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第3話「アテナとくみ… 二人の誕生と女神の覚醒」

第3話「アテナと()()…二人の誕生と女神の覚醒(かくせい)


()()、どういう事なのか、私の前に(すわ)ってちゃんと説明しなさい。」


自宅内の和室の一室で、自分の母である榊原(さかきばら)アテナの前に正座(せいざ)をさせられた娘の()()は、助けを求める目を祖父(そふ)安倍(あべの)賢生(けんせい)に向けた。

 ()()の訴えかける様な眼差(まなざ)しを受けた賢生(けんせい)は「コホン」とわざとらしい(せき)を一つしてから、アテナに対して取りなそうと口を開いた。

「のう、アテナさんや…」

「申し訳ありませんが、お義父(とう)さまはしばらく黙っていて下さい。私は今、()()の話を聞こうとしていますので。」

 口をききかけた途端(とたん)、長男の(よめ)であるアテナに毅然(きぜん)とした態度で機先(きせん)を制せられ、それ以上何も言う事が出来なくなった賢生(けんせい)は情けなさそうな顔で孫の()()を見ると、口だけを動かして無言で(あやま)った。

『す・ま・ん…』


 祖父が自分から目をそらすのを見て、()()仕方(しかた)なく彼の援護(えんご)(あきら)めた。『お祖父(じい)ちゃんに裏切られた…』

 ()()の美しい顔が泣き出しそうな表情に(ゆが)んだ。

()()は自分の母であるアテナを誰よりも尊敬し、そして深く愛しているのだが、一方で厳格(げんかく)と言えるほどに(きび)しい母が苦手でもあり、中学3年生の今になっても頭が上がらないのだった。


 ところで、言うまでも無く、今この場にいる祖父と孫娘こそが、前日の夕刻に偶然居合わせた副都心のビジネス街で発生した正体不明の怪物による連続殺人事件に遭遇(そうぐう)し、怪物から人々を救おうと飛び出して行った少女と、それを見守っていた()れの老人の二人である。

その事件の際、老人が『ニケ』と呼んだ孫娘の背中には、彼女が空を飛ぶために羽ばたかせていた巨大な銀色の翼があったのだが、今は影も形も無かった。それだけでなく、美しい容姿以外に少女の身体に別段変わった所は見受けられなかった。

しかし、この場での会話から察するに、()()という少女を除いた二人の家族も彼女が『ニケ』に変身する事を承知しているらしい。

いったい、この家族にはどういった秘密が隠されているのだろうか…?

 


 

       **********

 

 


 ここで時間を過去に(さかのぼ)り、この物語の主人公である少女・榊原(さかきばら)()()(ニケ)と彼女の母・榊原アテナの生誕(せいたん)(まつ)わる話に触れよう。


 ()()の母親であるアテナは、その名前から想像される通り、生まれも育ちも日本ではない。

 ギリシャの首都アテネで生まれ育った彼女は、美しい金髪に加え、()み渡った青空の様な色をした碧眼(へきがん)を持った生粋(きっすい)のギリシャ人女性である。


 それが何故(なぜ)、こんな日本の地方都市に住んでいるのかと言うと、アテナの伴侶(はんりょ)であり、()()の父親でもある榊原(さかきばら)竜太郎(りょうたろう)の職業が、国際線のジェット旅客機の機長(パイロット)である事に関係していたのだ。

 アテナは後に伴侶(はんりょ)となる竜太郎(りょうたろう)と出会う前は母国ギリシャにおいて、やはり国際線のCA(キャビン・アテンダント)として従事していたのだった。


 ギリシャのごく平凡な家庭に生まれ育ったアテナだが、彼女が誕生する前夜、分娩(ぶんべん)を目前に(ひか)えた妊婦(にんぷ)であった母親は、ギリシャ神話の女神アテナが自分の枕元に降臨(こうりん)する夢を見たという。妊婦(にんぷ)夢枕(ゆめまくら)に女神アテナが立つなど珍しい事だったが、母親は夢の内容を夫に話し、夫婦揃(そろ)って「出産前の吉兆(きっちょう)だ」と大いに喜んだ。


 母の胎内から生まれ落ちる際、赤ん坊であるアテナは全身から黄金(おうごん)色の光を発していたと、当時分娩(ぶんべん)に立ち会った担当の産科医師や看護師ら医療スタッフ全員が後に証言している。何よりも分娩室で立ち会っていたアテナの父親自身が、妊婦である妻の手を強く握りしめながらその現象を目撃していたのだ。

 分娩室に居合わせ、その不思議な現象を()の当たりにした全ての人達が異口同音(いくどうおん)につぶやいたらしい。

「女神アテナの奇跡(きせき)だ…」と。


 以上の様に出産前後に起きた不思議な出来事から、誕生した女の赤ん坊を「女神アテナの生まれ変わり」と、その場にいた関係者全員が(そろ)って口にしたのも、あながち不思議な事では無かったと言えるだろう。


 両親共に思い悩む事無く、赤ん坊は『アテナ』と名付けられた。アテナは関わる人すべてに誕生を(たた)えられ、祝福された。彼女は生まれてすぐ両目を開き、まるで見えているかのように、自分を見守る大人達一人一人の目をつぶらな(ひとみ)で見つめ返した。その瞳は美しく()んだ碧眼(へきがん)だった。


 こうして多くの人々が見守る中、不思議な光景の(もと)で、()()の母であるアテナが誕生したのだった。


 アテナは幼い頃から非常に聡明(そうめい)だっただけでなく、彼女の周囲にいる全ての人々が息を()むほどの美貌(びぼう)の持ち主でもあった。ただし、彼女の美しさから受けるのは冷たい印象では無く、いつも他人に対して優しく暖かい気持ちを与えるものだった。


いつの頃からか、彼女は自分の将来における職業として、国際的な関りを持てる仕事に()きたいという決心をした。そして、迷う事無く国際線のCAを選ぶと、その職に就く事を目指(めざ)して猛勉強し、大学を卒業する年には自分の夢であった希望の職に()く事が出来た。アテナは自分の夢を理解し、その実現を全面的に応援してくれた両親と共に涙を流して喜んだ。


 だが、自身のたゆまない努力で夢を叶えたアテナだったが、彼女にとって不幸だったのは、皮肉な事に彼女自身の完璧すぎる美貌(びぼう)である。アテナの周囲にいる男達は、彼女のあまりの美貌に委縮するのか、誰もが敬遠してしまい、誰一人としてアテナに交際を申し込む事は無かったのだ。(たぐい)まれな美貌を持ちながらも、アテナは23歳になっても(いま)処女(しょじょ)のままで、(けが)れを知らない身体だった。

 それでもアテナは、そんな自分の美貌を誰に対しても(おご)る事無く、逆に卑下(ひげ)する事も無く、(みずか)らの仕事に自信と(ほこ)りを持って毎日職務に(いそし)しんでいたのだった。

 そんなアテナに、(つい)に運命の()()いが(おとず)れた。

(はる)か東方に位置する辺境(へんきょう)の国である日本からの国際便に副機長として搭乗し、アテナの祖国ギリシャへとやって来た榊原(さかきばら)竜太郎(りょうたろう)との出逢いである。

彼こそが、後にアテナにとっての運命の人となる日本人男性であった。


 日本から来訪した大手航空会社の国際便の乗務員と、ギリシャの航空会社のスタッフ達との間で、親睦(しんぼく)を深めるための交流会のパーティーが開かれる事になった。

 日本からギリシャへ訪れる観光客は多い。日本の航空会社の乗務員達にギリシャという国を深く知ってもらうためにも、自分達の航空会社はもちろん、国家にとっても重要な意味のある交流会であった。そのため、経済面で日本と手を結びたがっているギリシャの政治及び経済界における重要な立場の人々も多く参加していた。


 その交流会に日本側のゲストの一人として(まね)かれて出席していた竜太郎(りょうたろう)と、ホスト側としての出席者の一人であるアテナがパーティーの席で顔を合わせる事となった。


 それは、二人にとって文字通り衝撃的な()()いであった。アテナと竜太郎は互いに初めて目を合わせた瞬間、まるで稲妻(いなずま)に打たれたかの様な衝撃が二人の間に走ったのだ。

 交流会におけるレセプションパーティーでの挨拶(あいさつ)の際、目の前に立った二人は、互いが自分の運命的な相手である事を直感で同時に感じ取った。まるで、この出会いが決められていた運命であったかの様に二人は本能的に理解し、心が共鳴(きょうめい)し合ったのだった。

この瞬間、二人にとって自分達以外の人間が、その場に存在していないかの様に感じられた。アテナと竜太郎にとって、二人以外の全ての時間が静止したかの様に感じられる中で、彼らは長い間互いの目と目を見つめ合っていた。


 不思議な事に、言葉に発さなくても互いに気持ちが共鳴(きょうめい)し合い、それまでに経験した事が無いほどに心が(ふる)えたのだ。この時の二人にとって言葉は必要では無かった。互いの気持ちを理解するのは、見つめ合うだけで十分だったのだ。


 出逢ったばかりの二人は、その場で一瞬にして恋に落ちた。


 日本人男性である榊原(さかきばら)竜太郎(りょうたろう)もまた、アテナと同様に独身だった。

 ギリシャと日本という遠い異国の地でそれぞれが生まれ育ち、接点など皆無(かいむ)だった二人は、この日まさに出会うべくして出会ったのだと言えるだろう。運命がこの二人を引き合わせたとしか言いようが無かった。そして、二人は共にその運命を受け入れたのだ。

 互いの間に存在する国際的な壁などは、愛し合う若い二人にとって何の障害にもならなかった。アテナは(おさな)い頃から夢に描き、苦心して努力の末に()く事の(かな)ったCAの職を()するのに、何のためらいも持たなかった。

 仕事を()めて結婚し、(はる)か遠い日本という異国の地に住む竜太郎(りょうたろう)の元へと(とつ)ぐ事へのアテナのためらいは一切(いっさい)無く、その決意は決して()らぐ事は無かった。

 アテナにとって、竜太郎との出会いからわずか数か月後にギリシャ出国となった。


 アテナの両親は共に健在であったが、娘の意志が強く、竜太郎への愛が空よりも広く海よりも深いのを理解して、二人の国際結婚と最愛の娘アテナの日本への移住を許した。彼らは、女神アテナの生まれ変わりであると信じて疑う事の無い自分達の娘の固い意志に、何ら疑問も不安も抱かなかったのだ。


 こうしてアテナは、彼女にとって(はる)か遠い異国の地ニッポンへと、たった一人で(とつ)いで来たのだった。しかし、彼女には何も不安は無かった。自分が愛する男、榊原竜太郎の元へ来る事が彼女の全てだったからだ。

この時、アテナが24歳、竜太郎は30歳だった。


 二人は幸せだった。当時、国際便の副機長であった竜太郎は、仕事がら長期に家を留守(るす)にする事が多かったのだが、二人はそんな障害を物ともせず結婚後も夫婦として仲睦(なかむつ)まじく、互いに深く愛し合った。


 二人が結婚して二年後に長女である、()()が生まれた。竜太郎は勤務で海外にいたため、アテナの出産には立ち会えなかった。


 出産の当日、アテナは両親から聞かされていた自身の誕生の時と同じ様な奇跡を目にする事になった。

 ただ、自分の誕生の時と一つ違っていたのは、生まれ落ちた時の全身が金色に光り輝いていた自分とは異なり、娘の全身は(まばゆ)いばかりの銀色の光を放って輝いていた事だった。

 この時に起こった奇跡ともいえる光景は、分娩に立ち会った全ての関係者が目撃した。その場にいた医療スタッフは全てが日本人で、彼らのほとんどが無宗教で信仰心の薄い人々だったが、彼らにとって生まれて初めて目にする奇跡としか言いようのない衝撃的な光景であった。

その時、生まれ落ちたばかりで全身から銀色の光を発する赤ん坊に対し、居合わせた誰もが思わず神仏に(おが)むように手を合わせていたという。


 その中で唯一(ゆいいつ)、分娩を終えた(とう)のアテナだけが、この奇跡の光景に驚く事が無かった。そして彼女は、自分の生んだ赤ん坊を優しく抱き(ほほ)にキスをしながら、ひとり小さく(つぶや)いていた…


「ああ、私のニケ…」


 自分でも無意識の内に口を突いて出た言葉に、アテナ自身が戸惑(とまど)いを覚えずにはいられなかった。


「私は今、何故(なぜ)この子の事を『ニケ』などと呼んだのかしら…」


 その理由はアテナ自身にとっても、もちろん分からなかった。

 ただ…アテナの口にした『ニケ』という言葉は、彼女の母国ギリシャの国民なら子供でも知っている、ギリシャ神話に登場する勝利の女神の名前だったのだ。


 これが、母となったアテナが無意識に『ニケ』と呼んだ、榊原(さかきばら)()()の誕生だった。


 

 

       **********

 

 

 

 アテナは自分と夫である榊原(さかきばら)竜太郎(りょうたろう)との運命的な()()いで感じたのと同様に、娘()()の誕生にも何らかの運命的なものを感じていた。

 母である自分がこの世に生まれ落ちた瞬間から、()()の誕生へと繋がる全てが何者かの意志によって定められた運命であったかの様に、アテナには思えてならなかったのだ。


 母国ギリシャにおける異国人男性である竜太郎との出会いから結婚、そして娘()()の誕生までのすべての出来事が何かの大いなる意志によって(あらかじ)め定められていたのではないか。自分は、その意志が()いた運命というレールの上を歩いていただけだったのではないか… そして、自分には何かの使命が課されているのではないのか?

いつの頃からか、そんな途方もない思いをアテナは胸に強く抱く様になっていた。

 だが、それはアテナにとって決して不快な思いではなかった。それよりも彼女は自分に課せられた使命を、竜太郎と結ばれて娘の()()を産んだ事で一部達成出来たかの様な幸福感を覚えていたのだった。


 自分は竜太郎と結ばれるべくして出会い、そして娘の()()は二人の子として生まれてくるべき命だったのだと、漠然(ばくぜん)とだが、アテナは自分なりに理解していたのだ。

 


 

       **********

 

 


榊原()()の誕生から2年余りの時が流れた。()()は両親に愛されて(すこ)やかに育った。彼女は自分の容姿が周囲の子供達と違い、日本人にしては明るすぎる栗色の(かみ)と、日本人には無い母譲りの()んだ碧眼(へきがん)である事に違和感を覚える事もコンプレックスを感じる事もなく、明るく元気に育っていった。 

()()は周囲の誰からも愛された。


 だが、()()自身と、彼女の両親であるアテナと竜太郎(りょうたろう)夫婦が世間に隠しし続けなければならない秘密があった。

 ()()は、ギリシャ神話における『勝利の女神ニケ』の生まれ変わりだったのだ…


 アテナが最愛の娘である()()の異変に初めて気付いたのは、()()が満2歳の誕生日を迎えた日だった。


 その日、アテナは()()()れて外を散歩していた。アテナ達の住む町には、それほど標高が高くは無い(ゆる)やかな斜面で形成された小規模な山があった。

 その小山(こやま)の周囲を螺旋状(らせんじょう)にゆっくりと回りながら上り下りする車道に沿って設けられた歩道が、歩くのが大好きな(おさな)()()にとってお気に入りの散歩コースだったのだ。この道を散歩するのは大人でも結構な運動になる。その日2歳になったばかりの()()は、午前中を歩き通しだった事から、疲れた彼女は昼過ぎには母の押すベビーカーの中でスヤスヤ眠っていた。

 アテナは昼寝をする()()を乗せたベビーカーと(とも)に山の中腹(ちゅうふく)にある、町を展望(てんぼう)出来る休憩所(きゅうけいじょ)で一休みする事にした。アテナ自身も休憩所にあるベンチに腰を下ろし、町の景色(けしき)(なが)めた。

二人は、このコースを散歩する時には、いつもここで休憩する事にしていたのだ。彼女はここまで至る散歩コースと、ここから見下(みお)ろせる美しい景色を愛していた。


 日が(かたむ)き始め、そろそろ帰ろうかとアテナが立ち上がり、()()がまだ眠るベビーカーを押して坂道を下り始めた時に、その後の母娘(ははこ)の人生を一変させる様な運命の出来事が起こった。


 山を下る車道は緩いカーブを描きながら、山を周回する様に走行している。アテナ達の歩く歩道は、この車道に沿()う様に造られ、ガードレールで車道と(へだ)てられていた。休憩(きゅうけい)を終えたアテナは、まだ眠ったままの娘を乗せたベビーカーを押しながら、自宅に帰るべく歩道を歩いて下っていた。


 歩道をゆっくりと(くだ)母娘(ははこ)の上方から、改造された車のエンジン音らしい爆音が聞こえてきた。それまで静かだった山の車道を、爆音を発する改造車が周回しながら近づいて来る。ここの車道は走り屋と呼ばれる者達が走るコースとしても人気があったのだ。振り返ったアテナの目に、かなりのスピードを出してカーブを曲がりつつある一台の黒いSUV車が(うつ)った。


「だめっ… こっちへ来るっ!」


 アテナには、時速百キロを超えた速度で暴走するSUV車が自分達親子めがけて突っ込んでくる様子が分かった。まるで予知のように、彼女の目にハッキリとその光景が(うつ)ったのだ。

車道と自分達のいる歩道とはガードレールで(へだ)てられてはいたが、アテナは娘の乗るベビーカーを自分の身を(もっ)て守るべく、向かって来る車とベビーカーとの間に(みずか)らを壁にするかの様にして立ちはだかった。あの車体とスピードでは、ガードレールは持ち(こた)えられそうに無かったからだ。

 我が身を(てい)してでも、()()だけは(まも)りたい…それはアテナの母としての悲しくも強い決意だった。


ドッガアアーンッ!

 アテナが予想した通り、猛スピードで迫るSUV車が激突したガードレールを突き破った瞬間… それは起こった。


 アテナが車に向かって真っ()ぐに差し出した左手が、まばゆい黄金色の光を発したのだ。黄金の輝きはアテナの左手を(おお)う様に包み込んでいく。 

次の瞬間、アテナの左手には突然出現した光り輝く黄金の(たて)が握られていた… 自分の左手がしっかりと握りしめる黄金の盾を見たアテナは、自分でも理由は不明だったが一つの言葉を叫んでいた。

「イージィースッ!」

アテナの叫びに(こた)えるかの様に、盾の黄金色の輝きが、爆発する様な(すさ)まじい勢いで一気に増大した。

ガッガアーンッ!

 猛スピードで彼女の身体に激突するはずだった2トンを超す重量がある自動車を、ほっそりとしたアテナの左手に握られた光り輝く黄金の盾が、彼女の身体に何の衝撃をも与える事無く軽々と(はじ)き飛ばしていた。実際、百数十キロを超す凄まじい速度で盾に激突したSUV車は、アテナ自身の身体には何の衝撃も感じさせなかった。

 しかし、逆に弾き飛ばされた車はイージスの盾との激突で前面を大破され、車体に()め込んだ膨大(ぼうだい)な運動エネルギーを保ったまま、角度を変えこそしたが速度をほとんど(ゆる)める事無く突き進んだ。

すると何たる事か、車体がスピンした拍子(ひょうし)にアテナの後方に隠れていた()()の乗るベビーカーを車体の一部に引っ掛けて巻き込んだのだ。そのまま暴走車は、ガードレールと反対側にある安全柵(さく)をも突き破り、崖下(がけした)へと飛び出していった。不運にも引っ掛けられたベビーカーもろとも…


()()いいぃーっ! いやあああああーっ!」


 絶叫(ぜっきょう)(むな)しく、アテナの目の前で(いと)しい娘()()を乗せたベビーカーは暴走車と共に落下していった…


()()… ああ… 私の()()…」


 アテナはその場に(ひざ)からくずおれ、泣き(くず)れた悲壮(ひそう)な顔を両手で(おお)うと絶望の嗚咽(おえつ)()らした…


「ううう… 神様… あんまりです… どうして、こんなひどい…」


 目の前で最愛の一人娘である()()を失った絶望で、アテナは路面に膝を付き、握った両拳(りょうこぶし)でアスファルトの(かた)い路面を打ち付けながら一人泣きむせんだ。

「うっ…ううう…」


その時だった…


「ママァーッ!」


 歩道のアスファルトに突っ伏して号泣(ごうきゅう)していたアテナは、自分の耳を疑った。彼女が聞き間違える筈の無い、愛する()()の声だ… 驚いたアテナは(うつむ)いて泣きじゃくっていた顔を上げ、声のした方に青い瞳を向けた。


 すると、アテナの目の前に信じられない奇跡が起こっていた…

 今日2歳の誕生日を迎えたばかりの(おさな)()()が、母の方に愛らしい小さな手を伸ばしながら空中に浮かんでいるのだった…

 信じられない事に、()()は空を飛んでいるのだ。

 ()()の背中には、天使の様な銀色の翼が生えていた。その翼を鳥のように羽ばたかせて、()()は飛んでいた…


 当然、アテナは娘の飛行する姿に驚愕(きょうがく)して、今にも叫び声を上げるかと思われたが、彼女の口から出たのは次の言葉だった。


「ニケ… あなたも、ママと同じ様に覚醒(かくせい)したのね…」


 そう言ったアテナは優しく微笑むと、幼い娘に大きく広げた自分の両腕を差し伸べた。

己が娘である()()の覚醒した姿を見てもアテナが動じる事が無かったのは、彼女自身もまた、『女神アテナ』として覚醒したためだった。

立ち上がったアテナの(かたわ)らのアスファルト路面には、彼女を暴走車から(まも)った『イージスの(たて)』が今もなお、日光を受けて(まばゆ)い黄金の輝きを発しながら(ころ)がっていた。


「ママ!」


 天使の様な可愛い銀色の翼を羽ばたかせ、()()がゆっくりと地上へと舞い降り、大きく両腕を広げていた(いと)しい母の胸に飛び込んだ。


 しっかりと抱き合う母と娘…

 アテナとニケ…


 人間の母娘(ははこ)の姿に転生し、今まで眠っていたギリシャ神話の二人の女神が、母国ギリシャから(はる)か東方の辺境の国、日本の地において覚醒した瞬間だった…

 


 

       **********

 

 


話は再び現代に戻り、場所は榊原(さかきばら)家の屋敷内の一室。


「それで…? どうして、あなたは人前でニケに変身なんてしたの?

 ちゃんと理由を説明しなさい。」

 母である榊原アテナの厳しい声が、娘の()()を問い詰める。出会った人の全てが息を呑むほど美しいアテナが厳しい表情をすると、凄みが加わってさらに美しさが増すのだが、その青い視線で見つめられた者は逃げ出したくなるほどの圧力を感じる。ちょうど、今の()()がそうだった。

 母の前で正座をして(ちぢ)こまっていた()()が覚悟を決めた様に顔を上げて、アテナの顔を真っ()ぐに見た。母譲(ゆず)りの青い瞳がアテナの視線とぶつかる。

 二人の傍では、()()の祖父である安倍(あべの)賢生(けんせい)がハラハラした表情で美しい嫁と孫娘の顔を見比べていた。

 母の前に正座させられて緊張していた()()だったが、たとえ世界で最も敬愛する母に対してであっても、自分の言うべき事は言おうと思った。

「私がニケになってあの怪物を退(しりぞ)けなければ、もっと多くの被害者が出ていたわ。あの場合、見過ごすなんて私には出来なかった。仕方が無かったのよ。」

 ()()は母アテナを深く愛していたが、怒っている時の母は苦手だった。それでも、いくら母に厳しく(しか)られようとも、()()は自分の考えを(ゆず)るつもりは無かった。これもまた母譲(ゆず)りで正義感の強い()()は、自分が間違った事をしたとは思っていなかったのだ。

 母であるアテナも娘の事を誰よりも深く愛し、そして信じていた。()()が人前で禁じられている変身をしたのは、よほどの事だったのだろうという理解はしていたのだ。ただ、それは人間社会で普通の生活を続けるためには非常に危険な行動だと言わねばならない。それでも自分の目を真っ()ぐに見つめてくる娘の青い瞳の中に真実の光しかないのを見て取ったアテナは、それまでの厳しい表情と態度を解いた。

「ふうぅ… 分かったわ。お母さんは、あなたの口から(じか)に聞きたかったのよ。

 あなたは危険に(ひん)した人達を(まも)るためにニケの力を使った。それは緊急避難的な行動だったと認めます。」

「はあぁ…」

 ため息を()くと共に、()()は全身に入っていた力を抜いた。彼女は母からの厳しい叱責(しっせき)を覚悟していたのだ。 

「ふう… そうなんじゃよ、アテナさん。()()は正しい事をしたんじゃ。一部始終を見ておったわしには全て分かっておるよ。あの場合、わしの止めるままに黙って見ておったなら、()()が騒ぎに巻き込まれる事もなかったじゃろうが、より多くの犠牲者が出ていたはずじゃ。」

 ()()と同様、賢生もまた、長い溜息を吐き出しながら身体に入っていた力を抜いた。年齢に応じた皺が刻まれた彼の額には玉のような汗が浮かんでいた。賢生は着ている和服の(ふところ)から手ぬぐいを取り出し、ゴシゴシと額の汗を(ぬぐ)った。

「もう、お祖父ちゃんったら調子がいいんだから。ニケになった私の事をニヤニヤしながら見ていたくせに。」

 ()()が老人の方を向いて苦笑しながら言った。

「そうじゃったか? はて、わしはお前さんの事を心配してハラハラしながら見つめとったんじゃがのう?」

 とぼけた表情で賢生が言うと、(そば)で二人のやり取りを見ていたアテナも笑い出し、ようやく()の緊張が解け、仲の良い家族に普段通りの(なご)やかな雰囲気が戻った。


「でも、ママはどうして事件の事を知ったの?」

 母譲りの美しい顔に疑問の表情を浮かべ、小首を(かし)げた()()がアテナに問いかけた。

「SNSで『ニケ』の動画や画像が評判になってるもの。

ほら、炎上(えんじょう)って言うの? ママだってスマートフォンでネットニュースぐらい見るわよ。」

 アテナが自分の着用しているエプロンのポケットからスマートフォンを取り出して二人の前に(かか)げて見せた。

「うっ、最悪…」

 ()()が形の良い眉間(みけん)に縦じわを寄せて顔をしかめた。

「ほら、だからわしが帰り(ぎわ)に言ったじゃろ。野次馬どもがスマホで撮影しておったって。」

 ()()のしかめっ面を面白そうに(なが)めながら、賢生が言った。すると、()()の形の良い眉間にますます似合わない皺が寄る。

「お祖父ちゃんのいじわる。」

 ()ねたような声でそう言うと、()()は自分のスマートフォンを急いでネットに繋いでみた。そして素早い指先で画面を操作する。自分で確かめようというのだろう。土曜日で学校が休みの彼女は先ほど起きたばかりで、まだスマートフォンに目を通していなかったのだ。

 最先端機器に対してアレルギー症状を呈しそうなほど苦手な賢生を除いた二人の美しい母娘が自分のスマートフォンをネットに繋ぎ、それぞれで該当(がいとう)するニュースや動画を検索し始めた。

「えっ、どういう事…? さっきまで、あれだけ話題になっていたのに、何も引っ掛かって来ないなんて…」

 アテナが自分のスマートフォンを信じられないものでも見る様に(なが)めた後、二人に向かって首を振りながらつぶやいた。

「私の方もよ、ママ。私は見ていないけど、あれだけの事件に関して何の情報も()ってないなんて絶対におかしいわ。」

 ()()の方は怒っていた。ネットに自分の事が載っていなければ喜んでいい筈なのに、彼女は不可解な状況に憤慨(ふんがい)していたのだ。

 スマートフォンやインターネットに通じていない賢生は、美しい嫁と孫娘の顔をキョロキョロと見比べるばかりだった。

「何者かが私についての情報を、ネットの世界から消去したんじゃ…?」

「誰が何のために、そんな事をするの?」

 母娘が互いの顔を見つめながら、気味悪そうに言った。

「そもそも、そんな事が出来るのか?」

 それまで黙ったままだった賢生が、ようやく意見を口にした。

 アテナと()()(そろ)って首を振る。分からないという意味だ。

賢生よりはスマートフォンやネットに関して通じているとは言っても、そんな事が()()とアテナにも分かる筈が無かった。

 賢生は卓の上に置かれていたリモコンを手に取ると、テレビの電源を入れた。そして地上波のチャンネルを次々に切り替えて見る。賢生の意図を察したアテナと()()も黙ってテレビの画面を見つめている。

 ちょうど、各局がニュースを放送している時間帯だったが、3人が求めていた例の事件に関するニュースは、どこの局でも取り上げていなかった。賢生がテレビを切るとアテナが立ち上がり、部屋を出て行った。すぐに戻って来た彼女は、折りたたまれた今朝の朝刊紙を手にしていた。そして、元の自分の席に腰を下ろすと、首を左右に振って見せながら賢生の前に新聞紙を置いた。

「お義父さま、ご覧下さい。私は朝早くに目を通しましたが、今朝の朝刊には事件の事は何も書かれていません。事件が起こったのが昨日の夕方だった事を考えると、昨日の夕刊に間に合わなかったとしても今朝の朝刊に取り上げられていない筈がありませんわ。」

 アテナの話を聞きながらも、老眼鏡をかけて朝刊に目を通していた賢生が顔を上げて二人に言った。

「アテナさんの言う通りじゃ。テレビも朝刊も、全く事件について取り上げておらん。」

()()とアテナが(そろ)って賢生を見つめている。。

「お祖父(じい)ちゃん、それって…昨日の事件についての情報を、何者かがネットやメディアから何者かが()み消そうとしてるって事?」

「おそらく、そういう事じゃろうな。理由は分からんが、明らかに何者かが意志的に行なったんじゃろう。」

 掛けていた老眼鏡を外した賢生が、()()の疑問に腕組みをして答えた。

「でも、そんな事が個人で出来るとは思えませんわ、お義父(とう)さま…」

「そうじゃな… それだけの事が出来るとなれば、個人ではなく組織だと考えるべきじゃろう。」

 賢生がアテナの疑問に答えて言った。

 3人は不安そうな表情で、それぞれの顔を見つめ合った。しかし、目が合っても首を左右に振ったり傾げたりするしかなかった。

少しの間、3人の間に沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、()()だった。

「お祖父ちゃん、ひょっとして… あの怪物の頭を狙撃で撃ち抜いたヤツが関係しているんじゃ…?」

 アテナには何の事か分からなかったので、今度は彼女が義父と娘を順に見比べた。

「ふむ、それは当たっておるかもしれんな。何か得体の知れん連中が、わしらの周りで動き始めたのかもしれんて…」

 腕組みをした賢生が厳しい表情で天井を見つめながらつぶやくと、()()とアテナは不安そうな顔を見合わせた。

 この不思議ではあるが幸せに暮らす仲の良い家族に(ひそ)かに迫り来る影の正体は果たして…? この場にいる3人の誰にも予想すら出来なかった。

 外に面する戸や窓は閉じられ、部屋に風が入って来た訳でも無いのに、3人全員が肌寒さを感じていた。



【次回に続く…】


『次回予告』

女神として覚醒を果たした榊原(さかきばら)アテナと、榊原(さかきばら)くみ。

アテナの夫であり、くみの父親でもある日本人・榊原竜太郎(りょうたろう)心中(しんちゅう)はいかに?

アテナと竜太郎の夫婦としての互いへの想いは…?


次回ニケ

第4話「アテナと竜太郎… 夫婦の想い」に、ご期待下さい。

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