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第6話 痕跡

「うーん・・・・・・」

玲奈はゆっくりと目を覚ました。

光の差し込む天井を見上げながら、重たいまぶたを持ち上げた。

「……頭、痛っ……」

乾いた喉と、鈍く響く頭痛。昨夜の酒が残っている。


それでも、次第に目が慣れてくると、違和感が胸に広がっていく。

空気が冷たい。いや、冷たいのではなく――張り詰めている。


白くて無機質な壁。時計の音さえ響きそうな静けさ。

ベッドの足元には使い込まれたトレーニング用具が整然と置かれ、

生活感のない机の上には、まるで事件現場のように並べられたノートや資料がある。

目に映る光景に再び胸がざわつく。

かすかに残っていた酔いも吹き飛んだ。ピリッとした空気を肌が感じ取ったように・・・。


デスクの上の資料とノート類。その中の一冊にふと目が留まり、なぜか・・・


――気になってしまった。


無意識に手が伸びる。だが、その指先がノートに触れかけた瞬間――


「それには触らないで。」


低く、凛とした声が背後から響いた。


玲奈は思わずビクッと肩を揺らした。振り返ると、美咲が扉の前に立っていた。

シャツに袖を通し終え、すでに髪をまとめていた。


その表情には、微笑みも怒りもなかった。ただ、冷たく張ったガラスのように、感情を封じていた。


玲奈は戸惑いながら手を引っ込める。


「…ごめん」


玲奈はそれ以上何も言えず、静かに手を引っ込めた。

昨日は家に着いてからも2人で飲んで、少しは距離が縮まったと思ったのに・・・

昨夜、笑い合った時間が、急に遠くなったような気がした。




出勤後の警視庁捜査一課。朝のブリーフィングが始まっていた。


「昨夜の事件についてだが――」課長の厳しい声が響く。


「現場付近から採取された繊維と足跡の分析結果が出た。繊維は合成繊維、ありふれたものだ。足跡は、サイズから見て成人男性。靴の型は一般的なスニーカーだが、特徴的な擦れ跡が見られる。」


刑事たちが資料を手に取り、各自メモを取る。

美咲は無言で資料をめくる。特徴的な擦れ跡――そこに何か意味はあるのか。靴の癖、歩き方の傾向、それとも偽装か。


課長が続けた。「慎重に動け。この犯人は用意周到だ。過去の事件と類似点が多いが、証拠はまだ薄い。下手に動いて逃がすわけにはいかない。」


配属班が割り振られ、美咲、玲奈、翔太は同じチームになった。


「よっしゃ、じゃあ俺たちは現場近くの再聞き込み行くかー」と翔太は気軽に声をかける。玲奈はうなずきながら、美咲をちらりと見た。朝のあの表情が、まだ胸に引っかかっていた。


現場周辺は閑静な住宅街。午後の光が鈍く差し込む中、三人は一軒一軒を丁寧に回っていた。


「事件のあった日、不審な人物を見かけませんでしたか?」


「何か音や声を聞きませんでした?」


だが、住民たちの反応は鈍く、「特に何も…」「寝てましたから…」といった曖昧な答えばかりだった。

また空振りか・・・・手がかりを得られない苛立ちと焦りが、3人の間に微かな隙間を生む。


そのとき、別の班からの連絡が入り署に戻ることになる。




「防犯カメラに、事件前に現場周辺をうろついていた男の映像が映っていた。顔は不鮮明だが、帽子を深くかぶっていて、同じ路地を何度も往復している。」


映像が端末に送られてきた。画面には、ゆっくりと歩く一人の男の姿。


何度も、同じ場所を、時間を置いて歩いている――その動きに、既視感があった。


(“奴は、必ず現場に戻る癖がある。まるで、自分の“作品”を確認するように。”)


――父の言葉だった。遺品の中に残されていたノートに書かれたメモの一節。あれは、ただの推測ではなかった。


「…この動き。あのときと同じだ」と、美咲が低くつぶやく。


玲奈が振り向く。「“あのとき”?…美咲、それって……」


美咲は何も言わず、視線を画面に向けたままだった。


帰り道。三人は警察署を後にしたが、翔太は「じゃ、俺はここで」と電車で帰宅。玲奈と美咲は、無言のまま並んで歩いていた。




沈黙に耐えきれず、玲奈が口を開いた。


「…あんた、あの事件、ずっと一人で追ってきたんでしょ?」


美咲は歩みを止めずに答えない。


「あのノート…見てないけど、何か伝わった。ずっとずっと、戦ってたんでしょ。」


風が吹き、二人の髪を揺らした。美咲がようやく、ぽつりと答える。


「一人じゃないとできないこともあるの。」


「でも、誰かとじゃなきゃ、できないこともあるよ。」


玲奈の返答はまっすぐだった。からかいも皮肉もない、ただの“言葉”として、美咲の胸に落ちてきた。


美咲は返事をしなかった。ただその言葉が、静かに心の中に沈んでいく。

しかし、それが逆に不安でもあるし、戸惑いでもある。

今までずっと一人で復讐心という炎が消えないように周りと距離を置き、壁を作ってきた。

誰にも干渉せず、干渉されず。他人には自分の気持ちはわからない。

同時に他人を巻き込みたくないという気持ちもある。

美咲は、玲奈の言動に正直、どう対応していいかわからないのである。




その夜。

美咲のスマホが小さく震えた。画面には、差出人不明の一通のメール。


件名:警告

内容:探るな。お前も、あいつと同じになる。


脅し。だが、遅すぎる。

美咲はスマホを見つめながら、小さく呟いた。


「……同じで、構わない。」


誰かの正義に倣うつもりはない。ただ、自分の中にある火を、絶やさないために。


父が命を懸けて追い続けたもの。その先を、自分が見届ける。

サンドバッグに拳を打ち込む音が、深夜の静寂を切り裂いて響き渡る。


拳が赤く腫れても、美咲は止めなかった。



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