第6話「パパとお祖父ちゃんは私が護る!『①大空の戦い』 」
「お義父様と竜太郎さんの乗ったジェット機が大変な事に!
くみに… いえ、ニケに行ってもらうしかないわ。」
義父である賢生から送られてきた思念のメッセージに込められた驚くべき緊急事態を知ったアテナは慌てて取り乱す事無く、学校で授業中である娘のくみに対して冷静に念波を送った。
その時、くみは英語の授業を受けている最中だった。
航空機の国際便パイロットである父とギリシャ人の母二人から受けた優しくも厳しい教育により、くみは幼い頃から英語を理解し流暢に話す事が出来たのである。彼女が通う私立中学の英語の授業でバイリンガル教師の話すネイティブな英会話は全て理解出来た。家においても厳しい母アテナの指導の下、くみは毎日の勉強を怠らなかったため、英語に関してだけでなく他の教科に関してもまったくと言って良いほど不安は無く、3年生として通う学校での成績はいつもトップクラスの優秀な生徒だった。
したがって、くみにとっての英語の授業は簡単すぎて退屈な時間でしかなかった。
昼食後すぐの授業だったため、食べたばかりのくみは眠くなっていた。くみにとって授業の内容があまりにも簡単で退屈だったのと合わせて、思わず彼女が大きなあくびをした時だった。母アテナからの呼びかけの声が、くみの頭に直接響いた。母娘二人だけに通じるテレパシーとも言える能力で、くみとアテナは遠く離れた場所でも精神だけで会話が出来たのである。
『くみ… たいへんなの!』
『どうしたの、ママ…?』
『ニューヨークから帰るお祖父様を乗せた、お父さんの操縦するジェット旅客機が空を飛行する怪物に襲われてるらしいの。ついさっき、お祖父様が強い念波で私に報せてきた来たのよ。』
「ええっ!」
アテナが念波で伝えてきた話の内容に驚いたあまり、くみは実際に大きな声を発すると同時に思わず椅子から立ち上がってしまった。
「どうした…?榊原? 急に立ち上がったりして、何か先生に言いたい事でもあるのか?」
突然起立して大声を発したくみに驚いた英語担当の教師が不思議そうに話しかけてきた。周りの生徒達も全員がくみの方を何事かと注目している。
「すみません、先生。私、ちょっと気分が悪いので…保健室に行かせて下さい。」
「ああ、それは構わんが… 一人で大丈夫なのか?」
普段から真面目な態度で授業を受け、成績も優秀なくみの発言を疑う事もなく心配そうに聞いてくる英語教師に一人で大丈夫な旨を伝えたくみは、そそくさと教室を出た。
そして、廊下をスタスタと歩きながら、母であるアテナに向けて念波を送った。
『ママ… すぐに私が助けに行くわ、パパとお祖父ちゃんを!』
すぐにアテナからくみに返事の念波が送られてくる。
『そうしてちょうだい、くみ。
授業中のあなたには本当に悪かったけど、今は悠長な事を言ってられない状況なの。これは、あなたにしか出来ないのよ、ニケ。お願い、急いで。』
『はい、行って来ます… アテナ様…』
くみは校舎の屋上に出た。強い風が4階建ての屋上を吹き抜け、くみの長く美しい栗色の髪と制服のスカートを激しくたなびかせる。
くみは制服の胸元から、しまっていた銀色のペンダントを取り出した。彼女が手に握ると驚いた事にペンダントは瞬時に銀色の仮面へと、その形状を変えた。
その銀色の仮面こそ、祖父との買い物帰りに街で遭遇したBERS(Bio-enhanced remodeled soldier:生体強化型改造兵士)の試作体と戦闘を繰り広げた際、彼女が顔を隠すために着用していた物だった。
くみは自分の顔に銀色に輝く仮面を装着した。すると仮面は、まるで皮膚の一部であるかの様に顔にぴったりとフィットし、彼女の顔そのものの様になった。仮面と言っても目の周りを覆う形のもので、彼女の形の良い鼻や魅力的な唇はむき出しのままだ。
くみの美しく青い瞳も、目の部分に開けられた視界用の穴から覗いていた。しかし彼女が誰であるかは、他人が外から見たとしても分からなかっただろう。
「待ってて、パパ、お祖父ちゃん… すぐ行くわ…」
くみは制服である着ていたセーラー服の背中に付けられていたホックを外した。母であるアテナが彼女の制服に手を加えて、ニケになった時に背に広がる翼が服を着たまま外に出せるようにしてくれたのだ。くみの背中から、日の光を浴びて眩く光り輝く銀色の翼が現れ、大きく左右に広がっていく。この翼は機械仕掛けでも作り物でもなく、くみの美しい栗色の髪と同じ様に銀色の羽根の一枚一枚までが全て彼女の身体の一部なのだった。
どういう身体の構造となっているのかさっぱり分からないが、この銀色の翼は普段はくみの体内にあり、背中は表面上は普通の少女となんら変わりはない。裸になってしまえば、彼女の裸体は他の同世代の少女達の身体と見た目は同じである。どこにも特別な所など感じさせない、健康で美しい^15^歳の少女であった。
くみは大きく自分の銀色の翼を広げた。この瞬間、くみは一人の女子中学生から『勝利の女神ニケ』へと変わったのである。
ニケは広げると翼長3mにも及ぶ美しい銀色の翼を力強く羽ばたかせると上空に舞い上がった。高度100m位まで飛翔したところで静止したニケは、アテナに念を送った。
『アテナ… どの方向へ飛べばいいですか?』
すぐにアテナからの返事がニケの脳に届く。
『ふふ、いつも通りのママでいいわよ、ニケ。
そう…あなたのいる場所から2時の方向よ。お父さんの飛行機は今も太平洋上を日本に向かって飛行中よ…』
『分かった、ママ… 2時の方向ね。私、行くわ!』
アテナに返事の念波を送ったニケは背中の翼を軽く羽ばたかせると、母アテナから指示された2時の方向へとその場で身体をゆっくりと旋回させた。方向を定めたニケは一度大きく息を吸い込んだ。
「待っててね… パパ、お祖父ちゃん… 今から私が…このニケが助けに行くわ!」
声に出してそうつぶやいた次の瞬間、ニケの姿がその空間から消失した。彼女は信じられないほど凄まじい加速を一気にかけたのだ。
瞬時にニケの身体は音速の壁を越えていた。女神であるニケにしか出来ない急激な加速… これは最新鋭ジェット戦闘機でも不可能な芸当である。
数分後、ニケは日本上空から太平洋上に出た。アテナからの念波が届く。
『そう、その方向でいいわ。そのまま真っ直ぐに飛びなさい、ニケ…』
『了解、ママ…』
静かだった… 音速を超えて飛行するニケには外部の音が全く聞こえて来ない。ニケが飛行で発生させた音は発した瞬間に、遥か後方に飛び去って行く。
彼女の飛行速度は、すでにマッハ5を超える極超音速(Hypersonic Speed)と呼ばれる領域に達していた。もちろん、地球上でこんな速度で飛行する生物など有り得ない。
ニケは今、一人っきりの世界にいた。
あまりの飛行速度に周囲の風景などはニケには見えてこない。
『マッハ5』という、音速の5倍以上の速度となる『極超音速(Hypersonic)』と呼ばれる超高速で飛び続ける彼女の視界には、自分が進む前方の狭い領域しか見えていなかったのだ。
マッハで飛行するニケの後方には『ソニックブーム』と呼ばれる現象が生じていた。
ソニックブームとは、物体が大気中を音速より速く移動する際に後方に発生する衝撃波が生み出す轟くような大音響の事であり、この場合においてはニケが超音速で飛行しているため、彼女の後方に凄まじい威力の衝撃波が発生しているのだ。もちろん、彼女自身にはソニックブームとなって発生した大音響は聞こえていない。自分が発生させた音を彼女が聞き取る前に、彼女自身は遥か前方に移動しているからだ。
ニケが低空を飛ぶ際には、この衝撃波が彼女の飛行した後方の海面に激しい水しぶきの航跡を引き起こした。雲の中を突っ切るときは、まず雲にニケが通った穴が開いた一瞬後に、彼女が過ぎ去った後方には衝撃波で吹き飛ばされた雲が跡形も無く飛び散っていく。
しかしニケの後方で生じた爆音は、音速を遥かに超えた速度で飛ぶ彼女自身には全く聞こえていないのだから、自然の不思議としか言いようが無かった。
ニケは可能な限り低空を飛んだ。彼女は以前、ジェット旅客機の国際線機長である父の竜太郎に聞かされた話がある。
『くみ、お前がニケになって空を飛ぶ時には、出来るだけ低空を飛ぶんだ。そうすれば、レーダーが探知し難くなる。
管制レーダーに引っ掛かったら、即座に米軍か自衛隊のスクランブルが掛かって大騒ぎになるからな。ハハハ、空飛ぶ少女なんて、シャレにもならない。』
そう言いながら父が笑って話した事を覚えていて、今彼女は父の教えを実践しているのだった。低空を飛びながらも、自分が発生させる衝撃波が海面に影響を及ぼして海の生物達を驚かさない様なギリギリの高度を選んでニケは飛んだ。
どこまでニケの速度は上がっていくのか、飛んでいる彼女自身にも分かっていない。すでにマッハ7は越えていただろう。ただ、父と祖父を助けたい一心でニケはひたすら加速し飛んでいくのみであった。自分でもここまでの超スピードで飛び続けた事は無かった。自分自身のリミッターを解き放ったのだ。今、地球上にニケを越える速度を出し得るのは光しか存在しなかった。
彼女は父と祖父の危機を心配しながらも、自分の限界を試すかの様な飛行を続ける事に、いささかの高揚感を覚えていた。今までにやった事は無かったが、このまま飛行を続ければ、地球を一周する事など彼女には容易い事だっただろう。
いや、一周どころか私は何周だって飛べる。何なら月までだって… そうニケが思った時、彼女の頭にアテナからの念波が届いた。
『もうすぐよ、ニケ… あと数分でお父さん達の飛行機があなたの視界に入ってくるはずよ。そろそろ、速度を緩めなさい。』
アテナの指示に従い飛行速度を落とし始めると同時に、ニケの視界が急激に広がり出した。するとニケのやや右前方に、一機のB777型ジェット旅客機が飛行しているのが視認出来た。
『いた! ママ、パパの旅客機を発見したわ!』
『怪物は旅客機の上部に取り付いているはずよ、あなたのお祖父様が結界を張って、怪物の侵入を食い止めているの。早く何とかしないと、お祖父様がもたないわ!』
『分かった、ママ… 何とかやってみる。』
ニケはジェット機よりも高高度を保ちながら旋回し、後方から追尾する態勢に入った。そして、ジェット機と自分の飛行速度を合わせた。するとどうだろう、アテナの言った通り、ジェット機の屋根の上に怪物が取りついているのがニケの肉眼ではっきりと確認出来た。
その怪物は、全長30mもあろうかという巨大なムカデに似た形態をしていた。信じられない事に、怪物が取り付いているB777型ジェット旅客機の半分ほどもある大きさである。
怪物の背中には、身体の大きさからすると小さな長さ5m程のトンボの翅に似た翼が十数枚生えていたが、あんな小さな翅であの様に巨大な身体を飛行させるなど到底信じられなかった。だが、現実にジェット旅客機の飛行する高度を飛び、速度も飛行機に匹敵する速さで飛行しているのだ。こんな生物が自然界に存在する筈が無かった。
だが、ニケは目の前の奇妙な怪物の存在を疑ったりはしなかった。何しろ、この世界には母や自分の様な女神が実在しているのだ。
遭遇した未知の怪物の姿を見た彼女が発した最初の一声は次の様なものだった。
「うわあ… 何あれ… 気持ち悪い… 最悪!」
ニケは虫が苦手な少女なのだった。
怪物は口から伸びた数mもある巨大な鋭い顎でジェット機の屋根を喰い破って侵入しようとしているのだが、くみの祖父であり稀代の大陰陽師でもある安倍賢生が張り巡らした強力な結界により、かろうじてだがジェット機の機体は無事な状態を保っている様子だった。
ニケは怪物の全身をよく観察した。まさしくムカデに似て分かれた複数の身体の《ふし》節ごとに、直径30cmほどもある太さの二本の脚が対で生えている。全部の脚の数を合わせると、『百足』の名の如く百本とまではいかなかったが、それでも数十本はあるようだ。怪物は、その数十対の脚の先端部に生えた鋭いカギ爪で、旅客機の胴体をしっかりと掴んでいた。
「あの爪を外せば、あの気持ち悪い怪物はパパのジェット機から離れるわ、きっと…」
そうつぶやくとニケは、自分の青く美しい両目に力を込めて念じた。
その瞬間、ニケの双眸から凄まじい勢いで、レーザー光線の様な青い光の束が迸った。二条の青い光線は真っ直ぐに怪物の脚に達し、ニケが視線を動かすと一瞬にして全体の半数ほどに及ぶ十数本の脚を薙ぎ払った。もちろん、ニケはジェット機を傷付けないように光線の威力を減弱させて照射したのだが、それでも怪物の脚を焼き切る程度には十分すぎる威力だった。
「グギャアアアアアアーッ!」
数十本もの自分の脚をニケの放った光線によって焼き切られた怪物は、この世のものとも思えない様なけたたましい絶叫を発してジェット機の機体を掴んでいた残り全てのカギ爪を離した。そして、背中に生えた十数枚の翅を激しく羽ばたかせると、ジェット機から身体を遠ざけた。
『上手くいったわ、ママ! ムカデの怪物をパパのジェット機から切り離した!』
ニケはアテナに対し、念波で目の前の状況を報告した。
『よくやったわ、ニケ。そのまま怪物をお父さんのジェット機から遠くへ引き離しなさい。』
『分かった。やってみる!』
ニケは怪物とジェット機の間に割り込む様に飛び込んだ。もう一度レーザー光線を怪物に対して照射する。今度は怪物を追い払うための威嚇射撃だ。
怪物はニケの青いレーザー光線の照射を目にした途端、慌てふためく様にジェット機から急いで遠ざかった。
しかし、怪物はジェット機から離れざまに、口から粘液状の液体をニケに向かって吐きかけた。
ニケは間一髪、急旋回で身を躱したが、粘液の一部がジェット機の左側のエンジンにかかってしまった。
エンジンにかかった粘液は煙を上げながら、エンジンを構成する金属を溶かし始めた。しかも、溶解はかなりの速さで進んでいく。
「しまった! 何て事するのよっ! もう容赦しないわよ! こいつめっ!」
怒りの叫び声を上げたニケは、怪物に対して振り向きざまに凄まじい勢いで両目のレーザー光線を放った。
ムカデに似た怪物の様な長い胴体は、瞬時に真っ二つに両断された。さらにニケは宣言通り容赦する事無く、レーザー光線を発しながら視線を軽く数回動かした。青いレーザー光線が怪物の身体を切り刻んでいった。
ニケのレーザー光線でバラバラに切断された怪物は、数十個の肉片と化して後方へ吹き飛び、眼下の太平洋上に落下していった。
『ママ! 怪物はやっつけたけど、ジェット機の左側のエンジンがやられたの! 大変だわ! どんどん溶けていってる!』
ジェット機の状況を見て慌てたニケは念波を通じ、母アテナに目の前の窮状を訴えた。
『分かってる、ニケ… あなたの目を通して私にも状況が見えてるわ…』
ニケの五感が得た情報は、テレパシーで繋がった精神を通してアテナと共有されているのだった。
『このままじゃ、パパ達のジェット機が… 私はどうすればいいの? ママ!』
左翼のエンジンの推力を失い、目の前で徐々に傾きながら飛行する父のジェット機に並んで飛び続けるニケは父と祖父の双方を失う恐怖に怯えながら、遥か遠い日本にいる母アテナに対して縋るように強い念波を送った。
『ママ、左のジェットエンジンが完全に停止した… それでも…エンジンの熔解が止まらないわ!』
ニケは美しい口元を両手で覆いながら、現実の世界での自分の母であり、前世では髄マ、左のジェットエンジンが完全に停止した… それでも…エンジンの熔解が止まらないわ!』
ニケは美しい口元を両手で覆いながら、現実の世界での自分の母であり、前世では随神として仕えた女神でもあるアテナに対し悲鳴の様な念波を送った。




