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第二十二話 春の訪問者

佐閑に春が来た

真貴は二人の訪問者を迎えた

 立春を過ぎると、佐閑の里では節分草セツブンソウが可憐な花を咲かせているのを目にするようになる。日差しが長くなり、山里でも春が近いことが分かる。


 啓蟄の頃、真貴と秀柾を鍛冶の里の者が訪ねてきた。真貴に交易を提案した男だった。

 彼は、秀柾が託した農具の修理を終えたものを持ってきていた。

 秀柾は礼を述べた。

「きれいに直していただき、大変ありがたい。これで農作業が大いにはかどる」

「こちらこそ、前回いただいた薬草がありがたかった。ことに目薬は鍛冶職人たちが大変喜んでいる」


 真貴は縫合を行ったツルの経過が気になっていた。

「ツルさんは、その後、いかがでしょうか?」

「おかげで、ツルは元気になったよ。縫ってもらったおかげで、傷跡は小さくて済んだ。ツルもその夫も感謝している」

「良かったです。叔母のフキは息災ですか?」

「元気にしているよ。あなた方と会えたことで、長年、心に圧しかかっていたものが軽くなったようだ。表情が明るくなった」

「どうか叔母に、私たちも気持ちが軽くなったとお伝えください」


 男は鍛冶場のことについても話した。

「塵を吸わないように、鍛冶職人たちの鼻と口を布で覆うというやり方を教えていただいたが、ほんとうによかった。半日使った布を見て、職人も我々もびっくりした。あれほど多くの塵を吸わせていたと分かり、悔やんでいる」

「よかったです。お役に立てたようで」

「目を守る器具も作ってみた。使ってみたところ、数日程度で火の粉の跡が点々とついていた。着けるのを嫌がる者もいるが、これからは鉄を鍛える時には、必ず着けさせようと考えている」

「それが良いと思います」

「今回も、前回と同じ薬草を持ち帰りたいのだが、用意してもらえるだろうか?」

「ご用意できます。少しお待ちください」


 真貴が薬草を束ねていると、男が声をかけてきた。

「まったく別に新たに相談したいことがある」

「どういう話でしょうか?」

「この穀物を、佐閑の里で作ってもらえないだろうか?」

 真貴は男が小さな袋から出した穀物を見た。麦の一種だった。礼司に見せてもらった覚えがあった。


「……麦ですね……もしかして小麦でしょうか?」

「そうだ。我らの里でも作っているが収穫量が足りない。作ってもらえれば、全量を引き取る。代わりに提供できるものだが、金物のほかに明礬はどうだろうか?」


 明礬……真貴は薬学の講義を思い出した。化学物質としての名は硫酸アルミニウムカリウム。火山地帯で採取される鉱物の一種で、鍛冶では溶接の際の接着剤として使われるが、医薬品としては止血・制汗(収斂作用)に用いることができる。動物の皮を鞣す際には、塩(塩化ナトリウム)と併せた溶液にして皮を浸漬することで、柔軟な高級毛皮を得ることができる。冬の寒さをしのぐために、子どもたちだけでも柔らかい毛皮で包んでやることができればと思うと、真貴の心は動いた。

「明礬は是非入手したいです。小麦作りは村に諮りたいと思います」

「それはありがたい」


 真貴は鍛冶の里からもう二つ入手したいものがあった。

「私からもお願いがあります。まず一つは馬鍬の刃を入手したいです」

「すぐに用意できる。五寸の刃を十本でいいか?」

「はい、お願いします。それと、鳩をつがいでいただけませんか?」

「約束はできないが、何とかしようと思う。里の間での連絡にも使えるからな」


 男は薬草と二斤の大豆をもって帰って行った。


 春分が近づいたころ佐閑の里に珍しい客が訪れた。諏訪の豪族、風間清継の嫡男、風間清光が、自らも馬に乗り一頭の馬を引いて真貴と秀柾を訪ねてきたのである。村人たちは立派な武者がやってきたことに驚いた。


 真貴と秀柾も突然の訪問に驚いた。

「巫女様、秀征殿、お久しぶりです。ご息災でしたか?」

「はい、おかげさまで。経子様は無事にご快癒されましたか?皆さまはお元気でしょうか?」

「ええ、皆、元気です。今日は、我が風間家にとって嬉しい話をお知らせに参りました」

「それは……」

「経子が身ごもりました。まもなく三月です」

「ああ、それは、まことにおめでとうございます」

「私もですが、父も母も大喜びで、これは巫女様がもたらしてくれたものと感謝しております」

「経子様のご快癒は、諏訪の神々のお力です。私は神々のお力をお借りしただけです」

「いやいや、巫女様のお助けが無ければ妻を失うところでした。その上に新たな命まで賜りました」


 清光は二人に素晴らしい笑顔を見せ、話を続けた。

「父が巫女様に孫を得られる喜びと感謝をお伝えしたいと申しております。まず、この馬をお受け取りください。牝馬です。西風ならいと申します。東雲の連れ合いに相応しい馬を選びました」


 清光は担いでいた伏竹三枚打に黒漆を塗った見事な弓を秀柾に差し出した。

「この弓は私から秀柾殿にお送りします。来月の御頭祭の時には弓比べがあります。父が希望しております。どうかこの弓でご参加ください」


 さらに清光は西風に乗せていた包みを真貴に差し出した。

「この包みは母からです。小袖と袴です。巫女様にお使いいただければ幸いです。お弟子のムメ殿の衣も入っていると聞いております」


 真貴も秀柾も、あまりの贈り物に躊躇してしまった。

「これは、あまりに過分なものと……」

 真貴が遠慮すると、清光が強く言った。

「どうかお受け取り下さい。我が家の喜びを分かち合うものとお考え下さい」


 清光はさらに話を続けた。

「御頭祭には、ぜひ巫女様もお出で下さい。母は、無事に孫を見られるよう、経子を診ていただけるよう、強く願っております」


 その日、清光は妙泉寺に泊まり、真貴と秀柾と夕餉をともにした。

 夕餉の席で、清光は、昨今諏訪で耳にした二つの話を語った。


 一つは怪異の話だった。凍り付くほど寒い夕暮れの信州の道を、ずぶ濡れの少女が京へ向かい歩いているのを見たという人が何人かいて、道を尋ねられた者もいるという。風間家では日が落ちると固く門を閉ざすようにしたとのことだった。


 真貴も秀柾も、元の話は、真貴がユイの素性を隠すため創作した「類子は千曲川に身を投げた」とする話だと察した。ただ、話の広がりは意外だった。


 もう一つの話は野盗の話だった。昨年の秋に木曽の方で野盗が村を襲うということが何件か起きていて、松本の国府では追捕を行おうとしたが、野盗の本拠地が分からず、手が打てないでいるという話だった。諏訪では、社領を守るため、春先から武者による村々の巡回を始めたとのことだった。


 真貴と秀柾は野盗と聞いて、辛い記憶がよみがえった。真貴は、村を守るための策を早く立てなくてはならないと強く思った。


 清光は梅の花芽が膨らみだした道を、ゆったりと馬に乗って帰って行った。


風間家に新しい命が宿った

心ときめく良い知らせだった

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