第三十六話 狼煙
真貴は佐閑の里を守る方法を具体的に考え始めた
真貴は国府から戻った秀柾の話を聞いた。目代には国府を動かして野盗に備える気が無いことは、すぐに分かった。真貴は村独自に自衛するしかないと思った。狼煙で、近隣の里と連携し賊に備えはするが、やはり構築物と作戦による防衛が必要と判断した。
和尚や村長に聞いたところでは、佐閑の里は、真貴たち家族が移り住む一年前に野盗たちに襲われたそうである。真貴の一家が信濃に入ったところを襲ったのは、その野盗たちだった。真貴の父や叔父によって、この野盗たちはほぼ壊滅した。幸いなことに、それ以来、佐閑の里は襲撃を受けたことがない。ありがたいことではあるが、その一方、襲撃に対しての警戒も恐怖も薄らいできて、村人たちには、根拠のない安心感が広がっていた。
真貴は、ユイとともに西風に乗って、春の野草や薬草を集めながら、佐閑の里の周囲を調べて回った。
佐閑の里の背後の東側は里山になっている。佐閑の里は里山の尾根筋にあたり、里の南北には山から細い川が流れ出して、里の西側の湖に注いでいる。湖岸に沿って海尻から長野方面に抜ける街道がある。街道の山側の平地が主要な田になっており、その平地から里に緩やかに登ってくる斜面と川の周囲が畑や田になっている。里の南北それぞれ一里ほどのところには、上野方面に通じる山道がある。
真貴は野盗が襲来する際の経路を考えていた。里山には大きな岩がいくつもあり藪も茂っている。ここを通ってくる可能性は低い。南北の川は大きな石が転がっていて通行は難しい。最も可能性が高いのは街道筋と考えられる。問題は、街道筋から里に入ってくる道がいくつもあることであろう。襲撃者がどこから現れるかを特定できなければ、迎え撃つのは難しい。村の人々は嫌がるかもしれないが、まずは、村に入る道を整理する必要がある。そのうえで、馬を使って一気に攻め込まれない工夫が要ると考え始めた。
秀柾は郡代の平賀の要請に従い、他の里の武者たちとともに狼煙台の設置に取りかかった。ただ狼煙台はすでに忘れられた技術になっていた。武者たちは知恵を出し合い櫓を組み狼煙台とすることにした。近隣の里からよく見えて、各々の里の中心から近い場所の選定が最初の作業になった。
櫓は丸太を組んで作ったが、火をかければすぐに燃え上がる仕掛けは簡単にはいかない。岳樺の樹皮を着火剤にすれば火はつきやすいことはわかったが、それだけでは炎も煙もほとんど立たない。いろいろ試すうちに、岳樺の上に、稲藁、麦藁を柔らかく乗せ、それに、よく乾いた松葉と松毬を重ねる。さらに、その上に松の樹皮や小枝を乗せると、短い時間で火が燃え上がりやすく煙もよく立つことがわかってきた。
この仕掛けを櫓に載せて、その上に雨露を防ぐ茅葺の屋根をかける。秀柾たちは、着火したときには屋根ごと燃やす狼煙台を作った。
秀柾との面談から七日過ぎた頃、橘正季は諸を訪れた。目的は二つあった。
一つめは、国府の定型業務である田畑の巡回である。国府の最大の任務は年貢の徴収に他ならない。春夏の時期から田の様子を調べることは国府の役人の務めだった。
もう一つの目的は、野盗対策に何らかの進展があったかを見ることであった。ただ、正季は、期待していなかった。正季は、秀柾の提案を聞いたあと、すぐに国府の書物倉で烽火台について調べた。資料によると、烽火台は石造りの堅牢な構築物となっており、その運用には常に複数人の兵士が交代で当たることになっていた。資料を読み込むほど、在郷の武者たちが、このような仕掛けを作り、それを運用できるとは思えなくなってきた。
正季は昼をかなりすぎた頃に諸に着いた。郡代屋敷を訪ねると、郡代は、少し離れた里で、狼煙台を作るのに立ち会っていると聞いた。雨がぱらついていたが、屋敷の者に案内させて現場に行ってみることにした
正季が現場で目にしたのは、石造りの構築物とはかけ離れた丸太や小枝で組んだ櫓だった。火が燃やされたこともあるようで、あちこちが黒く炭になっている。数人の男が、その櫓に焚き付け材を乗せていた。そのうちの一人、とりわけ汚れた男が、正季に気付き頭を下げた。望月秀柾だった。
少し離れたところに立って作業を見ていた郡代に正季は声をかけた。
「平賀殿、これが狼煙台ですか?」
「左様、これが我らの狼煙台です」
「私の考えていたものとはまったく異なるものですが……」
「私どもが狼煙台について知っていることは、火や煙をもって、味方に火急の事態を知らすということだけです。そこで、望月殿が中心になって、急ぎ試し、ここまで来たところです」
「なるほど……」
しばらくすると、作業が終わったようで、秀柾が郡代と正季の前に来て膝をついた。
「郡代様、橘様、火を放つ用意が整いました」
郡代が答えた。
「では、はじめよ」
「ははっ」
正季は意外だった。この雨がぱらつく状態では、焚き付け材は湿っていて、まともに火はつかないと思われる。しかし、秀柾は火をつけてみると言っている。
秀柾が、近くの焚火から、燃えさしを二本とって、櫓に乗せた焚き付け材の下の方に押し込んだ。少し煙が立ったが何も起こらないように見えた。正季が、やはり火はつかないかと思いはじめたころ、煙が急激に増えて火が爆ぜる音がしはじめた。松の脂が燃えるときの特有の香りも漂い出した。小さく炎が見えたかと思った次の瞬間に、焚き付け全体が炎に包まれ黒い煙が立ち上った。
正季には、秀柾が一緒に働いていた男たちと、肩を叩いて喜びあっているのが見えた。
郡代が言った。
「あの若武者は、ただものではありませんな。弓に優れ、知恵に優れ、人を惹きつけ、まとめあげる」
正季は、その夜は郡代屋敷に泊まった。
夕餉をともにしながら平賀忠景と話をした。
「平賀殿、早速の狼煙の手配、お見事です」
「いやいや、この度、わしは近在の武者たちに声をかけただけです。あの狼煙の、思い付きから、国府への届け、さらに工夫をしながら人々を束ねて作り上げるまでのほとんどを、望月秀柾がやりました」
「それは、素晴らしい」
正季は秀柾への認識を改めざるを得なかった。少し前に、この屋敷で会った時には幼いとも感じていたが、使者として国府で見た顔は理知的であり、今日見た姿は逞しかった。加えて彼には、自分には無い、人を信じる、人から好かれ信じられる才があると思った。
正季はもう一つの目的も気になっていた。
「ところで、平賀殿。今年の稲の出来はいかがでしょうか?今日は狼煙台を見に行ったので、田をあまり見ていません」
「わしは大丈夫と思っておるのですが、育ちが思わしくない、苗に白い斑点が現れているという者もおります。春先に寒い日が続いたためと存じます」
「それは、気になりますな」
「ええ。しかし、暑い日がくれば勢いも戻ると思っております」
翌朝、正季は諸周辺の田を見て回った。郡代の言う通り、稲に勢いがないようにも思えるが、枯れ始めているわけではない。このまま帰路に付こうかと思ったが、気が変わった。往路は麻績を経て上田から諸に来たが、復路では佐閑の里を見たいと思った。加えて、海尻によれば、京からの客人の手助けにもなる。
正季は諸からの帰途、佐閑に寄ることを思い立った




