第二十六話 弓比べ
風間家が主催する弓比べが始まる
諏訪大社の神聖な儀式のひと段落したところで、境内に太鼓の音が鳴り響いた。
風間家が主催する弓比べの始まりを告げるものである。
風間家の下働きの者たちが、幕を張り、的を立て、床几を並べ始めた。
弓比べは得点を競うものではない。技術の確かさは言うまでもないが、弓を射る一連の所作、品格、そして弓に向き合う心のあり方こそが問われる。評価は、弓比べを見届けた武者たちの主観で決まる。
弓比べを見届ける武者として筆頭となるのは、むろん、主催者の風間清継である。その隣には弟の国興が座る。この祭りは信濃国にとっても重要なものである。国府からは実務の長となる目代、源氏の一族、中原兼経が座る。さらに、信濃国の郡代たちも顔を揃えその中には諸の平賀忠景の姿もある。
弓比べは祭りに訪れた者は誰でも見ることが出来るが、射手と的とがよく見える場所には、主だった者の席が設けられ、そのすぐ後ろは有力者が場所を占める。祭りに訪れた者たちは、さらにその周囲にひしめいて見ることになる。
神事の手伝いを終えた真貴が見物者たちの方に行こうとしていると、風間家の下働きの者が、真貴を有力者席の方に案内した。静子が自分の隣に真貴の席を準備していた。
再度、太鼓が鳴り響いた。
弓比べに出る者たちが、一列になって会場に現れた。いずれも侍烏帽子、直垂姿で左手に弓を持ち、右手に矢を二本だけ持っている。四人の中で最も若い秀柾が先頭であった。秀柾の直垂は、すぐ後に続く武者たちの美麗な衣装に比べると、くたびれやほつれが目立つ。しかしながら、秀柾は昂然と頭を上げ胸を張り、堂々と会場に入ってきた。
四人の武者は、主賓席に立礼をして、用意されていた床几に腰を下ろした。
真貴は秀柾が過度に緊張するのではないかと心配していたが、その心配は無用のようだった。秀柾の表情には、高揚はうかがえるが恐怖や戸惑いは見当たらなかった。
一人目の射手を紹介する声が会場に響いた。
「佐閑の里、望月六郎秀柾殿」
秀柾は立ち上がり主賓席に小さく立礼をした。続いて諏訪大社神殿の方に向き直り、深く立礼をし、ゆっくり直って、矢を射る場所に移動した。
秀柾は昨夜の宴席を早々に退いた。
部屋に戻り、すぐに弓の弦を張り替えた。次に持参してきた矢から慎重に二本の矢を選んだ。その後は、師の資柾から習った射の型を丁寧に何度も繰り返した。師が秀柾に説いたのは、型をなぞることで心の持ちようを射に絞り込むということだった。
矢を射る場所のすぐ手前に、弓比べを手伝う者が控えている。秀柾は、その者に、一旦、弓矢を預け、直垂の片肌を脱いだ。あらためて弓矢を受け取り、所定の位置に付いた。
的は三十間先にある。
秀柾は、足場を固め、矢を番えた。両の手を頭より高く持ち上げ、弓を引き絞る。師は言っていた。「頬に感じる風に従え」と。わずかに左頬に風を感じる。狙いを気持ち左に置いた。
秀柾が片肌を脱ぎ、弓を絞り出した時、清継は自分の判断が正しかったと確信した。秀柾の肩から腕にかけての筋肉は鎧のように締まり、弓をゆっくり絞りながらもぶれることがない。その目は的を捉え続けている。
秀柾の脳裏に師の言葉が甦る。「左拳は的に引かれるように、弦離れは掌中の小鳥が逃げるように」
弦音とともに、秀柾の一の矢が放たれた。矢は吸い込まれるように的に向かい、中央やや左上に突き立った。
すぐに二の矢を番える。師の言葉は続く。「狙いを直すのではない。これもまた新たな一射として放て」
秀柾の二の矢は一の矢に近い、より中央寄りに突き立つ。
師の言葉はさらに続く。「二の矢を射たら、そのままの姿勢で心の内で三の矢を放て。この矢をもって弓比べの射は終わる」
秀柾は下がり、直垂を直し、再び諏訪大社神殿に深く、主賓席に小さく礼をし、自席に戻った。
名もなき山里の武者の射に観衆が湧きたつことはなかったが、武者たちは驚きどよめいた。城資柾の直弟子といっても、初めて弓比べに臨む若者である。一射でも的に当たれば上出来と踏んでいた。ところが、秀柾の射は予想をはるかに越した。
真貴は秀柾の射が無事に終わり、息をついた。真貴は昨夜の身分の高い少女が身を乗り出して秀柾の射を見ていたことに気付いていたが、さらにもう一人、その少女の仕える少女も息を呑んで秀柾を見ていたことに気付いた。
真貴が二人の少女を気にしていることに気付き、静子がそっと教えてくれた。
「あの姫は国興の娘、孝子です。一緒にいるのは、その身の回りの世話をしているセイです」
二人目の射手を紹介する声が会場に響く。
「風間国興殿が嫡男、太郎時興殿」
時興は鮮やかな萌黄色の直垂を身につけ、朱漆に藤巻の弓を手にしていた。真貴は、昨夜、宴席で秀柾をきつい表情で見ていた若武者であると気付いた。
時興は、自分が苛ついていることを承知していた。昨夜、叔父の清継は、弓比べに、いきなり、垢じみた田舎武者、望月秀柾を推した。しかも、秀柾は、五年前、自分が師事を願い出たのに相手にされなかった城資柾の直弟子という。
ただ、昨夜の秀柾は、風間家の権威にたじろいだ風で、宴席を早々に下がった。その様子からすれば、荘厳な神事に続く今日の弓比べでは、手足がすくみ、まともな射はできまいと読んでいた。ところが、秀柾は臆することなく見事な射を見せた。
時興は、気持ちの整理がつかないまま、一の矢を射た。矢は的の右上際に刺さった。時興の耳に観衆のざわめきが入った。
『風に持っていかれた』
時興は風の分だけ狙いを直そうとしたが、その加減に一瞬迷った。引き切ったが、離れを待てず、そのまま二の矢を放つことになった。
「うぐっ…」
時興は思わず、声を漏らした。矢は的の左下に外れた。
作法に乗っ取り礼を済ませ席に戻ったが、時興の心中は、行き場のない怒りで満ちていた。
「信濃国府詰め、橘八郎正季殿」
三人目の射手が床几から静かに立ち上がった。黒色に近い濃い灰色の直垂を纏い、漆黒の弓を持っている。手にする矢の羽もまた黒色だった。
主賓席に向き直って礼をする際に、真貴にも橘正季の顔が見えたが、緊張も高揚もうかがえない無表情であった。
橘正季は矢を弓に番えると、無造作ともいえるほど緩急なく弓引き絞り矢を放った。矢は的の中央近くに突き立った。続く二の矢もあっさりと放った。この矢も中央近くに突き立った。
武者たちがざわめいた。
射を終えた後、再度、主賓席に向き直って礼をする橘正季の表情には、喜びも誇りも無い。真貴は、まるで黒い影のような武人だと思った。
「風間清継殿御嫡男、風間次左衛門清光殿」
四人目の射手は清光である。藍色の直垂を纏い、手にする弓は黒漆塗りに白い藤を握り部に巻いている。
清光は笑顔で主賓席に向かって礼をし、続いて諏訪大社神殿に深く礼をした。その後、大股で矢を射る場所に移動する。
片肌を脱ぎ、弓を掴んだ清光の左腕の筋肉は隆々としている。
清光の射は緩急が際立っていた。矢を番えてから、一瞬溜を作り、引きにかかる。引き切った後、溜があって、矢が放たれる。
清光の一の矢、二の矢ともに的に当たった。正季ほど中央寄りではなかったが、中央からさほど離れていないところに、二本の矢が突き立った。
若き領主の息子は人気があった。観客たちはどよめき、歓声も聞こえた。
二の矢を放った後、清光はしばしそのままの姿勢で的を見た。小さくうなずいてから直り、所作に従って席に戻った。
真貴には主賓席に向かって礼をする清光の満足そうな笑顔が見えた。
三度目の太鼓が神苑に鳴り響く。弓比べが終わった。
祭りの日、風間家では饗宴が開かれた。
真貴たちは、弓比べを終えたら佐閑に戻るつもりでいたが、清継からも静子からも強く引き止められ、宴席に並ぶことになった。
宴は昨夕の儀式めいたものとは異なり、祭りに参加した者たちを慰労するくだけたものだった。ただ、国興、時興親子の姿はなかった。
宴がはじまってすぐに、秀柾は清継に呼ばれ、宴席の真ん中に進み出た。清継は上機嫌であった。息子の清光が期待通りのすぐれた射を披露したこともあるが、何より、自分が推した秀柾が予想を越える射を見せたことが愉快であった。
「秀柾殿、見事であった。師の資柾殿に迫る射と見た。押した甲斐がありましたぞ」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。しかしながら、師には、まだ、遠く及びません。これからも研鑽いたし、師に恥じぬよう心がけます」
「まこと、よき弟子である。資柾殿がなぜそなたを弟子に選んだのか分かる」
秀柾は是非、知りたいことがあった。
「恐れ入りますが、ひとつ教えていただきたいことがございます」
「何なりと」
「三人目に射に立ちました御仁はいかなる方でございましょうか?あまりに際立つ技に、言葉も出ぬほど驚きました」
「ああ、あの方は橘八郎正季殿と申してな、信濃国府詰め武者だ。御父君は、先の信濃守、橘広房殿だ。ただ、嫡流ではないので臣下され、武者として国府に詰めておられる」
清継の声は大きく、良く通る。少し離れた席にいた真貴の耳にも十分に届いた。「信濃国司、橘広房」の名に真貴は覚えがあった。仁の歴史講義で習っていた。歴史的記録書に『中右記』がある。その史書には『天永二年(一一一一年)十一月四日 是より先、下野守、源朝臣明国、美濃に下向の途次、信濃守大江(橘)朝臣広房の郎等等を斬る』とだけあるが、歴史の師である仁は、これをきわめて特異な事件と解説していた。
平安後期には、国守と任ぜられても貴族の多くは自らは京を離れず、地元の有力者に統治や年貢の徴収を任せていた。ところが、名門、橘一族の広房は朝廷のエリート養成所の文章得業生を終えて天仁元年(一一〇八年)に信濃守に任ぜられた後、実際に信濃に赴任した。
そして、その三年後、下野(今の栃木県)守である源明国に任地である信濃で殺害された。平時に、一国の国守が、出向いた他国でその国の国守を殺すなどは、前代未聞であった。背景に何かあったと思われるが、それを伝える史書はない。
天仁元年(一一〇八年)は浅間山が大噴火をした年でもあり、橘広房事件には十分気を付けるよう、真貴は仁から教えられていた。
その、橘広房の息子が、依然として信濃国府に詰めている。真貴は何か不穏な気配を感じた。
暗殺された橘広房の息子が、依然として信濃国府に詰めている……




