第5話「祖父… 大陰陽師、安倍賢生」
「むう? 何じゃ、この妖気は…?」
ジェット旅客機のビジネス席の一つに腰掛け、それまで眠っていた一人の老人男性が目を覚ますと同時に、眉間にしわを寄せて呟いた。
第1話において、孫娘である中学3年生のくみと共に出かけた買い物から帰る途中、偶然に街で遭遇したBERS(Bio-enhanced remodeled soldier:生体強化型改造兵士)の試作体として人工的に作り出された怪物とくみが変身した超人ニケとの戦闘現場に居合わせた一人の老人がいた。
この老人こそくみの実父・榊原竜太郎の父親であり、日本において現存する陰陽師の中で最高の実力を持つと言われる人物でもあった。その名を安倍賢生という。
竜太郎との姓が異なる点に関しては、次の様な事情があった。
賢生が伝説の陰陽師として知られる安倍晴明を始祖とする陰陽師一派の正統な後継者であり、現在の日本における全ての陰陽師の中でも名実ともに第一人者と呼ばれている。
賢生が先代の安倍神社宮司の跡目を継いで正統な後継者となった日から、彼本来の姓であった榊原を改め、正式に安倍氏を名乗る事となったのだ。
つまり、日本国の戸籍上においても名実ともに、榊原賢生は安倍賢生として生まれ変わったのである。
賢生には三人の息子がおり、くみの父親である榊原竜太郎は長男に当たる。竜太郎は父の跡目を継ぐ事を嫌い、自らの不屈の意思と努力の末に国際線航空機のパイロットとなり、陰陽師とは全く関係のない職業に就いた。
次男に関しては成人後に事故で行方不明となり、法で定められた一定期間を経た後、遺体の無いまま法的に死亡と認定された。
三男となる賢生の息子は、彼が年を経てから設けた子で、長男と次男を生んだ正妻の生存中に愛人に産ませた子供であり、賢生の非嫡出子となった。三男が幼少時において、彼の母親が病気で逝去した際に、実父である賢生の榊原家に引き取られた。しかし、賢生は自分の元の姓である榊原を三男が名乗るのを許さず、愛人だった母方の姓を彼に名乗らせた。
この三男に関しては後に、彼の姪に当たり、この物語の主人公であるくみにとって大きな役割を果たす人物として、彼女に関わってくる事になる。それは、いずれ時が来れば語る事としよう。
賢生の正妻は彼女にとっても初孫である、くみが誕生した数年後にガンで死亡している。
話を戻すが、陰陽師と呼ばれる存在は一般に映画や小説等でよく知られるところであるが、実際において小説の中の様に世間的に目立つ活動をしている訳ではない。
かつては、その時代時代において天皇家や皇室、又は幕府にも官職として仕え重用されてきたが、明治時代以降は官職も無くなり衰退の一途をたどり、数多くの陰陽師達が凋落していった。
多くの陰陽師達は全盛時の面影を残す事なく、時代の流れと共に消滅していった。現代の日本においては容易に数えられる程度の数しか、その存在を確認出来ないほどである。
しかし、その現代の数少ない陰陽師の中に有って一際異彩を放つ人物がいた。その名を安倍賢生といい、陰陽師としての彼の能力は、自らが属する一派の始祖である安倍晴明に匹敵または凌駕するとまで言われるほどだった。
日本においての皇族に関する事はもちろんのこと、現実に国家を動かす国の中枢にいる人物達や、経済や産業方面でのトップにいる人々の多くが、この稀代の大陰陽師安倍賢生の元へ訪れて彼の占術で自身や自らの属する国家や企業の未来を占ってもらい、進むべき道を示してもらっていた。その占術は恐ろしいほどに当たり、彼の存在は海外にも広く知られるところとなった。
陰陽師としての賢生に対する海外の要人からの仕事の依頼は引きも切らず、日本のみではなく海外をも股にかけて活動の場を広げていた。彼は非常に多忙の身だったのである。
しかし、その多忙の身である稀代の大陰陽師、安倍賢生には唯一の楽しみがあった。
自身の初孫である榊原くみと一緒に時を過ごす事であった。賢生にとって青い目をした孫のくみは、まさに目の中に入れても痛くない存在だったのだ。彼は自分の長男が異国の女性と設けたこの孫が可愛くてしょうがなかった。
世界中の要人から一目置かれる大陰陽師である安倍賢生が、孫のくみの前ではデレデレとした好々爺になってしまうのだ。
そしてまた賢生は、くみの母である長男竜太郎の嫁のアテナに対しても非常に好感を持っていた。独特の感情を抱いていると言ってもよいほどだったが、自他ともに認めるほどの女好きの彼が碧眼金髪の外国人女性にスケベ心を抱いていたのではなく、この美しい息子の嫁がただものではない事を、息子竜太郎に紹介されて初めて出会った日から感じていたのだ。
賢生は日本の陰陽師という立場だけでなく、彼個人としても他国であるギリシアの神話に登場する女神アテナの事などは、知識としてすらほとんど承知してはいなかったのだ。しかし、稀代の大陰陽師である安倍賢生だったからこそ、アテナの中に眠る女神の資質を直感で感じ取ったのだろうか?
最初、賢生は息子の嫁の中の女神アテナに感じる不思議な気配を、妖の存在かと思った。もしそうであるならば、賢生は自分の立場として妖である彼女を退治しなければならない。
だが、アテナから感じられる気配は、まるで太陽の様に暖かく清潔で、彼女に向き合った人々全てを心地よい幸せな気分にさせるオーラであった。賢生はすぐにアテナを好きになり、彼女に心を開いた。
くみの誕生を誰よりも喜び祝ったのは、竜太郎とアテナの夫婦以外では祖父の賢生だっただろう。世界に名だたる大陰陽師である安倍賢生が、自分にとっての初孫であるくみの誕生を涙を流して手放しで喜んでいた。一人のジジ馬鹿の誕生でもあった。
アテナが、自分自身が『女神アテナ』のこの世に人間として転生した存在だと覚醒した日の翌日、賢生は竜太郎とアテナの二人から事情を聴いた。自分の息子の嫁であるアテナと実の孫であるくみが、それぞれ別の女神が人間に転生した存在だと知った後も、賢生の二人の女性を愛する気持ちに変化は無かった。いや、ますます二人を好きになっていた。
孫のくみは賢生にとってかけがえの無い存在だった。賢生は自分の大陰陽師としての全能力を使ってでも、可愛い孫のくみを守り抜くと心に誓った。
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ある日、大陰陽師である安倍賢生の元へと、海外から一通の招待状が届いた。アメリカのニューヨークからである。
招待状の内容は、この|度『たび』ニューヨークに於いて開催されるという国際フォーラムへの正式な招待だった。
現代の科学時代において世界中の呪術、妖術、魔術、占術等の今なお現存する古からの不可思議な能力を伝承する人々を世界中から選りすぐって集めた国際フォーラムだという事である。このフォーラムに日本を代表する参加者として、稀代の大陰陽師である安倍賢生が招待されたのだ。それだけでなく、彼には壇上で講演をする演者として参加する事が大会運営委員会側から正式に要請されているのだった。大変に名誉な事だと言えるだろう。
賢生は今までにも、こういった場への招待を数え切れないほど経験してきたが、大抵の場合は丁重に辞退してきた。しかし、今回の国際フォーラムへの招待の話が、ひょんな事から孫であるくみの知るところとなったのだ。その時のくみの態度は次の様なものだった。
「キャー! おじいちゃん、カッコいい! すごいじゃない!
おじいちゃんが世界に認められてる証拠だね。素敵だわ、くみ尊敬しちゃう!」
この今どきの女子中学生らしいと言えるくみのリアクションに気を良くした賢生は、一も二も無く即決で招待を受ける事にした。彼は溺愛する孫のくみに尊敬される祖父でありたいという、ただそれだけの理由で今回の国際フォーラムへの参加を決めたのだ。まさにジジ馬鹿以外の何物でもなかった。
そして、彼は本来大嫌いで苦手なはずの飛行機に乗ることを決意し、空港で見送るくみやアテナの目の前でニューヨークへと旅立って行ったのだ。
ニューヨークの会場でスピーチを求められた賢生は自分の思う所を堂々と述べて、出席者全員のスタンディングオベーションでの拍手喝采を浴びたのだった。
フォーラムが大成功裏に終わり、出席者のほぼ全員が参加するという大規模の打ち上げセレモニーが開かれた。その打ち上げが終了した後に賢生は、いつまで経っても使い慣れる事のないスマホのLINEアプリを使って苦心惨憺の努力の末、孫のくみに国際フォーラムの大会が無事終了し、自分の講演が大成功に終わった事を伝えた。すぐに、くみから次のような内容の返信が来た。
「やったね! さすが、私のおじいちゃん! くみの誇りだよ! おじいちゃん、大スキ!」
このメッセージを見た賢生の苦労と疲れが一瞬で吹き飛び、彼がニヤニヤデレデレしたのは言うまでもない。
賢生が日本へ帰る際の航空便としては、彼の長男である榊原竜太郎が機長を務める便に搭乗する事が決まっていた。全て竜太郎が自ら手配したのである。その便に合わせるために賢生は、同行者達と共にニューヨークで観光などをして日程を調整した。
賢生が息子の操縦するジェット機に搭乗するという計画は、竜太郎から是非にと勧められての事だったが、息子が機長として操縦するジェット機に乗る事は、父親としての誇りであり喜びでもあった。賢生は快く息子の勧めに従ったのだ。
この便に賢生が乗る事が、結果として愛する孫のくみを含めた家族達を大事件へと巻き込む事態に発展するとは、大陰陽師である安倍賢生自身にも想像出来ない事であった。
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ビジネス席の乗客の一人として賢生を乗せ、息子の榊原 竜太郎が機長を務めるB777型ジェット旅客機が日本の成田空港へ向けてニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港から予定通りの時刻に飛び立った。
「わしは、どうも飛行機と言う奴に乗るのは好きになれんわい。こんな金属の塊が空を飛ぶなんて、わしには信じられん。何で竜太郎のヤツはこんなもんが好きなんじゃ。アイツは昔っから航空機オタクで飛行機バカじゃったからのう。
陰陽道の修行をちっともせんと、わしの後を継いで陰陽師にならんで、とうとうジェット機の機長になってしまいおった。」
落ち着かない賢生は、日本までの機内時間を眠って過ごそうと考えて座席に深く座り、目を瞑って眠ろうとしていた。大好きな孫のくみの夢を見れればいいと考えながら…
日本へ向けての飛行中、航路の半分まで順調な飛行を続けていたジェット旅客機が突然大きく揺れた。揺れは数分間続き、一向に鎮まる気配は無かった。乗客の多くが不安がり、機内にざわめきが起こった。
機長である竜太郎が機内放送を行ない、乗客に対し着席してシートベルトを着用する旨を伝えた。
眠りながらも突然不穏な気配を察知した賢生は、揺れが始まるより前にすでに目を覚ましていた。
「むう… 何じゃ、この怪しい気配は? 空に住まう妖のモノか… まずいぞ、これは。この飛行機が妖に捕まったようじゃ…」
「この妖… かなりデカいな。この飛行機を取り込んで、中の乗客を喰らうつもりか? これだけ巨大な妖を、飛行中の旅客機の機体越しに、果たしてわしの結界でどこまで食い止められるか…?」
不安そうに呟きながらも、賢生は自分の全能力を使って旅客機に乗る全ての乗客乗員を護るために戦う事を決意した。
「唵!」
賢生は目を閉じて両掌を合わせると、強い口調で短い言葉を発した。そして言葉を続ける。
「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン…」
どうやら何かの呪文の様であるのだが、そばで誰かが聞いていたとしても意味は全く不明だっただろう。
そして彼は合わせていた両掌を放すと、まず真っすぐに立てた右手の二本指で四縦五横に九字を切り、次に十本の指を巧みに動かして次々に形態の変えた手印を結びながら、その動作に合わせながら呪文を唱え始めた。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」
「急急如律令! 喝っ!」
閉じていた目を見開きながら鋭い裂帛の気合を発した賢生の小柄な身体が、一瞬大きく膨らんだかのよう見えたかと思うと、同時に彼の全身が眩い光を発した。しかしそれは、僅かな一瞬だったため、周囲の乗客でさえ誰も気付いた者はいなかった。
すると、不思議な事に次の瞬間…ジェット機の揺れは治まった。
「わしの張ったこの結界が、いつまで持つか… お願いじゃ! わしの念波よ、届いてくれ… アテナさんに!」
賢生は身体中に漲る膨大な気を込めて造り出した巨大な結界をB777型ジェット旅客機全体に張り巡らしながら、息子の嫁であるアテナに…いや、女神アテナに向けて、精一杯の強い意識を込めた思念を飛ばした。
「アテナよ! ニケよ!
わし達の乗った、この旅客機を救ってくれ! 頼む!」




