ACCESS 01-5
ようやっとの更新です。
待っていた人は、まあそう少ないとは思いますが、すいませんでした!
「とっとと逃げんか」
と軽く説教する太智は、恵子の目の前でなにやら作業をしている。聞けば、バグウィルスがいない道を探しているのだという。
恵子は不思議そうに首を傾げた。
「はて? バグウィルスがいるかいないかは、気配みたいなもので分かるけど?」
太智の手が止まった。
緩慢な動きで顔を上げた太智の目は、信じられないというように見開かれていた。
それもそのはず。いくら精神が入り込むような改造を施した『ヘッドセット』でも、電脳世界にあるデータの塊であるウィルスの気配など分かるはずがないからである。
待てよ、と太智は自分の考えを切った。
もしかすると、恵子の改造は何か特別な手順を踏んだのかもしれない。または、恵子そのものが異常なのかもしれない。はたまた両方か……。
念のため、太智は恵子に、バグウィルスが何所にいるかを聞いた。
「太智のずっと後ろの方に二つ、左右――結構近くにそれぞれ一つずつ、私の遥か後ろの方にさっきのバグウィルスがいる。後は……遠すぎてわからない」
恵子の言うとおりだった。
恵子が感知した付近のバグウィルスは、全部で五体。方角まですべてピタリだった。
太智には全く感じられない。それに、バグウィルスの気配が分かるなどという話は聞いたことがない。
「……どうやら、君が言うことは本当らしい」
「? 貴方には分からないの?」
「バグウィルスの気配が分からないのが普通だと思うが。……やはり君は何か特別なのかもしれない」
太智はバグウィルスの場所を表示していたフィールドデータを閉じた。必要ないと判断したのだ。
「では、本題に入ろうか」太智は改めて恵子に向き直った。
本題とは、武器――太智の場合は二丁拳銃――のこと。その作り方である。
「まずは分解」と言って今踏んでいるウェブページに右手を突き刺した。
あり得ないこと続きで、恵子はこの程度では片眉を動かすことしかしなかった。……が、次の光景には飛び上がるほど驚いた。
太智の腰に吊られていた銃が二丁とも0と1の青いデータ片となって消えた。同時に、この狭いウェブページが歪み、天から青いデータ片が降ってきた。そして、堰を切ったようにページが崩壊を始めた。
「ここはバナーもないし、リンクを繋げているわけでもない。管理人も放置している。そろそろ削除されてしまうような屑ページだ。問題はない」
太智が恵子に聞こえるようにブツブツと喋っている。当の恵子は、何の事だかわからなく、どんどん崩壊が進むページにオロオロしていた。もう、足場もそんなにない。
そして、最後の足場が消えた。だが、落下することはなかった。元より、重力の無い世界だから当たり前なのだ。
太智の右手に、ウェブページであったデータ片が巻きつくようにして在った。
「そして形成」太智が言うと、データ片の集まりは二つに分かれ、左右の手に再び集まった。すると、そのデータの集まりが黒く染まり始めた。形もはっきりしてきて、それが銃だと分かるようになるまで、そう時間はかからなかった。
黒く輝くそれは、今まで使っていたワルサーP38似の物よりも現代のものに近づき、形状はアメリカ製の自動拳銃・オートマグというものに似ていた。
「武器の種類は造る人間によって決まっているが、その形状は自分で変えられる。俺の場合は銃が与えられたらしい」
「……それはそうと、ここにあったページはそれなのか?」
「そうだ。信じられないだろうな、最初は俺もそうだった……っと!」
突然吠えるオートマグ。その音に弾かれたように顔を上げた、その先で心臓と頭を正確に撃ち抜かれたバグウィルスが0と1の記号を散らして崩れていった。
恵子がバグウィルスの存在に気付いたのは、銃声が鳴ってから。――あまりにも呆気に取られる光景を見た後のことで、バグウィルスを探知するほどの集中力が得られなかったのだ。
太智はバグウィルスを探知できない。視界に入ってきたのを見て、ほぼ条件反射で体が動いたのだ。
「さて、今度は君の武器にするページを探さなきゃね」
今までワルサーP38似の銃を納めていたホルスターがオートマグのサイズに合っておらず、ホルスターが撓んだ。その割に、太智は特にいつもと変わった様子を見せずに進み始めた。
「やってみな」
太智に言われて、さっき他のウェブページで彼がやって見せたようにページの一部に右手を突き刺し、
「分解」
呟くと、ページが崩壊を始めた。ページトップに貼られていた手描きのイラストが笑顔のまま壊れ、ひとつも返信の無い、浅い内容のコメントがばらけた。――無数のデータ片が右手に収縮し、巻き付いた。さほど痛みはない。
「形成」
データの集まりは恵子の右手から飴のように細長く伸び、片辺は平らに、もう片辺は小さな膨らみを見せた。長く伸びたその先は尖っている。長く伸びた方の手の近くに、拳大の楕円形の鍔が出現した。
青いデータの長く伸びたところは銀色に染まり、鍔は黒く、二握り分に伸びた柄も鍔と同じく黒に染まった。――恵子の造りだした武器は、刃渡り七〇センチほどの太刀であった。
さほど厚くない無反りの銀の刃は回路中の光線を反射し、幻想的にも見えた。実際に感じることはないが、ずっしりとした重みがあるように錯覚する。
「うわぁ……」
自然と感嘆の声が漏れる。――自分の武器を手に入れた嬉しさと、その太刀の美しさのためである。
だが、その幸せも次の瞬間には別の感情に押し流された。
墳怒のような、それでいてどこか冷静な感情。だが決して穏やかではない感情につき動かされ、初めて扱う太刀を、まるで昔から慣れ親しんだもののように振るった。
スッ、とあまり手応えの無い感覚が手を伝う。振り向きざまに斬り倒したバグウィルスは、綺麗に上半身と下半身が分かれていた。血のようにデータ片が噴き出す。
それがスイッチになったかのように、瞬間的に恵子の探知能力が発動し、行動が俊敏になった。
残っている下半身を蹴り倒し、その先に潜んでいるバグウィルスに肉薄する。探知したバグウィルスは五体。さっき斬り倒したので残りは四体。
それも袈裟切りに斃された一体で残りは三体になった。
太智が造り出したときもそうだったが、ページを分解すると回路中のどこかに無作為転移されるらしい。回路そのものは複雑に入り組んでいるが、恵子ほど長くダイブしているハッカーなら慣れ親しんだ地元の町のようなものだ。
バグウィルスが崩れて消える前に蹴り倒す。他の三体は遠くにいる。
その場所は――
「太智! 後方一五〇〇メートル、今の状態で右寄りに撃て!」
太智は弾かれたようにオートマグを抜き、指示されたとおりに発砲した。
遠くの方で火花が散ったのが見えた。
「修正、左に一・七センチ、下に〇・二センチ」
オートマグが吠える。今度は数秒後に青いデータが噴き上がった。
恵子が探知しているのは、太智が斃したバグウィルスと反対の方向に二体。
太智を呼び、その大まかな位置を伝えると、二人は同時に疾駆した。近づく度にバグウィルスの気配と位置がはっきりし始める。奥にいる方は、手前にいる奴より気配が大きい。――おそらく、丸腰の恵子を襲った奴であろう。
バグウィルスが潜んでいる道に繋がる曲がり角で立ち止まると、ちらりと顔を出して敵の様子を見る。まだ恵子たちに気付いていないらしく、ウロウロしてはウェブページやサイトに頭を突っ込んで様子を確認している。
恵子が初めて見たバグウィルスよりも細身で小さく、毒々しい赤色をした鱗状の皮膚をした、半人半獣。最初に見たのが恐竜ならばこいつはヤモリのような頭をしている。
人それぞれ個性があるように、バグウィルスにも外見的・内面的な違いがあるのだろうか。
だが、それでも美琴を怪我させた存在と同じには違いない。
恵子は太刀を腰に当て、それに左手を添えて一つ息を吐く――電脳世界に空気はないが。
そして、思いっきり吸い込むと、角から勢いよく飛び出した。敵との距離はおよそ一〇メートル、一秒となくその距離をなくすと、恵子の右手から鋭い斬撃が放たれた。銀の軌跡を描き、驚愕の表情を浮かべる人間ヤモリのバグウィルスにスローモーションのように剣尖が迫る。あと五〇センチ。あと二〇センチ。あと一〇センチ。あと――
次の瞬間、敵を切った感触が右手に来なかった。目の前には人間ヤモリの姿はない。
だが、手応えは全くなかった。切断されたのなら下半身が残ってる筈だが、その下半身さえ無い。――逃げられた。
「キイイイィィィィ!」
まるで黒板に爪を立てた時のような鋭い音が、背後から響いた。その音に、思わず鳥肌が立たざるを得ない。
懸命に、硬直しようとする体を振り向かせ、真っ赤な背中を見せて走り去ろうとする人間ヤモリの姿を確認する。追おうとしたのだが、足が動かない。
どうやら、人間ヤモリの鳴き声は恵子たち人間には麻痺の効果を発揮するらしい。脳と神経が裸で歩いているようなものだから、その効果は絶大なものだ。
「くそっ!」
思わず毒づく。人間ヤモリはまっすぐに走り、やがて奥に潜んでいる巨大な気配の前で止まった。一緒に逃げるつもりなのだろうか。
ところが、その気配は二つとも恵子たちの方へ、さっきよりも速い速度で接近を始めた。接触まであと一〇秒位か。
幸い、麻痺も回復しつつある。このまま麻痺の回復と同時に向かってくる敵を斬り伏せるのもよいだろう。
恵子は麻痺の回復した個所を動かし、少しずつ迎え撃つ構えに持っていく。
敵が目の前の角に来るまであと二秒、一――
ガアァァン! と破砕音を立てて恵子たちの目の前に現れたバグウィルスは、恐竜のような頭から真紅の角を生やした、全身を鋼のような筋肉で包んだ、鬼とも魔獣とも区別できないものだった。
「こいつぁ……」
そう、初ダイブの恵子を襲ってきたバグウィルスである。どうやらあの後、あのページを喰い尽して更に進化したらしい。
刷り込み作用が、恵子の脳に直接働いた。
刷り込みによって増したその凶暴さは、アバターを、ヘッドセットを通して恵子の体の芯にまで伝わってきた。
怖い。――ダイブしたての恵子は、当然戦場では未熟者である。本能的に怖いと思ってしまった。
その恐怖が更に恐怖を呼び、彼女の意志とは関係なく増殖し、脳内に蓄積されていく。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い………!
ズン、と魔獣鬼が一歩踏み出した。直後に、恵子の脳内に溜まっていた「怖い」が、一気に爆発した。
ヘッドセットから送られてくる信号をアバターが拒絶し、また、脳に信号を送ることも拒絶した。
頭の中が真っ白になり、漆黒の魔獣鬼が鮮やかな青い回線と一緒に掻き消え、白い世界に変わった――意識が完全にホワイトアウトした。
*****
目の前で、突然妹栗がくず折れた。
「お、おい!」
仰向けに倒れる寸前に受け止めて、呼びかける。が、妹栗は眉一つ動かさなかった。
《不可動現象》――俗にいうフリーズだ。
急なショック――例えば大質量のトラックに轢かれるほどの身体的なショックや、思い出したくない思い出、急増した恐怖などの精神的なショックによって引き起こる現象だ。アバターは勿論、リアルにある肉体も動かせない絶体絶命の状態になる。
最近発見された現象なので、まだ回復する術はない。自然に回復することを待つ以外ない。
目の前で精巧な人形と化してしまった妹栗を抱え、太智はじりじりと後ずさる。
背中を向ければ妹栗もろともデータの海に沈むことになる。かといって彼女を庇いながらこのバグウィルスの相手をすることは、クローバーとダイヤの2のワンペアで勝負に出るポーカーのようなものだ。
だが、それには万一ということもある。こちらがワンペアで、相手がノーペアであることがあり得るのだ。
抱えていても戦えない。妹栗には悪いが、この戦闘の賭け金になってもらう。
妹栗の体を回線の隅に横たわらせ、腰に吊ったホルスターから黒光りする双子の自動拳銃を抜き、両手に構える。右手はバグウィルスの胸に、左手は頭に狙いを固定する。
先程、数発使ったが、創りなおしたばかりなので残弾は充分ある。
魔獣鬼のバグウィルスがゆっくりと一歩、踏み出した。
瞬間、ガガン! と微妙にズレた二発の発砲音が響いた。双子から吐き出された弾は、それぞれに託された部位に確実に埋まり込んだ。
「グオオオォォ!?」
視認できない衝撃を胸のど真ん中と右目に受けた魔獣鬼は、苦悶の表情と鳴き声を上げて仰け反った。
その隙を太智が見逃すはずもなく、注意が逸れたと同時に魔獣鬼に肉薄、飛びあがり、上を向いたその鼻先に一回転加えた踵落としを見舞う。更に、おまけとばかりに左右の眼球に向けてそれぞれ五発、合計十発の鉛玉を与えた。
ノーガードの顎を思いっきり踏みつけ、同時に大きく距離を取る。
――相手はノーペアだった!
と心の中で喝采を叫んだ。
妹栗を抱えて逃げようとした。だがその先に、赤い影がいることに気付いた。
――忘れていた!
そう、目の前の魔獣鬼にばかり気を取られていて、人間ヤモリの存在に気付けなかったのだ。
そのカードは、今まさに妹栗を頭から喰らわんと大きく口を開けている。
その彼女はまだ目を開けない。
そして太智は魔獣鬼の顎を蹴った後で態勢が悪く、狙いが定まらない。
「くっそおおおおおおおぉ!」
苦し紛れに撃ち出された銃弾は空しく空気を裂き、人間ヤモリにダメージはおろか、気を引くこともできなかった。
無様に着地をして、妹栗の方を見る。……もう、完全に手遅れだ。
「…………ごめん…………」
声にならない謝罪を告げる。と、その時。
フォン、と鋭く風を切るような音が静かに聞こえた。
音は太智が背を向けた――妹栗がいるところから発生したようだ。
見れば、彼女は自分の足で立ち上がり、振り切った右手には銀色に輝く刃が天に向かって握られている。
そして、相手のワイルドカードが大口を開けたまま左右に割れた。赤い体が青いデータとなって散る瞬間、赤い球体が見えた。バグウィルスを作っている《核》であるAIだ。が、それも赤いデータ片となって散っていった。
しばらくぼうっとその姿を見ていたが、我に返った。妹栗に駆け寄る。
「気がついたか、よかった。早くここから、に……げ……」
顔を覗き込んで、ぎょっとする。
生気が感じられない。《不可動現象》で死に至るケースは聞いたことがない。つまり、妹栗は今脳がフリーズしたまま動いているのだ。
だがいったい、どのようなことをすればこの現象が起こるのか。死にそうだったから? ならなぜ今まで《不可動現象》のまま殺された者たちがいるのだろう。
やはり、妹栗は普通ではない。
もう一度言う。今の彼女からは、生気が感じられない。例えるならば、洋服店でモデルをしているマネキンロボットのようだ。だが、彼女から何も感じないわけではない。
彼女からは、何とも表現しがたい殺気が放たれている。それこそ、近づくだけでそこからアバターが崩壊するような。
「妹栗……?」
当然、返事はしない。そして妹栗は、まるで太智がそこにいないかのように横を通り過ぎて行った。
そうなることが当然のように妹栗は、重力に引かれるようにして魔獣鬼に近づいて行く。その足取りはゆっくりながらも、横に揺らぐようなことはない。
魔獣鬼は両目に穿たれていた銃痕が回復し、既に戦闘態勢だ。妹栗が向かってくるのを待っているようだ。
向かって行く妹栗は、殺気はあれども気迫は感じられず、右手からだらんと下げられた太刀は回線を擦り、チリチリチリと音を立てている。
チリチリチリチリチリ…………チン
妹栗の足が止まった。両者とも、一歩踏み出せばお互いの射程範囲内だ。
お互い見合って――いない。
魔獣鬼は妹栗を見下ろしているが、彼女の方は見上げている様子はうかがえない。どこを見ているのか、後ろからでは全く分からない。
今、魔獣鬼が攻撃をすれば、妹栗は無抵抗に弾き飛ばされるだろう。それほど無防備に立っている。
不意に、魔獣鬼が両腕を頭上に持ち上げ、そこで手を組んだ。
軌道が読みやすいが、威力と速さは相当な原始的攻撃が、今まさに妹栗に降りかかろうとしている。だが、やはり彼女は動こうとしない。動く気配を感じられない。
「せ……」
太智が注意を促そうとした声を、爆音じみた破砕音が遮った。
散り散りになった青いデータ片が煙のように立ち上り、妹栗の姿を隠す。――姿かたちが残っているのかも分からないが、死んでいないことは確かだ。彼女の殺気がまだピリピリと仮想の肌を撫でているから。
青いデータ片が霧消すると、果たして妹栗はそこにいた。立ち位置が右にずれ、魔獣鬼の一撃をぎりぎり当たらない場所で、彼女はさっきと変わらない気迫の無い、構えの「か」の字もない無防備で立っていた。
ふらり、と妹栗の体が揺れる。倒れそうになる体を支えようとする一歩が踏み出され――――
ズバァン! と突然の斬撃。だがそこに、彼女の姿は残っている。相変わらずの力のない格好だ。しかし同時に、太智の目は有りえないものを映していた。
魔獣鬼の後ろにも、妹栗の姿があったのだ。太刀を斬り上げた形で。
《ログインダイバー》となってまだ一ヶ月の太智だが、この世界での現象はほとんど脳に収めた筈だ。だが、このような現象は見たこともなければ聞いたことさえ無い。アバターが二つに増えるなどという現象が起これば、仮想掲示板にすぐさまアップされているはずだ。……ということは、この現象は太智が初の目撃者ということになる。そう考えると、戦場にも拘らず彼の胸は躍った。
魔獣鬼の背後に出現した妹栗が再び力の無い構えになると、魔獣鬼の左腕が肘を境にぽろりと落ち、青いデータを散らして消滅した。
「グオオォォ、オオ!?」
左腕を見た魔獣鬼の目が、信じられないという風に見開かれた。その視線が背後にいる妹栗に注がれると、残った右腕を振りかぶって背中を見せている彼女に思いっきり叩きつけられた。そして太智は見た。魔獣鬼の拳が妹栗に直撃するのを。
そしてそれが、わずかな赤いデータ片を散らして消滅したのを。
気がつくと、妹栗は今度は斬り下ろした格好で魔獣鬼のすぐ後ろにいた。彼女は緩慢な動きではなく、極めて速い速度で振り返ると、太刀がその動きに従って縦方向に半円を描く。
そのとき一瞬、ほんの一瞬、妹栗の影が僅かなポリゴンで部分的に残っていた。そういえば、と最初に彼女が立っていた場所を見ると、そこにあった姿は跡形もなく消えていた。
妹栗がバックダッシュで距離を取ると、魔獣鬼の左脚が股関節から、右腕が肩から、ドバッ、とデータ片を撒き散らしながら斬り離れた。
支えを片方失った魔獣鬼は、バランスを崩して無様に転がった。切断面からは止まることなく青いデータが溢れ出ては霧散していく。
魔獣鬼もそのまま転がっていようとは思っていないらしく、肘までしかない左腕と無事な右脚を使って何とか起きあがろうとしている。
それを見て妹栗は何を思ったか――何も思っていないだろうが、暴れる左腕と右脚を躊躇うことなく斬り落とした。魔獣鬼の体で自由に動くのは、もう頭だけである。その頭さえ、妹栗は無情に斬り落とした。
刎ねられた頭がずっと妹栗のことを睨んでいたが、彼女は全く動じず、その内に爬虫類じみた頭は風に吹かれるように消滅した。首に核があったのなら、今ので魔獣鬼は消滅するが、どうやら核であるAIは胴体のどこかにあるらしい。
頭部は絶対に必要なのか、体を少し小さくしながら、刎ねられたばかりの首からさっきと同じ頭がボコボコと生えた。……正直キモイ。
と思うのもつかの間、生えた頭は爬虫類の細い舌を伸ばして、妹栗の右腕を絡め取った。よほど強い力なのか、ぎちぎちと腕を絞める音が聞こえてきそうだ。しかし、腕を絞められている彼女といえば眉一つ動かさず、無表情でその舌を眺めている。
だが、我慢というものには限界がある。いくら表情が動かなくとも、右腕にかかる負担は弱まったりすることはない。妹栗の右手が力なく開かれ、太刀が自由落下を始める。
キン、と澄んだ音を立てて太刀が回線に突き刺さる。だが、魔獣鬼の舌は力を緩めようとしない。せめて腕の一本でも、という考えなのか。そこまでの知能があるかどうかは知らないが。
対して妹栗は、頭が上がらないように魔獣鬼の額を踏みつけ、右腕を力いっぱい引き上げ始めた。既に相手の舌は限界らしく、開いた口の中からミチミチという音が聞こえてくる。
妹栗の腕もそろそろ限界が来るようだ。手は力なく開かれ、舌の巻き付いた腕がぎちぎちと悲鳴を上げている。
彼女の腕が先に折れるか、魔獣鬼の舌が抜けるか、という勝負らしい。太智は自分が銃を持っているということも忘れ、両者が一歩も引かないその勝負に見入っていた。
そして何とも言い難い、一生で一度も聞きたくのない、黒板を爪で引っ掻くのといい勝負の総毛立つような肉の裂ける音のあとに、それがぶらっと垂れた。見るからに、それはもう力がこめられそうにない。
ぶらぶらと妹栗の腕から垂れるそれは、振り子のように揺れながら青いデータ片となって消えた。
舌をもぎ取られた魔獣鬼は喀血のようにデータ片を撒き散らす。
妹栗は左手で柄を握ると、逆手に持って刃の先端をボロ雑巾のようになった魔獣鬼の胸へと突き立てた。
「――――――――!」
声の出ない断末魔を上げながら、魔獣鬼の体が崩壊を始めた。
体の端から、糸を解くように分解され始める。太智が一ヶ月の内に見たなかで、なぜか、唯一物哀しそうに見える死だった。
体がほとんど分解され、魔獣鬼――バグウィルスであったものの体が透ける。その中に、くすんだ赤色の球体が見えた。はっきり見たのは初めてのそれは、一見するとただのゴムボールのようだった。よく観察すれば、配線やプログラムが見えるかもしれない。もっとよく見ようとすると、パキン、と水晶玉が割れるように砕け、消滅した。
結局、太智は最後まで動けなかった。なぜか、麻痺をしているわけでもないのに、動けなかった。
太智が動いたのは、それから十数秒後に妹栗恵子が倒れてからだった。
途中にポーカーを挟んでみましたが、まあ、例え的なのを入れてみようかという自己満足的な行動です。
ポーカーは遊び程度でやるので、さわりくらいしか分かりませんが。