第二十九話 春望
佐閑の春が穏やかに過ぎていくように見えた
しかし、真貴は村人の田に、危ういものを感じ始めていた
秀柾の畑では、昨年秋に蒔いた麦が順調に育っていた。畑を二分し、片側だけ麦踏みを行ったが、その効果が出始めていた。ひとことで表すなら、踏んだ麦は逞しく育ちつつあった。踏まなかったものより、株が広がり、茎が太い。太い茎は倒れにくく、たくさんの実を付ける。秀柾は「生業(農業のこと)は新たな工夫をやってこそ、得られるものがあります」という姉の言葉の意味を噛みしめていた。
真貴が蒔いた菜の花は花盛りであった。黄色のきれいな花の群落に子どもも大人も笑顔を見せた。真貴が蒔いた種は手のひら一杯分だった。真貴は花と実の付き具合を見て回り、順調にいけば六斤(三・六キロ)程度の種が回収できると見込んだ。その全量を、次に蒔けば、上手くいけば一石(百五十キロ)程度の菜種を得ることができ、貴重な油を搾ることができる。その茎や根は栄養豊富な飼い葉となり、油の搾り粕は高窒素分の肥料になる。菜の花は、冬枯れ時期に、荒地でも十分育ち、ほとんど手入れも必要としない。真貴は、村の生産性を高め、暮らしを豊かにする手段の一つに菜の花を位置づけようと考えていた。
村人たちは苗代づくり、田植えの準備の時期であった。真貴は一足早く田植えを終えた自分の田だけでなく、村人たちの田も注意深く観察していた。気になっていたのが種籾のうち、およそ二割が、真貴が実施した塩水選別で不合格になった点であった。
種籾の実の入りが悪い理由は、慢性的な田の栄養不足や日照不足も原因の一つだが、収穫時期に病原菌に侵されていた可能性が排除できない。選別を行わず、滅菌処理も行わずに蒔かれる村人たちの籾の多くが菌を抱えていたなら、田全部に伝染し、ひどい事態になる可能性がある。
立夏(五月五日頃)が近くなった日、鍛冶の里の者が訪ねてきた。前回来たのと同じ男だった。彼はつがいの鳩を籠入れ持ってきていた。ユイが目を丸くして鳩を見つめた。
「約束通り、鳩を持ってきた。少し大きな鳩小屋と巣を用意してやるといい。上手くすれば春の内に卵を産み、ひなが孵る。親鳩は放すと、我々の里戻るが、この里で生まれた鳩は放すとこの里に戻るようになる。詳しい育て方は、後で説明しよう」
「ありがとうございます。これで鍛冶の里と素早く連絡が取れます」
「そんなに急を要することが無ければいいのだが……」
「そうですね」
男は葛籠を開けて、馬鍬の刃を取り出した。
「刃は、これでいいかな?」
「はい、ありがとうございます。これがあれば、耕す畑を増やせます。まだ、村には諮っていませんが、この秋から小麦を作ってみようと思います」
「そうしてもらえるとありがたい」
「では、今回お持ち帰りいただく薬草を準備します」
「よろしく頼む。できれば、胃の腑や腸の腑の不具合にも効く薬が欲しいのだが、何とかなるか?」
「わかりました。胃には黄柏、腸には現証拠がいいでしょう。処方を木札に記しておきます」
男は、かがんで鳩の籠をのぞき込んでいるユイを見ながら笑顔で続けた。
「そうしてもらえると助かる。薬草は使い方が分からねば、どうにもならんからな」
真貴は薬草を用意しながら男との話を続けた。
「ところで、巫女殿、弟君は諏訪の御頭祭で、名をあげたな」
「弓比べのことでございますか?」
「そうだ。新たな弓上手が現れたと評判だ。昨年までは、信濃の一番の弓上手は、国府の橘正季殿、次は風間の清光殿、そして時興殿となっていたが、先日の弓比べで、秀柾殿は清光殿に並ぶか越すのではないかと評判になっておる」
真貴は、そのような評判が勝手に広まることが心配だった。
鍛冶の里の者は、独自の広い情報網を持っている。真貴は、先日来、気になっている橘広房について、鍛冶の里の者が何かを知っているかもしれないと思った。
「国府の正季様の父上は先の国司、橘広房様とうかがいました。和尚様に聞いたところによると、大変立派な方だったとのことですが……」
「惜しい方を亡くされたものよ。もう十年になるかな……俺は広房様にお会いしたことがある」
真貴は驚いた。一国の国司が隠れ里の者と会うとは考えも及ばなかった。
「橘の一族は、都が南都にあった時代から、公の場で異国との交わりを司ってきた家だ。渤海国の王族とは百年以上に及ぶ親交があった。我らの祖がこの国に流れ着いた後、秘密裏に連絡を取り、正式な受け入れができないか探ってもらったそうだ。ただ、その頃は、藤原住友と平将門の乱で朝廷は我らのことなど顧みる余裕はなかったようだ」
平将門の乱……上野の国府詰めだった望月家が勢多に追われたのは、この乱のためである。鍛冶の里の民とは、火山噴火の犠牲者というだけでなく、このような係わりもあったのかと、真貴は思った。
「広房様は、浅間権現が火を噴いた後の、野盗の跳梁を何とかしようと調べられていた。その時、人目に付かぬよう、海尻近くの小さな寺でお会いした。野盗には、我らも困っていた。上野に行商に出ていた者が、何人も襲われていた。フキ殿のように山中で襲われ里に逃げ込んだものもいる。その頃の我らの知る限りでは、賊の多くは下野の言葉を使っていた。そのことを広房様に申し上げたところ、『やはり下野か……』と言葉を濁されていた」
京の法が及ばない関東では、豪族が、秩序が崩壊した他領まで出向いて分捕りを行うことがあっても不思議ではない。下野の国司は、見て見ぬふりをしていた可能性がある。信濃国司の広房と下野国司の国明の間には、野盗をめぐる何らかの緊張関係があったのかも知れない。
「それと、広房様は人を探しておられた。なんでも京から信濃に配流になった源顕清という方の子息とのことだが、出奔して、野盗に加わったという話もあるようで、気に病んでおられた」
橘広房は、表向きにはできない多くの問題を抱えていたようである。
真貴は、鍛冶の里の者が来たら頼みたいことがもう一つあった。
「鍛冶の里では胆礬(硫酸銅)と石灰をお使いではないですか?」
「ほう、巫女殿は鍛冶のことにも詳しいようだな。たしかに使っておる」
「それぞれ、二斤ほどお分けいただければ幸いです」
「胆礬は扱い方を知らぬ者にはひどく危ないものであることはご存じか?」
「存じております。その毒をもって、凶作をもたらす魔を祓わねばならぬかもしれず……」
「承知した。巫女殿なら使い方を誤ることはなかろう。次に来るときに持って参ろう」
「ありがとうございます」
男は、詳しい鳩の飼い方を説明して帰って行った。鳩はユイが申し出て、世話をすることになった。
この年、佐閑では、春先の気温がなかなか上がらなかった。村人たちの苗代の苗は、なかなか育たず、田植えが遅れそうな気配があった。
鍛冶の里のものは橘広房を知っていた
広房は多くの懸案を抱えていたようであった




