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第三十八話 稲作・初夏

佐閑の田は痛手から立ち直りつつあった

 真貴とユイが管理する小さな田の稲は順調に育っていた。


 ただ、芒種が近づくころには虫たちの活動も活発になる。


 真貴は、病害予防に用いた草木灰やその灰汁が、害虫にもかなり効果があることに気が付いた。七日に一度ほどの頻度で、草木灰で灰汁を作り、灰を稲の根に撒き、灰汁を稲の葉にふりかけた。


 村の者たちが、たびたび真貴の田を見に来るようになった。そして真貴とユイの活動を、時間をかけて観察しては、真似をするものが増えてきた。


 幸い、村の田での病害の広がりは食い止められたようだった。思いがけないことに、早い時期に、弱っていた苗を抜き去ったことで、田の風通しがよくなり、残った苗の成長が促された。抜き去った苗の数は全体の二割を越したが、稲の育ちが改善したことから、収穫の減少は二割までには行かない可能性も出てきた。


 真貴は、荒田として使われていない田や、土が痩せているとして村人が放棄した畑などに、大豆を植えることを村長に願い出た。


 一つには、年貢米が不足したときの代納として大豆を納められるようにするためである。大豆の収穫時期は米よりも遅くなるが、年を越すことなく納めることができる。

 もう一つは、村民の栄養改善である。村民の主食は麦、稗、粟などの雑穀に偏りがちである。タンパク質の摂取が不足気味で、それが免疫力の弱さになっている。大豆は貴重なタンパク源になる。

 加えて、土壌改善と、二頭の馬の栄養価の高い飼い葉に資するためである。マメ科植物である大豆は根粒に有機窒素を蓄える。これは土壌改善に寄与する。前年に大豆を育てた、秀柾の麦畑は、明らかに前年より収穫が増えそうだった。


 さらに狙うのは小麦の生産である。鍛冶の里には、稲の病魔を祓うため急ぎ持ってきてもらった胆礬の代償として、彼らが希望する小麦を渡したかった。大豆の後に栽培すれば、地力も回復し収穫が見込める。そして、その麦藁は飼い葉にもなれば、土地の改良にも役立つ。高級食材である小麦が余分に生産できれば、塩や鉄などの村では得られぬ物と換えることもできる。


 耕作面積の増加は、そのまま作業量の増加になるが、その解決策は二頭の馬である。一頭の馬は、人間の十倍近い作業能力を持つ。真貴は春先に馬鍬の刃を手に入れ、馬鍬の準備を始めていた。


 真貴とユイが管理する小さな田の稲は分蘖(ぶんげつ、一本の苗から複数の茎が生える現象)が進みだした。

 農学者の礼司に教わった所では、適切な分蘖は収穫量に直結する。真貴は目標の分蘖数を二十本とした。


 この時期は、稲の根回りへの酸素の供給が重要であり、そのためには水深を一寸(約三センチ)程度の浅水の状態に維持しなくてはならない。


 真貴は目印をつけた竹の棒を持って、毎日二度、田の水深を慎重に管理した。

 村の人々は、真貴が手にした棒を田のあちこちに突き立てて回る様子を、不思議そうに見ていた。


 ある日、ついに村人の一人が、真貴が行っている作業が何のためかを尋ねてきた。真貴は、水深を一寸に保てば、稲が元気よく何本にも増えると教え、目印をつけた竹の棒を見せた。


 この話は、幾日もせず村中に知れ渡った。村人たちは、一寸の刻みがついた竹棒をもって、田の水深を保つようになった。


 増えてきた晴れ間と温かさも相まって、村の田の苗の分蘖が進みだした。


 橘正季は、佐閑の里を後にし、海尻の神光寺を訪ねた。中宮、待賢門院藤原璋子が要請した地蔵菩薩の設置と供養の件を進めるためである。京からきていた使いの者は、要件を話し、金子を渡して、すでに帰京していた。寺の者は、誰を供養するのか分からず不思議がっていたが、中宮の要請を詮索もできず、準備を始めていた。


 正季は、早々に神光寺を発ち茅野、諏訪を経て国府に戻った。赤岳の裾野を廻り、小渕沢から茅野あたりに来ると田が広がってくる。正季は、帰途、田の稲の状態をつぶさに見て行った。わずかに斑点が出ている苗も見られたが、少なくとも、諸の付近の田ほど、白い斑点は広がっておらず、苗の勢いも感じられた。この状況であれば、凶作は信濃の全域に及ぶことはないと思えた。ただ、諸の周辺に関しては、かなりの事態を覚悟する必要を感じていた。


 国府に戻り、正季は直ちに、目代の中原兼経に目通りを願い、報告をはじめた。

「上田経由で諸の郡代を訪ね、先日、話に出ていた狼煙の準備状況と、この春の田の様子とを見て廻りました。報告申し上げます」


 兼経は面倒そうに座り、言った。

「うむ、申せ」


「諸では、使者として参った望月秀柾が中心になって狼煙台の準備が進んでおりました」

「ほう、早いな。石を積み上げ作るとなると、半年は優にかかると思っていたが」

「彼らは、木で櫓を組み、それに焚き付けを載せるという形で狼煙台を作ろうとしています」

「木で櫓?まるで焚火のようではないか。到底、烽火とは呼べんな。田舎武者らしいのう」


 正季は狼煙の話はこれ以上する意味はないと判断した。


「田の様子は気になることがございます」

「なんだ?」

「上田から諸のあたりの田では、苗に白い斑点が現れており、稲に勢いがありません。このままでは凶作になる恐れがあります」

「凶作?まだ田植えを終えていくらも経たないではないか。そう早々と凶作が占えるのか?」

「佐閑で話を聞きました。十一年前の大凶作の時と同じ兆候だそうです」

「十一年前?貴殿の父上が国司であったときか?」

「左様です」

「それで、佐閑の者どもはなんといっておるんだ?」

「十一年前の轍を踏まぬよう、白い斑点が現れた苗を抜いて焼き捨てたそうです。ゆえに、苗の数が二割以上減り、年貢を納めきれぬかもしれぬと言っております」

 

 中原兼経は半ばあきれ、半ば怒った表情を見せていた。

「この時期に、苗を抜いただと?それで、収穫が減るだと?いったい誰がそんな戯けたことをやらかしたのか?」

「村長が指示したと言っております。龍神の巫女の知恵に頼ったと」

「村長は狂ったか!得体の知れぬ巫女の託宣をそのままやらかすとは!」


 予想していた反応ではあったが、今日の正季はこのままでは済ませたくなかった。

「村長と村の僧から十一年前の詳しい話を聞きました。白い斑点が現れた苗をそのままにしたところ、病魔は田に広がり、稲は育たず、かろうじて出た穂には実が入らなかったそうです。父は自ら佐閑に赴き、凶作のありさまを見たそうです」


 兼経は露骨に嫌そうな表情に変わった。

「こんな時期に、少し育ちが遅れたくらいで凶作云々を言うのは早計であろう。上田、諸の収穫に問題が無ければ、佐閑の村長は捨ておけぬな。きっちり代納させようぞ」


 正季はこの件も、これ以上、話をしても無意味だと思った。ただ、上田、諸の田をいくらかでも救済しないと、里の者にとっても、国府にとっても痛手となる。相談できそうな者は、一人しか思いつかなかった。


正季は、上田や諸の田に現れた凶作の兆しを、何とかしなければと考えていた

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