第四十三話 夏越の祓い(一)
真貴と秀柾の元に、生島足島神社が、夏越の祓いに、真貴には巫女として舞の奉納を、秀柾には武者として射の奉納を求めてきた
水無月に入った。
佐閑の里の、真貴と秀柾の元に、生島足島神社の神職から使いの者が来た。月末に行われる夏越の祓いに、真貴には巫女として舞の奉納を、秀柾には武者として射の奉納を求めてきた。
真貴は妙泉寺の良真和尚に相談した。和尚は、招聘に応じた方がよいだろうと答えた。
生島足島神社には諏訪大社に次ぐ、信濃の由緒正しき社という自尊心がある。彼らからすれば、今や“龍神の巫女”として知られる真貴と、先の御頭祭で一躍名をあげた秀柾の姉弟が、自分らの勢力下にあることを示したいとの意図があると思われる。他方、生島足島神社の招聘に応じれば、真貴は巫女として、秀柾は佐閑の武者として広く認められることになる、というのが和尚の考えだった。
真貴は招聘に応じると使者に答えた。
風間家では孝子の婚礼の準備がつつがなく進められていた。
豪華な衣装や装身具、化粧道具、さらには布、糸、裁縫道具といったものが、次々に櫃に収められる。
孝子はそれらをまるで他人の婚礼の準備のようにしか思えなかった。
忙しそうに荷造りをしていたセイが孝子に尋ねた。
「姫様、この帯はいずれの櫃に収めましょうか?」
「そうね。その帯は、あまり使うこともないでしょうから、そちらの櫃に入れておいて」
「はい、かしこまりました」
「ねえ、セイ」
「はい、何でございましょう?」
「とうとう富士のお山を見ることなく、上田に行くことになりそうね」
「もしかしたら、見ることができるかもしれません」
「あら、そうなの」
「はい。上田までの道に詳しいものが言っておりました。晴れた日に、和田峠から見る富士のお山がとてもきれいだと」
「そうなの。晴れるといいわね」
「そうですね」
風間家では婚礼の行列の構成を検討していた。荷運びは十名の下働きの者が直接荷を背負ったり、五頭の馬を引いたりする。護衛する武者は六名とし、風間国興の嫡男、孝子の兄である時興が指揮を執ることになった。行列は日のある時間だけ移動し、宿は寺にとる。寺には、予め、謝礼を持たした使者を送り出した。
橘正季は諸、上田で稲が一部枯れ始めたのを目の当たりにした。しかし、依然として郡代は、田の一部に起きていることとして事態を矮小化して考えている。村人たちは、凶作が目前に迫りつつあることを強く感じながらも、郡代に言い出せずにいた。
正季は、村の主だった者に話を聞く傍ら、「以前に書物で目にした唐のやり方だが」と言って、灰汁の使い方を伝えた。村人の中には、試みようという者もいたが、年かさの村人に止められたようだった。やり方を変えることで凶作の責任を負いたくはないという思いが透けて見えた。
正季は、千曲、上田、諸で、流民の状況を把握しようとしたが、離散的な情報は得られるものの、まとまった話は聞けなかった。そんな中、上田に近い里の武者から、流民を切ったと聞いた。
四十絡みの武者が語った。
「五、六日前のことになりますでしょうか、村の者から、里山の方に怪しい連中がいると聞いて、警戒しておりました」
「貴殿、お一人でか?」
「いえ、私には二人息子がおりますので、交替で、里山から下りてくる道を見張っていました」
「それで?」
「三日前の、夜明け近くに、上の息子が山から下りてくる人影を見つけました。三人でした。どうやら、親子連れで、一人は七歳くらいではなかったかと思います」
武者は話を続けた。
「三人は、我らが見張っているとは気づかず、村はずれに近い小屋に入りました。盗みをはたらくつもりだったのだと思いますが、上の息子が『何者ぞっ!』と誰何したため、小屋から飛び出してきました。親は、短い太刀のような得物を持ってましたが、子どもらが手にしていたのは鎌でした」
正季には食い詰めて食べ物を漁りに来た親子が痛ましかった。
「私は『得物を置け』と言いましたが、親が太刀を振りかぶり襲ってきました。私が、その腕を切り飛ばしました」
「それで仕留めたのか?」
「いえ、彼らは里山に逃げ込みました。追うことも考えましたが、仲間がいて待ち伏せされてはかないませんから、そのまま逃がしました」
「そうか……」
正季は思った。龍神の巫女は『盗賊が盗賊を生み出し続けているのですね』 と言っていた。しかし彼女は、その責は統治する者にあることを知っている。
正季は上田の郡代、手塚信元に野盗への対策を尋ねた。
「橘様、目下、私どもでは以前にお教えいただいたとおりに、上野側からの賊の侵入を防ぐべく、真田付近に人をかけて警戒をしております。交代で、十名ほど出張っていますので、そうやすやすとは上田の地に入れることはないと存じます」
「東側への備えは分かった。西側の山中にも、賊が潜んでおると聞いたが、そちらへの備えはどうなっている」
「たしかに上田の西側には長野方面からの流民が入り込んでいますが、そう大それたことができる者どもではありますまい。それに西の多くは生島足島神社の社領となっております。社領の武者がおりますから大丈夫です」
小暑を過ぎ、梅雨が明けた。
佐閑の里に正季が連れて来た四匹の子犬は、ユイと秀柾の世話で元気に育っていた。
秀柾は毛色の違いによって、四匹に黒丸、赤丸、白丸、鳶丸と名前を付けた。四匹の寝床は東雲と西風の厩の片隅になり、ユイと真貴が田畑に出かけるときにはついてくるようになった。秀柾が東雲で村を廻るときにも次第に付き従うようになり、その光景を村の人々は微笑ましく見守っていた。
大暑を過ぎ、生島足島神社の夏越の祓いの三日前の朝、風間孝子は、風間屋敷の広間で、当主の風間清継、その弟であり父である風間国興、当主嫡男の清光、兄の時興、さらに清継の妻であり叔母の静子が居並ぶ中、輿入れの挨拶をした。
挨拶の後、輿入れの行列は、和田峠手前の小さな寺を目指して発つ。孝子は一頭の馬に横座りし古株の郎党が馬を引く。六名の騎馬武者が守り、兄の時興が彼らを率いる。セイは孝子の乗る馬と一緒に徒歩で従う。出発時は晴れていたが、午後になり次第に雲が増え、峠が近づくころには空は雲で覆われ、小雨もぱらついた。
翌朝、空は晴れ渡った。寺を出て、少し登ると視界が開けてきた。南東の方角に富士山が見えてきた。樹木に覆われた甲州の山々の向こうに雪を被り、朝日に輝く霊峰が聳えていた。
孝子とセイはその威容を心に刻むように見入った。
孝子の輿入れ行列は、和田峠を越した後、申の刻には和田の菩提寺に着いた。雨に降られることもなく、和田峠越えの最大の難所を無事に通り抜け、一泊することができた。
夏越の祓いの前日の夜明けを待って、秀柾と真貴は生島足島神社を目指して佐閑の里を発った。今回は、ユイは仔犬の世話があるので、寺に託した。秀柾は直垂姿と真貴は巫女衣装であるが、今回は、真貴も太刀を佩き、弓矢を背負った。正季の言っていた野盗に備えてのことである。
湖の東岸から、青い芒が風にたなびく千曲川を進み、諸を経て、神社に到着したのは午の刻にかかる頃だった。
神社の下働きの者が二人を宿所に案内し、真貴は、翌日の舞の奉納のため、囃子方と合わせを行った。秀柾は準備が整いつつある射の会場を訪れ儀式の手順を神社の係りの者に確認した。
この日の夜は新月である。空は晴れ、天の川が横たわり、満天の星が煌めいていた。
真貴と秀柾は、生島足島神社の夏越の祓いに出向いた




