ACCESS 02-1
一発、二発。乾いた音が響く。
ページとページを繋ぐ無限の通路の途中で、毒々しい皮膚の爬虫類系の獣人――バグウィルスと二丁の拳銃を構えた少年が戦っていた。戦っている――というのは、今の彼には不適切かもしれない。
はるか遠くにいるバグウィルスが青いデータを散らしてたじろぐ。久しぶりのソロ行動をして、太智は考えていた。
恵子とギルド――というよりはチームといった方が正しいか――を組んで二ヶ月になる。ソロの時と比べて、はるかに戦闘が楽になった。だが、同時に不満もあった。
ギルド《失われた記憶》のギルドマスターは、太智である。その太智が、後方支援や恵子がピンチの時の囮という役割を担っているからである。《遠距離系》は《近接系》と比べて攻撃力が低いので、《遠距離系》の武器を持っているダイバーが後方支援に回るのはどんなゲームでも戦場でも当然のことであるが、太智は自分が情けなくて仕方がなかった。
いつも危険な距離で戦っているのはログインダイブしたての恵子で、彼女よりログインダイブ歴の長い自分は安全な距離から牽制するようなダメージを与えているだけ。今だってそうだ。恵子は最初から恐怖と闘っていた。それなのに、自分はどうだろう。あんな雑魚を相手にしているのに安全な距離を取って恐怖とも向き合わない卑怯な戦法をとっている。
バグウィルスが急に飛び込んできた。太智はバグウィルスの眼に弾を撃ちこんで視力を一時的に奪い、体を横にしてバグウィルスの体を避けた。追随して頭部と胸部に高密度のデータ弾を数発放ち、大きい穴を穿った。
ガラスが砕けるような音がして、バグウィルスが死んだ。……昔は、二ヶ月前はこれだけでもそれなりの興奮があったのだが、今は何も感じることがない。
――……僕は、ギルドマスターに向いているのだろうか?
恵子の戦闘を初めて見た時のことは、今でもはっきりと覚えている。
考えられない能力であった。《不可動現象》に陥りながら動く、これだけでも充分にあり得ないことである。それなのに、アバターが増えるという超常現象を起こしてバグウィルスを表情一つ変えることなく討伐したのだ。
しかし、それ以降アバターが増える現象は発生しなかったし、緊迫した表情や悔しがる表情をしながら戦っている。最初のバグウィルスの恐怖を超える奴が出ないからなのか、《不可動現象》に恵子が陥ることはここ二ヶ月では全くなかった。やはり、恵子が《不可動現象》にならなければあの超常現象は起こり得ないのだろうか。
それらのことを除いたとしても、攻撃力、俊敏さ、索敵能力からハッキング技術まで、全体的なステータスを考えても太智は恵子に劣る。
そう考えた途端、溜息が洩れた。
「溜息一回につき幸せが一逃げるらしいよ」
「うわっ!?」
背後からの声に驚き、飛びあがる。人だとは分かったので、振り向いても武器は向けなかった。
そこには、見たことの無い女性が立っていた。歳は二十歳前後、目を引くのは透き通るようなセミロングの空色の髪。そしてエメラルドの瞳である。顔つきは日本人なので、十中八九アバターの配色を書き換えている。それなのに、顔が整っているせいかとても似合っていて美しい。しかし服装は薄汚れたノースリーブのTシャツに同じく汚れたジーパンという男性的な格好で、背中には彼女の体のサイズに合った大きさの散弾銃が掛けられている。猟師の娘のような格好である。いや、実際にそうなのかもしれない。
「あの~、失礼ですがどちら様ですか?」
「訪ねる時は……」
女性はそこで声を切った。ニコニコと人の良い笑顔を向けてくる。
太智はそれが何を意味しているのかが分からない。首を傾げてもう一度訊いた。すると同じ「訪ねる時は……」で止めた。口角がややひくつき始めている。
はて、と太智はますます首を傾げた。
女性は笑顔のまま苛立ちを口調に表し、切った言葉の続きを言った。
「訪ねる時は、まず自分から言うべきじゃない?」
ようやく太智は、自分が失礼な対応をしていると気付いて何度も頭を下げた。
「あああぁぁ、すいません、僕は近碑太智といいます。一応、《失われた記憶》というギルドのギルドマスターをしています」
女性は笑顔に戻り、声も優しいものに戻って自己紹介をした。
「私は越戸藍。ギルド《銃愛好会》所属の銃使いよ」
《銃愛好会》、噂によればハンドガンから銃とは呼べない大砲まで扱っているという遠距離火力ギルドである。ギルド名の通りギルドメンバーは《遠距離系》、それも火薬を使うタイプしか扱わない人たちばかりで、現実世界では銃が使えないから仮想世界に来たという理由が多数である。バグウィルス討伐は銃の素晴らしさを己の身で体験するためなんだそうだ。
だが、別に死の危険があるインターネットの世界に来る必要はない。ヘッドセットを使うフルダイブシステムの正規ソフトを使えば本物同様の体験をすることができる筈なのだが、この人たちはわざわざヘッドセットを改造してこの世界で楽しんでいるのだ。
まあ、このギルドは楽しむついでにバグウィルスを駆逐し、他のギルドの手助けもすることで評判は悪くないようだが。
藍は丁度ここにログインして、偶然太智を見つけたから声を掛けてきたらしい。声を掛けた理由は二つ。一つはバグウィルスを討伐したのに溜息をついていたから。そしてもう一つは太智が二丁拳銃使いだったからである。ツインガンナーは《銃愛好会》にもいないレアな存在だから、あわよくばギルドに引き入れようとしていたらしい。
太智が自己紹介で自分をギルドマスターだと言ったので早くも藍の目的は潰えたが、それだけが目的ではない。
「それで? なんで溜息なんてついてたの?」
うむ、と太智は声を詰まらせた。《銃愛好会》のメンバーは人が良いというのは聞いているが、流石の太智も素性の知れない相手に相談することはできない。せめて一度共闘してもらわなければ信用はできない。
しかし、発見したバグウィルスはつい数分前に粉々に砕けてしまった。バグウィルスを発見すること自体はそう難しいものではないのだが、それはレベルが2以下だけである。
レベル3以上になると、各々が《部屋》を持ってそこで下級バグウィルスを従えて成長していくのだ。その《部屋》はウェブページを作り変えたもので、実際に中に入るまではそこが《部屋》なのか普通のページなのかを判断することができない。二ヶ月前のあのバグウィルスも、実はレベル3だと判明――偶然《部屋》を発見して確認済み――したのだが、まあ進化したてだったために《部屋》を作る前に恵子に討伐されたという訳だ。
レベル2以下は頭部と胸部、人間と同じ弱点に拳大の穴を開けるか首を落とせば即死。攻撃力の低い拳銃の太智でも簡単に倒せる。しかしレベル3からは頭部か胸部に《核》があり、それを潰さなければならない。多少の損傷では回復してしまうそれは、太智だけで潰すには厳しい。
「ああいや、聞いてくれるのはありがたいけど、まだ貴女のことをよく知らないので……。一度一緒に戦闘してくれればある程度どう人なのか分かるのですが……」
そう言うと、藍は頷いて提案した。
「じゃあ、お互いの都合が合う日にバグウィルスを探しましょう。または発見したら私かアナタのどっちかがURL添付でメールを飛ばしましょう。これ、私のメールアドレス」
言うが早いか、太智の目の前でウィンドウが開いた。
『UNKNOWNさんから贈り物が届きました。』
『開く』をクリックすると、案の定メールアドレスが添付されていた。太智も同じように自分のメールアドレスを添付して藍に送った。そしてすぐにそのメールアドレスをアドレス帳に登録した。着信履歴最上段の無機質な『UNKNOWN』の文字が『越戸藍』へと変わった。これでいつでも彼女にメールを送ることができる。藍も登録し終えたのだろう、半透明のホロウィンドウを閉じた。
「それじゃあ、一緒に戦った後に悩み相談してねー」
それだけ言い残して、藍は再出現させたホロウィンドウにURLを打ち込んで姿を消した。
太智も視界の端にある時計を見て、そろそろ恵子がログインする時間だ、とギルドホームのURLを打って移転した。
【ホロウィンドウ】……仮想世界におけるディスプレイ
【UNKNOWN】……不特定なオブジェクトや人物のこと。