた二人を等閑にするつもりはありません。しかし、家内では、生き残った者に厳しい目を向けるものもおります。また二人も、孝子を助けられなかったことをいつまでも悔やみ恥じております」


 正季は、凄惨だった現場を思い返した。あの現場の体験は容易には癒えない心の傷になろうと思った。


 清光が続けた。

「このまま当家にとどまれば、二人とも闇の中でうずくまるような生き方になりましょう。私は忠義を尽くしてくれた二人が、堂々と生きて行けるように取り計らいたいのです」


「なるほど。しかし、その相談を何故私に?」


「私は、二人がもう一度、生き直せるところは、佐閑の里、龍神の巫女殿のもとをおいて他には無いと考えています」


 正季は思った。『確かに、巫女殿が力になれば……』


 清光は続けた。

「ただ、私が巫女殿にお願いするだけでは、辞退なさるやもしれません。そこで、橘様に、お口添え願いたいのです」


 正季は清光に尋ねた。

「ご存じの通り、佐閑はけっして豊かな里ではありません。あの里に行けば、日々、田畑の仕事に追われ、華やかな役割にあずかることもないでしょう。二人にできますでしょうか?」


「二人の実家は、当家に縁がある土豪です。子どもの頃はずっと畑仕事をしていたと聞いています。家が貧しく長男ではないので、十年ほど前から当家に兄妹で奉公に来ました」


「武芸の方は、いかがでしょうか?八ヶ岳の東側の里は上野と近く、度々、野盗に襲われています。武者として働けますでしょうか?」


「重平は、今回の護衛が初の武者としての仕事でした。あのような形で襲われ、辛い結果になりましたが、剣も弓も同じ年頃の者に劣る腕ではありません」


「分かりました。巫女殿の説得に努めましょう。佐閑の里に、武者は、若い望月秀柾殿しかおられません。私は、秀柾殿を助ける者がいると考えていました。ともに田畑で汗を流すことができ、武者としての働きができるのであれば、お勧めできましょう」


「ありがとうございます。橘様のお力添えがあれば、心強いです。重平の体が癒える時期を待って、巫女殿にはお願いしようと思います」


「承知いたしました」


 正季は清光を国府の門まで見送った。


 国府からは、飛騨の山々が望める。彼方に槍ヶ岳が天を突いているのが見えた。


 立秋を過ぎると、稲はいよいよ出穂期を迎える。


 佐閑の里の真貴の田では、穂が出揃い、稲の花が開き始めた。田には、特有の香りが満ちた。真貴はユイとともに、その香りを胸いっぱいに吸いこんだ。


 この時期、田の水管理は佳境を迎える。礼司に教わったことは、この時期は、けっして水を切らさぬことだ。真貴とユイは田のすべての稲の根が、水に漬かっていることを、日に幾度も確かめた。


 秀柾が春の麦の収穫の後に蒔いた蕎麦の背丈は二尺を越え、順調に育っていた。真貴が田の世話や薬草集めに忙しいので、真貴が荒田に蒔いた大豆の世話も、秀柾が見るようになっていた。大豆は薄紫色の小さな花を咲かせ、実を結びはじめていた。


 村の田も、春の痛手を回復しつつあった。田植えの後に二割の苗を失ったが、その分、田の風通しがよくなり、分蘖が順調に進んだ。さらに、病魔の伝染を防ぐために灰汁を作った折に出た草木灰を肥やしに入れた効果か、稲が例年より太くなった。


 村人には笑顔と自信が戻って来た。豊作とまではいかなくとも、年貢を無事に納められそうだと思えてきた。


 正季は襲撃に加わった者の追捕に協力を求める書状を携え、伊勢神宮領の荘園を訪ねた。荘官は書状を検め、本領に諮ったうえで返事をするので時間が必要だと答えた。返事は、予想に違わぬものであった。


 正季はその足で、飯山、長野方面の大蜘蛛丸に襲われた里を廻った。


 里は荒廃していた。多くの村人が逃散した結果、耕作放棄された田畑が目立った。到底年貢を集められる状況ではなかった。これらの里を束ねる郡代は、正季の訪問に冷たく応じた。彼らにしてみれば、野盗に襲われた後、遅れて追捕に現れ、何ら成果を挙げられない国府は、一方的に年貢を集めるだけの忌まわしき存在と映っていた。


 正季は千曲川沿いに遡り、上田を訪ねた。


 上田周辺の稲は枯れてはなかったが、勢いが感じられなかった。葉の色が白っぽく、背丈が低い。かなりの株で、夏の初めに見た白い斑点が葉の長手方向に広がり、その縁に茶色く焦げたような輪が現れていた。


 面会した上田の郡代、手塚信元の表情は冴えなかった。

 挨拶の後、正季は、まず、襲撃事件への対処についての礼から話をはじめた。

「先般の、風間家輿入れ行列への流民による襲撃に際し、ご配下、長和の里の半田殿の素早い対応と怪我人の手当てに厚く感謝申し上げます」

「なんの……流民どもがかような大事を引き起こすとは……。我が考えが足らなかったこと、悔いております」

「流民の多くが、伊勢神社領に逃げ込んだと聞き及びました」

「たしかなことは言えぬが、流民のなかに、したたかな曲者が混じっていたようにも、思われます」

「なるほど……」


 ありうる話である。流民の逃亡ぶりは、誰かが指図したようにそろっていた。ただ、現状では憶測にすぎない。


 正季は本題に入った。

「ときに、田の具合をいかに思われる?」


 信元は、しばらく答えを言いよどんだ。

「出穂が例年より遅れているようだ……春先、寒さが長引きあまり陽射しがなかったことが響いていると、村人たちは申している……」

「作柄の見通しはいかがでしょうか?」

「……平年作には届かないこともあろうかと……」


 この期に及んで、まだ何とかなると考えている郡代が相手では善後策を論じることはできないと正季は判断した。


 正季は翌日の昼前には、諸の郡代、平賀忠景を訪ねた。


 忠景の見立ては、信元よりは現実的だった。米で年貢を納めきれない場合、麦や大豆、さらには稗、粟などで代納するか、賦役にて納めることになる。代納となると、米の数倍を納めることになる。結果として、村人たちの主食が不足し、飢え死にする者が出る恐れもある。


 米の収穫が平年作の半分程度だった場合に備えた策を、正季は忠景と話し合った。


巡察によれば、上田や諸では凶作の兆候が明らかになりつつあった

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