第三十四話 献策
野盗にどう対応するか……真貴と秀柾は検討を重ねる
秀柾は佐閑に戻り、姉に郡代屋敷での話をした。まさに、真貴が恐れていた話だった。真貴は秀柾と対策を話し合った。
護身術の講義では、危険の兆候を早期に掴むことと早い段階での避難を最優先としていた。ただ、この村の住人を逃がす安全な場所はない。村を放棄して逃げ出せば、食料が奪われるだけでなく、村に火を放たれる可能性が高い。そうなれば、冬を越すことができず、村人たちはゆっくり死んでいくことになる。村にとどまり守るしかない。
軍事史の講義を思い出す。平安時代末期の戦いは、出会ったら戦う、いきなり相手の本拠を襲うといった遭遇戦である。まだ、戦いを計画するという段階にはない。そうであるなら、城郭とまではいかないが、構築物をもって迎え撃つことが考えられる。
国府の武者が野盗を追捕できないのは、襲撃の報を得て駆け付けるまでに時間がかかりすぎるからである。信濃の中央にある国府から、国の周辺まででは馬を走らせても一日かかる。在郷の武者はそれぞれの里で半農半武の生活を送っている。里と里との間は、距離がある。早く駆け付けても、一人だけの加勢では野盗団には敵わない。
秀柾が言った。
「せめて、近隣の武者が、速やかにすべて駆け付けることができれば、いくらかはましなのでしょうが……」
確かにその通りである。だが、人が走って知らせるのではどうにもならない。鳩による通信も使えない。
二人は、住いの外に初夏の陽射しで茂ってきた草木に目をやった。昨年、真貴が街道で見つけ種を植えた黄花蒿も順調に育っている。
黄花蒿――この草は中国で古くから用いられている薬草――。
真貴は高校の漢文の授業を思い出した。『國破れて 山河在り 城春にして 草木深し……烽火 三月に連なり……』
真貴は秀柾に言った。
「ひとつ思い出したことがあります。唐の詩で詠われていますが……」
翌朝、秀柾は郡代屋敷に馬を走らせた。秀柾の提案に平賀忠景は膝を打った。秀柾の提案を、すぐに国府に奏上することとした。
忠景は秀柾に国府への奏上を託した。秀柾は東雲に乗り国府に参じた。秀柾が諸の郡代の奏上を預かってきた旨を告げると、国府の広間に通された。広間には、幾人かの武者が控えた。そのうちの一人は先日郡代屋敷で会った橘正季だった。秀柾が頭を下げると正季が小さく会釈した。
しばらくして目代の中原兼経が上座についた。兼経は座りながら秀柾に言った。
「その方か、平賀の遣いの者とは?要件を述べよ」
「ははっ。野盗の襲来を近隣に迅速に伝える策を献じます」
「うむ、述べよ」
「狼煙を用います。各々の里の小高いところに烽火台を設け、賊が襲来したときには直ちに火を入れます。近在の武者は、それを合図に、狼煙の上がった里に駆け付けます」
橘正季は愕然とした。良策である。各々の里に分散している兵力に襲撃を受けた里をすぐさま知らせ、兵力を結集できる。自分も含め、先日、郡代屋敷に集まっていた者たちには思いもよらなかった工夫である。
兼経が重ねて尋ねた。
「郡代の発案か?」
「いえ、違います」
「では誰の発案か?その方か?」
「いえ、違います。我が姉の策にございます」
「我が姉……?その方、どこかで見覚えがある。名は?」
「はっ。佐閑の里の武者、望月六郎秀柾にございます」
「思い出した。御頭祭で弓比べに出ていた者か。ということは、その方の姉は龍神の巫女か?」
「はい、そう呼ばれております」
兼経は少し考えて秀柾に指示した。
「しばし、控えの間で待て」
「ははっ」
秀柾を下がらせた後、国府の武者たちに兼経は尋ねた。
「今の策、どうか?」
橘正季が答えた。
「良策でございます。人や馬を走らせての知らせとは比べ物にならない速さで賊の襲撃を知らせることができます。まず、上野の国境の村々に用意させ、木曽、甲斐方面にも広げるのがよかろうかと思います」
兼経は策に踏み出しにくかった。まず、主人である源重時の了承が必要だったが、それ以上に、下から上げられた策を採用するのは気持ちの上で引っかかるものがあった。
「そうよなあ……」
兼経の逡巡を、年かさの武者が察知し、言い出した。
「狼煙には公の軍律に定めがあったのではないか?戦時以外に勝手に上げることは禁じられていたはずだ」
兼経が欲していたのは、まさに、この動かなくてよい理由だった。
「そうか、公の軍律にかような定めがあるか」
橘正季は心中で『またか』と思った。この男は、けっして自ら何かをやろうとはしない。国司からの指示どおりに、さもなくば前例どおりに、自らの責とはならぬようにことを運ぶことしか念頭にはない。野盗対策で隣国とまともに交渉する気はない、実効の上がる行動をする気もない。
正季は腹も立たなかった。ここでは年貢さえ集まるようなら、他のことは些細なことなのである。ただ、献策に来た使者に何ら返答をしないわけにもいかないことは確かだ。
正季は妥協案を出した。
「我ら国府がかかわらないのなら、里の者が焚く火は公の狼煙とは言えないかと思います。ここは、郡代に『その方らで試すことを許す』というのはいかがでしょうか?」
兼経は正季を見た。兼経は橘正季という武者が不気味であった。橘一族は名門である。正季自身も文武の才は際立つものがある。口数は少ないが、その言葉には力がある。ただ、誰とも近しくしようとせず、上司の意を汲もうともしない。
ただ、今回の献策の取り扱いに関する正季の提案は、いい落としどころである。
「では、橘殿、郡代の使者に、そのように申し伝えを」
合議は終わった。
控えの間で待っていた秀柾の前に橘正季が現れた。
「郡代使者、望月殿にお伝えいたす。目代殿より『狼煙の件、その方らで試すことを許す』とのことである」
「ありがとうございます」
「ひとつ注意がある。烽という言葉は使ってはならぬ」
「はい、使いませぬが、何ゆえに……?」
「烽は国の軍律に定められたのものだからだ」
「承知いたしました」
秀柾は納得はしていなかったが、狼煙が使えればよいと思った。
「ところで、望月殿、狼煙の策を思いついたのは、そなたの姉、龍神の巫女殿と言われたが、弓比べの時に、ご婦人方の御座におられた巫女装束の方か?」
「はい、左様でございます」
「なんとも賢い方よ。本来我らが考え出さねばならぬ策を出されるとは……」
「姉は、軒先に茂った草木を見て思い至ったようです。『國破れて 山河在り』と」
正季は杜甫の詩が好きだった。『登岳陽楼』、『登高』を好んだ。
「機会があれば、お主の姉とは語らってみたいものよ」
正季は狼煙を提案した真貴に興味を持った




