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第四十二話 因縁

嫁入りする孝子の侍女にはセイが付くことになった

 風にそよぐ苗が植わった田の水面に、雪を被ったままの信濃の山々の姿がきれいに映りだしたころ、風間国興の娘、孝子の生島足島神社の跡取りへの嫁入りが正式に決まった。


 京の貴族に多い通い婚とは違い、この地では、花嫁が男のもとへ移る形で夫婦となることが多かった。特別な式典はなく、新郎新婦が揃う宴もない。新婦が新郎の屋敷に入り、挨拶を済ませれば、それで婚姻は整う。


 孝子が嫁入りする日は、夏越の祓いの日(旧暦の六月末日、新暦の七月二十日頃)と決まった。


 嫁入りする孝子の侍女として、セイが付き従うことになった。これまでの二人の関係からすれば当然の決定だった。


「セイ、やはり、あなたが来てくれることになったのね」

「はい。昨日、国興様から父の方にお召のお知らせがあったそうです」

「セイでよかったわ。誰も知る人がいないお屋敷でも、セイがいてくれれば心強いから」

「私は変わらずに姫様にお仕えできて嬉しゅうございます」

「でも、セイもゆくゆくはどなたかに添うことになるのよね」

「私には、そんなお話はまだまだございません」


 孝子は、つい言ってみたくなった。

「先日、父から教えてもらったんだけど、上田の一つ南の里が諸、その南が佐閑だそうよ」

「えっ、そうなんですか」


 孝子は、セイが顔を赤らめたのを見て、セイの気持ちを確認した。同時に、自分の心の奥にしまわなければならない気持ちも確認した。


 初夏は農作業が忙しい季節である。田植え後の田の手入れはもちろん、麦の収穫、大豆、蕎麦といった作物の種蒔きがある。真貴には、菜種の収穫の作業があった。


 昨年、春に黄色の花をつけていた菜種は、薄茶色に変わり種が成熟してきた。真貴は目の細かいかますを用意し、ユイの助けを借りて刈り取った菜の茎を叺の中で叩き、菜種を回収した。根気よく作業を続け、期待した六斤(三・六キロ)には届かなかったが五斤(三キロ)程度の種を回収できた。


 真貴は秀柾の助けを借りて、東雲と西風に馬鍬を引かせ、荒田や耕作放棄された畑を耕し、大豆を蒔いた。他方、秀柾の畑では麦の収穫の後は、連作障害を配慮して、蕎麦を育てることにした。


 芒種を過ぎて数日後の夕方近く、真貴とユイが農作業を終えようとしていると、村人が、橘正季が村を訪れ、秀柾と、妙泉寺で待っていると知らせに来た。


 行ってみると、正季は和尚と話していたが、真貴たちを見ると笑みを浮かべて言った。


「巫女殿、約束の犬を持ってきたぞ」


 見ると、秀柾の足元で、四匹の仔犬が陶器の鉢で水を飲んでいる。


「籠に入れて連れて参った。たぶん腹を空かせているだろうから、何か食わせてやってくれ」


 ユイが駆け寄り、かがんで手を伸ばすと、仔犬たちがその手を舐める。ユイが初めて間近で見る犬だった。


 ユイが笑顔で真貴に尋ねた。

「真貴様、私がこの子たちの世話をしてもいいですか?」


 真貴も笑顔でユイに言った。

「もちろんです。鹿の干し肉がありますから、あれを茹でてあげましょう。犬に濃い塩気を与えるのは良くないので、汁は我々がいただきましょう」


 真貴は正季に向き直り、頭を下げた。

「橘様、ありがとうございます。大事に育てます」


「先日、国府に戻って犬養に尋ねたところ、今年は十匹余りも子が生まれ、どうしたものかと困っておったそうだ。その子たちは、産まれて、三か月になる。今からしつければ、良い番犬や狩り犬になるそうだ」


 秀柾も犬の傍らにかがんだ。

「お前たち、私の初めての郎党だな。名前を与えなくてはな」


 正季はその夜は妙泉寺に泊まることになった。真貴は鹿の干し肉を茹で、汁で野草を煮た。さらに、鍋に残った汁で雑穀粥を作った。仔犬たちには、干し肉の脂や筋を細かく切って与えた。


 正季は夕餉に大変満足した。

「鹿肉と野草の汁ははじめてであったが、たいへん美味しかった」

「ご満足いただけて、何よりです」


 正季は相談したいことがあった。

「巫女殿、私は明日から、諸と上田の見回りに行くのだが、おそらくは稲の病が広がっていると思う。今更だが、いくらかでも何かできることはないだろうか?」


 真貴が少し考えて答えた。

「いくらかでもということであれば、灰汁を、まだ病の兆候が出ていない稲の葉にふりかけることで、病が広がるのを遅らせることはできようかと思います」

「そうか……しかし、どうやって村人に説くかが難しいな」

「はい、難しいです。ここは橘様の国府のお役人で、物知りだということで、お話しされてはいかがでしょうか」

「というと?」

「『書物に書かれていた唐の地で行われていたやり方だが……』とお話しされるのがよいかと思います」

「なるほど。凶作の兆しがはっきりしていれば、やってみようかという気のなるかもしれんな」

「はい。橘様のお人柄であれば、村の者たちも耳を傾けようかと思います」


 正季はもう一つ話しておきたいことがあった。

「いまひとつ巫女殿に話しておきたいことがある。野盗の話だ」

「以前に秀柾からうかがいました。長野方面が野盗に襲われたということでしょうか?」

「それに関わる話だ。野盗どもは上野に本拠があるようで、我々が国境を越えられないことをいいことに、ほしいままにしている」

「上野側では追捕は行われないのでしょうか?」

「国の外のことは、お構いなしにされることが大半だ」

「そうなのですね」


「この賊の中で、我々がもっとも危ないと見なしているのが、大蜘蛛丸の一味だ」

 大蜘蛛丸……真貴は湯多神社の神楽を思い出さずにはいられなかった。

「恐ろしい名前ですね」


「とても残忍な奴だ。夜中から明け方にかけて村を襲う。略奪を行い、歯向かう者は殺し、女を攫い嬲ったうえで殺す。奴のやることには、奪う以上に、殺すことが、狙いだ」


 伝承では、巨大な蜘蛛の化け物が、次々に村々を襲って村人を食い散らすようになったとされていた。


 正季が言った。

「私は、大蜘蛛丸は、そなたらとも私とも因縁があるのではないかと考えている」


 真貴も秀柾も驚いた。


「以前に、秀柾殿にうかがったが、そなたらが上野から信濃に来る途上で賊に襲われたと」

「はい」

「その時、賊の大半を打ち取ったが、一人、面を切られたまま逃げた若者がいると」

「はい。父から、そう聞かされました」


「我らが聞き及んだところによれば、大蜘蛛丸は面に大きな傷があり片目が潰れているそうだ。よわいは三十路にかかったあたりではないかと言われている」

「……」


 真貴は思った。十四年前、十六、七歳の若者であれば、確かに、今は三十歳くらいになっている。


「私の父が国府で下野国司の源国明に殺められたことは、そなたらも存じておると思う。私は、なぜ、他国の国司が父の元を訪ねてまで殺しに来たのか分からなかった。しかし、調べるうちに、父は大蜘蛛丸の素性を掴んでいたがゆえに殺されたのではないかと思えるようになった」


「大蜘蛛丸の素性……?」

「大蜘蛛丸は、さる貴人のご落胤と思われるのだ」


 真貴には、すぐに、さる貴人がだれか見当がついた。この信濃の山奥に、朝廷の歪が災厄をもたらしていると思った。


 正季は続けた。

「大蜘蛛丸の襲撃の被害は、人が殺され食べ物が奪われただけにとどまらない。奴らに襲われた村では、生き残っても、食べることもままならず、村人は流民となって散らばっている。上野との国境に近い里からは、村人の逃散が相次いでいる。これらの者は、奴婢になるか盗賊になる恐れが高い」


「盗賊が盗賊を生み出し続けているのですね」


「そういうことになる。私は明日、明後日と諸、上田で田の育ち具合を見回るが、それに加えて、郡代や地元の武者たちに、長野や国境に近い里からの流民の話を聞かなくてはと思っている。彼らが麻績から青木あたりの山中にいるのではないかと、国府に知らせがあった。この里にも彼らは来るかもしれない」


 国の中央の歪が虐げられたものを生み出し、その虐げられたものが、弱者を漁って、新たに虐げられたものを生み出す……。自分は、その者らにどのように向き合えばいいのか。真貴の心に重いものが残った。


大蜘蛛丸が信濃に暗い影を落としている

しかも、大蜘蛛丸と自分らには因縁がある……真貴は、かつて舞った神楽を思い出していた

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