終わってしまった世界で④
体の知れない"何か"から、必死で逃げる二人。
ユリの手を握るタツヤの手には、汗と血と、そして冷たい恐怖がまとわりついていた。
街は、もう“日常”ではなかった。
アスファルトには赤黒い血溜まり。
ちぎれた手足。目を見開いたまま絶命した人々。
ほんの数十分前まで、普通に通勤し、家族に手を振っていたはずの彼らの末路が、道端に転がっていた。
「タツヤ……まって……!」
むせ返るような血の匂いに耐えきれず、ユリがその場で嘔吐する。喉の奥から出る音が生々しく響く。
だが…タツヤは止まらない。
止まれば、死。
「ごめんユリ、でも……走らなきゃ……!」
彼女の手を強く引く。
震える膝。霞む視界。だが、足だけは前に出し続けた。
――そのとき。
パンッ、パンッ!
乾いた発砲音が、路地の向こうから響いた。
拳銃を構えた警察官が、巨大な化け物に立ち向かっている。
「効かねぇのか……でも本官は……市民を……!」
銀色の甲殻には銃弾が通らない。
弾が尽きても、男は諦めなかった。
カチッ、カチッ……空の銃が乾いた音を響かせる。
そして叫んだ。
「うおおおおぉ!!」
銃を投げ捨て、警棒一本で怪物に突進する。
――だが。
バケモノの背から伸びた、鎌のような腕が閃いた。
シュン
一瞬の出来事だった。
警官の首が宙を舞い、身体だけが数歩前に進み、崩れ落ちる。
タツヤの目が見開かれる。
「……夢であってくれ……夢であって欲しいよ……!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、ユリの手を引いてなおも走る。
だが──
「キャッ!」
ユリがついに転んだ。
運動部のタツヤとは違い、彼女の体力はもう限界だった。
「ユリ!!」
「私は……置いてって……タツヤ……逃げて……!」
その言葉を遮るように
ドスン!と音を立てて四足のバケモノがユリの目の前に着地する。
背から突き出る鎌の腕が、ゆっくりと振り上がる。
「あ……」
声が出ない。体も動かない。
死が、すぐそこに迫っていた。
だがその瞬間
ブォンッ!!
けたたましい2ストロークエンジンの音とともに、スクーターが怪物目掛けて突っ込んできた。
振り下ろされた鎌が、わずかに軌道を逸れ、アスファルトに突き刺さる。
「窃盗車ってのは便利だよな~。
パトカーとかヤバい奴に追われてる時、気にせず突っ込めるからよ」
スクーターから飛び降りたのは、赤髪の青年"九条ナツキ"だった。
ユリとタツヤのクラスメイト。剣道部所属。不良。
二人にとっては、まるで別世界の存在だった男が、今ここにいる。
ひしゃげた鉄パイプを肩に担ぎ、ユリを一瞥する。
「すげーな、お前。俺ならあの状況、確実にチビってるわ」
続いてタツヤを見て、ふっと笑う。
「おい彼氏くん?…ってかお前、クラスの地味メガネ……あー、まあいいや」
「この先の公園で、自衛隊が避難誘導やってるってさ。ここは俺に任せて、お前らは行け」
タツヤは、言葉が詰まった。
「む、無茶だよ九条君!!あんなのに、鉄パイプで……!」
「いいから行けっての!! 映画でもゲームでも、“ここは俺に任せて先に行け”って言う奴は死なねーんだよ!!」
バケモノが咆哮し、地面を叩く。
「このままじゃ、お前らそこら辺のミンチにされちまう。クラスメイトの合い挽きハンバーグなんざ、俺はごめんだぜ?」
タツヤは我に返り、ユリに手を差し出す。
「ユリ……立てるか?」
「……うん。ごめん……ちょっとだけ…チビっちゃった…」
タツヤは手を握り、前を見据えて言う。
「……僕なら、デカいほうまで盛大に漏らしてたよ」
2人は手を取り合い、再び走り出す。
目指すは…自衛隊が待つ公園。
生きるために。
まだ知らぬ未来へ、手を伸ばすために。