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第四〇段 蔵人おりたるひと、昔は(下)
法師を招いて仏道の講演を開いたり、八講と言って、四日に渡り朝夕に法華経を一巻ずつ講釈したりして、仏道に対する帰依を示す行事が、流行?していたようです。
「誰それが説教をした、誰それが八講をした。」などと、人から伝え聞くと、
「彼の方は来られましたか。」、「いらっしゃらないわけないでしょう。」とうわさされるような方は、あまりにも度が過ぎている。
とはいえ、どうして説教の場にまったくいかずにはいられようか。女の身であっても熱心に仏道の教えを聞きに行くものであるのに。それにしても、この「枕草子」を書き始めたころは、徒歩で出歩く人はいなかった。
たまには、正式に壺装束をして、優雅に化粧して歩く女もいるが、それは物詣のときだ。説教に徒歩で行くなど、多くは聞かなかった。私が「枕草子」の中に書いたような人たちが、まだ永らえていて、今の様子を見れば、どれほど悪口を言い、非難することであろうか。




