表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/33

第二十話 麦踏み

佐閑に冬が訪れる

凍てつく厳しい季節を真貴たちは耐える

 小雪、大雪を経て冬至が近づくと佐閑は冬の季節に入る。昼間も吹く風は冷たく、朝には氷が張る。


 この時代、農民の住まいの室内の温度は、外気温よりわずかに高いだけである。低温状態に長くいると、人は血圧上昇、睡眠の質低下、免疫力低下に陥りやすい。心臓病や脳卒中の危険は増え、喘息、さらには肺炎の危険が増す。室内を暖めることができないのであれば、病気に対する備えは、個人個人の体力と免疫力に頼るしかない。


 真貴は、村人全員の健康維持を図りたかったが、成人の食生活や生活習慣を変えるのは難しい。真貴は、体力の乏しい子どもたちの健康維持を第一の目標にした。


 何よりも食である。真貴は、朝晩の雑穀粥に、夏の間に刈り取り陰干しをしていた蓬や滑莧といった野草を入れて食べることを勧めたが、なかなか受け入れられなかった。そこで、昼時に寺にやってくる子どもたちには暖かい野草の汁を与えることにした。さらに、やはり夏の間に採りためていた陰干しした柿の葉で茶を入れて飲ませることもはじめた。いずれもビタミン類の補充になる。


 子どもたちが一番夢中になったのは、やはり干し柿だった。この時代、甘みは特別な贅沢だった。それを口いっぱい頬張る体験は、山村の子どもには初めてだった。真貴とユイが干し柿を配る日は、朝早い時間から子どもたちが寺に集まるようになった。


 秀柾は東雲との仲を深めていた。東雲は佐閑に来たばかりの頃は、なかなか落ち着かず、少し暴れたりすることもあったが、秀柾が、飼い葉を運び、藁の束子で体の手入れをし、厩の掃除をしているうちに信頼関係ができ上がってきた。


 秀柾は、はじめは真貴の指導でおそるおそる東雲にまたがっていたが、一か月程度で一人でも乗れるようになった。狼狩りから帰ってからは、天気の良い日は毎日のように東雲に乗って、村の周囲をめぐり、馬上から弓を射る練習もはじめた。


 村の人々は、お寺の少年から村を守る武者へと成長する秀柾の姿を、ときおり農作業の手を止めて見ていた。


 秀柾は冬になっても害獣の駆除を続けなくてはならなかった。相手は、やはり鹿と猪である。村では秋になると、畑には麦の栽培が始まる。秋の半ばに蒔かれた麦の種は寒さが増してくる頃に発芽する。この芽を狙って鹿、猪がやってくる。


 秀柾は里山に仕掛ける罠を工夫するとともに数を増やした。これによって、二頭の鹿と一頭の猪を捕らえることができた。さらに、夜の畑の待ち伏せで、二頭の猪を仕留めた。


 この猟果で、里の害獣被害は大きく減り、村には貴重な肉がもたらされた。村の人々は、単に煮たり焼いたりして食べるだけでなく、干し肉、燻製肉とすることで、厳冬期への備えを増すことができた。


 真貴は冬になったら試してみたいことがあった。紙作りである。試作をすべく、楮の枝を数本刈り取ってきた。これを蒸して表皮を剥ぎ、芯を出す。この芯を寒さの中で何日か天日干しし、繊維を取り出し、さらに干す。手間のかかる作業だが、真貴は時間を作っては少しずつ進めていった。


 冬至を過ぎると佐閑の里は一段と寒さが増す。天気が良い朝は、畑や畔には霜柱が立つ。


 真貴は秀柾の麦畑の発芽の様子を確認し、一つ決断をした。麦踏みの実施である。麦踏みをすることで麦の苗がたくましく育ち収穫量が増える。そのやり方も礼司に教わっていた。しかし、実際にやったことはなかった。


 真貴は秀柾に麦踏みについて説明した。

「姉上、芽を出したばかりの麦を踏むのですか?」

 秀柾は明らかに動揺していた。

「そうです。踏むのです。踏むと、まず霜で根が浮き上がるのが防げます。無駄に背ばかり高く伸びるのを抑え、茎を丈夫にできます。株分かれがよくなり収穫が増します。私はこのように教わりました」


「龍神様の教えなら間違いはないでしょうが……私はとても恐ろしいです。せっかく芽が出た麦がだめになるのではないかと」

「秀柾、正直に言うと、私も恐ろしいです。教わったことと実際にやってみたことは別ですから。そこで、畑の半分の麦の芽だけを踏んでみましょう。それで具合がよかったら来年からはすべて踏むし、村の人にも教えましょう」

「……はい」

「秀柾、生業(なりはい、農業のこと)は昔から伝わるやり方や知恵を頼りにやっています。しかし、それだけでは実りを増やすことは叶いません。新たな工夫をやってこそ、得られるものがあります」


 数日、好天が続いた。真貴は秀柾、ユイとともに畑に出向いた。二人は麦踏みを行う区画を決めた。意を決して、畝に踏み込んだ。ユイが不安げに見つめる中、二人は畑の半分の麦の芽を丁寧に踏んだ。

 初めての麦踏みから数日が過ぎた。三人は心配していたが、踏まれた麦は枯れることはなかった。少し横に広がり、上へと延びる芽を出した。


 佐閑の里にも正月が訪れた。真貴はユイと一緒に白米を焚いた。秋に採って干しておいたキノコの汁に干した肉を入れた、贅沢な料理になった。東雲にも、好物の大豆の茎と豆莢を与えた。無事に年を取ることができたことを祝った。


 里に戻り、ほぼ半年を過ごすうちに、真貴は村の問題とその解決策をじっくりとまとめていた。


 一つ目は村人の健康状態の改善である。具体策は食の改善と衛生概念の定着である。これは子どもたちを通して進めている。


 二つ目は、穀物の収穫量を増やすことと安定させることである。施肥については大豆である程度効果を確認できた。麦踏みは実施したが成果は見えていない。これら以外の作物では試せていない。かつて礼司から農業は一年に一回しか実験できないと言われた意味の重さを感じていた。


 三つ目は、穀物以外に村の特産物を作ることである。特産物は米の代替として、国府に収めることができる。それができれば、村で米を食べることもできるようになるし、不作の時でも、代替を納めることで労役を免れることもできる。さらに外部との交易で村を豊かにできる。薬草という形で着手したが、紙や菜種油をこれに加えたかった。


 四つ目は、村の安全保障を整えることである。村を苦しめる事態はいくらでも想像できた。天候異変による飢饉もあれば、疫病もある。さらに恐ろしいのが外部からの暴力である。この時代、国衙はじわじわと荘園に取り込まれつつあった。荘園に取り込まれてしまえば、領主のほしいままにされてしまう。もう一つの暴力は野盗である。浅間山が噴火した後の上野は野盗が跋扈し、多くの人が暴力の犠牲になった。


 真貴の希望はささやかなものである。かつての自分のような犠牲者を出さないこと、些細なことで失われる命を減らすこと、つまりは、村の人々が健やかに心穏やかに暮らせることである。しかし、この時代、その希望はとてつもなく高い望みであった。


 年が改まって数日した天気の良い日、真貴は秀柾、ユイとともに再度、麦踏みを行った。以前に踏んだ麦の成長ぶりを見て、二人とも自信がついた。今回の麦踏みにはユイも加わった。


 麦を踏みながら秀柾が真貴に言った。

「姉上、この麦は、我ら姉弟のようですね。幼い頃、何度も辛い目に遭いました。しかし、我らは枯れませんでした。ここに根を張って生き続けています」

 真貴は弟の言葉が嬉しかった。

「そうです。我らには、同じく辛い目に遭ったユイもやからになりました。まだ、これからもいろいろな試練があるでしょうが、ここに根を張って、伸びていきましょう」


 佐閑の里は、冬の真っただ中にあったが、麦は健やかに育ちつつあった。



冬の寒さに負けぬ麦のように姉弟は生きて行く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ