第四十五話 暴発(一)
孝子の輿入れ行列の前に流民の一団が現れた
和田の菩提寺から生島足島神社までは七里ほどと距離はあるが、ずっと下り坂であり、道も足元が不確かな山道ではない。菩提寺を発った輿入れ行列は山滴る依田川に添う道を生島足島神社へと進んでいった。
遠くに里も見えだしたあたりで、風間時興は、あたりに人の気配があるのに気が付いた。同行の武者たちも気付き、緊張が高まってきた。
「どうしたのです?」
孝子は馬を引く老武者に尋ねた。
「人がいるようです」
武者があたりに目を配りながら答えた。
セイは孝子の馬の側に近寄って、あたりを見たが、よく分からなかった。
一行が警戒しながら進むと、草むらから三人の人影が現れた。ぼろぼろの格好をした親子連れは道端に跪いた。親には片腕が無いようだった。親が声をあげた。
「お恵みください!お助けください!村を焼かれ彷徨っております。お慈悲を」
北側の森に連なる草むらから次々と人々が現れた。女も子どもも混じっている。いずれもぼろを着て、髪は乱れ、垢と汚れで真っ黒になっている。彼らも道端に跪いた。口々に声をあげる。
「お助け下さい、お慈悲を。食べるものを……」
流民たちは道端から道の中央に出てきた。行く手が塞がれた。行列の背後にも彼らは現れた。総勢では百名を超えるように見えた。
行列が止まった。
行列の最後尾にいた時興が、馬を進め、先頭に出ながら言った。
「何をしておる。止まるでない!」
先頭に出てきた華麗な衣装を身につけた時興に一斉に流民の視線が集まった。時興は道を埋めた流民の数とその視線の圧力にたじろいだ。饐えた臭いも漂ってくる。
最初に現れた子どもが立ち上がり、両手のひらを上に向け手を差し出しながら時興に近づいてきた。
時興は肩に掛けていた弓を左手に持ち、子どもを追い払おうと突き出して振った。
「道を空けんか!」
末弭(弓の上部先端)が子どもの肩に当たり、子どもが転倒した。あたりの空気が凍り付いた。
「うぉーっ!」
子どもの親が立ち上がり、片手に握った土塊を時興に投げつけてきた。
それが契機になった。
流民たちが立ち上がり、大声を上げながら、石や砂を行列の武者や馬を引く者たちに、一斉に投げ始めた。
「やめろーっ!やめんかーっ!」
時興は馬上で弓を振り回した。
流民たちが突っ込んできた。馬が棹立ちになり、流民数人が蹄で蹴られ、血を流しながら路上に転がったが、勢いは止まらず、時興は足を掴まれ、路上に引きずり落された。
太刀を抜こうとしたところで、頭に石が当たり、目に砂が入った。馬は暴れて逃げ去った。
孝子は、行列が止まってすぐ、後ろの方にいた兄・時興が、自分らを追い越し、前に出るのを見ていた。セイが孝子に言った。
「人が……たくさんの人が現れ始めました」
それは、馬上の孝子にもわかった。馬を引いている老武者が左手で太刀の鞘を握るのが分かった。
兄が何かを言った後、男の叫び声が聞こえた。次の瞬間、周囲に群がった人々が、大声を上げながら、石や土塊、砂などを自分らに投げつけてきた。孝子は懐の短刀に手をやった。セイはすでに短刀を抜いて、孝子と暴徒の間に立った。
三人の武者が行列前方に走った。暴徒は間近に迫り、弓を使う機会は失われていた。あとの三人が孝子の守に就こうとしたが、暴徒の投石で馬が暴れ出し思うにまかせなかった。
老武者は孝子の乗った馬を、暴徒の数が少ない南側の依田川の方に引こうとしたが、数人がその行く手を塞いだ。老武者は手綱を放し、太刀を抜いた。彼らは下がったが、礫があちこちから飛んできた。馬が驚き立ち上がった。孝子は振り落とされた。
セイと老武者が自分をかばおうと走り寄ってくるのが孝子には分かった。二人に前後を守られ、孝子は立ち上がった。馬上から見るのとはまったく異なる光景が広がっていた。自分が着ている豪華な輿入れの装いが、ひどく場違いであると孝子は感じた。
いつの間にか、暴徒たちの中に、木の枝や鎌を持つものが現れていた。叫び声をあげながら一人の老人が細い木の枝を手に迫ってきた。老武者が袈裟懸けに切りつけた。血が噴き出してあたりを染めた。再び石や砂が飛んできた。老武者は太刀を振り回したが、暴徒数人が同時に飛びかかった。背後からも腕が伸び、足にもしがみつかれた。さらに二人を切ったが、老武者はついに太刀を奪われ、暴徒たちに踏みつけられた。
孝子はセイと背を合わせ、脱出路を探した。空いているのは、川の方だけだった。じりじりと川に進もうとしたが、太い木の枝を振り回す男が迫ってきた。
「姫様、逃げて!」
セイは、孝子と男の間に立ちはだかったが、男の振り回す太い枝が、構えた短刀を弾き飛ばし、こめかみを痛打した。気が遠くなり、膝がくだけた。懸命に立ち上がろうとしたが、足元が定まらず、川に落ちた。
「セイ!」
孝子は、思わずセイが落ちた方に目をやってしまった。
背後から襟足を掴まれた。短刀を振るった。手ごたえはあったが、新たな手が伸びてきた。短刀を振り回したが、ついには短刀を奪われ、地面に押しつけられた。
暴徒たちは孝子の豪華な衣装を剥ぎ取りにかかった。帯が奪われ、袖が裂ける音がした。着物を剥ぎ取った者たち同志が奪い合いながら立ち上がった瞬間、隙ができた。孝子は跳ね起き、捕らえようとした者を突き飛ばし、転がっていた自分の短刀を手に、川とは反対の山に向かって走り出した。
橘正季は和田峠から上田へと通じる街道を南へと駆けた。緩やかな登りとなる道を、依田川を遡るように進むと、四、五人の村人が集まっていた。
「国府の橘だ。何があった!?」
正季は馬上から大声で尋ねた。
集まりが解けた。囲まれていたのは、武家の下働き風の男だった。髪は乱れ、烏帽子は失われ、衣服は泥と血にまみれ、顔からも血が流れていた。
「おたすけください!輿入れの行列が流民どもに襲われました」
男はしゃがれ声で告げた。
正季は男に尋ねた。
「お前が狼煙を上げたか?」
男の代わりに村民が答えた。
「我が里の武者、半田様が上げました。半田様は、すでに助けに向かいました。この者が、何としても神社まで行くと言うので、我らが助けてここまで来ました」
「相分かった。私も助けに向かう。後続の者が来るので、ここで待って伝えよ」
正季は再び駆けだした。
ほどなくして、先ほどの男と同様に泥だらけ、血まみれで路肩に座り込んでいる三人の男がいたが、声もかけずに先に進んだ。
川べりで鞍を載せた馬が、水を飲んだり、草を食んだりしている。乗り手が見当たらない。正季はなおも進んでいく。
蓋のない漆塗りの櫃が転がっていた。傍らに武者が一人、胡坐をかいて座り、頭を垂れている。顔中、血まみれである。ゆっくり顔を起こし、正季を見たが、また頭を垂れた。
さらに進んでいくと右手に山が迫ってきた。灌木が茂り視界が狭められた。あたりに警戒しながら進むと、再度、視界が開けた。そこが、現場だった。
橘正季は生島足島神社から狼煙の上がった現場にようやく駆け付けた




