第九話 風間家の礼
真貴の治療で、経子は助けを借りて立ち上がることができるまで回復した
風間清継は屋敷で、真貴に礼を述べ、報いたいと言う
姉とムメが忙しくしている一方、小太郎は所在なさげに、風間家の庭で、家人たちが武芸の修練に励むのを見ていた。そのうち、家人の一人が小太郎に気が付いた。小太郎が弓矢を携えていることを知った家人は、弓の腕比べをやろうと小太郎を誘ってきた。時間を持て余していた小太郎は喜んで応じた。
城資柾の指導を受けた小太郎の腕は確かだった。風間家の家人たちと競っても、十分に技量を認められる腕前を披露できた。小太郎は、はじめて武者たちに認めてもらえて嬉しかった。
真貴が治療を始めて四日目の朝、経子は助けを借りて立ち上がることができるようになった。経子は、知らせを聞いて駆け付けた清光の腕につかまり、一歩進むことができた。二人は涙を流し喜んだ。
その日の昼、清継は家族全員に加え、家中の主だったものも、屋敷の広間に集めた。翌日、真貴たちが屋敷を去ることになっているので、格式を整えて礼を述べようとしていた。
清継、清光、国興、静子に加え、家人が居並ぶ中、広間の中央に、真貴が座り背後に小太郎とムメが控えた。
清継の感謝の言葉が始まった。
「佐閑の里の巫女様、龍神の巫女様、私どもの大事な嫁、経子の命をお助けいただいたこと、篤く御礼申し上げます」
清継が頭を垂れた。併せて清光、国興、静子、そして家人たちも頭を垂れた。
真貴も頭を垂れて、応えた。
「経子様には、神々の息吹が届き、病が去りつつあること、お慶び申し上げます」
清継が話を続けた。
「本日は、小太郎殿にも会うことができました。聞けば城資柾殿の教えを受けられ、弓上手とのこと。資柾殿は当家にも立ち寄られたことがあり、縁を感じております」
小太郎はいきなり自分の名前が出て、驚き、頭を下げた。
清継が口調をあらたまった調子に戻した。
「龍神の巫女様、このたびのお働きに、当家として是非報いたいと考えております。何か望まれるものはありますでしょうか?」
真貴は、何をどの程度を望むべきかを悩んだ。過大であれば、後々そしりを受けることになる。かといって過少であれば清継の顔を潰しかねない。「なるほどと」居合わせたものが納得できるものを願い出ることが大切である。
真貴は心を決めた。
「恐れながら、二つお願いしたいものがございます」
「なんなりと」
「まず、ひとつめは弟、小太郎の烏帽子親になっていただきたくお願いいたします」
「ほう……ご事情がおありのことかと?」
「はい、私たちの父は望月五郎秀隆と申します。当家は信濃の望月一族で寛平の御代に国府を守るため上野に移りましたが、天慶の乱の後、勢多という村に移ったと聞いています。ところが天仁の夏に、浅間権現様が火を噴き上げ、灰が降り注ぎました」
清継は目を見開き答えた。
「覚えておりますぞ、十数年前のことですな」
「はい、上野国は壊滅しました。父は一家を率いて一族にゆかりの信濃に向かいましたが、野盗との戦いで傷つき佐閑の里に着いて亡くなり、母も亡くなり、我ら二人は村の寺の世話になって育ちました。このような事情で、小太郎はいまだ元服できておりません」
清継は大きくうなずいた。
「しかと承知しました。当家と資柾殿の縁もござる。喜んで烏帽子親となりましょうぞ。誰か硯と紙を持て」
清継は静かに筆を取り、しばし思案したのち、白紙にさらさらと名を書きつけた。紙をこちらに向け、厳かに言った。
「望月五郎秀隆の一子、小太郎。この後は、望月六郎秀柾と名乗られよ」
小太郎は顔を上げて答えた。
「ありがとうございます。これより、望月六郎秀柾を名乗ります」
清継は小太郎あらため望月六郎秀柾の答えに大きくうなずき、再び真貴を見た。
「巫女様、もう一つの願いをお聞きかせください」
真貴は、一度弟に目をやり、清継に向き直った。
「厚かましいお願いかと思いますが、馬を一頭、所望いたします。私は龍神様の下で修業をするため十年間、幼い弟を一人にしてしまいました。その償いとして、晴れて武者になった弟を馬に乗せたく、お願いいたします」
一瞬、座が鎮まりかえった。馬は当時でも高価であり、持てる者は限られていた。
沈黙を破ったのは清継の嫡男で経子の夫である清光だった。
「父上、巫女様には、我が愛馬“東雲”をお譲りしたく、お願い申し上げます」
座がざわめいた。清光は続けた。
「私は先頃の御射山社祭で穂屋に籠った際、諏訪大神に誓いを立てました。我が妻、経子の命をお救いいただけるのであれば、我が命の次に大事なものでも喜んで差し出すと。そして、今、巫女様は馬を所望されております。私は諏訪大神への誓いを果たしとう存じます」
清継は、この場で諏訪大神への誓いを披露し、最も大事な宝で報いようとする息子が誇らしかった。
「清光、よく言った。では……」
「待たれよっ!」
国興が大声で制した。
「兄上、清光、よく考えてみられよ。秀柾殿は佐閑の里の寺育ちとのこと。弓は資柾殿に師事されたとのことだが、馬はどうかな?乗れるのか?乗れぬ者に、諏訪一番の名馬である東雲を託すのはいかがなものか」
座が鎮まりかえった。真貴は考えた。清光の誠意は見事なものだが、国興の言う通り、乗れぬ者に名馬を託すのは理が通らないことも確かである。かといって、清光がいったん口にしたことが覆るようでは、清継、清光の面目が立たない。それに加えて、真貴には国興の言葉に隠された悪意、すなわち弟秀柾を貶める意図も見えた。
真貴は思い切って口を開いた。
「御館様、たしかに弟は、今は馬に乗れません。しかし、乗りこなせるよう修練を積ませます」
真貴の言葉に答えたのは国興だった。
「佐閑の里で誰が馬を教えるというのだ?里には農馬さえおらぬであろうが」
やむを得ず真貴が応じた。
「私が教えます。龍神様の下で、いささか修業をさせていただきました」
「女が何をいうか。武者が馬に乗るとは、馬上で弓引くことぞ。そなたにできるのか?できるのならやって見せよ」
真貴はしばらく国興の顔を見つめた。国興の目は真貴と秀柾を見下していた。清継、清光親子も困惑している。真貴は答えざるを得なかった。
「馬をお引きください。つたない技ですがお見せいたします」
屋敷の広間にいた全員が風間家の裏にある広い馬場へと移動することになった。
真貴は懐から緑色の襷を出して千早の袖をまとめた。さらに指貫の裾を搾り、足元の草鞋をしっかり締めた。秀柾は姉の言動に動転していた。
まさか姉が馬に乗れるとは考えたこともなかったが、強弓を使いこなす姉であれば、もしかすると、との思いもあった。ムメは心配顔で真貴の身支度を手伝った。
清継親子は国興の無礼に怒っていたが、それなりに理屈が通り、家中には従うも者もいることから、ただただ困り果てていた。
国興は高を括っていた。東雲は名馬と言われているが、癖が強い荒馬である。乗りこなせるのは清光だけで、女が乗れるようなものでないとの確信があった。ところが馬場に出て真貴を見ると、その背丈は男たちと変わらず、立ち居振る舞いからも武芸の片鱗が見えた。国興の胸に嫌な予感がよぎった。
東雲が引かれてきた。鹿毛の馬である。濃い茶の毛並みに猛々しい黒い鬣と尾が目を引く。陽差しの中で、逞しい体がときおり赤銅色に輝く。なれない雰囲気に昂奮している様子で、低く太く嘶いている。手綱を引いている家人は振り回されていた。
近づきながら真貴は、内心で東雲の大きさを量った。流鏑馬の練習で慣れ親しんだ現代の馬より一回り小ぶりで、荒馬とはいえ扱えぬほどの体格ではない。真貴は、ゆっくり近づき東雲の左前に立ち、手綱を受け取った。真貴が小さく声をかけ、鼻づらを撫でていると、東雲の昂奮が収まってきた。
家人が下がり、馬場の中央に真貴と東雲だけが残った。
真貴は手綱を軽く引き、馬の額にもう一度そっと触れた。東雲は荒い鼻息をひとつ吐き、肩の力を抜くように首を下げた。
周囲がどよめき、家人たちが呟いた。
「……収まりおった……」
「信じられぬ……清光様以外には噛みつかんばかりであったのに……」
真貴は東雲の首筋を軽く叩き、鐙の位置を確かめると、鞍と鬣を掴み鞍に身を上げた。いざ跨ると、東雲の背は驚くほど安定していた。現代で訓練した長身の馬よりも小ぶりな分、重心が近く、真貴にはむしろ馴染みやすかった。
真貴の、自信に満ちたしなやかな身のこなしに、清光は思わず息を呑んだ。
国興は、まさかの展開に、目を見開き、唾を飲み込んだ。
真貴は馬上で腰を落とし、手綱を軽く締めた。東雲の耳がわずかに動き、主を認めたように前を向いた。真貴はゆるく手綱を送った。東雲はひと足、またひと足と歩み出し、すぐに常歩から速歩へ、さらに駆歩と変わった。真貴は東雲の癖を探りながら馬場を巡った。その上で、矢の的の位置を確かめ、矢を番える場所、弦を引いて放つ場所を決めた。
風間家の人々も、その家人たちも、真貴の乗馬の技量に感嘆した。馬場を巡る真貴の頭は揺れず、人馬一体に見える。家人たちは息を飲み、武者たちは互いに顔を見合わせた。清継は胸の奥が熱くなるのを感じた。
真貴は馬場を三周し、秀柾の側に馬を停めた。
「秀柾、弓と矢を一本」
秀柾が渡すと、真貴は左手に弓を持ち右手に持った矢を番えた。
「では、参ります」
真貴は的を左前に見る角度で馬を走らせた。東雲は真貴の意を酌み、徐々に速度を上げて的に迫った。
人々は、駆歩からさらに加速し、襲歩で的に向かう真貴を、息を殺して見ていた。
初秋の日差しの中で東雲が躍動し、真貴の黒髪が弾み、背で結んだ緑の襷がはためいた。
的に迫った真貴が、弓を引き絞り、矢を放つ動きが、現ならざるもののように皆の目に映った。次の瞬間、乾いた音を残して、矢が的の中心に突き立った。
その場のすべての者の息が止まった。一瞬ののち、家人たちの間から、歓声が湧き起こった。
秀柾は、姉がやったことが信じられないような、それでいて当然のような、不思議な感覚にとらわれていた。ムメは秀柾の手を握りしめたまま、目を見開き口を開けたままになった。
清光は床几から立ち上がり、拳を握りしめた。清継は深く息をつき、静かにうなずき呟いた。
「まごうかたなし、龍神の巫女様だ」
ただ一人、国興だけが顔を引きつらせていた。
真貴は東雲を駆り馬上から的を射た
龍神の巫女の名は諏訪に知れ渡る




