第二十三話 稲作・春
真貴の米作りがはじまる
真貴は前年の秋から、千年後の世界で学んだ知を、佐閑の稲作にどう落とし込むか考え続けてきた。
村の人々からは、地味が痩せていて稲がまともに育たないと思われている三十歩(約百平方メートル)ほどの荒田を借りた。これを耕し、秋のうちにスズメノエンドウの種をまいた。スズメノエンドウは立春の頃から芽を出し、田は緑の絨毯をひいたようになっていた。マメ科植物のスズメノエンドウは根粒に有機窒素を蓄える。春の陽射しとともにその量は増え、地味として最も不足していた窒素分を補うことが出来るはずである。
肥料の準備も進めていた。田んぼの近くに掘った堆肥壕で、腐葉土、糞尿、さらには狩りで取った獲物の内臓も入れて熟成させていたが、秋からは、これに馬糞を加えることが出来た。
これら施肥に加え、真貴が米作りにあたって、是非、実施したいと考えていたのは、播種前の種子の比重選別と温湯処理だった。ただ、塩水を使う比重選別では、比重一・一三の塩水を準備するための比重計が、温湯処理では、温水温度を六十度とするための温度計と、浸漬時間の十分間を正確に測れる時計が必要だった。
比重をできるだけ正確に測るため、真貴が準備したのは天秤棒と二つの桶だった。まず二つの桶を天秤棒の両端に吊るし、きれいに釣り合うように、軽い方の桶に小石を入れた。次に、片方の桶に七分目ほど水を入れて水面位置に印をつけ、その水を、もう片方の桶に流し込んで、こちらも水面位置に印をつけた。次に天秤棒に新たな支点を設けた。新たな支点の位置は、桶を吊るす両位置が支点から一対比一・一三となる位置である。真貴は一本の糸を十六に折り、九と八の位置を何度も確かめながら結び直し、ほんのわずか八寄りに支点の位置を決めた。
この仕掛けで比重一・一三の塩水を作る準備ができた。あとは、天秤棒に二つの桶を吊るし、桶に半分ほど水を入れて、支点から近い側の桶の水に少しずつ塩を溶かし込んでは水平を確認し、両方の桶の水面が、予めつけていた水面位置に届けば、比重一・一三の塩水が完成する。
六十度の温水は沸騰水と汲み置きした水を混ぜることで実現できる。梅が咲きはじめる春分の頃の佐閑の里の昼間の気温はおおよそ十度で、朝から汲み置きし屋外に置いた水の水温は、気温とほぼ同じになる。沸騰水五に対し汲み置き水を四で混ぜ合わせれば、ほぼ六十度の温水を得ることが出来る。
十分間をできるだけ正確に測るための時計には振り子を使う。長さ一メートルの糸に吊るされた振り子の往復周期は二秒間である。真貴は、予め義弘に託された黄金の太刀の全長が一メートルより指一本分だけ長いことを確認していた。真貴は小石と麻糸で振り子を作った。この振り子なら往復一回が二秒である。これを三十往復すれば一分間、三百往復で十分間を測ることができる。
真貴は農学者の礼司から、佐閑のような寒冷地での農業では、短い夏の間の植物の成長期を最大限に活用する重要性を教えられていた。この手始めとして、前年の秋に大豆を麦の刈入れに先立って発芽させ、元気に育った苗を植え変えることで収穫を増やすことが出来た。
真貴は稲作においても同様のやり方を採用したいと考えていた。
村の人々から真貴が聞き取った限りでは、佐閑で田植えが行われるのは立夏(新暦で五月五日頃)を数日過ぎてからである。立夏から収穫が行われる白露(新暦で九月九日頃)までの日数は百二十日間程度である。これを百三十日間まで伸ばすことが出来れば、確実に収穫を増やすことが出来る。
真貴は田植えを穀雨(新暦で四月二十日頃)後早くには行いたかった。そのためには少なくとも春分(新暦で三月二十日頃)の十日後には、種籾の選別、殺菌処理を終え、種籾を水に浸す必要がある。
真貴はまず比重一・一三の塩水を準備した。
秀柾は、真貴が桶や天秤棒、さらには糸などを使って作る仕掛けを、不思議に思いながらも黙って見ていた。ユイは真貴を手伝った。二つの物の重さを比べるのに天秤が使えること、支点の位置を変えれば、元になる重さとの細かな比較ができることを、目を輝かせて学んでいった。
春分を過ぎて三日後、雨が上がり天気が安定してきた。
真貴は大きめの桶に水を汲んで、住まいの小屋の外に置いた。さらに小石を十個拾ってきた。真貴は小屋の片隅でユイとともに種籾の選別と殺菌処理を始めた。
まず、比重一・一三の塩水への種籾の投入である。投入に先立ち、ユイは指先を塩水に浸け、舐めてみて驚いた。
「真貴様、このように濃い塩水に籾を浸けると醢になって芽を出さないのではないでしょうか?」
「心配ですよね。私も初めてみたときは驚きましたが、すぐに水で洗えば大丈夫です」
真貴は籾を投入した。礼司に連れていってもらった阿部丈雄の納屋で見た選別では、浮いてしまった籾は五パーセントもなかったが、真貴が佐閑の里で手に入れた籾の、五分の一程度が浮いてきた。
真貴は浮かなかった籾を笊に摂り、丁寧に洗った。
続く作業は緊張を強いられる温湯殺菌処理である。
作業に先立ち、真貴は振り子を用意し、その前に十個の石を置いた。
「ユイ、大事な役割をお願いします。私が合図したら、この振り子を揺らしてください。振り子が三十回行き来したら、石を一個、取って、自分の後ろに置いてください。最後の一個になったら、あと三十と大きな声で言ってください。そこからは一緒に数えます」
ユイは目を大きく見開き、うなずきながら「はい」と答えた。
真貴は沸騰水と汲み置き水を所定の割合で併せて六十度の湯を作った。桶から立ち上る湯気に一瞬怯んだが、一呼吸置いて、選別処理を終えた籾を投入しながらユイに合図した。
「はじめっ!」
ユイが小声で振り子の行き来を数え始めた。
真貴は桶を棒でかき混ぜながら、籾がすべて煮えて駄目になるかもしれない恐怖と闘っていた。振り子の前の石が減っていく。途方もなく長く感じる時間が過ぎていく。
「あと三十!」
ユイの声がした。二人は一緒に数えだした。
「……二十八、二十九、三十!」
真貴は桶の湯を一気に笊に流し込み、籾を取り出した。すぐさま、水を張って用意していたもう一つの桶に籾を放り込み、かき混ぜる。温湯殺菌処理が終わった。この後は念のために、もう一度水洗いをして、水を張った桶に入れて芽出しを待つ。温湯殺菌で胚が損傷していなければ、五日程度で芽が出るはずである。
真貴とユイは祈るような気持ちだったが、芽を出した籾を、十日間早く、苗に育て上げるには、さらに工夫が必要だった。佐閑の里で立夏以前に田植えができないのは、早く種をまいても、寒さのために苗が田植えできる四寸(十二センチ)まで育たないからである。最悪の場合、発芽した種籾が寒さのために全滅する恐れもある。
この問題を解決し、早春の朝晩が冷え込む信州で、通常より早く丈夫な苗を育てる方法が、昭和の初めに編み出された。保温折衷苗代である。苗代内の温度を数度から十度以上高め、発芽・生育を促進するというものである。
礼司から教わったやり方は次のようなものだった。
まず、水田に土を盛り上げて苗床を作り、芽出しした種もみを蒔く。その上に焼いた籾殻を厚くかけ、油紙で覆い、周囲を土で押さえて保温する。苗が伸びて油紙を持ち上げたら紙を除去し、その後は水苗代のように水を張る。
佐閑の里には油紙はないので、真貴は筵で代用することにした。
保温折衷苗代を用意し、温湯殺菌処理から五日待った。籾は芽を出した。
ユイが震える手で発芽した籾を一粒拾い上げ、真貴に示した。二人はうなずき合い、芽出しした種もみを、そっと苗床に蒔いた。
真貴とユイは、日に何度も苗代を見に行った。天気が良ければ、昼の間だけ筵を外した。風が強く寒さが厳しいときは筵の周囲に土を寄せた。苗床が過度に乾燥しないよう、かといって水が溜まらないよう注意して灌水を行った。
苗は手厚い世話に応えるように逞しく育ち始めた。村人たちは、自分らよりも十日以上早く、種蒔き、苗代づくりに取りかかった真貴とユイを不思議そうに、さらには寒さで苗が育たないであろうと傍観気味に見ていた。しかし、天気がいい日に、筵が外された苗代の様子を見た数人の村人は驚いた。彼らの予想を覆し、苗は見事に成長していた。話を聞いて何人かの村人が真貴の苗代を見に来た。
真貴は田植えの準備にも取りかかった。
村から借りた田にはスズメノエンドウが元気よく茂っていた。白い花もところどころに見られるようになってきた。このまま実を付けると、養分は実にまわる。葉や根に養分が最も蓄えられている今こそが緑肥として鋤きこむのに最適な時期だった。
真貴は秀柾の手も借りて、スズメノエンドウを田に鋤きこんだ。鋤きこみが終わった後は、堆肥の投入である。真貴は、昨夏から熟成した堆肥を田にたっぷりと投入した。堆肥は鋤き返された田に浸透していった。荒田は豊穣の田に変わりつつあった。
他方、村人の多くは、早蒔きの苗が育ったことには驚いたが、真貴の田を依然として「稲はまともに育たぬ荒田」と思い込んでいた。ゆえに、村人たちは、真貴が行うスズメノエンドウの栽培、鋤きこみ、堆肥の投入といったまったくなじみのない作業を、大した興味も持たずに漫然と見ていた。
春分が過ぎると日差しが長くなり、気温は低くても、春の到来を実感できる。
真貴が秋に蒔いた菜の花はすでに腰ほどの高さに育ち、次々と黄色の花を咲かせだした。村人は花の美しさには驚いたが、その実から貴重な油が採れることを知る者は、まだ、いなかった。
菜の花が咲いた
田植えの季節が近づいている




