第二十八話 波紋
御頭祭の際の弓比べ波紋が武者たちにも女たちにも広がっていく
御頭祭の弓比べにおける秀柾の射は、信濃の武者たちの間で評判になりつつあった。見事に二本の矢を的に当てた腕前はもちろん、はじめて弓比べに臨んだ若武者らしい初々しさもありながら、その立ち居振る舞いが師の城資柾を彷彿とさせるという者もいた。
武者たちの話は、当然、風間家にも聞こえてくる。
当主の風間清継は、人伝に秀柾の話を聞くたびに頬が緩んだ。とりわけ「清継殿が見いだされた若武者」と評されるのが嬉しかった。息子の清光は、弓比べ以来、秀柾を弟のように感じはじめていた。秀柾の、謙虚で実直で、それでいて物おじせず堂々としているところが好ましかった。
他方、風間清継の実弟、風間国興は、真貴、秀柾姉弟に忌々しさを覚えていた。清光の妻、経子が病床にあるとき、国興は経子が亡くなった後、娘の孝子を清光の後添えに推すつもりでいた。孫に男子ができれば、自分は外戚となり風間本家に対し、発言権が増す。しかし、真貴の力で経子は回復し、子まで宿した。
加えて秀柾である。真貴が秀柾を馬に乗せたいと望み、清光が愛馬東雲を譲ると言い出した時、国興は強く反対した。表向きは名馬を馬に乗ったこともないような者には与えられないという理屈だったが、心中は、自分の目論見を台無しにした真貴が憎らしく、その弟を田舎武者と誹ることで、溜飲を下げたかった。ところが、それもうまくいかず、さらに先日の弓比べで、秀柾は一躍名をはせた。
風間国興の息子、時興は鬱々としていた。時興は、自らの弓の技量は正嫡の清光と並ぶものと自負していた。しかし、先日の弓比べで大きな差がついたのは明らかだった。加えて、清継が推した秀柾が憎らしかった。名人城資柾は自分ではなく、秀柾を弟子に選んだ。そして、その秀柾は見る者が見れば分かる見事な技量を示した。時興は、自分が抱いていた自分への評価が間違っていたことを突き付けられていた。
風間国興の娘、孝子は父と兄が嫌いだった。孝子の母は孝子が赤子の時亡くなった。父は後添えを迎え、側室まで設けていた。
父、国興は孝子の世話は乳母に任せたままで、興味があるのは兄の時興だった。父は孝子の縁談を自分の地位を良くするための手段としてしか考えていない風であった。本家の清光の妻経子が床にあるとき、孝子は父から、経子が亡くなったらお前が清光の妻となれと言われた。孝子は従兄でもあり幼馴染でもある清光を憎からず思ってはいたが、その妻の死を待って後添えになれと言われたときは、嫌悪感を否めなかった。
孝子から見た兄、時興は、清光に負けぬこと、劣らぬことばかりを気にしていた。武芸や学問はなんとか伍してはいたが、その武者として、人物としての、周囲の評判の差は明らかだった。時興は上手くいかないときは、周囲の人や物にあたった。子どもの時からそれを見ていた孝子は兄を哀れと思いつつも嫌っていた。
孝子は弓比べ前後のことを思い返していた。
弓比べの前日、孝子は秀柾を見た。はじめは、客席の末座を与えられたみすぼらしい田舎武者と思っていたが、清継がその者を由緒ある諏訪大社の弓比べの射手に自ら推した。秀柾は、動じることもなく、射手の指名を受けた。孝子が見たことがない類の男だった。
孝子が家中で唯一気が許せるのは、侍女のセイだった。セイは風間一門の傍流家の娘で、幼いころから孝子に仕えていた。弓比べの前日、宴の後、孝子はセイに話しかけた。
「セイ、私、今宵の宴でおかしな人を見たわ」
「どのような人でございましょうか?」
「佐閑の里の武者と言っていたかしら。とてもくたびれた直垂を着ているくせに、おかしな程、堂々としているの」
「もしかして、お館様が明日の弓比べに推した方でしょうか?」
「そうよ。あんなおかしな人がどんな射をすることやら……」
「私は、秀柾様は、とても落ち着きのある方に見えました。明日の射が楽しみです」
「おや、セイはあの方の名前を覚えたの?」
「……はい、お館様が大きなお声でお呼びしていましたから」
「セイにも気になる殿方はいるのね」
「そういうわけではありませんが……」
弓比べの日、孝子は清継や国興らが居並ぶ主賓席背後の、女性たちのための御座に坐した。孝子の背後にセイが控えた。近くには清継の妻、静子が坐し、その隣には巫女装束の真貴が居た。昨夕の宴の際には、孝子は真貴の並びの席にいたので、その様子をはっきりと見ることができずにいた。孝子は真貴を盗み見るように観察した。真貴は何か異質な美しさを持っているように見えた。
太鼓が鳴り、弓比べの武者たちが入場してきた。孝子は、いつもは清光と時興を比べているのだが、気が付くと秀柾と時興を比べていた。秀柾のなりはやはり貧相なのだが、彼はそれを気にする様子はない。他方、時興は豪華な衣装に身を包んでいたが、視線や仕草に落ち着きがない。
すぐに秀柾が一人目の射に臨むために歩み出た。孝子は動悸が高まっている自分に驚いた。セイの視線が気になり、思わず、目をやると、セイは両手を自分の前で組み、目はひたすら秀柾を追っている。
秀柾は見事な射を見せた。初めて弓比べに臨む者とは、到底、思えない出来栄えだった。孝子は武者席から聞こえる秀柾を称えるどよめきに酔った。続いて時興が射に臨んだ。その結果に武者席には沈黙が満ちた。
弓比べの後、屋敷に戻る際に、父が兄を見ながら小さく「小心者」と呟くのを孝子は聞き逃さなかった。兄は屋敷に戻ると、下働きの者に弓矢を投げつけるように預けた後、奥に入って、一人、大きな声で喚いていた。
その日の夜の宴に孝子は出ることはなかった。父と兄も出ないと決めた。
侍女のセイは、配膳や片付けの手伝いとして宴席に駆り出された。かなり遅い時間になってセイが孝子の元に戻ってきた。
「遅くなりました。ただいま戻りました」
「おかえり。宴の様子はいかがでしたか?」
「はい、お館様はたいへんご機嫌でした。清光様も楽し気に、お出でいただいた方々とお話をされていました」
孝子は宴席で秀柾がどのように評価されたのかが気になっていた。しかし、それをセイに真正面から尋ねるのはためらわれた。
「他の方々のご様子はどんなものでしたか?」
「皆さま、弓比べのお話で盛り上がっていらっしゃるようでした。ことに一人目の秀柾様の射を皆さま褒めておられました」
「そうですか……」
孝子は秀柾の様子を知りたかった。ためらったが、我慢できずに尋ねた。
「秀柾殿はどのようなご様子でしたか?」
「はい、はじめにお館様に呼ばれ、たいへん褒められているご様子でした」
孝子はその光景を自分で見たかった。
さらに詳しく知りたかった。重ねてセイに尋ねるか迷っているとセイが言った。
「秀柾様はたいへんお優しい方でした。私が膳を片付けようとすると、微笑まれて『ありがとう』とおっしゃいました」
孝子は、思わずセイを凝視した。セイは頬を赤らめ、俯いていた。孝子はセイをうらやましく思う自分に気が付いた。
孝子とセイ。二人は各々に秀柾のことが気になりだした




