第五段 思わん子を
突然ですが、法師談義です。誰が、現在の『枕草子』をまとめたか知らないけど、話が飛び飛びで、統一性が全くありません。悪しからずご了承ください。(葉月)
かわいく思う子どもを法師にしていることこそ、大変気の毒に思う。実は、親にとってとても頼りになる仕事であるのに、世の中の人々はまるで木の端のように思っているのは、大変気の毒なことだ。
法師といえば、精進物の粗末なものを食べ、寝る間も惜しむように生活をあれこれ言われる。また、若い法師は好奇心もあろう、女性のいるところを禁欲してのぞかずにいることなどできようはずもないのに、それもけしからぬことのように言う。
修験者になれば、ずいぶん苦しそうである。吉野の金峰山や、熊野、遠くの山などをあるき、恐ろしい目にあったりしながら、霊験あらたかになって、評判が知れるようになると、あちこちから声がかかり、有名になって、心安らかではいられない。
ひどく重い病人の、病人を煩わせている生霊・死霊の調伏をするのはとても苦しいので、疲れ切って少し寝てしまったりしようものなら「寝てばかりいて」と非難するのは、ずいぶん心が狭く、修験者はどう思うのだろうかと、心配になる。
でも、こんなのは昔の話。今の世の中は、法師は気楽そうである。
清少納言は、ずいぶん法師の肩を持つのね、と思って読んでいたら、最後は、これか。まあ、病気を治すのが法師の仕事だったなんて、令和の今となっては、笑い話だけれど。祈ったからって、病気が治るわけないし。平安時代は、本気で修験者頼みだったなんて、信じられない。
生霊・死霊と戦うフリの上手い法師は、高収入だったようだ。それとも、本当に自分のおかげで病気が治ったと信じていたのかなあ。
そして、第六段は、姫様(一条天皇 第一皇女 脩子内親王)のお話です。




