第十九話 交易
真貴と秀柾は鍛冶の里を後にした
翌朝、鍛冶の里は霧の中にあった。朝の静寂に鍛冶場の槌音が聞こえた。
真貴は、明るくなってから再度病人たちを診た。やはり、顔色は悪く、辛そうに咳をしている。目の白濁も確認できた。
真貴と秀柾が佐閑の里に戻る準備をしていると、昨晩、話し合いに加わっていた男の一人がやってきた。男は七個の矢尻を持ってきていた。
「これを持って行ってくれ。とりあえず、手元にあったものだ」
秀柾が礼を述べた。
「ありがとうございます。助かります」
真貴はツルの経過が気になっていた。
「ツルさんはいかがでしょう?痛がったり熱が出たりしていませんか?」
「大丈夫そうだ。言われたとおりに傷口を薄い塩湯で洗い、紫紺の煎じ汁で拭っている」
「よかった。糸を抜く時期に気を付けてください」
「ああ、五日後だな」
「まず、三日目に傷口をよく見てください。赤みが引いていれば、五日ほどで糸を抜いてもいいです」
男はうなずいた。真貴は続けた。
「それと胸や目を病まれている方々にお薬を渡したいのですが、今、手元にありません」
「そのことだが、相談がある。我々は、時々、この里から出て金物と我らに足らないものを交換することは話した。そこで、この先、十日の内に我らが里の者を佐閑の里に送りたい。その者には、さらに二十個の矢尻を持たせる。その矢尻と薬を交換してほしい」
真貴は意外な提案に驚いた。男は続けた。
「我々には信用できる取引相手が必要だ。祭りや町の辻でのやり取りでは、騙されることもある。薬草では、名ばかりのものを掴まされたことがある」
秀柾が答えた。
「わかりました。私たちも助かります。我らが里には鍛冶がおりません。農具が壊れたときは、遠く長野や諏訪まで持参し修理をしています。たいそうな出費となり十分な修理ができていませんでした。この修理をお願いできますか?」
「もちろんだ。できれば、麦や大豆も手に入れたいので、交換ということであれば」
「沢山は準備できませんが、お互いに利があるようにできればと思います」
真貴と秀柾は里を発つ準備が整えた。見送りにはフキも現れ、別れを惜しんだ。
二人が見送りの者たちと村を抜けようとしていたとき、真貴は小屋から聞こえる鳥の鳴き声に気が付いた。鳴き声からすると鳩のようであった。
真貴は男の一人に尋ねた。
「もしかして、鳩を飼われてますか?」
男は少しためらって答えた。
「はい、飼っております」
真貴は重ねて尋ねた。
「文を運ばせるためですか?」
年かさの男が答えた。
「巫女様にはすべてお見通しのようですね。その通りです。我らの仲間で、遠い地まで出向くものや、国府近くに出向くものに持たせることがあります。急な知らせを受けるためです」
真貴は黙ってうなずいた。
真貴と秀柾は鍛冶の里に別れを告げて、佐閑の里へと戻った。里に着いたのは、日が暮れつつある時間だった。
二人は妙泉寺に直行した。ユイが寺の外で待っていて、二人に気付くと走り寄って真貴に抱きついた。真貴はユイをしっかり抱きとめて声をかけた。
「今帰りました。心配させてしまいましたね」
ユイは黙って、固く真貴の手を握った。
寺には村人たちが集まってきた。和尚と村の主だった者に、秀柾が狼狩りの顛末を説明した。むろん、ツルを助けたこと、鍛冶の里に行ったことは語らなかった。村人たちは、秀柾の説明に胸をなでおろした。ただ狼の脅威は去ったが、やはり山が里に比べて危険なことには変わりはない。秀柾は山に入る村人たちに決まりを守り続けるように呼び掛けた。
その夜、真貴と秀柾は家に戻り、真貴はユイを抱くようにして眠った。狼の遠吠えが聞こえることはなかった。
村は冬を迎える準備を着々と進めている。
大豆や蕎麦の収穫の後にはすぐ麦が蒔かれる。村人の主食となる大事な作物である。人々は山に入り、薪、落ち葉、木の実などを集める。
秀柾は東雲の冬の飼い葉になる茅を刈り集めることに懸命だった。
真貴は柿の実の収穫を始めた。むろん渋柿である。ユイと一緒に籠を背負って山に入り、少し赤みを帯びだした実を次々に籠に入れた。木の高い所の実は、長い木の枝に小さな刃物をつけた道具で刈り取った。持ち帰った柿は、ユイとともに皮を剥いた。はじめて刃物を使うユイは、要領を掴めず苦労していたが、やがてするすると剥けるようになってきた。剥き終わった柿は細い藁縄で吊るす。真貴は自分らの住まいにびっしりと吊るし、お寺の庫裏を借りて、さらに吊るした。秋のくすんだ景色に柿の朱色が鮮やかだった。
村の人々は、柿が渋くて食べられないことを良く知っているので、真貴のやることを不思議な顔つきで見ていた。
鍛冶の里との約束の日が近づいていた。
真貴は、鎮咳効果がある車前草、鼠麹草に加え、煎じれば点眼薬となる目薬木の樹皮を用意した。秀柾は村人の間を回り、破損して使えなくなった鉄の農具を集めた。
鍛冶の里の者は、頭巾をかぶり、葛籠を背負い、手甲、脚絆をつけた旅の職人の風情で村に現れた。寺を参り、病の治癒の教えを請いたいので龍神の巫女に会いたい旨を告げて、面談の機会を作った。
真貴と秀柾は約束通り、矢尻二十個を受け取った。これの交換品として真貴は薬草類を渡した。薬草を種類別に縄で括り、それぞれに効能と処方を記した木札をつけておいた。秀柾は破損した農具を渡し、修理のためのとりあえずの対価として、二欣の麦と大豆を渡した。
男は次に来るのは厳しい寒さが終わった春になるだろうと言って、村を発った。
武者の弓の修業とは、矢を射る技術に止まらない。弓や弦の手入れの技術はもとより、矢を自分で作ることができるようになることも修業の内である。秀柾は、師の城資柾から、これらを教わった。
良い矢を作るためには、まっすぐなよく乾燥させた矢竹が必要である。秀柾は師の教えに従い、普段から、素性の良さそうな矢竹を見つけては持ち帰り、乾燥させていた。矢羽根に使う雉の羽も蓄えてある。三十個近い矢尻を得たので、秀柾は、冬仕事として矢の製作に励むことになった。
日差しが短くなり、木枯らしが吹きだした。山を彩っていた樹々の葉は落ち、冬が間近となったころ、真貴は最初に吊るした柿を取り込み、ユイ、秀柾とともに食べた。糖分が白く結晶した干し柿は、噛むと、ねっとりと歯に絡むような甘さがある。ユイも秀柾も食べたことがない甘さであった。自分の一個を食べてしまったユイが悲しそうにしていたので、真貴はさらに一個をユイに渡した。ユイの笑顔が弾けた。
真貴は、干し柿を、冬に間の子どもたちの糖分補給とビタミン源にするつもりでいた。上手くすれば、冬の間、五日に一度くらいは子どもら全員に与えることができそうだった。
真貴は冬の準備の一環として干し柿を作った
山里の子どもが口にしたことのない甘味だった




