ACCESS 02-4
久しぶりの更新です。久しぶりすぎます。微妙におかしい面もありますが、それは元々かも知れません。
現実の自分の体重を感じながら、仮想世界から帰還する。完全に感覚を取り戻すと、ごちゃごちゃした回路が外れないようにゆっくりとヘッドセットを外した。
ヘッドセットを外したが、周りはまだ真っ暗だ。それも当然、現在の時刻は午前一時。真夜中なのだから。
体を沈めているベッドから体を起こすと、腹が情けない音を上げた。僕はヘッドセットを空腹を感じる神経にアクセスしていないから、仮想世界では飲食をしなくても常にフルパワーで動きまわることができる。短所として、仮想世界に引き籠ってそのまま餓死するというニュースが絶えることが無い。現に僕自身も、一ヶ月近くダイブしてから現実世界に戻ってきた時、あまりの空腹に死ぬかと思ったことがある。それ以来は、少なくても二週間に一回は必ずログアウトするようにした。
ベッドから降りた僕は、台所で低く唸る年代物の冷蔵庫を開けた。中には卵と牛乳とぐらいしか入っていなかった。これもひとつのジンクスなのだが、ログインダイバーたちは皆、冷蔵庫の中身が寂しいようだ。一刻も早く、長くダイブしていたい中毒者は、たいてい独り暮らし――だから餓死者が出るのだが――でインスタント生活を送っている。
僕も既に中毒者で、ほぼ毎日インスタントラーメンを啜っている。しかし、家にはもう何も無い。仕方なく、食料調達に出よう――と、思ったが。時間が時間だ。
午後〇時から、仕事をしていない学生の外出は法律で禁止されているのだ。独り暮らしで何日も連続でずっとダイブしている僕は、とても優等生とは言えないが、法律を破る度胸はなかった。だからと言って、この空腹感を満たさなければ眠ることもできない。ひとまず、卵を焼いて牛乳で喉に流し込んだが、とても空腹は満たされない。遂に冷蔵庫が空になってしまった。
どうするかと考えながら家の中をうろついていると、来客を知らせるインターホンが鳴った。こんな時間に来客など珍しい――というかあり得ない。誰だ、と警戒心を露に扉のカメラの映像を確認すると、そこには四〇代後半といった男の姿があった。
「どうぞ」
電子ロックを解除し、男を招き入れる。
「随分と他人行儀だな。せっかく父親が来てやったというのに」
「誰も頼んでねぇし、この顔が喜んでいるように見えるか?」
「ひどく不機嫌に見えるな。そして同時に栄養も足りていないようだ」
男、もとい父は手にぶら下げた荷物を埃のたまった床に置いて、それから唯一埃のかぶっていないヘッドセットに目をやって言う。
「まだダイブしているのか。まあ、止めるつもりはないが」
「止める権利も無いっての。そもそも、僕はあんたを親とは認めない」
そう言いながら、父の持ってきた袋の中身を漁る。中にはインスタント食品やらパンやらが詰め込まれていて、僕はパンをひとつ取り出して袋を破った。
「親でもない人から食べ物を貰って、それでいいのか?」
「勝手に持ってきたんだろ。それとも何か? これはあんたが食べるために持ってきたのか?」
父は首を横に振って返答とした。
それからは、無言で僕が食事を続け、父が黙って床に座っているという、なんとも居心地の悪い時間が流れた。
「最近……」
突然父が沈黙を破った。
「政府のコンピュータがクラッキングを受けているらしいな。週に二、三回。不定期に」
「侵入じゃなくて、妨害か?」
「そうだ。ここ最近、プログラムの異常や混線、データ流出、特にデータの損失や紛失が問題になっているらしい。記録も調べたが、どうやら外部からのクラッキングではないようだ」
「政府に裏切り者がいると?」
「そういう訳でもないらしい。記録は消せないようにAIが管理しているし、それらのデータは上層部の……ダイバーは《第四層》と言うのだったな。そこのファイルに保存されているものだったそうだ」
「だから?」
「この現象に心当たりはないか、と思ってな」
そう言うと、父は腰を上げて服に着いた埃を払った。
「邪魔したな」
そして、父は部屋を後にした。
扉を閉めると、電子ロックが掛けられたことを示すランプが緑から赤に変わった。
――すまないな。
心の中で静かに謝罪をし、太智のマンションを後にすると、そのまま玄関前に止めておいた車に乗り込んだ。
エンジンを始動させると、同時に携帯電話に電話がかかってきた。非通知。
『要項は、伝えたのか?』
「ええ、確かに。……縁を切られたとはいえ、実の息子を道具にするのは流石に心が痛みますよ」
政府からの通信だ。今回太智の家を訪ねたのは、仕事のためだった。
『金の為なら妻でも殺す。そんなお前が、何を言っている」
「その言い方は止してもらえませんかねぇ。ただ、何の為、と聞かれたならば、……そうですね。世界の為、平和の為ですかね。私は、世の中を脅かすと判断したから、妻を殺した」
そして今回も、政府の情報を信じ、太智を道具として使うことを認めた。果して思い通りに動いてくれるかはわからないが、そこは太智次第だ。強制はしなかった。
『いつものごとく、偽善者だな。お前は。……で、どうだ? ちゃんと連れてきそうか?』
「わかりませんね。そこのところは息子次第です。強制はしなくてよかったんでしょう?」
『まあ、な。ターゲットがこちらのテリトリーに入ってきてくれれば狩り易い。そういう上の考えだからな』
「そうですか。では、連絡事項は?」
『充分だ』
プツッ、と小さな音を最後に、携帯電話は沈黙した。
そうだ。私は偽善者だ。私は、真正の正義などではない。しかし、政府の言うことは正義だと思う。私は、私を正義の一端だと思う。己を殺して世を護る。命を惜しく思っていては正義など語れないだろう。
――こういう人間を、《政府の犬》と言うんだろうな。
「ハハ」っと乾いた自嘲が漏れた。
胸ポケットから携帯電話を取り出し、ひとつの画像を画面に映し出した。赤茶色の髪をした、少女。政府の、ターゲットだ。