ACCESS 01-3
いつになく読みにくい……あ、いえ、なんでもありません。
精一杯書いたので、精一杯頑張って読んでください。……ええ、人任せです。
『ヘッドセット』を使うハッカー――ダイバーと呼ばれる者――たちの間では、サイト・ページなどを全部ひっくるめてデータフィールドと呼んでいる。
アルファベットと数字の複雑な配列によって作られるデータ、それらが更に組み合わさってできるページなどを『ヘッドセット』を通して見ると、広大な広場に見えることからついた名前である。
時に、空白のフィールドという場所が見つかることがある。しかしそれは、通常のハッキングでは見つけることができない。『ヘッドセット』を通して初めてお目に掛れるのだ。
だがそこは、呼び名の通り何も無いところである。
ひたすらに白い空間が広がっているだけで、その広さも何も分からない。
ここも、そのひとつである。
限りない白い空間の中、赤茶色の髪を後ろで一つに纏めた影が現れた。恵子だ。
このデータフィールドは、今のところ恵子しか知らない。故に彼女は、考え事をする度にここへ足を運ぶことが多い。
勿論、彼女がここへ来た理由は、李歌の提案した作戦のことである。
病院で解散してからインターネットにダイブ――『ヘッドセット』を使うハッキングのこと――をするまで、ずっと作戦の仮定想像をしていたが、深く考える内に、最も重要なことに気付いた。
ウィルスがどこにいるのかを知らない。
そう、対象を発見することができなければ、作戦は水泡と帰すことに気付いたのだ。
李歌はページなど――データフィールドを隈なく探せばいずれ見つかると言っていたが、無限に広がるインターネット上で、同じく無限に存在する広大なデータフィールド内で姿も知れぬウィルスを隈なく探すことは、砂漠のど真ん中に落とした直径〇.〇一ミリのマイクロチップを探してくれと頼まれるようなものであるからして、容易なことではない。それを一人でやってのける者がいたならば、それは正気の沙汰ではないだろう。……恵子はそう思っていた。
恵子の考えたその想像は、目の前に現れた正体不明のモノによって微塵も残さず砕かれた。
それは、無邪気であり、完全な悪、破壊衝動であって無限創造、その他にも色々と可能性が秘められた何かだった。
(なに……コイツ……)
それが何を元にして作られたのかはわからない。
人間と酷似した両手、両足を備えてはいるが、その頭は人間のそれではない。
もっと凶悪な、すでに自然に存在しない、データとしてのみインターネット上に残っている恐竜を思わせる巨大な口には、やはり禍々しい朱の牙が植え込まれている。
恵子は手練だからこそ本能的に感じ取った。コイツはヤバイ、関わってはいけない、と。
漫画やアニメに出てきそうなそれは、真っ白い空間では当然のことながら、恵子の姿を、血走った双眸で捕らえた。
所詮はウィルスなのだろうが、ダイブ中の恵子にとっては本当の怪物と相違ないのだ。
「ルルルルウゥゥウィィィィ!」
喉の奥で転がっているような声を上げて、ウィルスは咆哮した。
突然の、鼓膜を引っ掻かれるような咆哮と、その行為そのものに、恵子は驚いた。
ウィルスといえど、所詮はプログラム。自我を持っていることなどあり得ないのだ。
それがどうだろう、今、目の前にあるそのウィルスは、自我を持っているかのように鳴いている。
そのウィルスが今発している鳴き声の種類は、歓喜。
恵子が唖然として眺める中、ウィルスの長く伸び続けていた咆哮が止んだ。
再び、ウィルスの凶悪な双眸が恵子に定まる。
目が合った瞬間、ウィルスが物凄い力でフィールドを蹴る。そのせいか、フィールドを形作っていた青いデータ片が白い空間に舞った。
本能的に恵子は身を捩った。そのすぐ耳元の風を切って、死を刻む爪が通過した。
一瞬でも迷っていたら、恵子は二度と現実の世界を拝めなくなっていた。
ウィルスの爪が、勢いをそのままにフィールドに食い込む。その亀裂から、データ片、データを作っていた記号が噴出する。
ウィルスはそのことに全く興味を持たず、恵子に向き直った。
その恵子はというと、空白のデータフィールドからネット回線への脱出口を展開していた。
通路が展開し始めると、彼女はそれが完全に展開するより速くネット回線へ出た。その足で世界政府コンピューターへ向かう。
やや遅れて、恵子の展開した通路からウィルスが飛び出した。
回線の中を飛ぶように、滑るように移動する恵子を、ウィルスは回線の壁を蹴り跳ねて追う。
(ああいう移動の仕方なら、セキュリティにすぐ引っかかるかも)
跳ねるウィルスを後目に、恵子は不敵な笑みを浮かべた。
「ルルルルウゥゥウィィィィ!」
突然、耳を劈く咆哮。
総毛立つようなその声に、思わず耳を塞ごうとするが、何とかそれを堪えた。
余計な動きで速度を落とすわけにはいかないのだ。今、恵子はウィルスとの距離を離れるでもなく近づくでもなく、一定で保っている。
一瞬でも気を抜けば瞬く間に追いつかれてしまう。
突如、回線の色が変わった。世界政府コンピューターへ繋がる回線へ移ったのだ。鮮やかな緑が目に眩しいところだ。
早速一つ目のトラップが見えた。
無論、恵子は余裕でセキュリティ網の間を通過する。流石に間が大きすぎたか、ウィルスも難なく通り抜ける。
網に掛らなければ、セキュリティプログラムは何の反応もしない、というわけではない。恵子は右手を力いっぱい握りしめた。その手中には、固形化された屑データが転がっていた。先のフィールドのデータ片だったものである。
恵子は、浮遊しているセキュリティプログラムの一つに、その屑データを投げつけた。
コツン、と高質な音がして、ロボットのようなセキュリティに屑データが跳ね返された。それに即座に反応したセキュリティが、早急に辺りを探知し始める。
投げつけた当人は既に、セキュリティの死角に入っている。
セキュリティが目を付けたのは、恵子の後を追っていた例のウィルスであった。
政府自慢の高性能セキュリティが、侵入者を削除すべく得物を構えた。日本人がプログラミングしたのだろう、そのセキュリティの手に握られているのは片刃の長剣だった。
ダイブしている人間など比ではない速度でウィルスに近づき、鈍色の辻風がウィルスを襲った。
対象であるウィルスが一刀両断される……かのように見えた。
セキュリティの斬撃は空しく空を裂き、ウィルスはセキュリティの長剣が有利とする間合いよりも近くに入り込んでいた。
そして無数の牙が立ち並ぶ口を広げ、セキュリティの硬いであろう頭を、あたかも砂糖細工であるかのように易々と噛み砕いた。
赤い記号が血のようにウィルスの口から零れ落ち、頭を失ったセキュリティは、砂の城が風に吹かれて崩れるように赤い屑データとなって霧散した。
「そんな……!」
恵子は絶句した。
希望を託した世界政府セキュリティが逆に削除されたとあっては、更に奥、果ては《最奥》に潜む最強のセキュリティまで誘導せねばならないのだろうか。
流石の恵子も、《最奥》まで潜ったことはない。本当に最強のセキュリティが存在するのかも未確認である。……それ以前に、《最奥》にハッキングを仕掛けることなど不可能なのだ。
「うわっ!……と」
ウィルスの無骨な拳が襲い掛かってきた。
すんでのところで一撃目を避けたが、続いた二撃目を腹に受けてしまった。
「うが……っ!」
重力はおろか、空気抵抗さえ無いデータフィールド内である――恵子は軽く吹き飛ばされ、回線の壁に叩きつけられた。
痛みの残る腹部を見やると、そこの部位が砕け、動き・精神を表す赤い記号が零れ落ちていた。
(やば……)
咄嗟に出口を展開しようとした――間に合わない。
人外の――セキュリティでも追いつけないような速さで距離を詰めたウィルスは、両の拳を目にも止まらぬ速さで叩きつけた。
どれも嫌になるほど体重が乗った重いものだったが、恵子の体に当たったのは二、三発だった。
それでも充分な、充分すぎるほどのダメージが、恵子の精神を抉った。
データフィールドにある彼女の体は、どの場所にダメージが発生しても――それが例え指先であっても――、多大なダメージとなる。
打撃を受けた両足、腹、腕から血のように赤い記号が落ち、霧散しているが、行動不能には程遠い。
拳の雨が止んだ一瞬の間に、途中まで繋いだ出口を展開させる。その展開の時間はコンマ以下。
ろくに動かない足に力を込め、展開した出口に飛び込む。その出口が繋がるのは、自分のコンピューター。
命辛々逃げ延びた恵子は、早急にログアウトして、顔の上半分を覆う『ヘッドセット』を乱暴に外した。
焦点がなかなか定まらない。
『ヘッドセット』を使ったあとのこの現象はいつもの事だが、この日は興奮と脳に残るダメージによって焦点を定めるのにいつもの倍以上の時間を要した。
焦点を取り戻し、冷静になろうと深呼吸をする。
落ち着いたところで、喉がカラカラに乾いていることに気付いた。
「水、みず、と。……あれ?」
足に力が入らないことに気付いた。立つことも動かすこともできない。
さっきは興奮していて気付かなかったが、右腕も動かない――データフィールドでウィルスからダメージを受けた部位が麻痺していた。
「…………マジ? 噂は本当だったな」
『ヘッドセット』を使っている時に、セキュリティによって削除された場合は脳障害、死亡等するということはもはや当たり前のことと知られている。だが、体の部位ごとにダメージを負ってデータフィールドから生還した場合は、脳が受けた情報がそのまま反映されて、その部位が麻痺するのだ。……という噂がある。
噂の現象が今、恵子に――ウィルスにやられたのだが――起きている。
その噂が本当というならば、恵子はあと半日ほど動けないことになる。噂の続きには、こうある。
『その麻痺は半日ほど続き、ダメージによっては二度と治らないかもしれないものがある。人の脳の強さにもよるという』
動く頭を右に捻り、コンピューターの隣に鎮座する電子時計に目を留める。
時刻は午後八時二七分。
「……明日学校休むかな……」
今後、どんどん事件が大きくなります。当たり前のことですが、一応……。




