第四〇段 蔵人おりたるひと、昔は(上)
蔵人を辞職したものは、昔は六位が五位に上がるようなことはなく、その年には宮中に姿を見せないものだった。今は、そうでもない。五位に上がっても、蔵人のなれなかった者は、『蔵人の五位』と言って起用する。とはいえ、蔵人であったときより暇になったような気がするのか、説法の講義などに急いでやってくる。そういうところで説法を一度、二度と聞くと、参詣がしたくなるようだ。
夏のひどく暑いときに帷子をあざやかに着て、薄い二藍や青鈍の指貫をはいているのを、無造作に踏みつけて座っている。烏帽子に物忌の札をつけているのは、説法を聞くのなら物忌に障りはしないと周りの方々にアピールしているのだろうか。
急いでやってきて、説法をする法師と話をして、説法に集まった牛車を置く場所決めの世話をし、ずいぶん物慣れた様子である。(説法奉行なのかしら。)
しばらく会わなかった人に会って話しながら、うなずき、話し、笑い、数珠をいじり、車の良しあしをほめたりけなしたり、その人が行った経供養や八講などの法要と比べたりするので、本日の説法は聞いていない。いつも聞いているので、珍しくもないからであろう。
今でも、講演会とかで頼まれてもいないのに世話を焼き、関係ない話をして講演聞かない人いる。。。。




