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第四十七話 風間国興

風間国興は国府の対応に不満を募らせていた

 輿入れ行列が襲撃されてから十日目、国府の橘正季は諏訪の風間家の広間で、当主の風間清継とその弟、風間国興と対面していた。


 清継が静かに口を開いた。

「橘様。この度は、当家の災厄にいち早く駆け付けいただき、感謝申し上げます」

 正季も静かに応じた。

「いま一歩、私の力が及びませんでした。残念です」


 沈黙が落ちた。屋外からの蝉の声がうるさく聞こえた。


 国興が口を開いた。

「国府の手による襲撃者たちの追捕はどうなっておる?あの場で追えば、必ず捕えられたはずだ」

「あの折は、生き残った方々を助け出すことに力を尽くしました。直ちに追捕できなかったことは確かですが、あの折の判断は正しかったと存じます」


 国興が小さく息を呑み、言葉を吐いた。

「では、その後、追捕はどうなった?」

「申し訳ありませんが、いまだ果たせておりませぬ」

「何故に?」

「国府の武者は十余名しかおりませぬ。兵は在郷の者を募るしかありません。近在の村々に声をかけておりますが、まだ十分に準備はできておりませぬ」


 国興の表情が険しくなってきた。

「そうよのう。国府はいつも、人手が足らぬというばかりよのう。ならばよい。我らの手で、山を狩り、流民どもを皆、討ち滅ぼしてくれよう」

 清継が声をかけた。

「国興。それは、ならぬ」

「兄者、当家の名誉が流民どもに穢されたのですぞ。捨ておけませぬ。わが手の者をすべて揃え、一人残らず殺します」


 正季はできるだけ静かに言った。

「国興殿、国府は、貴殿が手勢を率い、山狩りを行うことを止めませぬ。しかし、証もなく詮議もせず人を斬れば咎となります」

 国興の顔が赤くなってきた。

「なんだと……流民どもは大勢して襲って来たのだぞ。ひとりひとり確かめたりしておれるか!」

「里に怪しいものが紛れ込んだからと言って、その里の者をすべて斬ることは、許されませぬ。どうかお分かりください」

「息子を不具にされ、娘を殺され、家臣も殺された。どう分かれと言うのか!」

 国興は席を立ち、足音荒く広間を後にした。


 正季は清継に頭を下げた。

「少掾ごときの身で、出過ぎたことを申しました」

 清継の面持ちは沈痛だった。

「いや、橘様の申すことは、理が通っておる。ただ、国興はもはや理では収まるまい」

 

 再び沈黙が落ち、蝉の声が、重苦しい沈黙を埋めていた。


 正季は気が重いまま、諏訪を後にし、国府に戻った。 国府には上田の郡代、手塚信元の使者が来ていた。正季は目代の中原兼経とともに使者に会った。


「中原様、橘様。先日の襲撃を行ったと思われる流民の動向が一部分かりました」


「うむ。話されよ」

 兼経が促した。


「彼らの一部は依田川沿いに下り、いったん千曲川まで出て、その後は北側の山に逃げ込んだようです。さらに別の一部は北西の山中に逃れたようです。現場近くの里の周囲をうろついている者もまだいましたが、年寄りや子連れの女ばかりで、逃げ遅れた者たちのようです」


 正季は頭の中で地図を広げた。流民の集団が逃げて行った先には伊勢神宮領の荘園がある。荘園には、国衙の支配は及びにくい。逃げ込んだ者を出せと交渉しても、荘内で寄人となった者はよほど確かな証左でもなければ、引き渡してはもらえない。


「そうか。ご苦労であった」

 中原兼経の声には安堵の響きが感じられた。


 使者が退いたあと、兼経は正季に言った。

「よかったではないか。伊勢領の荘園に逃げ込まれては、我ら国府は何も出来ないことは明々白々。とりあえず一度使者を立てて、引き渡しを求め、断られたところで、この話は終わりだ」


「それでは、風間家が収まりません。風間家にはなんと申されるおつもりですか?」


「風間家には、そのまま伝えればよいだけじゃ。伊勢領にもの申したければご勝手に、と言っておけばいい。諏訪一族は、伊勢神宮に盾突くことは許されん。彼らも引っ込まざるを得んよ」


 国興は正季と面会した翌日の早朝、鎧を着て、六名の郎党とともに和田峠を越え、襲撃現場を目指し諏訪を発った。清継の指示で、清光も同行した。


 一行は道を急ぎ、その日の昼前には依田川沿いの襲撃現場付近に到着した。


 ただ、あたりには血の痕も、踏み荒らされた跡も、既に消えており、流民の姿はなかった。探索隊は、いったん馬を降り、川の北西側の山中にも踏み込んだ。折れた灌木や踏み荒らされた枝葉が残っていたが、人の気配はなかった。


 炎天下、重い鎧を着け、汗まみれになっての探索は続いたが、何も得るところなく夏の日が傾きだしたころ、二人の馬に乗った武者が現れた。


 二人のうち、こぎれいな身なりの武者が、一行に声をかけてきた。

「もし、風間家の方々であられるか?」

 清光が答えた。

「いかにも。風間家嫡男、清光と申す。先日の襲撃者の行方を探しに参った」


 整った身なりの武者が名乗り返した。

「それがしは、上田郡代手塚信元の郎党、菅野紀久、こちらは長和の里の半田為則殿だ。このあたりを見廻っておる」

 髭面の武者が会釈した。


 清光は半田に深く頭を下げた。

「貴殿が半田殿か。先日の襲撃の際には、当家の者が多く、お世話になり申した。礼をせねばと思っておりますが、家中がいまだに騒然としており、何もできておりません。申し訳ない」

「さもありなん。御不幸のこと、お悔やみ申し上げる」

「かたじけない」


「襲撃者をお探しと聞いたが、この辺をうろついていた流民のうち、何人かの年寄りと子連れの女は、長和の里で面倒をみている。ほとんどの者は、襲撃の直後に逃げ去った。知らせを聞いて、わしがここに参った時には、死人と大怪我をしたものしかおらなんだ」


 国興が尋ねた。

「奴らがどこへ逃げたのか分からぬか?」


 この問いには菅野紀久が答えた。

「大きく二手に分かれて逃げたようじゃ。足を怪我していたため、逃げる途中で脱落したものを一人だけ捕らえた。彼らは伊勢神宮領の荘園、保科と麻績を目指しているようじゃ」


 その名を聞いた瞬間、一行の空気が凍りついた。


「なにぃ、伊勢神宮領とな……」

 国興は奥歯を噛みしめた。


 清光は国興に声をかけた。

「叔父上、いったん戻りましょう。前触れもなく、この姿のまま伊勢神宮領に入れば、戦を仕掛けたも同然になります。戻って、国府の橘様にお伺いを立て、伊勢神宮領に申し入れましょう」


 国興の手綱を持つ手が震えていた。

 清光は、国興の馬の進路を塞ぐように、自らの馬を進めた。

「叔父上……どうかご自重を」


 風間家の一行は空しく引き返すことになった。和田峠手前の寺に宿を取り、翌朝には諏訪に戻った。


 国興は前夜眠れなかった。いったん自室に戻ったが、居ても立ってもおられなくなった。立ち上がって、息子の時興の部屋に行った。


 時興は眠っていた。国興は、しばらく、その様子を見ていたが怒りが収まらなくなった。扇子を握った手を振り上げ、時興を打擲した。

「この痴れ者めが!おのれがまともに指揮さえ執れば、こんな屈辱にまみれることは無かったぞ!」


 時興はいきなり叩かれ目が覚めた。目の前には血走った父の顔があった。父が何事か叫び、何度も扇で打ち据えられた。

「お許しください、お許しください!」


 騒ぎに気付いた家中の者が部屋に駆け込み、二人の間に身を投げ出した。

 国興は、手にしていた壊れた扇子を捨て部屋を出た。


 清光は、叔父に同行した顛末を父・清継に報告していた。

 邸内がにわかに騒がしくなった。二人が部屋を出ると、家臣が駆けてきた。

「国興様が、突然、時興様を打ち据えられました」


 二人は顔を見合わせた。清継が尋ねた。

「時興は大丈夫か?」

「時興様はご無事にございます」

「国興はどちらに行った?」

「部屋を出られましたが、その後は……」


 別の家臣が駆けてきた。

「国興様は、武者の長屋の方に行かれました」


 清光は履き物も取らず庭へ飛び降り駆けだした。


 長屋の一室で、セイは兄を看病していた。セイの兄、米沢重平は、輿入れ行列の際に騎馬武者として護衛の一人についた。はじめて武者として与えられた晴れがましい役割だった。しかし、その輝きは、一瞬にして失われた。


 セイは屋敷の方が騒がしくなったのが分かった。何事かと緊張していると、長屋の外で大きな声がした。


「米沢重平、セイ、出てまいれ!」

 風間国興の怒号であった。


 セイが急いで引き戸を開けると、右手に竹根の鞭を持った国興が立っていた。髪が乱れ、目が血走っている。


 セイは戸口を出て平伏した。重平も懸命に起き、いざり出て平伏した。


 国興の怒声が続く。

「お前たち、何故、生きておる!孝子が死に、時興は不具になったというのに、何故、お前たちは!」


 国興は鞭を振り上げた。セイは傷を負っている兄にかぶさり、鞭を背に受けた。


 清光が駆け付け、なおも打とうとする国興を背後から羽交い絞めにした。


「叔父上、何をなさります。重平もセイも、命がけで働きましたぞ」

「では、何故、こいつらは生きておるんだ!」

「叔父上!」


 国興の力が抜け、膝から地面に落ちた。


 その日の午後、清継・清光親子は、四人ほどの供とともに、屋敷を出た。家中には、急ぎ国府に参ると告げておいた。


 清継・清光親子とその供は、国府へは向かわず、和田峠へと向かう道に進んだ。和田峠手前の寺の入口あたりで馬を停めた。日が暮れ、十二夜の月が昇ってきた。一行は静かに時を待った。


 戌の下刻あたりになり、峠への道を松明をかざしながら登ってくる三人が現れた。その一団が寺の入口あたりまで来たところで、清光は馬に乗って進み、道を塞いだ。

「叔父上、そのようないでたちで、いずこに参られる?」


 松明をかざしながら登って来たのは風間国興とその従者だった。三人とも鎧をまとい、兜までかぶっている。


「清光、先回りしおったか。そこをどけ、まずは麻績の伊勢領に参る」

「なりませぬ」

「なら、力づくで通るまでよ。やれ」


 国興は従者に命じた。しかし従者は動かなかった。


「うぬら……そうか、うぬらが清光に漏らしたか!」


「国興、話を聞いたのはわしだ」


 清継が四人の供とともに、現れ国興を囲んだ。


「国興、そなたの怒りはわかる。しかし、その怒りのままにことを起こせば、我らは破滅ぞ」

「兄者。兄者には、もののふの誇りは無いのか!」

「今は、それを語るときではない」


 国興は、馬から降ろされ兜も脱がされた。


 清継が告げた。

「そなたには、仏門に入ってもらう」


 国興は両手を抑えられたまま、髻を切られた。


 ややあって、国興が清継を見て言った。

「時興を頼む」


 清継は、ただ、うなずいた。


国興の暴発は阻止された

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