第十一話 類子
襲撃は撃退したがムメは震えていた
真貴ら三人は、その日の夕刻、海尻の関についた。ここには創建から二百年近い神光寺という立派な寺がある。立派な山門をくぐり庫裏を訪ねて神宮寺の円範和尚の紹介状を示すと、丁重に宿坊に案内された。真貴と秀柾は再び襲われることを恐れ、交互に休みを取ったが何事も起きず、朝を迎えることができた。
海尻の関から佐閑の里までは緩やかな下り坂になる。箕輪で千曲川を渡り、少し北上すると小海の湖岸に出る。湖を左に見ながら湖岸の狭い道を三人は進んだ。真貴はムメが母親に連れられ、京から佐閑の里までの長く険しい道を、追っ手を恐れながら、辿ってきたことを考えると胸が痛かった。
前日の襲撃以来、ムメは怯えていた。ひと時たりとも真貴から離れることができず、寝るときは真貴に抱きついて寝たが、何度もうなされていた。襲撃の時に大声を出したが、それ以降は声を出そうとしなかった。
空が夕暮れに朱く染まりだしたころ、三人は佐閑の里に帰り着いた。立派な馬を連れて帰って来た三人に村人は驚いていた。
真貴は妙泉寺に直行した。真貴たちが寺に着いた時には村人が集まっていた。真貴は和尚に神宮寺への紹介状の礼を述べ、諏訪で風間家の病人の治療を行ったこと、治療が上手くいき、褒美として馬を拝領したこと、風間家当主が烏帽子親になり、小太郎が望月六郎秀柾を名乗るようになったことを報告した。昨日の襲撃の話はあえてしなかった。和尚は何度もうなずきながら真貴の話を聞いた。
真貴は自分らが留守をしている間に、村に何か起きていないか、不審な人物が入り込んでいないかが気になり、和尚と村長に尋ねたが、病人や異変はなく、人の出入りもなかったことが確認できた。真貴はようやく安心し、三人の住まいへと戻った。
翌朝、秀柾は真っ先に大豆を植えている畑を見に行った。十日近く手入れも水やりもできなかったので心配していたが、雑草はいくらか増えていたものの、時々、夕立があったおかげで大豆は順調に成長し、豆の莢が膨らみ始めていた。
秀柾は、東雲の厩作りと与える飼い葉の手配をはじめた。馬には夏の間は青草や乾草などの「秣」を与えるが、冬に備えて干し草作りも行わなくてはならない。東雲は良馬なので餌は量だけでなく質も大事になる。秀柾は村人に頼んで古くなった穀類を譲ってもらい東雲に与えられるようにした。
真貴は諏訪への旅で手に入れた胡麻と菜種、さらに黄花蒿の種をまく場所を探した。沢山の種があるわけではないので、胡麻は大豆を植えている畑の奥に、菜種は来春から米を育てる田の脇に、そして黄花蒿は住まいのすぐそばに蒔くことにした。
村に戻って三日目、三人で夕餉を済ませたあと、ムメが居住まいを正し、真貴と秀柾に深々と礼をした。二人はムメが大事な決心をしたと分かった。二人も居住まいを正した。ムメは部屋の奥から、母親の包みを持ってきた。その中から錦の袋と匂い袋を取り出した。
小さな声でムメが話しはじめた。
「真貴様、秀柾様、お助けいただきありがとうございます。お二人には、私のことをお話ししたいと思います」
ムメの言葉には信濃の言葉とは違う抑揚があった。
「秀柾様に葬っていただいたのは、私の乳母のタツです。母は私を守るため、私を乳母に託しました。母は……殺されたと聞いております。母が生前、乳母に渡した文が、この中にございます」
ムメが差し出した錦の袋の中には、丁寧に折られた書状と、白鞘の短刀が収められていた。真貴が書状を開くと、小さな文字で行間を詰めて綴られた文章が現れた。
夕暮れの光の中で、真貴は静かに読みはじめた。
手紙の内容は驚くべきものだった。
ムメの本当の名は類子、母は頼子。清原氏一族の娘で、鳥羽天皇の中宮、藤原璋子に近侍する女官だった。二年前に藤原璋子は第一皇子、顕仁(あきひと、後の崇徳天皇)を生んだが、その六年前に母の頼子は女官を辞して親元に戻り、類子を生んだ。
類子の父親が問題だった。文には頼子は「治天の君に情を賜り」と書かれていた。すなわち、白河上皇が類子の実父ということを意味する。頼子はひそかに類子を生み育て始めたのだが、これが中宮、藤原璋子の知るところとなった。
璋子は自分の侍女が上皇の子を産んだことが許せなかった。璋子はまず頼子を殺そうとした。いくつかの兆候で命を狙われていると知った頼子は、類子を乳母に託して親元から離れさせた。文で分かったのはここまでである。
ムメ、類子は小さく震えていた。真貴は優しく語りかけた。
「あなたは乳母に連れられて京を落ち延びてきたのですね」
類子は顔を上げて話しはじめた。
「はい。卯月にはいり、私たちは母の親元を出て、清原の縁者が残る奥羽に向かおうとしました。タツと私はまず京から北に向かいました。厳しい旅になると分かっていました。私たちは、母が信心しておりましたお貴船さま(貴船神社)に立ち寄り、加護を願うことにしました」
「お貴船さまは深い森の中にございます。私とタツは人目を避けるため朝の早い時間に詣でました。朝霧が立ち込める本殿前で柏手を打ち、目を閉じると、低く太い声が聞こえました。『信濃へ落ちよ。佐閑の里に、わが眷属がそなたを待つ』と」
「私たちは尾張、駿府を経て古府中にたどり着きましたが、そこで私が病になりました。小さな寺に寄せてもらい七日を過ごしました。その後、佐閑の里を目指したのですが、タツの具合が次第に悪くなり、ようやく里に着いたものの二日目に亡くなりました。あとはお二人がご存じのとおりです」
真貴と秀柾の胸には、類子と同じ年の頃、上野から信濃に逃れた辛い記憶がよみがえっていた。火山灰に埋まった上野の絶望的状況、険しい山道をたどる旅、山中での野盗の襲撃、信濃に着いての父母の死……。
類子は話を続けた。
「私は、自分は生まれてきてはいけなかったのだと思いました。母は私のために殺されました。乳母のタツも私のために亡くなったのも同然です。そして、私たちが病を持ち込んだために五人もの村の人たちが亡くなりました。私は不幸をもたらす子なんだと思いました」
「村の人たちが怒って、私を龍神様の贄にすることに決め、小舟に乗せられ湖を渡っているとき、『もうこれで終わる』と思い少しほっとしました。お貴船さまで聞いた『眷属が待つ』という言葉の意味は、贄として命を捧げよという意味だったのかと悟ったつもりでした」
「ところが生贄の洞に着く手前で、龍神の巫女様が顕れました。お貴船の高龗神の霊験に私は震えました」
「巫女様は村の人々に『この子に罪も穢れもありません』と言ってくださいました。私は巫女様に付き従えばいいと分かりました。巫女様は私にお役目をくださいました。生まれて初めてのことでした。私は懸命に村の人々のお世話をしました。薬草を集めるお手伝いをしました。お寺で子どもたちにお汁を出す手伝いもできました。風間の屋敷でもお世話ができました」
「人の役に立てる、もうこれで幸せに生きて行けると思い始めていました。しかし、京からの追手が現れました。巫女様と秀柾様のおかげで助かりましたが、私がいる限り、このようなことが再び起こるのではないかと思うと、いたたまれません」
類子は錦の袋から白鞘の守り刀を取り出した。
「これは、母が上皇様から賜ったと聞いています」
真貴は類子から守り刀を受け取った。鯉口を切って刃を改めると、鎺に小さく日月紋が刻まれていた。鎌倉時代以前によく使われた皇家の紋章……仁に教わった歴史学を真貴は思い出した。
類子は匂い袋を真貴に渡した。
「これも、上皇様から賜ったものだそうです」
匂い袋は濃い紫の絹の生地で、白蓮の刺繍が入っていた。かすかに伽羅の香りがした。
ムメは貴族、清原一族の娘、類子だった
そしてその父は白河上皇……




