第二二段 すさまじきもの(その二)
方違えで、陰陽師の『悪い方向』を避けるため、知人の家に泊まりに行くのは、日常の行事の一つである。この時に、もてなしてくれぬ家は、全く興ざめだ。まして、せっかくの節分違えでそんな目に会ったら、目も当てられない。
他の国にいる知人からの手紙に、贈り物がついていなくて、手紙だけなのも、がっかりだ。他の国でなく、京からの手紙ならば、「ゆかし」(知りたいな)と思っていたことがかき集められているし、世間の出来事を知ることもできるのだから、まあ、贈り物がなくてもよい。
(おもてなしや、贈答品には、しっかり気を配ってほしいものだわ、ということかな?このあたり、清少納言も、うるさいオバサンね。)
私の方から、見た目もしっかりきれいにして送った手紙の返事を見ようと待ち構えているとき。さあ、今返事が来るかなと待っていると、きれいに整えていたのに、汚らしくなって、紙がぼさぼさになって、上に置いていた紙の文字が消えてしまっているのを差し出して、
「いらっしゃいませんでした。」とか、
「物忌で、受け取っていただけませんでした。」などと言って持って帰ってくる。これは、とってもがっかりさせられて「すさまじ」。
(既読スルーどころか、既読さえつかないときの感じ?)
また、必ず来てくれるはずの人のところに牛車を送って待っているときに、牛車が入ってきた音がするので、それだろうと皆で出てみると、誰も乗っていない。
「どうしたの。」と、問うと、
「今日は、いらっしゃいませんでした。こちらへは、お渡りになりません。」といいって、牛を連れて出て行ってしまう。「すさまじ」。
また、家じゅうで大騒ぎして迎えた婿が来なくなってしまうのも、とても「すさまじ」。
(娘が、よい婿を迎えるか、否かは、家じゅうの運命を左右する。せっかくいい婿を得たと思ったら、自然消滅してしまっては、真っ暗。)
(平安貴族の日常茶飯事の「すさまじ」の列挙です。)
まだまだ続きます。




