第十話 襲撃
真貴たちは風間屋敷を後にした
赤岳の山裾を廻る帰路で襲撃を受けた
真貴たち三人は、翌朝、風間家を後にした。東雲を拝領したので、湖を小船で渡ることができなくなった。そこで赤岳の南側を廻る道をたどって佐閑の里へと帰ることになった。
風間家の見送りは心がこもったものだった。静子は帰路の糧食として、干飯を過分に用意し、清継、清光とともに門前まで見送ってくれた。
夏の終わり、秋のはじめの信濃の天気は不安定になりやすい。諏訪を発つ前日の夕方から夜更けにかけては雷を伴い激しく雨が降ったが、出立の日は朝から好天に恵まれた。真貴と秀柾は、東雲に荷物を預けムメを乗せた。
真貴たちは、神宮寺に立ちより礼を言って、上川沿いに諏訪南からまずは茅野に向かった。茅野を過ぎさらに南に下ると田畑はしだいに少なくなり、白檜曽や唐松などの林に変わる。釜無川を右手に見ながら三人は、神宮寺の円範和尚に紹介された小淵の里の寺を目指した。
茅野から三里あまり進むと緩やかな丘になり眺望が開ける。彼方には富士の山も見える。初秋の午後の日差しの中を進んでいるうちに、真貴は通り過ぎた路傍の草花が気になって足を止めた。
秀柾とムメを待たせて、真貴は少し引き返した。気になったのは、背丈が高く、黄色の小花をたくさんつけた草花である。間近まで寄ると独特の香りがする。真貴が入手できないでいた薬草、黄花蒿である。見渡すと、小さな群生地ができていた。
真貴は黄花蒿の香りを吸い込むと、礼司の講義を思い出した。
――この草は中国で古くから用いられている薬草で、熱病を鎮めるとされてきた。日本にいつ渡ったかはいろいろな説があるが、その一つは十世紀に宋の商人が北の若狭へ来航した折、交易の荷として薬草を持ち込んだとするものである。種は小さく衣に付くので旅人ともに広まりやすい。日本の文献に登場するのは数百年も後のことだが、ひそかに広がっていても不思議ではない――
真貴は種子をつけた黄花蒿を数本刈り取り、荷物に収めた。
三人は日が落ちる前に小淵の里の寺に着くことができた。神宮寺の紹介状を示すと、快く泊めてもらうことができ、旅の疲れを癒すことができた。
翌日も好天の下、三人は佐閑の里を目指した。道は赤岳南麓に広がる雑木林の中を緩やかにうねりながら東へと向かっている。時折、開けた草原に出る。小淵の里で聞いたところによれば、このあたりは古くからの牧で、野辺山の高原牧と呼ばれているようだった。
諏訪から小淵の里までは、旅人とときおり行き違った。この道は逸見路と呼ばれ、古府中(今の甲府市)と諏訪という要衝を結ぶ道である。しかしながら、小淵の里から東への道、平沢口に入ると人影はほとんどなくなった。
三人は順調に旅程をこなし、昼には野辺山牧の広い草原の中央を横切るところまでたどり着いた。道を少し外れ、草原を横切る小川で東雲に水を飲ませ、草を食ませているとき、東雲が耳を動かし、草を食むのをやめた。真貴は異変に気が付いた。何者かが、自分たちを追跡、探索している気配がある。
真貴は記憶をたどった。少なくても、昨日、小淵の里に着くまでは、異変は感じなかった。今朝出発するときも大丈夫だった。真貴は追跡者に思い当たった。平沢口に入り、一刻(二時間)ほど進んだ時、二人の男とすれ違った。その彼らが引き返して追いかけてきたと考えるのが、正しいようである。可能性が高いのは盗賊である。東雲か二人の女性に狙いをつけ戻ってきたと考えられる。
真貴は護身術講義で学んだことを思い出した。危害を加えようとする連中からは、まず逃げる。逃げるのが難しいときは隠れる。それができないとき時、初めて戦う。
真貴は状況を整理した。いくら東雲でも三人で乗ることはできない。自分一人なら、一気に東雲を駆れば逃げられるが、秀柾とムメを置き去りにはできない。今は隠れている状態に近いが、彼らが東雲に気付けば、こちらの居場所は、すぐに知れてしまう。
真貴は戦う場合に備え、二人の男の様子を懸命に思い出した。少なくとも一人は武者風で太刀を持っていた。もう一人は僧形であったが、違和感があった。錫杖のようなものを持っていた。こちらの武器は太刀と弓矢だ。距離さえ保つことができれば襲ってきても負傷させて追い払える。
真貴が緊張感を高めて周囲をうかがい始めたことに秀柾は気付いた。この時代、旅人を狙う盗賊は珍しくない。怪しい者が近くにいる可能性を秀柾も理解した。真貴は振り返って、指で自分の口元を押さえ、声を出さないよう秀柾とムメに指示した。東雲は時々周囲を見渡しながらも騒がずにいる。秀柾は真貴に太刀を差し出し、自分は弓矢を手にした。真貴はムメにじっとしているよう手の動作で示し、自分は腰を低くしたまま、来た道に向かった。秀柾は少し離れて真貴に従った。
姿勢を低く保ち、草と灌木に身を隠したまま二人は歩いてきた道の傍らにまで進んだ。敵を先に見つけることが、優位を得る鍵だった。しばらく息を潜めていると、金属が擦れ合う音がかすかに聞こえてきた。音はしだいに大きくなってきた。やがて二十五間ほど離れたあたりに、草の間から僧形の男が見えてきた。秀柾は箙から矢を一本抜き取り弓に番えた。弓をそっと引き立ち上がろうとしたその時、少女の声が響いた。
「マキさまっ!うしろっ!」
ムメが立ち上がって叫んでいた。真貴がはじめて聞いたムメの『声』だった。
真貴が太刀を手に振り返ると、三間もない茂みから、抜き身の太刀を持った男が現れた。真貴は男らが仕掛けた罠にはまったことに気が付いた。錫杖の音に注意を持っていかれ、背後をとられていた。
真貴は太刀を鞘から抜き、鞘を草むらに放った。護身術で学んだこと――戦うとなったら絶対相手から目を離すな――背中合わせになっている秀柾に声をかけた。
「狙いをつけたまま目を離すな。確実に当たる間に入ってから射よ」
「承知」
抜き身の太刀を持った男は、相手が女だと分かり、薄ら笑いを浮かべていた。僧形の男が先に仕掛け、秀柾が矢を射た瞬間に切りかかってくるつもりだと真貴は判断した。太刀を持った男が声を発した。
「お前らには用はない。あの娘と馬を置いて行け」
男らの正体に真貴はおよその見当がついた。おそらく彼らはムメを追ってきたのであろう。信濃の街道を行き来して探していた。そして遂に見つけた。もちろん真貴はムメを引き渡す気はない。戦わざるを得なくなった。
真貴はゆっくり下がり左手を太刀から離した。そのまま男から見えないよう半身になって、背後の秀柾の箙から矢を一本、抜き取った。――戦うときにはすべてのものを活用せよ、物を投げつけるのは効果がある――。
「東巌坊っ!」
太刀男が大声を出した。僧形の男が応えた。
「おおっ!」
秀柾には僧形の男が錫杖を突き出し、頭を低くして突進してくるのが見えた。すぐに間合いは十二間となった。秀柾は矢を放ったが、錫杖に当たり弾かれた。
真貴には、太刀男が上段に振りかぶり、勢いをつけて迫ってくるのが見えた。真貴は小さく素早い動きで左手の矢を男の顔に投げつけた。男は顔を振って避けたが、矢は男の右の頬と耳をかすめた。男の上段の構えが崩れた。その一瞬に真貴は姿勢を低くして、男の右に踏み込み、右手一本で男の右太腿を切った。男はいったん離れて態勢を立て直そうとしたが、足の痛みに耐えられず、太刀を杖にして立ち上がったが動きが止まった。
真貴が背後を振り返ると、僧形の男が秀柾の二間ほど向こうに錫杖を落としうずくまっていた。その左の腰あたりに矢が刺さっていた。秀柾が僧形の男に弓で狙いをつけたまま言った。
「二の矢で止めました。このまま射殺しますか?」
真貴は太刀男に向き直り、背後の秀柾に言った。
「まだ射るな、そのまま狙っておけ」
真貴は太刀男に問うた。
「何者だ?何故、あの子を追ってきた?」
男はしばらく真貴を睨みつけて言った。
「お前らに話すと思うか?」
真貴は、男らが命令を明かすつもりがないことを悟った。少し考えて、男に言った。
「わかった。お前たちは主のところへ帰れ。そして伝えよ。『娘の護衛と闘った。そして娘は自害した』と」
秀柾が驚いて声を上げた。
「いいんですか、姉上? こいつらは我らの顔を見てますよ」
「構わぬ。我らがムメを連れていたことは諏訪の町では知られている。ここでこの二人を討ったら、ムメは生きていて守っている者がいると知れる。そうなれば、背後の者はより強硬な手に出てくるだけだ」
真貴は太刀を構え直し、太刀男を見据えた。
「お前たちも手傷を負って手ぶらでは帰れまい。この先は谷あいの道になる。主に伝えよ。『娘は谷に身を投げた』と。さあ、太刀を放せ。鞘を置け。それから法師の方に行け。ゆっくりと」
男は真貴を睨みながら僧形の男の方に足を引きずって移動した。真貴は秀柾に命じた。
「この者たちが、おかしなそぶりをしたら、迷わず射よ」
真貴は、秀柾の太刀と、男が放した太刀を持った。ムメの方を見ると、東雲がムメを守るように控えていた。ムメは涙を流し座り込んでいた。
「ムメ、ありがとう。もう終わりましたよ」
真貴は東雲にムメを乗せ、道に戻り、佐閑へ歩き出した。秀柾は、しばらくは二人の男を牽制しながら後じさりし、その後は小走りに、真貴を追った。
野辺山の草原には、何事もなかったかのように初秋の午後のさわやかな風が吹いていた。
ムメを狙った襲撃を撃退した真貴と秀柾はムメと一緒に佐閑に向かう




