第九一段 職の御曹司におわしますころ、西の廂に(その8)
正月一日、また雪がたくさん降った。
「うれしいことに、雪がたくさん降り積もっていること。」と思っていると、
定子様が、
「これは、道理に合わない。初めからある雪山はそのままにして、今積もった雪はかき捨てなさい。」とおっしゃる。
夜は定子様のところに居て、早朝に自分の局に下がろうと歩いていると、侍の長である者が柚子の葉のように濃い緑色の宿直衣を着て、青い紙が松の枝につけてあるものを持って、寒さに震えながら出てきた。
「それはどこからの物ですか。」と尋ねると
「斎院である選子内親王様からです。」と言うので、めでたいことだと思って、局に帰らず、定子様のところに引き返した。
(選子内親王は、村上天皇の皇女で賀茂の斎院におり、当時の文化の中心人物の一人だったそうです。)
定子様は、まだ、就寝中でいらっしゃった。私は、格子を開けようと、碁盤などを引き寄せてそれに乗って一人で我慢して上げようとするのだが、ひどく重い。片方だけ上げているのできしきしと音がする。
定子様が目を覚まされて、
「なぜ、そんなことをするのですか。」とおっしゃったので
「斎院から御文がございましたので、これは急いで定子様にお渡ししないわけにはいかないと思いまして。」と申し上げる。すると、
「なるほど、気にかかって無理をしたのですね。」
とおっしゃって起きられた。
御文を開けさせられると、五寸ほどの正月飾りの卯槌二筋を卯杖のように頭のところを紙で包み、縁起物の山橘、日陰、山菅などをかわいらしく飾ってあって、御文は見当たらない。
「何もないわけがない」と、さらにご覧になると、卯杖の頭のところの小さな包み紙に
山とよむ おののひびきを たずねれば いわいの杖の 音にぞ ありける
とあった。返歌をお書きになる定子様のお姿も、大変めでたい御様子である。
斎院に対するお文も、返歌も、たいそう心を砕いてお書きになるので、御気に入らず書き直されることも多く、お心遣いが表れている。
使いの者には、白い織物の単衣、蘇芳色の梅襲と思われるものが賜れる。
雪の降りしきる中を、それらの賜りものを作法通り肩に掛けて帰っていくのも「おかし」。
この度のお文と返歌を私は知らないままになってしまったことが、残念で仕方がないことだ。




